2026年05月15日

ひぼろぎ逍遥(跡宮)A1126 大山祗とは月読命が貶められたもの!? @ の再掲載

ひぼろぎ逍遥(跡宮)A1126 大山祗とは月読命が貶められたもの!? @ の再掲載

20250926

太宰府地名研究会(神社考古学研究班)古川 清久


501 大山祗とは月読命が貶められたもの!? @ 20171128


 四国在住のブロガーでもあり、非常に熱心なメンバーのお一人から、「月読命」と「大山祗」を同一神とする百嶋神社考古学の立場について今一つ分からない…との疑問が呈せられました。

 優れた研究者の言ですので無視できない事から、今までに掴んだ限られた情報を繋ぎ可能な限り証明を試みて見たいと思います。

 個人的には百嶋由一郎という稀代の研究者を盲信するものでしかなく、単に百嶋研究を後世に継承したいと言う思いだけで作業している事からすれば、この問題には多少は気づいてはいたのですが、徐々に解決できるものと考え後回しにしていました。

 ところが、前述の事情から、多少急ぐ必要性があると判断し、これまで当方で把握しているジグソー・パズルの数少ないピースを繋ぎ合わせ証明せざるを得なくなった次第です。

 無論、「記」「紀」とは藤原が自らの権勢を強め維持するために都合良く仕立てたものでしかなく、隠したいものは隠し、貶めたいものは貶め、薄めたいものは薄め、無視したいものは無視している事は間違いがなく、このようなものを聖典視しそれ以外にはありえないとか?「紀」にはこのようにしか書かれていないのだからそんな話はお笑い草だ…といった議論を持ち込まれる方はそれで良いだけの事で、では「記」「紀」が絶対で、それ以外の説は全て誤りであるとされる根拠は何であるかとお尋ねすれば良いだけの事です。こいつらとは呼ばないものの、彼らとて「記」「紀」以外に依って立つ柱はないのです。漫画です。

 さて、元より隠されたものの裏を暴き、隠された真実に迫るには困難を要しますし、仮にこうではないかとしても、現場を見ておられない方の目からすれば、“その程度の事でしかないなら何の信憑性もない”などと否定される方が大半かも知れません。

 何分、「記」「紀」では遠い神代(神世の話)とする話ですから、決定的な証拠など望むべくもなく、民俗学的な帰納演繹的手法以外には取りようがありません。

 また、神代は主として九州島を舞台として起こっており(決して現「出雲」でもない)、利権塗れの畿内説論者などが一度も訪れていない場所で起こっているのですから、増々、非難を受けることは覚悟しておかなければなりません。

 では、嫌がらせの意味もありますが、学者、学会通説が無視し馬鹿にするウィキペディアから月読命と大山祗を考えて見ましょう。

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ツクヨミ

月読命(ツクヨミ、ツキヨミ)は、日本神話の神である。後世では一般に男神と考えられているが、記紀では性別の記述はない。

一般的にツクヨミと言われるが、伊勢神宮・月読神社ではツキヨミと表記される。 

神話での記述

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記紀(古事記と日本書紀)において、ツクヨミは伊弉諾尊(伊邪那岐命・いざなぎ)によって生み出されたとされる。月を神格化した、夜を統べる神であると考えられているが、異説もある(後述)。

天照大神(天照大御神・あまてらす)の弟神にあたり、須佐之男(建速須佐之男命・たけはやすさのお)の兄神にあたる[注釈 1]

ツクヨミは、月の神とされている。しかしその神格については文献によって相違がある。古事記ではイザナギが黄泉国から逃げ帰って禊ぎをした時に右目から生まれたとされ、もう片方の目から生まれた天照大神、鼻から生まれた須佐之男とともに重大な三神(三柱の貴子)を成す。一方、日本書紀ではイザナギと伊弉冉尊(伊耶那美・イザナミ)の間に生まれたという話、右手に持った白銅鏡から成り出でたとする話もある。また、彼らの支配領域も天や海など一定しない。

この、太陽、月とその弟ないし妹という組み合わせは比較神話学の分野では、他国の神話にも見られると指摘されている。

日本神話において、ツクヨミは古事記・日本書紀の神話にはあまり登場せず、全般的に活躍に乏しい。わずかに日本書紀・第五段第十一の一書で、穀物の起源として語られるぐらいである。これはアマテラスとスサノオという対照的な性格を持った神の間に静かなる存在を置くことでバランスをとっているとする説がある。同様の構造は、高皇産霊尊(高御産巣日神・たかみむすび)と神皇産霊神(神産巣日神・かみむすび)に対する天之御中主神(あめのみなかぬし)、火折尊(火遠理命(ほおり)・山幸彦)と火照命(ほでり・海幸彦)に対する火酢芹命(火須勢理命・ほすせり)などにも見られる。

ツクヨミの管掌は、古事記や日本書紀の神話において、日神たるアマテラスは「天」あるいは「高天原」を支配することでほぼ「天上」に統一されているのに対し、古事記では「夜の食国」、日本書紀では「日に配べて天上」を支配する話がある一方で、「夜の食国」や「滄海原の潮の八百重」の支配を命じられている箇所もある。この支配領域の不安定ぶりはアマテラスとツクヨミの神話に後からスサノオが挿入されたためではないかと考えられている。

