太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2017年02月05日

292 大宮神社と猿田彦大神 K “全国展開された猿田彦大神“

292 大宮神社と猿田彦大神 K “全国展開された猿田彦大神“

20160804

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


猿田彦大神は色々な呼び名をお持ちであることがお分かりになってきたと思います。

山幸彦、五十猛、ニギハヤヒ、彦火々出見命、伊ノ大神、白髭神社、白木神社…

 明治維新以降、当時の神祇官は出雲の佐田大神(松尾大神、日吉大神、日枝山王、大山咋、阿蘇国造=速甕玉…)までもが猿田彦大神であるとの大嘘を強弁するまでの横暴、専横の堕落を見せています。

 また、荒穂神社の神をニニギの尊であるとも…。

 猿田彦大神が最も集中するエリアが肥後熊本である事はこれまでの話でお分かりになったと思いますが、それ以外の地域ではどのような展開を見せているかをご紹介する事にしましょう。

 有名なところでは、鹿島神社(茨城県)の鹿島大神=草部吉見と並ぶ、香取神社(千葉県)の主祭神である経津主も山幸彦=猿田彦大神ですが、それも別稿とするとして、以下をご覧ください。


@  天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(ニギハヤヒ)福岡県宮若市磯光 天照宮  

A  五十猛命                 佐賀県白石町   妻山神社 

B  白木神社、白髭神社            筑豊を中心に数多く分布

C  四公神社                 豊前市に四社分布

D  荒穂神社                 佐賀県東部、太宰府市、嘉麻市…

E  ヤゴローどん               鹿児島、宮崎

F  彦火々出見命               宮崎インチキ神話…


まだまだありますが…これくらいにして、ここでは、あまりご存じない新潟の一の宮に鎮座されている事をご紹介しましょう。


新潟県彌彦村の彌彦神社


神社研究者にとって越後(新潟)の神社と言えば、彌彦神社が頭に浮かびます。

 ただ、直江津より北に行ったことの無い者にとっては当然ながら初見の神社になります。

そのような新参者がこのような大それた話をするのはお気に召さない方がおられる事は重々承知していますが、ここでは同社をご紹介すると同時に、百嶋神社考古学の立場から彌彦神社をどのようなものと理解していたかをお知らせするということでご了解頂きたいと思います。


 彌彦神社(いやひこじんじゃ、常用漢字体:弥彦神社)は、新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦にある神社。式内社(名神大社)、越後国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。

正式には「いやひこ」だが、地名などが全て「やひこ」と読む関係で、一般には「やひこ」とも呼ばれる。

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まずは、敬愛する「玄松子」氏のHPから見て頂きましょう。


天香山命
あめのかぐやまのみこと
別名
天香語山命/天香吾山命:あめのかごやまのみこと
手栗彦命:たくりひこのみこと
高倉下:たかくらじ……

天忍穂耳尊の御子である天火明命の御子神。母は天道日女命。尾張連等の遠祖。
『先代旧事本紀』では
饒速日命の子となっており、天火明命=饒速日命とする。饒速日命
に従って大八洲国に降り、紀伊国熊野邑に坐した。后神は熟穗屋姫命。…

HP「玄松子」による

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しかし、天香山命(伊矢日子大神)とは如何なる神様なのでしょうか?

ようやく百嶋先生のお話をお聴きしなくても多少は見当が付くような気がしてきました。

ここで彌彦神社社務所発行の縁起書「おやひこさま」の一部をお読み頂きましょう。

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丸分かりとまでは言わないものの、天香山命が山幸彦(もしくはその一族)であることを暗示していますね。

まず、伊、井、今、射…何々と表記される神は 山幸彦=ニギハヤヒ=五十猛…と考えて見る価値があります。また、当地名研究会グループの主筆 福永晋三氏(「真実の仁徳天皇」不知火書房刊、『九州王朝の論理―「日出ずる処の天子」の地』古田武彦/福永晋三/古賀達也)による天香具山(金も採れる銀も採れる採銅所…)とは豊前の香春町香春岳のことであり、決してなにも採れない奈良の辺鄙な小丘の事ではないのです。その香春岳の香春神社の主祭神こそ、山幸彦=ニギハヤヒのお妃である辛国息長大姫大目命=伊勢外宮の豊受大神(ちゃんと豊と書かれていますね…)であり、天香山命とは香春岳の支配者であり、豊受大神の夫である事を擬えた神名なのです。

