2023年03月27日

ビアヘロ204 宇佐八幡宮中宮の若宮神社から宇佐神宮の近畿大和朝廷の宇佐八幡宮への変化を探る

ビアヘロ204 宇佐八幡宮中宮の若宮神社から宇佐神宮の近畿大和朝廷の宇佐八幡宮への変化を探る

20221110

太宰府地名研究会 古川 清久


無題.png 全く迂闊だったのですが、遡る事4年ほど前、宇佐八幡宮の中宮(これは私達がそう呼ぶものですが)の若宮神社の未公開文化財の公開が行われていたのですが見損なっていました。

 ところが、2211月初頭から県立博物館(宇佐市)に於いて、同様の展示が行われる事が分かり、10人ほどに呼び掛け、遅ればせながらもオオササギ=仁徳天皇以下の木造の5体の神像を見せて頂く事にしました。

しかも、「大鷦鷯命(おおささぎのみこと)」(仁徳天皇)、「大葉枝皇子(おおばえのみこ)」、「小葉枝皇子(こばえのみこ)」、「隼別皇子(はやぶさわけのみこ)」、「雌姫皇女(めどりのみこ)」の5柱…と、これまえ神名さえも分からなかった若宮神社が何なのかが分かるかも知れなかったのです。以下はネット上に残っている4年前に公開された文書です。

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六郷満山開山1300年記念非公開文化財特別公開宝物館特別展

六郷満山開山1300年を記念し、当神宮摂社である若宮神社に祀られる御祭神のお姿を現した木造神像(国指定重要文化財)展示の特別展を開催致します。    若宮神社

【若宮神社について】

無題.png御輿掛より上宮へ上がる参道の途中に、若宮神社が鎮座されています。
仁寿2852)年に造営創始され、「大鷦鷯命(おおささぎのみこと)」(仁徳天皇)、「大葉枝皇子(おおばえのみこ)」、「小葉枝皇子(こばえのみこ)」、「隼別皇子(はやぶさわけのみこ)」、「雌姫皇女(めどりのみこ)」の5柱が祀られます。
古来より明治に至るまで、若宮神社の本殿と拝殿の間に「炉」が設けられ、そこで「亀ト(きぼく)」という亀の甲羅を用いた占いが行われていました。

【若宮御神像について】

若宮神社の御祭神のお姿を現したとされる5躰の木像です。
平安時代のものとされ、昭和25年に国指定重要文化財となりました。

【展示場所】

宇佐神宮 宝物館第二展示室 宝物館ページはこちら

【展示期間】

平成301017日(水)〜1029日(月)まで
1023日(火)は臨時開館致します。

【拝観料】

常設展と併せての開催のため、宝物館入館料のみで拝観可能です。

お問い合わせ

宇佐神宮 〒872-0102 大分県宇佐市南宇佐2859 TEL0978-37-0001 / FAX0978-37-2748

無題.png 館内もでひときわ目立つ堂です


こちらは現在のネット広告です

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正に天から降ってきたような有難い再展示であり、恐らくこれを外したら一生観る事が出来ないと思われ、何とか見たいと他のメンバーにも呼び掛けを行った分けです。とりあえず45名はお出でになりますが、全ての方の日程が合う訳でもなく10人全てが揃いはしませんでした。最低でもあと数名は加わるはずで、うちのメンバーの熱意にも頭が下がります。

 では、何故これ程までに私達がこの問題に拘ったかをご説明したいと思います。


何故、若宮八幡宮(若宮神社)に拘るのか


私達のような神社考古学の洗礼を受けたものと言わず、普通の九州王朝説を正しいと考える方(邪馬台国九州説論者は一般人と同じですし、Yなどの通説派に摺り寄るさもしい東遷説はどうにもなりませんが…)に於いては、どの時点で、如何にして呉の太伯の流れを汲む皇統が曲げられ、若しかしたら戻ったのかに心を逸らせるはずなのです。その意味でこの仁徳天皇問題は極めて重要かつ留意するべきポイントなのです。そもそも我々百嶋由一郎の面授の者としてしては仁徳天皇が応神天皇の子などと言う大嘘話は全く信用していません。そもそも応神天皇とは藤原の一派が持ち込んだどこのどなたか解かりもしない人物のはずなのです。そして、宮内庁と言わず神社庁もこのことについては十分理解しているはずなのです。