ツクヨミはスサノオとエピソードが重なることから、一部では同一神説を唱える者がいる。

オオヤマツミ

オオヤマツミ(大山積神、大山津見神、大山祇神)は、日本神話に登場する。別名 和多志大神、酒解神。日本書紀は『大山祇神』、古事記では『大山津見神』と表記する。

神話での記述[編集]

『古事記』では、神産みにおいて伊弉諾尊と伊弉冉尊との間に生まれた。その後、草と野の神である鹿屋野比売神(野椎神)との間に以下の四対八柱の神を生んでいる。

天之狭土神・国之狭土神 天之狭霧神・国之狭霧神 天之闇戸神・国之闇戸神 大戸惑子神・大戸惑女神

『日本書紀』では、イザナギが軻遇突智を斬った際に生まれたとしている。

天之狭霧神の娘の遠津待根神は、大国主大神の8世孫の天日腹大科度美神との間に遠津山岬多良斯神を産んでいる。

オオヤマツミ自身についての記述はあまりなく、オオヤマツミの子と名乗る神が何度か登場する。 八岐大蛇退治において、素戔嗚尊(すさのを)の妻となる奇稲田姫(くしなだひめ)の父母、足名椎命・手名椎命(あしなづち・てなづち)はオオヤマツミの子と名乗っている。

その後、スサノオの系譜において、オホヤマツミ神の娘である神大市比売神(かむおほいちひめ)との間に大年神と倉稲魂尊(うかのみたま)をもうけていると記している。また、クシナダヒメとの間の子、八島士奴美神(やしまじぬみ)は、オオヤマツミの娘の木花知流比売(このはなちるひめ)と結婚し、布波能母遅久奴須奴神(ふはのもぢくぬすぬ)を生んでいる。フハノモヂクヌスヌの子孫が大国主大神である。

天孫降臨の後、瓊瓊杵尊はオオヤマツミの娘である木花之開耶姫と出逢い、オオヤマツミはコノハナノサクヤビメとその姉の磐長姫を差し出した。ニニギが容姿が醜いイワナガヒメだけを送り返すと、オオヤマツミはそれを怒り、「イワナガヒメを添えたのは、天孫が岩のように永遠でいられるようにと誓約を立てたからで、イワナガヒメを送り返したことで天孫の寿命は短くなるだろう」と告げた。

いずれも ウィキペディア(20171128 0917による

 概略はお分かりになったと思います。

言うまでもなく通説上は大山祗=月読命という方程式は成立せず、片鱗も見えません。

 ただ、予感程度ですが、「記」も「紀」でも影が薄く、存在性を疑わせるような印象を与えようとしている所が共通性を持っているのではないか…?とまでは言えそうです。

 ここで、通説から離脱されていると思われる方の説を見ておきましょう。


大山祇命の正体

 大山祗神(駿河国一宮三島神社他

 大山祗神は素盞嗚尊の妻の稲田姫の祖父として神話に登場する神である。伊予大三島の大山祗神社では天照大神の兄として、最古と言われている薩摩の大山祗神社ではニニギ命の妻吾多津姫の父として祀られている。これらは同一人物とは考えられない側面があり、その土地の有力者(縄文人?)を大山祗神と呼んでいることがうかがわれる。しかしながら、三島神社で祀られている大山祗命は行動実績を伴っている。東日本地域の一宮級の神社の祭祀の原点を探ってみると大山祗神であることが多い。地域の土着神である可能性もあるが、これは一人の同一人物と考えてみる。
 @ 大阪府高槻市の三島鴨神社は、淀川沿いに有り、大山祇命の最初の降臨地と言われている。事代主神が三島溝杙姫(玉櫛姫)に生ました姫が姫鞴五十鈴姫で、神武天皇の妃となった。また三島溝杙姫の父神が三島溝咋耳命、その父神が大山祇神となっている。また、この神は九州からやってきたとも伝えられている。饒速日尊は大和に侵入する時の伝説地をたどると、まさにこの周辺に上陸したと考えられる。また、伝承上他の人物で、大山祗神に該当するのはいない。このことより大山祗神と饒速日尊がつながる。
 A 伊予国大三島の大山祗神社には「わが国建国の大神で、地神・海神兼備の霊神で日本民族の総氏神として、日本総鎮守と申し上げた。大三島の御鎮座せられたのは、神武天皇御東征のみぎり、祭神の孫小千命が伊予二名島に(四国)に渡り神地御島(大三島)に祖神大山積命を祀った。」とある。「建国の大神」とくれば、素盞嗚尊・饒速日尊が該当する。日本の総氏神・総鎮守と言うのは素盞嗚尊の活躍が西日本限定であるので饒速日尊が該当する。また、小千命の祖神は「新撰姓氏碌」によれば、「饒速日尊」である。
 饒速日尊は各地を訪れた時、周辺の地勢を探るために、その周辺で最も高い山に登ったものと推察される。そのために、各地方の山に大山祇神が祀られ、「山の神」として崇拝されることになったのであろう。 