そして、鹿児島のヤゴローどん(矢五郎どん)〜新潟県の弥彦神社の弥彦とが通底していることが分かってきたと思います。では、百嶋先生の音声データとその口述記録を見て頂きましょう。


「山幸彦の別名はおおやひこ、弥五郎どん、北陸の弥彦神社もみんな山幸彦である。」

久留米地名研究会百嶋由一郎先生講演 201125


神社伝承から見る古代史百嶋由一郎先生の世界--- もう一つの神々の系譜 ---牛島稔太のHPより


百嶋先生は明快でした。

 気になるのは多くの摂社、末社の神々です。乙子神社の建諸隈命を始めとして、「天」「建」の名が付された神々(大水口、大矢口…など)のオンパレードです。海人族、物部氏の神々ばかりと思いますが、妃神の熟穂屋姫命と併せ保留しておきます。

 弥彦村は新潟市の少し南にあります。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 13:50| Comment(0) | 日記

2017年02月03日

291 大宮神社と猿田彦大神 J “古代日向のヤゴローどん も猿田彦なのです“

291 大宮神社と猿田彦大神 J “古代日向のヤゴローどん も猿田彦なのです“

20160804

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

人吉盆地の入口に近い川向う(勿論球磨川ですが)の地区に矢黒町があり矢黒神社があります。

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この聞きなれない名の神社が鹿児島、宮崎の「ヤゴローどん祭」の主役のヤゴローどんを祀るものとする確たる根拠はありません。

 しかし、「ヤグ」、「ヤグロ」が「ヤゴローどん」の名を留めている可能姓は十分にあるでしょう。


野々矢具神社 熊本県合志市西合志町野々島4862  火火出見尊外二柱

矢具神社   熊本県田浦町3049         火火出見尊 豊玉姫命

矢具神社   熊本県田浦町波多浦24       火火出見尊 豊玉姫命

矢黒神社   熊本県人吉市矢黒町1765      伊勢以下33

祭神は「熊本県神社誌」により確認したもの


故)百嶋由一郎先生は、このヤゴローどんを南下したニギハヤヒ=山幸彦=猿田彦(新潟県弥彦神社の祭神でもある)とされていました。

 通説では山幸彦が彦火火出見尊 (ヒコホホデミノミコト)とされていることは異論のないところでしょうが、“神武天皇の祖父で 瓊瓊杵尊と木花開耶姫命の三男…木花開耶姫命が疑いを晴らすために産屋に火をかけて、その火の中で生んだ子の一人”などというのは藤原が捏造した大嘘であることは何度となくお話して来た「古事記」のインチキ神話の一部です。

 今のところ、「矢具」、「矢黒」が「ヤゴロー」とほぼ対応している事から、そう考えるのですが、祭神もヒコホホデミとあり、百嶋先生が言われていたニギハヤヒ=山幸彦=猿田彦に対応するのです。

 これまでも何度か書いていますが、九州(大分県北部の瀬戸内海側沿いを除く)では、標準語のO音がU音と入れ替わる場合が数多く認められます。

 「今日は大事(オオゴト)をしでかした」→(ウーゴト)、栂(トガ)→栂(ツガ)、ホウヅキ→フウヅキ、遊び呆(ホウ)ける→呆(フウ)ける…

 当然にも、ヤゴローはヤグロ、ヤグロウに置き換わっている事が自然に理解できます。

 と言うよりも、それこそが原型であり、古代には九州の言葉が標準語だったのであり、「ヤゴローどん」と呼んでいるのは、隼人を制圧した近畿大和の方言を話していた田舎者が、「ヤゴロー」と呼んだだけなのです。

 今のところ作業としてはここまでですが、宮崎、鹿児島限定と思われている“ヤゴローどん”の奉斎(祭)圏がかなり広がっている事が見えて来た事になりそうです。

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まず、参拝殿は至って質素ですが、神殿の鞘殿の黄金(白銀)の屋根は茅葺の多い人吉盆地ではど派手で目を惹きます。加えて鞘(サヤ)殿です。由緒書きでは覆屋様式とされています。