馬鹿丸出しなのは通説派のさもしい御用学者だけで、自説を通説と擦り合わせるだけの価値のない人生で死んでいけば良いだけなのです。

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002百嶋系図(極秘)003


宇佐神宮上宮(殿)の配神がいつから始まっているかについては多説あり難しい問題ではありますが、それはひとまず置くとして、現在の上宮の一の御殿:応神天皇(背後に春日神社=草部吉見)、二の御殿:宗像三女神(背後に北辰宮=妙見神…天御名中主命)、三の御殿=神功皇后(背後に住吉大神=高良玉垂命=開化天皇)に対して、中宮の若宮神社の存在が無関係であるはずはないのです。

繰り返しになりますが通説では仁徳は応神の子とされているのです。しかし謎が解けそうなのです。


仁徳天皇 生年:生没年不詳 5世紀前半に在位したといわれる天皇(大王)父は応神天皇,母は仲姫。実名はオオサザキ。『古事記』では大雀,『日本書紀』では大鷦鷯の字を当てている。

朝日日本歴史人物事典「仁徳天皇」の解説

無論、我々は応神の子が仁徳などと言う大噓は一切認めませんが、オオササギノミコトは孝元天皇(オオヤマトネコヒコ)の子開化天皇(藤原が第9代としたワカヤマトネコヒコ)と仲哀死後の神功皇后の間に生まれた五人の長子と考えています。             002百嶋系図(極秘)003込参照

これらは、故)百嶋由一郎が高良大社に残された「高良玉垂宮神秘書」をベースに再構成したもので、天武朝期、阿蘇系の流れを汲む藤原が実権を握り創られた「記」「紀」とは全く相入れない異なる神代系譜となっています。

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「高良玉垂宮神秘書」は高良大社に奇跡的に残された文書であり、第1条から海幸とも山幸とは書かないものの皆さん良くご存じの「海幸山幸神話」が書かれているのです。しかも異なる部分はあるものの捏造とは思えぬ驚くべきことも書かれており、こちらが原型としか言いようがないのです。

当会の内部では一部に、「古事記」はこれを剽窃していると考えているところです。

この文書を知っている人、さらに読み込んでいる人が現在どれほどおられる事でしょうか。

九州王朝論者を自認する人でも県外、九州外の方となるとそら寒い思いがしてきます。

それほど本の絶対量も少なければ、存在そのものを知らない方が大半だと思います。

二十年前には新本が高良大社の社務所にも30冊はあり、そのうち当会のメンバーなどが10冊以上は買い込んでいるはずで、今や残本は0冊となり、ネット上で出てくるものでも5万円に跳ね上がっている状況では事実上の絶版、禁書状態の上に、当の高良大社本体が保身のためか普及しようとは全く考えていないようで、他も含めて通説に尾を振る様な状況では、所詮、在野にしか真面な研究者も真実の古代の探索も育つことは望めない訳で、日々真実から遠ざかり、いずれは消失することになる事でしょう。

ここからは耳障りのする情けない話をお知らせしておきます。反省なくして前進はないのです。

間が抜けたことに、九州の九州王朝論者の組織と自称していた○○古代史の会自体が今年の春辺りで、九州王朝論の団体である事を捨て去り、普通の古代史研究団体に変わる事を宣言し、事実上のどこにでもあったただの古代史愛好団体と成る事を宣言してしまってまでいるのです。

ほんの十数年前までは古田史学の会さえも乗り越える本当の九州の古代史を探求する会とか言っていた連中がこの様なのですから、通説派から笑われ嘲られることを気にしない言わば恥を知らない団体に成りきっているのです。まあ、落ちるところまで落ちたと言えばその通りでしょう。正しくザマーない。

結局、おらが村興し町興し、果ては世界遺産登録などという官製歴史運動並みに堕落し消失したのでした。

ともあれ、「高良玉垂宮神秘書」にどのような事が書かれているか一部を紹介致しておきましょう。

このような文書に関心を持って読まれる方は少ないと思いますが、まだ当会にはこれを持ち、かつ読みこなし、数人は書き下し分さえも作成しているのです。

試しに、スペースを入れ、高良玉垂宮神秘書 書き下し とでも検索されたらいかがでしょう。

この様な驚天動地の話が落ちているにも拘わらず、高良山研究の第一人者とか泰斗などと言われた方さえも、結局は通説とのバランスを取り権力に尾を振った様で、何の継承もされていないと言うのが実情なのです。

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最早、当会メンバーと当会のメンバーが書く多くのブログ以外に真面目に取り組んでいる人はいないようで、十数年前から警鐘を鳴らし続けてはいたのですが、九州王朝論者の大崩壊も始まっており、既に終息へと向かいつつあるのです。