大山祇命とは

 大山祇命は東日本を中心に祀られている神である。山の神と考えられている。饒速日尊と同一人物と考えられる節があるが、瓊々杵尊の妻となった木花咲耶姫の父や、素盞嗚尊の妻の神大市姫の父など明らかに別人の要素もある。複数の人物が重なったものと考えられる。大山祇命の正体(古代史の復元)による

では、我が百嶋神社考古学の大山祗=月読命説も再確認しておきましょう。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


ご覧の様に、大山祗=月読命、ウマシアシカビヒコヂと白山姫=天御中主との子とします。


研究目的で百嶋神社考古学に関する音声CD、神代系譜、手書き資料…を必要とされる方は09062983254までご連絡ください。


 さて、この話を深く掘り下げるにあたって知っておいて頂きたい事があります。

 それは、宮崎県西都市の西都原第2古墳群に伝大山祗命の古墳と言われる柄鏡型前方後円墳が、その正面には古墳への参道階段を持つ石貫神社があり、付近には大山祗命の娘とされるコノハナノサクヤを主神として祀る都萬神社があり、正面には桜川が流れているのです(関東ではコノハナノサクヤヒメは「桜」姫と呼ばれているのですが、このことから元は九州だと考えられるのです)。

 まず、ひぼろぎ逍遥 535536の省略版をご覧ください。


535コノハナノサクヤヒメはサクラヒメだったのではないか @ 20171125


 20171122日も、宮崎県椎葉村の栂尾神楽に来ている最中に、どうしても西都原第二古墳群の伝大山祗古墳正面の石貫神社を見たいので案内して欲しいとの乱暴な話が舞い込んだ事から、急遽(と言っても夜通し神楽は参加するのですが)対応する事になり、翌朝10時まで続くはずの栂尾神楽を朝6時で切り上げ、早朝7時から集合場所の草部吉見神社正面の奥阿蘇物産館に向かい、9時から宮崎県西都市に向かいました。

 最初に向かったのは伝大山祗古墳でした。

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 この古墳の正面にある石貫神社が大山祗を祀る神社である事は以前にもお伝えしました。

 事実、石貫神社は大山祗を祀る神社としていますし、付近にはコノハナノサクヤを祀る都萬神社もあるのです。このためここでは別の側面にふれてお話ししたいと思います。

ひぼろぎ逍遥(跡宮) 340 旧石和町に物部神社があった “山梨県笛吹市春日居”の石尊神社 

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この石貫神社からは160数段の階段が伝大山祗古墳に向けて造られており、これほどの石段が寄進によって造られている事を考えれば、かつては整列して神社からこの陵に向けて参詣が行われていたものと思います。

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前方後円墳でも初期のものとされる柄鏡式型の伝大山祗古墳


 さて、この石貫神社からもそう遠くはないところにあるのがコノハナノサクヤヒメを祀る都萬(ツマ)神社です。

つまり、父は娘にあたる大山祗を祀る石貫神社とコノハナノサクヤを祀る都萬神社が揃っているのです。

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都萬神社 カーナビ検索 宮崎県西都市妻1  0983-43-1238


 この石貫神社が熊本県玉名市の新幹線玉名駅正面の石貫と関係があり、実は、山口県光市の石城山神籠石の山上神社の祭神が大山祇神、雷神、高龗神である事とも通底しており、遠くシルクロードのタシクルガン(中国名「石城山」)を起源としている事にまで気付くのです。

 新疆ウイグルは勿論のことアフガニスタンにまで何度も入っておられたようで、このシルクロードの石頭城(タシコルガン、タシクルガン)石頭山が「石城」とされ列島まで持ち込まれていると考えておられたのです。

 無題.png これまでにも何度も申し上げていますが、百嶋神社考古学では大山祗命=月読命はトルコ系匈奴で金官伽耶の金越智(ウマシアイカビヒコヂ)と天御中主の間に産れた、トルコ系匈奴の血を引くものとします。

 ついでに言えば腹違いの伯母と姪の関係に当たる本当の神武天皇のお妃に当たるアイラツヒメも匈奴の血を曳いたトルコ系の女性だったのです。

 ちなみに、アイラールはトルコ語の「月」を意味し、アイラツヒメとは月子ちゃんであり、月姫だったのです。

 とすると、父の大山祗が月読命(百嶋由一郎説)と呼ばれている事の意味も多少は見えて来るのです。

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手書きデータ 百嶋神社考古学03 「014猿田彦から女木島」による

研究目的で百嶋由一郎氏の資料を必要とされる方は09062983254までご連絡下さい

536 コノハナノサクヤヒメはサクラヒメだったのではないか A 20171125

 さて、コノハナノサクヤヒメを主神として祀る都萬神社の前にはきれいな川が流れています。

桜川と言いますが、桜川町まであります。

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都萬神社 カーナビ検索 宮崎県西都市妻1  0983-43-1238


コノハナノサクヤヒメが祀られている大山祗系神社には桜の紋章がふられていますし、ご覧の通り、本家本元の都萬神社の社務所にも桜が施されています。

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コノハナノサクヤヒメはコノハナノサクラヒメであったとさえ考えるのですが、列島人はR音(実際はL音)の発音さえ困難であったため、コノハナノサクヤと呼ばれたのではないかとさえ考えていますが、これについては確信が持てないため今のところ構想に留まっています。ただこの桜川と無関係でもないでしょう。と言うよりサクヤヒメが居たから桜川の名が残ったのではないかと思うのです。

