ひぼろぎ逍遥(跡宮)A 1058東近江市の坂本神社とは何か?
20240730
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
現在、坂本一族の解明を目途として、この間10本近いブログを書くハメに陥っていますが、漸く全貌が見えてきました。
グーグル上で坂本神社を検索すると、九州から派生した一族である事が分かります。

この間、甲信越の神社調査に全力を投入してきましたが、今年は、百嶋神社考古学研究会メンバーのT氏と南魚沼の坂本神社に参拝することもあり、視野を広げる意味で東近江の坂本神社を考える事にした訳です。

坂本神社 カーナビ検索 滋賀県東近江市北坂町280
6〜7年前に近江への神社調査に入った時に廻っていたら良かったのですが、甲信越に入るにしてもいつでも行けると思い後回しにしたのでした。
冒頭に、九州からとしたことに違和感をお持ちかも知れませんが、南魚沼の坂本神社の下調べによって間違いないと思ったのでした。いずれにせよ実に品格溢れる素晴らしい神社です。

一応、滋賀県神社庁のサイトを見ますが、タカミムスビを筆頭神とするなど、多賀神社のお膝元だな…と思ってしまいます。
本来の神は境内摂社末社に押し込められており、この神社の本質が全く見えてきません。
この神社は、本来、滋賀県で言えば、高良(甲羅)神社の配下の神社のはずなのです。
まあ、祭神の入れ替え、由緒の改竄は常套とも言うべきもので、中央の政治情勢の直下にある以上致し方ないと言うべきでしょう。
百嶋神社考古学では、この坂本命の本質についてもギリギリ把握できていますので、以下、次葉でご紹介したいと思っています。
この神社の神社庁の解説で僅かに信用できるのは、大山咋神(比叡山直下ですから日枝神社、山王神社、松尾神社、日吉神社、佐田神社様=佐田大神)程度で、ドラ息子のニニギと親父の高木大神など藤原以降であったと言うべきで、神社のご苦労が偲ばれると思わざるを得ないのです。
何れ、神社庁の横暴は多くの神社の離反を惹起するはずで、財政力ある有力神社からの離脱が劇的に進むことになるでしょう。佐田大神を猿田彦と言いくるめる連中ですから推して知るべきでしょう。
ここで、ひぼろぎ逍遥(跡宮)A 1051 不思議な坂本一族 探求編 ➊ 山ちゃんブログより
から、百嶋神社考古学の東海地域メンバーのY氏の文書をご紹介しましょう。以下…
第五十五話 「崇神天皇」(1) 百嶋神社考古学東海ビューロー 「やまちゃんブログ」より転載
2022.02.19
写真 貴志川 十三神社の参道梯(みやばし)より撮影出典:Wikipedia(2 022/02/18 20:50)
○『古事記・日本書紀』記事の特徴
○崇神天皇は正統な天皇ではない
○贈崇神天皇の皇后・妃と皇子・皇女
1.『古事記・日本書紀』記事の特徴
同天皇に関する『記紀』記事は「安寧〜開化天皇」までとは対照的に極めて豊富です。その意図するところは、阿蘇ご一家を先祖とする藤原氏による遠大な歴史改ざん計画の中核を成すものです。
2.崇神天皇は正統な天皇ではない
御真木入日子印恵命こと崇神天皇は、藤原氏によって贈られた天皇で、正統な天皇ではありません。
『記紀』は、父開化天皇、庶母伊迦賀色許売命との皇子としますが、名に「倭」あるいは「倭根子」がなく、明らかに開化天皇の皇子ではないことが一目瞭然です。
「神々の系図−平成12年考」では、御真木入日子印恵命(みまきにゅうひこいにゑのみこと)は、天忍穂耳命こと贈孝昭天皇と市杵島姫(いちきしまひめ)の御子大山咋(おおやまくい)こと熊甲安羅梶彦(くまかぶとあらかじひこ)を父、母は市杵島姫と大国主の間に生まれた鴨玉依姫(かもたまよりひめ)とし、姉に活玉依姫(はえたまよりひめ)、兄は稻飯命(いなひのみこと)、弟に梶取こと椎根津彦(しいねつひこ)またの名に倭彦としています。
したがって、正当な天皇ではなく藤原氏によって贈られた「贈天皇」と、故百嶋氏は述べています。
3.『古事記』記事が記す皇后・妃と皇子・皇女
(1)木の国造荒河刀弁(あらかわとべ)の娘、遠津年魚目微比売(とおつあゆめはしひめ)を娶り、豊木入日子命(とよきにゅうひこのみこと)・豊鉏入日女命(とよすきにゅうひめのみこと)の二柱。
「神々の系図−平成12年考」によれば、荒河刀弁は、紀の川の最大支流である貴志川、別名荒河とも呼ばれる川畔(現和歌山県紀の川市桃山町)に盤踞した女性首長(酋長)としています。
写真 貴志川 十三神社の参道梯(みやばし)より撮影
私は大学生時代訪れたことがあり、それはきれいな清流でした。出典:Wikipedia(2022/02/18 20:50)
娘とされる遠津年魚眼微比売は、父御年神(みとしのかみ)、母古許牟須姫(こけむすひめ)との間に生まれ、兄は水沼君(みぬまのきみ)・伊予御村別(いよみむらわけ)の祖武国凝別命(たけくにこりわけ)です。
したがって、この系譜は御年神こと贈孝安天皇の系譜を紛れ込ませたようです。
○豊城入彦命を祀る神社 二荒山(ふたらさん)神社 宇都宮市馬場通り 祭神:豊城入彦命とされていますが、豊城入彦自身が東国下向の際、御諸山の大神(大物主こと大己貴命)を祀ったとされています。
赤城神社 前橋市富士見町赤城山
祭神:赤城大明神(=大己貴命)豊城入彦命
写真 赤城神社周辺の四季 出典:赤城神社HP
大荒比古鞆結(おおあらひこともゆい)神社 高島市マキノ町浦
祭神:豊城入彦命・大荒田別命・須勢理比売命・大己貴命・誉田別命
写真 大荒比古鞆結神社 「変形三ツ鳥居」
大荒比古神社 祭神:大荒田別命・豊城入彦命
大荒田別命は、おそらく豊城入彦のまたの名と考えられます。
豊城入彦命は武将として能力に優れ、九州王朝に忠実で、最初は近江国へ赴任、その後大己貴命が支配する上野(こうずけ)国へ赴任。その後、安羅国王として赴任したと推測します。
(2)尾張の連の祖意富阿麻比売(おおあまひめ)を娶り、大入杵命(おおいりきのみこと)・八坂入日子命(やさかにゅうひこのみこと)・沼名木入日売命(ぬまなきにゅうひこのみこと)・十市入日売命(といちにゅうひめのみこと)の四柱。
「神々の系図−平成12年考」によると、ウガヤフキアエズと下照姫との間に生まれた大海姫(おおあまひめ)は意富阿麻比売と同一人物です。
故百嶋氏は講演会で「にゅう(入・乳)」は天皇にお仕えした人物名の特徴と述べています。
(3)大毗古命の娘御真津比売(みまつひめ)を娶り、伊久米入日子伊沙知命(いくめにゅうひこいさちのみこと)・伊耶能真若命(いざのまわかのみこと)・国片比売命(くにかひめのみこと)・千千都久和比売命(ちちつくわひめのみこと)・伊賀比売命(いがひめのみこと)・倭日子命(やまとひこのみこと)の六柱。
「神々の系図−平成12年考」によると、御真津姫の父は大毗古命ではなく事代主としています。
御真津姫の本来の名は『日本書紀』が記す御真城姫(みまきひめ)です。結婚前の名は五十鈴姫です。
ツヌガアラシトのまたの名に御間城入彦があり、御真城姫はツヌガアラシトこと贈崇神天皇と結婚して名を改めてからの名です。伊久米入日子伊沙知命は、五十鈴姫との間の御子ではありません。詳細は「垂仁天皇」の稿で説明します。
倭日子命は前述したように、ツヌガアラシトの弟椎根津彦です。
国片姫はツヌガアラシトこと贈崇神天皇と御真城姫の娘で、後に開化天皇の妃に成られます。
兄は盟神探湯(くがたち)こと壱岐真根子です。
4.『日本書紀』が記す皇后・妃と皇子・皇女
(1)皇后御真城姫との間に活目入彦五十狭茅(いくめにゅうひこいさちの)天皇・彦五十狭茅命(ひこいさちのみこと)・國片姫命(くにかたひめのみこと)・千千衝動倭姫命(ちちつくやまとひめのみこと)・倭彦命(やまとひこのみこと)・五十日鶴彦命(いかつるひこのみこと)の六柱。
彦五十狭茅命・彦五十日鶴彦命は不明です。
(2)紀伊國の荒河戸畔(あらかわとべ)の娘、遠津年魚眼眼妙姫(とおつあゆめまくはしひめ)との間に豊城入彦命・豊鍬入姫命の二柱。
故百嶋氏は「紀の国」を大幡主の支配地としています。
したがって、遠津年魚眼眼妙姫は大幡主の血筋に繋がる姫と推測されます。
(3)尾張大海媛との間に八坂入日子命・渟名城入姫命・十市瓊入姫の三柱。
表 ツヌガアラシトを中心とする家系図
生年は故百嶋氏の推定
次回は「崇神天皇」(2)です。
今回、国方姫が分かり難いためそれをご説明するためだけに、勝手ながら信頼できる文献史学派の「山ちゃんのブログ」を長々と引用させて頂だきました。
悪しからずご容赦を。
以下、百嶋由一郎手書きメモからも坂本皇子を探ってみたいと思います。
つまり、この国片姫こそが坂本命の母神であり、坂下の命は。藤原が第9代とした開化天皇(高良玉垂命)の皇子なのです。くれぐれも大嘘つきの神社庁には騙されないようにして下さい。何が高木大神か…!