ただ、当会メンバーにあっては僅かでも若手の研究者が徐々に増え始めており、何とか継承できるのではないかと思っている所です。

最低でも宇佐八幡宮内の若宮神社ぐらいは位置づけしたいものだと思うばかりで、この五柱の神々が誰であるのかの推定を試みたいと思います。

尚、「宮原誠一の神社見聞諜」では数本のブログで九躰皇子問題を取り上げておられ、最先端に立たれています。

そこで考えるべきは、元々仁徳天皇=オオササギノミコトを祀る福岡県久留米市山川町の高良御子神社です。この旧参道の傍にある同社こそが高良大社への元々の本道だったのです。

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高良御子神社(王子宮) カーナビ検索 福岡県久留米市山川町5961



 
  
「大鷦鷯命(おおささぎのみこと)」(仁徳天皇)、「大葉枝皇子(おおばえのみこ)」、「小葉枝皇子(こばえのみこ)」、「隼別皇子(はやぶさわけのみこ)」、「雌姫皇女(めどりのみこ)」の5柱…

若宮神社に対する宇佐神宮の祭神(再掲)

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祭神:高良玉垂命の子九躰王子 

斯礼賀志ノ命神    高良玉垂命と仲哀死後の神功皇后との間に生まれた五人の長子(仁徳天皇)

朝日豊盛ノ命神    宇佐八幡若宮神社の大葉枝皇子(オオバエノミコ)に対応か?推定

暮日豊盛の命神    宇佐八幡若宮神社の小葉枝皇子(こばえのみこ) に対応か?推定

渕志ノ命神      朝日、夕日の朝映え、夕映えが大葉枝、小葉枝とされたのではないか?

谿上ノ命神      以上 高良玉垂命(藤原が第9代とした正当皇統 九州王朝 開化天皇)皇子


 
  


那男美ノ命神     宇佐八幡若宮神社の雌姫皇女(めどりのみこ)に対応か?推定

坂本ノ命神      意味は母親代わりのお姉さんですよね、神功皇后の連れ子の娘で

安志奇ノ命神     

安楽応宝秘ノ命神   神功皇后の四人の連子(仲哀の子or仲哀との子)この中には応神はいない?


宇佐八幡宮境外摂社 鷹居八幡神社(応神が居たとされる抜殻の神社)大分県宇佐市上田字1435

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この鷹居八幡の初期の応神が隼別皇子(ハヤブサワケノミコ)として宇佐八幡の若宮八幡神社に持ち込まれたのではないと考えるのです。推定ですが、弱々しいオオササギに対して鷹、隼のニュワンスです。 

鷹居八幡神社とは初期の応神が滞在した神社とされ、鷹が居たの意味と解すれば、宇佐八幡宮中宮の若宮神社の隼別け王と奇妙に対応するのです。今後とも検討すべきですが、これまで宇佐八幡宮の若宮八幡神社の五柱の神は仁徳天皇=シレカシ=オオササギ以下の五人の皇子ではないかと考えてきました。加えれば、それが現在の宇佐八幡宮一社三殿三神の言わば勅使門でしかない八幡宮の原型であると考えていたのですが、どうやら、この若宮神社の中で既に入れ替えが行われ、応神(鷹居=隼別)が潜り込まされていたように見えるのです。そして仲哀の連れ子で種違いの姉である雌姫皇女(メドリノミコ)が世話役として持ち込まれていた様に思えるのです。こうして始まったのが宇佐八幡宮であり、当然にもこれをやらかしたのは辛島であり、藤原の一派である阿蘇系の大賀比義(これも大神惟基の後裔)だったのです。


百嶋由一郎が残した神代系譜、講演録音声CD、手書きデータスキャニングDVDを必要な方は09062983254まで

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | ビアヘロ

2023年01月31日

ビアヘロ203「宮原誠一の神社見聞諜」の勉強会を始めます!

ビアヘロ203「宮原誠一の神社見聞諜」の勉強会を始めます!

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太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


当会のメンバーと言うより、エース格の宮原誠一氏による「宮原誠一の神社見聞諜」という良質のブログが在ることは皆さんも良くご存じの事と思います。

宮原氏は「福岡県神社誌」以前の「久留米藩社方開基」という筑後の神社資料を手元に置き、30代から地元の神社を調べてこられた方で、当会の宝とも言うべき研究者です。

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となります。


 宮原氏のブログを見ると、ペラペラの表面だけの説で満足されている部分を抉り、可能な限り古代の真実に迫る内容が満載されています。

まずは、戦後のマッカーサーの占領政策によって神社研究が完全に消失して以降、最良かつ最重要の資料と言えるでしょう。

 最早、神社研究など誰もやっていないのです。誰かやっておられると言うのなら直ちに教えを請いたいと思うばかりですが、今や禰宜はおろか宮司までが総崩れと言う有様で、実に暗澹たる思いがします。