矢黒神社は ヤゴローどん を祀るものと考え、再訪している者としては、この鞘殿の様式(原子炉建屋のようですが)は、やはり、筑後物部氏のそれとの思いが走ります。

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タイミングが良ければ球磨川下りに出くわします

縁起を読む限りはあまりにも多くの神様が盛り込まれて判然としませんが(「熊本県神社誌」でも伊勢以下33社とそっけない)、香取(鹿島、香取は百嶋神社考古学では海幸、山幸です)が入っており辻褄は合うのです。

 ただ、やはりと思ったのは、境内社として別建ての伊勢稲荷が祀られており(実は伊勢外宮の豊受大神は山幸彦=ニギハヤヒ=猿田彦のお妃でもあるのです)、本当はこちらが格上の神様なのです。

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境内社として別建ての伊勢稲荷が祀られており(実は伊勢外宮の豊受大神は山幸彦=ニギハヤヒ=猿田彦のお妃でもあるのです)、本当はこちらが格上の神様なのです

最後になりますが、地名で関心を惹いたのは、この矢黒町には雨吹山があることです。まさか、アメノフキネノミコトを意識して付されたものではないと思いますが、今後の課題です。


芦北町桟敷の乙千屋(オトジヤ)の天子宮


球磨川流域の人吉盆地から八代芦北一帯には多くの天子宮、天子社、天子神社なる謎の神社群が存在していることから、古田史学の会の会報や同会のHP、その他で公開しています。

同社の境内社の自然石に「矢五郎」との文字が線刻されているのです。

元々これは内倉武久氏を同社や付近の佐敷神社にご案内した際に、同氏が発見されていたものなのです。

 ただ、当時は、鹿児島県のヤゴローどん祭や、この正体に対して無関心だったっため写真も撮っていなかったのですが、今回改めて「矢五郎」と書かれている事を確認し、これが鹿児島県に数多く分布する「ヤゴローどん祭」に関係するヤゴローどん信仰の一部と確信したのでした。

 まずは、鹿児島県曽於市の岩川八幡宮のヤゴローどんをまずは見て頂きましょう。

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一般的には、熊襲の英雄とか、熊襲を征服した大男とか、九州南部を上手く治めた人物…といったイメージで理解されているのですが、この奉祭圏が肥後まで及んでいるとは全く考えられていません。

 しかし、これについても、故)百嶋由一郎氏は“ヤゴローどんはニギハヤヒ=山幸彦=猿田彦ですよ“

と明言されており、現在、肥後で拾い出した、4社の祭神とどうやら対応しそうなのです。

 これについては、生前、百嶋先生に「矢具神社、矢黒神社があります…」とお伝えした事がありますが、先生もこの肥後の神社群について認識をお持ちではなかったようです。

ヒコホホデミ

ホオリ - 記紀に登場する神。山幸彦。

ウィキペディア(20160330 10:30

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では「矢五郎」どんの線刻をご覧ください

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「郎」は少し確認し難いのですが「矢五」は鮮明に見えますね


追伸) なお、弥五郎、矢五郎の分布は熊本どころか、久留米、筑後の一帯まで広がっていたことが、ニュー・フェース宮原誠一氏の研究によって分かってきました。

 これについては、「宮原誠一の神社見聞牒」で公開されると思いますので、ここでは明らかに致しません。ヤゴローは明らかに筑後領域から南下し、古代の日向=鹿児島+宮崎に展開したものだったのです。

くれぐれも、学会通説の俗説を鵜呑みにして吹聴する学芸員の話を信じないようにしてください。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 10:46| Comment(0) | 日記

2017年01月29日

290 大宮神社と猿田彦大神 I “山幸彦=猿田彦のもう一つのルーツについて”

290 大宮神社と猿田彦大神 I “山幸彦=猿田彦のもう一つのルーツについて”

20160723

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


百嶋由一郎氏からは“山幸彦のルーツは島原の猛島神社だっただろう”といった話を聴いています。

サンゴ礁の海とは行きませんが、肥後よりは肥前の香りがする明るい南からの風が入るところです。

既に何度もお話ししてきたように博多の櫛田神社の主神である大幡主は、“博多港を拠点に武装商船隊を組織して半島、中国、インドシナへと交易をしていた”と話されていました。