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無題.png以下はネット上から拾った「樹木の文化誌」の一文ですが、サクヤヒメはサ クラヒメだったのです。これは百嶋先生が言われていた事ですが、晩年“関東に移動したコノハナノサクヤヒメは関東ではサクラヒメになっている…”つまり、関東ではサクラヒメと呼ばれている事が分かるのです。例えば江戸落語の古今亭志ん生師匠の小噺で、男女の恋について語ったもの 小噺の概略を申し上げておきましょう「どんな男でもご婦人には迷うものです。清水寺に清玄(せいげん)という立派なお坊さんがいたが、桜姫のために思い悩んだ。「どうか桜姫に会いたい、お姫に会いたいとお姫ばかりを恋しがっていた。けれど会えなかった。これは会えないわけですな、こっちが坊主で向こうが桜だから。坊主と桜がオチになっていますが、花札の坊主と桜の事で、志ん生の噺には方々に出て来ます。勿論、コノハナノサクヤヒメの話としては語られてはいないのですが、関東のコノハナノサクヤヒメはサクラヒメと呼ばれていた事が反映されていた可能性が高いのです。恐らく近畿大和朝廷に完全制圧された段階で本来のサクラヒメはサクヤヒメと呼ばれ書き留められ、晩年になって移動した結果、関東では原音が残ったのではないかと考えています。木花之佐久夜毘売、木花開耶姫と表記される以前の原音が「サクラヒメ」として残ったのではないでしょうか?今のところ仮説の仮説のような段階ですが、コノハナノサクヤヒメはサクラヒメと呼ばれていたからこそ桜をシンボルとしており、ニニギと別れたコノハナノサクヤは晩年に関東に移動し、富士山浅間神社に痕跡を残し関東の玉川=多摩川(ヤタガラス)の領域に移動したと考えています。

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コノハナノサクヤヒメの兄に当たる大国主命を祀る武蔵大国魂神社

百嶋神社考古学に関心をお持ちの方は 090-62983254までご連絡下さい 常時対応可

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記

2026年05月12日

ひぼろぎ逍遥(跡宮)A1125続)大山祇命は月読尊と同体なのか?“宮原誠一の神社見聞諜から”

ひぼろぎ逍遥(跡宮)A1125続)大山祇命は月読尊と同体なのか?“宮原誠一の神社見聞諜から”

20250926

太宰府地名研究会(神社考古学研究班)古川 清久


ひぼろぎ逍遥(跡宮)A1124 大山祇命は月読尊と同体なのか? “宮原誠一の神社見聞諜から”〜の続き


 「古事記」で月読命、「日本書紀」で月夜見尊とするこの神を百嶋神社考古学では大山祇と同体とするのですが、この認識は我々だけのもので、百嶋由一郎から結論だけを得ておりその根拠を聴いていないため未だに解明できない謎なのですが、メンバーの宮原誠一氏の見解を再度確認したいと思い転載させて頂きます。

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全国に存在する月読神社は数少ないですが、祭神は月読命(ツクヨミ)=大山祗となります。しかし、最近、月読神社に立ちますと、そうでもないような気がするのです。

複数の男女神が祀られているようなのです。まずは、大山祗、月読命の解説からです。

東町・月読神社の扁額の額縁の模様は神鉾神社(祭神:八千矛神=大国主命)と同じ半菊が四方に打ってあります。菊紋は大国主命の紋章であることを考えますと大国主命は月読の神の一柱とみてよいようです。

(4)
京都の月読神社が松尾大社の摂社になれるのか?
月読神社が松尾大社の摂社になるとは普通考えられません。
松尾大社の祭神は大山咋神(おおやまくい)です。
大山咋神は大国主の養子、市杵島姫の連れ子です。市杵島姫にとって大国主は二番目の夫となるのです。
もし、月読神社が大国主を祭神として祀ってあれば、大国主は義理の父として関連づけがとれるのです。大山咋神は別名・大物主であり、大国主は義理の大物主となります。

よって、大国主を月読神社の一祭神と前提にすれば、月読神社が松尾大社の摂社となりうるのです


月読神社(松尾大社の摂社)の鳥居  扁額の額縁はクマソ物部を表わす


ここまでは前ブログの重複部分。(古川)

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京都の月読神社の扁額額縁は熊本県球磨郡の岡原霧島神社(あさぎり町岡原南)と王宮神社(多良木町黒肥地)の額縁と同じです。この球磨の二社は月読関係の祭神が主祭神でしょうか?大山祗神、大国主命、木花開耶姫が基底にあると考えられます。

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もう78年前になりますか、球磨川流域の郷土史会の女性リーダーのヒロップさんの案内で訪問しました。(古川)

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最近は参拝していませんが、国宝となった青井阿蘇神社に劣らぬ茅葺の素晴らしい神社です。

 この両社は宮原さんも行かれていますが、共に人吉盆地でも特に重要な神社です。(古川)