 列島の古代を考えれば、如何に日本が奇跡の国家であるかが良く分かるのですが、その神社研究、古代史研究を天照の国が奈良から自生したなどと言う大嘘が大股で闊歩するようになれば、日本は間違いなく消失への道を下り始めることになるでしょうし。それどころか戦後80年を経ており、最早時すでに遅しであり全く間に合わないかも知れないのです。しかし、それを少しでも喰いとめようと抗っているのが私達なのです。

 故)百嶋由一郎氏も実は熊本県人吉市の某所と分かってきましたが、古来、定期的に行われていた神社研究会に参加されていた様で、通説とは異なる真実の神社研究、神代史研究を続けられていたらしいのです。

 そこでは各地の神社で代々伝えられていた本当の神社の祭神などが密かに伝えられていた様なのです。

 その最後の世代が百嶋氏であり、それ以降は継承者もなく失われるばかりだったのですが、僅かながらもその一部を継承したのが当会だったのかも知れないのです。

 欠史8代などと言う大嘘を吹聴した津田何某とそのエピゴーネンどもは正しくGHQに尾を振る売国者集団であり、こいつらが嘘の歴史をばらまき、日本と日本の神々を欺いた張本人なのです。

 天照、卑弥呼の国が奈良で始まったなどと彼らは本気で考えているのでしょうか?ほとんど漫画の世界です。…お粗末。そのような嘘つき国家は早晩滅びてしまうことになるでしょう。

神社が時の売国権力に尾を振り、嘘だけを吹聴し全く真実を伝えなくなれば国家は瓦解していきます。

 列島に住んできた代々のご先祖様達は戻れぬ故国を跡にする時にも故郷の鎮守の杜にお参りに行き戦地に出征したはずですし。

 我々のご先祖様達は勝てない戦であっても婦女子と父母を守るために命を懸け雄雄しく死んでいったはずです。そこには、表向きの話しとは異なる多くの伝承が残されていたのです。

 その頃までは平気で嘘をつくTVもワイドショーも存在せず、立派な神官、知恵ある誇り高き宮司も数多く残っていたはずなのです。

 話が横道に逸れましたが、そこで、会の宝ともいうべき宮原誠一氏の勉強会を始める話が持ち上がっています。

 筑前筑後の神社研究、百嶋由一郎神社考古学を継承する体制を準備し、研究内容を後世に継ぐ民間研究体制を準備する事にもなるでしょう。

さて、勉強会ですが、街中で集まるのは返って不便です。駐車場も空きを探さざるを得ず、その駐車料金もン日だと千円近くになります。

そこで、いつでも集まれる久留米市でも郊外の北野町の一角で始めることにしました。

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無題.png久留米市 金島ふれあい交流センター(仮案)


カーナビ検索 久留米市北野町八重亀139


 日程などはこれから検討します。

 車で来られる方は駐車場の心配は通常ありません。

 筑後川右岸の平野部は交通量も少なく飯塚方面からも佐賀県からも、小郡ICや久留米ICからも近く便利な場所にあり、県外からの参加者にも集まり易いかと考えています。

 百嶋由一郎氏が残した神社考古学の灯を絶やさないためにも是非お集まりいただきたいと思って止みません。

 問題は、何時やるかです。230年前までは週休二日制が行きわたり、休みも結構取れたためこのような研究会は安定して行うことが可能で、それほど悩む必要も無かったのですが、売国奴小泉、竹中によって非正規雇用が蔓延、国民所得の半減、年金まで壊滅させられる有様になった結果、“歯医者に行かせてくれ”と言えば“明日から来なくていいよ”と言われる始末で、80までどころか死ぬまで働かざるを得ない社会に成り下がってしまったのでした。

 土日じゃないと仕事があるので来られない!年金生活者は平日の方が良い!子育て中のママは保育園に送り込んだ後のお迎えまでの時間が有難い…!と言ったぐあいで、土日と平日に分けざるを得なくなったのでした。結局、ÅグループとBグループの二つに分け、土日と平日を隔月で行い、奇数月と偶数月を交互に同一テーマで勉強会を行い、内容はブログの重要テーマを話してもらうことにしようと考えています。少数でも継続を優先させ、極力、労力と経費を抑え、内部の結束を強め、百嶋由一郎氏の業績の継承を主眼に運営したいと考えています。