百嶋由一郎 006橘系譜
百嶋由一郎氏のこの神代系譜については普段はあまり見ないもので、皇子宮、坂本宮でも神功皇后と開化天皇と間のシレカシの命以下5人の皇子に対して、4人の皇子については仲哀と神功皇后の間に生まれた皇子か仲哀の側室の子なのだろうと言った甘い解釈で留めていたのでした。
ところが、今般、正確に坂本姓や坂本一族を調べる必要が出て来た事から慌てて調べ始めたのが実情であって、ある意味では良い機会を与えて頂いたとも言えます。こんなことでもなければ本気で考えないのが日常であって、少しでも前進できればまさに天恵とまで言えるのです。
大恋愛の末に一緒になった大山咋と鴨玉依姫ですが、その間に生まれたのが活玉依姫でその活玉依姫が古々代ヘブライ系の事代主(大国主の子でもなければ、建御名方の兄でもない人なのです)の間に設けたのが五十鈴姫(我が研修所の近くにもこの五十鈴姫を主神として祀る神社があります)です。
その五十鈴姫が初国神武こと贈)崇神天皇との間に生んだのが国片姫(国堅大神)になるのです。
その国片姫が正当皇統第9代開化天皇との間に産んだのが国堅大神で、大神と呼ばれるのも開化の側室の子だからなのです。ちょっと面倒でしたが、漸く坂本皇子の素性が掴めたのでした。
以下は、新潟県南魚沼市八海山大倉口に鎮座する八海山坂本神社です。