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3.仁徳天皇を祀らない若宮神社


若宮神社の祭神は「仁徳天皇」で、開化天皇の「若宮」という意味です。

ところが、仁徳天皇を祀らない若宮神社が存在するのです。

大山祗ご一統の月読命、木花咲耶姫を祀る神社で若宮神社があるのです。


Misasan blog「滋賀巡り」2019-04-13 にて、滋賀県甲賀市の若宮神社を紹介して頂きました。拝読して驚きました。この若宮神社は橘族が関連する神社で、祭神は月読命、神紋は橘です。


     若宮神社 滋賀県甲賀市土山大河原1092

     祭神 月読命

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Misasan blog「滋賀巡り」2019-04-13 から


無題.png

社伝によれば、奈良時代初期の養老2年(718年)に創立。

この神社の特徴は、神主が氏子の中から毎年選ばれて奉祀されます。当番の神主は厳しいしきたりを守りながら一年間奉祀されます。奈良時代から千数百年続けられています。

例祭日は1015


1015日の大祭には、拝殿前にて御湯(みゆ)式が行われ、この神事は巫女さんが拝殿前で熱湯に笹の葉を浸し、身に振りかけて五穀豊穣と無病息災を祈念して舞を奉納されます。

境内には橘紋付き「馬」の銅像があります。


祭神の月読命とは誰でしょうか。大山祗(月読命)は橘紋を使用されません。

無題.png大山祗の若宮()とすれば、罔象女神、大国主、木花開耶姫となります。木花開耶姫の紋章は桜紋です。木花開耶姫と瓊瓊杵尊との間に姫君の古計牟須姫(こけむすひめ)がおられます。

古計牟須姫の紋章は橘紋で、「古計牟須橘紋」と言われます。橘紋の始まりでしょうか?「若宮」とは木花開耶姫の子・古計牟須姫を指すのでしょうか。甲賀の若宮神社は祭神を隠されているようです。


清流と緑と紅葉の郷「大河原」へようこそ

      http://www.ac-koka.jp/~mrd03201/

      http://ookawara.shiga-saku.net/e1200578.html

      拝殿前の御湯(みゆ)


無題.png

福岡県糸島市にも同様の若宮神社があります。


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若宮神社 福岡県糸島市志摩船越292

  福岡県神社誌に記載なし

  糸島市志摩船越桜谷に鎮座で、かつては桜谷神社と称した。

  祭神は、苔牟須売神(こけむすめ)、木花開耶姫(このはなのさくやひめ)

  なお、祭神の苔牟須売神とは地元では盤長姫命(いわながひめ)と伝承されている。

  糸島郡誌に「寛永元年(1624)115日、浦の漁人仲西市平の妻に神告ありて、

初めて勧請せしという。文政六年再建せり。」とあり。


  若宮神社 福岡県糸島市志摩津和崎300

  祭神 木花開耶姫


古計牟須姫(こけむすひめ)は木花開耶姫と瓊瓊杵尊との姫君で、古計牟須姫の紋章は橘紋です。親子で祀られていることになります。古計牟須姫が主祭神のようです。

北隣の引津神社の祭神は御年神で古計牟須姫とは夫婦で、社が夫婦並んで祀られていることになります。その子が「武国凝別命」で筑紫水沼君の祖となります。

橘族は女系が主流となります。日本の歴史は男系表示ですが、それでは本当の歴史はわかりません。すべての人に父母(男女)があるように、日本の歴史は男系女系同時に見る必要があります。女系橘族が歴史の表舞台に出られたのが孝謙天皇(女帝)です。孝謙天皇の祖母が「県犬養三千代」で、元明天皇から橘姓を賜っています。


月読命の若宮と言えば大国主となりますが、月読命と木花開耶姫が「若宮」の関係になるのか不明です。おそらく、木花開耶姫・瓊瓊杵尊の若宮が古計牟須姫でしょう。


志摩船越の若宮神社の神額、京都の月読神社の神額、壱岐の月読神社の神額、球磨郡の岡原霧島神社の神額の額縁はそれぞれ皆同じなのです。共通する祭神は木花開耶姫となります。

月読神社の主祭神が月夜見命であることを考えると、

 月読神社の主祭神=月夜見命=木花開耶姫という構図が浮き上がるのです。


月読命は男性説、女性説あり、月読命は男性神ですが、女性説も根強くあります。

木花開耶姫が「かぐや姫」といわれるように、月夜見と満月にイメージがぴったりの女神です。月読神社の祭神が、月読命(大山祗)のみならず、大国主(月弓)、木花開耶姫(月夜見)がおられるのかも知れません。月読神社は謎の多い神社です。


#月読神社#大国主#月読命#若宮神社#木花開耶姫#古計牟須姫

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記

2026年05月09日

ひぼろぎ逍遥(跡宮)A1124 大山祇命は月読尊と同体なのか? “宮原誠一の神社見聞諜から”

ひぼろぎ逍遥(跡宮)A1124 大山祇命は月読尊と同体なのか? “宮原誠一の神社見聞諜から”