 大幡主とは大きな旗を靡かせて海上を疾走する外洋船(海賊船)のイメージが付き纏いますが、恐ら幡とは船の帆を意味していたのではないか(大幡とは大きな帆それも高価な絹の?)と思います。

 それが、多くの幡=帆を意味する八幡神となり、倭寇に関しても海賊船=八幡船(バハンセン)と呼ばれていたのです。

 それがいつしか贈)応神天皇ごときが八幡神などと考えられるようになり、区別できるように正八幡神社(行橋、筑豊などに散見される)などと自称せざるを得なくなったようなのです。

 では、猛島神社です。
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主祭神 五十猛尊、大屋津姫命、抓津姫命


配祀 譽田別命、大綿津見命、天照大日命、天津兒屋根命、 菅原道眞、沫那藝命、沫那美命、國常立命、

(応神) (大幡主)  (天照)  (海幸)   (菅公) (イザナギ)(イザナミ)(天御中主)

彌都波能賣命、猿田毘古命、 現仁命、多紀理比賣命、狹依比賣命、多紀津毘賣命、奇稻田比賣命、

(ミズハノメ) (山幸)   (崇神)(宗像タギリ)(市杵島姫)(宗像タギツ)(クシナダヒメ)

神速須佐能男命、 八男子命、大國主命、大山咋命、八重事代主神、御年神、大年神、若年神、志賀神、

(スサノウ)    不明    OK     OK    OK   玉名疋野 (孝安) 不明  安曇礒良  

猿田彦神、宮毘神

(山幸)  不明

摂社 御前神社「八重事代主命」

         (エビス)


由緒

 「平成祭礼データ」から

 御祭神は、素佐之男尊の御子、五十猛神大屋津姫神柧津姫神を配祀する。

 日本書紀一書によれば、五十猛神が新羅から多くの木の種を持って帰り、それを妹の大屋津姫、柧津姫の2神と共に筑紫の国からはじめて全国に播いて歩かれたという。

 元和4年(1618)年、松倉豊後守重政公が、森岳城(現島原城)を築くまで、森岳大権現として祭っていた。

 その創祀は遠く不明であるが、森岳の森は神を祭る木の茂った聖地の意味で、岳は神聖な高地を意味する。この聖なる森岳に迎え祭った神は、森信仰の神であることには想像するにかたくない。森の神は地主神であり、農の神である。その神格は周辺の集落を開き造り始めた住民たちの祖霊と習合する民俗信仰にもとづいたものである。

敬愛する「神奈備」による

五十猛=大屋彦(オオヤビコ)と同母の妹とされる大屋津姫(オオヤツヒメ)柧津姫(ツマツヒメ)

このオオヤビコはイソタケルの別名であるという説(本居宣長「古事記伝」)がある。

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本殿遠景


この他にも五十猛=山幸彦=猿田彦=ニギハヤヒの祭祀圏を探ると以下になります。

全て現地踏査済、神社誌等で確認済(基礎データは敬愛するHP「神奈備」外)


佐賀県三養基郡基山町    荒穂神社

佐賀県佐賀郡大和町大字梅野 梅野神社

佐賀市鍋島町大字森田    新庄神社

佐賀県杵島郡大町町大字大町 大町八幡神社

佐賀県杵島郡白石町大字馬洗 妻山神社

佐賀県杵島郡有明町大字辺田 稲佐神社

佐賀県藤津郡太良町大字多良 太良嶽神社

長崎県島原市宮の町     猛島神社

長崎県南高来郡小浜町雲仙  温泉神社


以上、熊本を中心に、佐賀、長崎の猿田彦=山幸彦祭祀圏を概括しましたが、例えば、太宰府、嘉麻市外の荒穂神社とか、久留米市の天照御祖神社、筑豊の白木神社を始めとして多くの猿田彦を祀る神社がある事は言うまでもありません。なおも探査は続けます。……

なお、猿田彦が佐田大神との思い込みが蔓延した震源地は伊勢の猿田彦神社にあります。

同社縁起は以下。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:51| Comment(0) | 日記