 これで将来に向けた百嶋神社考古学の継承への足掛かりができたことになり、我々の活動内容の継承も可能になりそうです。

 村興し町興し果ては世界遺産登録へと通説派による官製文化運動に大半の史談会、郷土史会が自ら迎合する力も失い、解散、休会が目立つ中、九州王朝説論者と自称していた連中までが町興し運動に流れ行政の芸人に成り下がる一方、一時期は古田武彦を乗り越えるとまで豪語していた九州王朝説のグループが何時しか九州王朝説の看板を降ろし(20223月)、只の古代史愛好団体に成り下がる状況にある始末で、事実上、九州王朝系団体は九州からは姿を消失したようです。

 我々も、手垢のついた古田九州王朝論では今後を戦えないと考え、当面、百嶋神社考古学と九州王朝論を最先端で牽引する佃収研究で当面の間荒波で漂流することになりそうです。

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来年の二月に第一回目を平日組のAチームからスタートし、テーマも内容も宮原氏にお任せしますが、恐らくブログから選んだ重要な話から採用される事になるでしょう。

 三月は土日組のBチームですが、第一週か最終週の日曜日しかないと思っています。

 現在、纏まった神社研究グループは我々以外には事実上存在しないと考えています。

 非常に残念なことですが、数名規模で神社を調べるグループに出くわしたことはありますし、当方の集まりに参加される方にも師匠と二人で参拝を続けられている方もおられます。

 ただ、組織立って動いておられるグループ、古代史をも繋ごうとされているものはネット上にも存在せず、振り返れば我々だけが必死で抗っている事に気付きます。これから、集まり易い場所を拠点に、集会を続けますので、多くの方々にご参加いただきたいと思います。

私達はここ34年の停滞期にも全力をあげて集会を継続しました。その間に新しい若手のメンバーが加わってこられました。この会合を継続すれば、更に新たな参加者も加わり、徐々に熱心なメンバーによる研究会に発展するものと思います。これから耳納山を眺める事になるでしょう。

無題.png耳納山系


参加希望の方は090-52892994(事務局中島)or 090-62983254 まで御連絡下さい。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | ビアヘロ

2023年01月30日

ビアヘロ 202 2023年1月29日(日) 2023年新春三社詣り 福岡市に神武 天照を探るトレッキング

ビアヘロ 202

2023129日(日) 2023新春三社詣り 福岡市に神武 天照を探るトレッキング

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太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


通説では天照から数世代降って神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)とのでたらめな系譜が流通していますが、それは神武僭称贈る崇神(ハツクニシラススメラミコト)を初代天皇にしたいという後の藤原氏の意向が働いているのであって、神武がウガヤフキアエズの子などと言うインチキ神話が創られたのです。

故)百嶋由一郎は生前“神武天皇は福岡市南区柏原に、天照大神は同じく南区桧原に住んでおられました”と言われていました。今回はこれを樋井川が古代博多湾に注ぐ現場で確認するトレッキングです。


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集合場所:福岡市南区柏原 羽黒神社福岡県福岡市南区柏原372参道駐車場


神社を挟んで付近にはスーパー・マーケット マルキョウ柏原店 福岡市南区柏原6丁目191もあり

午前1000〜 (雨天は2月翌週に延期)昼食:寒い時期ですので昼食はジョイフル桧原店で!


  オープン参加(一般の方も気楽にご参加ください)資料代500円  基本は各自車の用意を…


コース :羽黒神社 → 埴安神社 → 五社神社→ 夫婦岩(上の画像は夫婦岩から)

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 羽黒神社 祭神 大巳貴命左脇殿 天神社(菅原道真公) 右脇殿 綾部神社

大己貴命は、日本書紀では「己」だが、境内案内には「巳」だった。     旧無各社

境内社の天神社祭神は、境内案内には菅原道真となっているが、福岡縣神社誌では埴安神。福岡では埴安神を祀る地禄神社や十六天神社等があり。            敬愛する玄松子様による

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カムヤマトイワレヒコは消されていますね!それが無格社とされた理由ですね。

➁ 埴安神社 祭神 埴安大神 埴安大神は 天照大神のご兄弟で土神様などと言われるとか。誤まり

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 五社神社 祭神 住吉神・春日神・志賀神・神功皇后・玉依姫命 この住吉は底筒男=開化ですね

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今回は最も寒い時期でもあり、移動距離も短いため3社+巨石を巡りますが、各自防寒対策をしっかりお願いします。可能ならば御杖代として宮原誠一氏に御出でいただきます。尚、オープン参加ですので、参加希望の方は090-52892994(事務局中島)or09062983254(古川)まで。参加費資料代500

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002百嶋系図(極秘)003


「宮原誠一の神社見聞諜」近稿 207 「福岡市檜原の天照大神奉祭氏族」をお読みください!

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | ビアヘロ