20250926

太宰府地名研究会(神社考古学研究班)古川 清久


 「古事記」で月読命、「日本書紀」で月夜見尊とするこの神を百嶋神社考古学では大山祇と同体とするのですが、この認識は我々だけのもので、百嶋由一郎から結論だけを得ておりその根拠を聴いていないため未だに解明できない謎なのですが、メンバーの宮原誠一氏の見解を再度確認したいと思い転載させて頂きます。

無題.png

No.107 月読神社は誰を祀る.大山祗か?大国主か?それとも


全国に存在する月読神社は数少ないですが、祭神は月読命(ツクヨミ)=大山祗となります。しかし、最近、月読神社に立ちますと、そうでもないような気がするのです。

複数の男女神が祀られているようなのです。まずは、大山祗、月読命の解説からです。


1.八岐大蛇(やまたのおろち)神話に因む長髄彦と大国主命


古事記神話に三貴子(みはしらのうずのみこ)の神様がおられる。

伊邪那岐命(イザナギ)が黄泉国から帰って、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原で禊祓をし、その時、右目から生まれた神様が、月読命です。左目から生まれた神様が天照大神、鼻から生まれた神様が須佐之男命(素盞鳴尊)で、この三柱を三貴子とします。


祓詞(はらえことば)

  「掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に

   御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等 諸諸の禍事 罪 穢 有らむをば

   祓へ給ひ 清め給へと白す事を 聞こし食せと 恐み恐みも白す」

三光神社(さんこうじんじゃ)の祭神は天照大神、月読尊、素戔嗚尊とされますが、三光とは太陽、月、星の光を指します。

 太陽=天照大神

  月=月読尊

  星=素戔嗚尊、又は、その子長髄彦(ながすねひこ)

となります。

天照大神、月読尊、素戔嗚尊は、記紀が言うように姉兄弟の関係ではありません。全く別個の家系関係です。

祓戸の大神(はらえどのおおかみ)は次のようになります。

 @気吹戸主(いぶきどぬし)

  速開津媛命がもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込んだのを確認して

  根の国・底の国に息吹を放つ

 A瀬織津比売(せおりつひめ)

  もろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す

 B速佐須良比売(はやさすらひめ)

  根の国・底の国に持ち込まれたもろもろの禍事・罪・穢れをさすらって失う

 C速開都比売(はやあきつひめ)

  海の底で待ち構えていてもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込む


祓戸の大神の通称名は次のようになります。

 @ 気吹戸主(金山彦)

 A 瀬織津比売(櫛稲田姫)

 B 速佐須良比売(鴨玉依姫=神直日)

 C 速開都比売(万幡豊秋津姫)


長髄彦と天津甕星

日本書紀における「長髄彦 ながすねひこ」の記述が「神代下」第九段一書第二にあります。

「天に悪しき神あり。名を天津甕星(あまつみかほし)という。又の名は天香香背男(あめのかがせお)。請う、まずこの神を誅(ほろぼ)して、その後に下りて葦原中国を撥(おさ)めよう。」


長髄彦は「天の悪しき神。名を天津甕星」という。又の名は「天香香背男」という。甕星は金星。香香背男は蛇。キリスト教聖書に出てくる「落ちた天使、明けの明星」金星と蛇のルシュファーと同じ表現になっています。

三光の星は金星、そうであれば、星神は長髄彦となります。

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o    以前神社調査していますが、大分県中津市に元三光村が編入されています。このナガスネヒコに関係する神社を巡った事がありましたが、大分県佐伯市がかなり多く、佐賀県鹿島市、熊本県、南小国町、そしてこの旧三光村は元より、福岡県飯塚市、うきは市にも辿れます。ただ、中津の三光村は昭和293月、深秣・山口・真坂の三村が合併し、三和村となり、同日改称して三光村となっており、三光に関係するかはまだ確信が持てません。(古川)


長髄彦と倭国大乱

呉の系統の神武天皇およびそのお姉さんである天照大神、その呉の系統の一番尊い方々に次ぐ尊いお方が素戔鳴尊です。それで、素戔鳴尊のご一統がどこにどのようにして住んでいらっしゃるかの一部を申し上げます。日本にもたくさん素戔鳴尊の子孫がいらっしゃいます。その証拠に、一番派手に、スサノヲ・スサノヲをやってる一番派手なお祭りは何処のお祭りですか?京都の祇園祭、博多の櫛田神社の祇園祭。博多の方が古いです。

最初に日本で天皇家に逆らったとてつもない有名人は、神武天皇とけんかなさった方、素戔鳴尊のお子さん長髄彦です。長髄彦が反を起こされた。その後、僅かの時間をおいて、狗奴国の乱が起こった。この二つの反と乱でもって魏志倭人伝にいう「倭国大いに乱る」となった。この乱の終結の事務処理をしたのが、春日大神となっている。

倭国大いに乱れるの時、神武天皇が福岡の方から避難して、宮崎の方、鹿児島の方に移動なさって(姫城 ひめぎ の名で残っている)、そこでなんとか話をまとめて、いつの間にか、ありもしない「ヤマタイ国」ができあがった。「ヤマタイ国」はありませんよ。しかし、ヤマタイ連合はありますよ。


その倭国大乱の前の九州王朝初期の頃、大山祗と金山彦との百年戦争がありました。

八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の説話は大山祗と金山彦との争いを説話化したものと云われています。大山祗と金山彦との百年戦争と言われ、八岐大蛇の説話の材料にされ、金山彦夫妻が足名椎(あしなつち)夫妻、大山祗はオロチに例えられる。その争いを仲裁したのが素戔嗚尊ということです。

結果、大山祗は金山彦の妻・埴安姫を奪取、素戔嗚は金山彦の娘・櫛稲田姫と大山祗の娘・罔象女を得ることになります。

八岐大蛇の舞台は熊本県の菊池川(肥の川)が流れる山家地方と推定しています。

大山祗と埴安姫との間に誕生されたのが、罔象女神、大国主、木花開耶姫となります。


八岐大蛇と月読命

八岐大蛇問題で、えーコンチクショウと怒った人物がいました。えーコンチクショウと言われたのは長髄彦とその親父である素戔鳴尊です。怒った人物は誰かというと「武蔵大国魂」です。通称「大国主命」です。この方が活躍なさったのは出雲の国と勘違いさています。この方が活躍された場所は決して出雲ではありません。この方が、武蔵大国魂として活躍なさった場所は武蔵国です。

この後の喧嘩があって少し格下げて、月読命は大山祇の神と名乗ってらっしゃいます。


(大国主命)と星(長髄彦)は夜に光を相争う関係ですから、月読尊と素戔鳴尊の仲が悪いのは当然かもしれません。太陽(天照大神)は月と星に勝りますが、天照大神がオオヒルメムチの若い頃は素戔鳴尊の父伊弉諾尊の家来でした。福岡県那珂川から福岡市檜原(ひばる)におられた時のことです。それだけ伊弉諾尊の出自は良かったのです。


狗奴国の乱により、月読命は大山祇の神と名乗られ、四国へ配転。

大国主命は狗奴国の乱の張本人・大山祇(月読命)の息子であり、その張本人と同じ責任を取らないといけない立場にあった。大国主命は「国譲り」の形で責任を取られます。

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これは百嶋由一郎の講演での話をテープ起こしされた牛島さんのネット・データですかね…非常に貴重な話です。(古川)


2.月読神社と月読命


全国に存在する月読神社は数少なく、九州の月読神社は秘密の神社とされ、その実態がよく分りません。九州北部で有名な月読神社があります。


 二田の月読神社

 福岡県久留米市田主丸町益生田(二田)

 祭神:月夜見命


 壱岐の月読神社 

 長崎県壱岐市芦辺町国分東触464

 祭神:月読命・月夜見命・月弓命

 鎮座 鎮座年数は不詳であるが、顕宗天皇3年(487年)にはすでに存在していた。

 縁起 顕宗天皇3(487年)阿閉臣事代という官吏が天皇の命を受けて朝鮮半島の任那

に使いにでる。その際に人に月の神が神がかりしまして「土地を月の神に奉納せよ、そう

 すればよい事があろう」という託宣があった。それを朝廷に奏したところ、これを受けた

 朝廷は壱岐の県主の押見宿禰に命じて壱岐の月読神社から分霊させ京都に祀らせた。


月読神社関連の名前のつく神社は全国で80社余り、境内社を含めると100超えると想定されます。三重県の伊勢神宮の内宮の月読神社、外宮にある月夜見神社、長崎県壱岐の月読神社、京都府の松尾大社の横500m程に摂社月読神社があります。松尾大社摂社月読神社は壱岐の月読神社の分霊です。壱岐の月読神社は、壱岐の豪族・壱岐氏が航海の安全を祈るため祭祀しています。

壱岐の月読神社、福岡県田主丸町二田の月読神社共に詳しい創立が不明であり、月読神社の創起は謎に包まれています。


(1) 二田の月読神社

二田の月読神社の由緒はありませんが、明治に二田の月読神社を勧請した田主丸町東町の月読神社の由緒に二田の月読神社の由緒が書かれています。


由緒(案内板)

天文3年正月(1534年)(御原郡高橋城主)三原三河守長種の弟・次郎三郎が城内の月読神社を、竹野郡二田村(:久留米市田主丸町石垣)に創建す。明治136(1880年)篤志家により当地へ勧請す。開運眼病平癒の神様として崇敬者多く三夜様と敬稱す。


二田の月読神社の創立に、御原郡高橋城主三原三河守長種の弟・次郎三郎が関わったとありますが、長種の弟・次郎三郎は実在しません。筑後大蔵高橋氏及び同族の原田氏は大山祗系の流れではないのです。よって、月読神社と所縁がありません。

そもそも、田主丸町二田は古代、二田郷と呼ばれ、二田物部(トルコ系匈奴)の地でありました。二田の地に二田物部氏が奉斎する月読神社が古くから存在してもおかしくないのです。(当ブログ「No.7 田主丸町・月読神社 考」参照)


   二田・月読神社 福岡県久留米市田主丸町益生田(二田)

   祭神:月夜見命

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地図は古川が付加したもの

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(2) 壱岐の月読神社

壱岐の月読神社の祭神には、月読命()・月夜見命()・月弓命()と月読三神が祀られています。月夜見命が中殿ですので主祭神でしょう。二田の月読神社も主祭神が月夜見命なのです。

一般に、月読は新月、月弓は三日月、月夜見は満月と言われます。


「考察と妄想族」Misasan blog 2019-01-29

イザナギとイザナミ&山幸彦と豊玉&牽牛と織姫の共通したエピソードは、離婚、別居、年一婚()。要は訳あって離れているということ!

で、イザナギとイザナミの結びをやり直さなければならない。など語る宗教家もいますが!

misasanの場合、要は、女神不在の時代の幕開けを危惧した神話ではないかと、そのくらいに思っています。そして、スサノオがヒミコとの誓約(うけい)の対決は、いつも上手く行かなかったのではないかと。

そして、ツクヨミの三貴子(みはしらのうずのみこ)と言えば、月弓命は三日月、月読命は新月、月夜見命は満月で国外退去?!


月夜見と満月にイメージがぴったりの女神が大山祗ご一統におられるのです。「かぐや姫」といわれた木花開耶姫です。木花開耶姫は二田と同じ水縄連山の麓、田主丸町竹野の神社に多く祀られています。熊本県球磨では木花開耶姫は月読二十三夜姫と言われています。


さらに、月神といえば、超大物の神様がおられます。月神の物部保連(やすつら)こと玉垂命=開化天皇です。紋章の一つが三日月。これに相当する大山祗ご一統の神様が大国主命です。

すると、自然に、月読命は大山祗神、月弓命は大国主命、月夜見命は木花開耶姫という構図が出来上がるのです。


(3) 東町の月読神社

二田の月読神社を何度も訪れると、祭神が一柱でないようなのです。

主祭神は月夜見命ですが、もう一柱の月読命が祀られているようです。

東町の月読神社の祭神は月読命で、二田の月読神社から勧請されています。二田の月読神社の祭神が月夜見命と月読命であれば説明がつくのです。


田主丸町の二社の月読神社には、「うさぎ」がシンボルとして置かれています。

私は昔、この神社の「うさぎ」は満月の中の影に関連するものとみていました。

しかし、「大国主命と白うさぎ」の古事記神話(稲羽の素兎)を考えますと、月読神社→月弓命=「大国主命と白うさぎ」であってもいいのです。「満月の中のうさぎ」「大国主命と白うさぎ」は月読神社の共通「うさぎ」でもよいのです。


   東町・月読神社 福岡県久留米市田主丸町田主丸546-1(東町)

   祭神:月読命

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東町・月読神社の扁額の額縁の模様は神鉾神社(祭神:八千矛神=大国主命)と同じ半菊が四方に打ってあります。菊紋は大国主命の紋章であることを考えますと大国主命は月読の神の一柱とみてよいようです。

(4)
京都の月読神社が松尾大社の摂社になれるのか?
月読神社が松尾大社の摂社になるとは普通考えられません。
松尾大社の祭神は大山咋神(おおやまくい)です。
大山咋神は大国主の養子、市杵島姫の連れ子です。市杵島姫にとって大国主は二番目の夫となるのです。
もし、月読神社が大国主を祭神として祀ってあれば、大国主は義理の父として関連づけがとれるのです。大山咋神は別名・大物主であり、大国主は義理の大物主となります。

よって、大国主を月読神社の一祭神と前提にすれば、月読神社が松尾大社の摂社となりうるのです


月読神社(松尾大社の摂社)の鳥居  扁額の額縁はクマソ物部を表わす

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「とっておきの京都プロジェクト」

https://totteoki-kyoto.jp/9540/から借用しました

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京都の月読神社の扁額額縁は熊本県球磨郡の岡原霧島神社(あさぎり町岡原南)と王宮神社(多良木町黒肥地)の額縁と同じです。この球磨の二社は月読関係の祭神が主祭神でしょうか?大山祗神、大国主命、木花開耶姫が基底にあると考えられます。


3.仁徳天皇を祀らない若宮神社


若宮神社の祭神は「仁徳天皇」で、開化天皇の「若宮」という意味です。

ところが、仁徳天皇を祀らない若宮神社が存在するのです。

大山祗ご一統の月読命、木花咲耶姫を祀る神社で若宮神社があるのです。


Misasan blog「滋賀巡り」2019-04-13 にて、

滋賀県甲賀市の若宮神社を紹介して頂きました。拝読して驚きました。

この若宮神社は橘族が関連する神社で、祭神は月読命、神紋は橘です。


     若宮神社 滋賀県甲賀市土山大河原1092

     祭神 月読命

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Misasan blog「滋賀巡り」2019-04-13 から


社伝によれば、奈良時代初期の養老2年(718年)に創立。

この神社の特徴は、神主が氏子の中から毎年選ばれて奉祀されます。当番の神主は厳しいしきたりを守りながら一年間奉祀されます。奈良時代から千数百年続けられています。

例祭日は1015


1015日の大祭には、拝殿前にて御湯(みゆ)式が行われ、この神事は巫女さんが拝殿前で熱湯に笹の葉を浸し、身に振りかけて五穀豊穣と無病息災を祈念して舞を奉納されます。

境内には橘紋付き「馬」の銅像があります。


祭神の月読命とは誰でしょうか。大山祗(月読命)は橘紋を使用されません。

大山祗の若宮()とすれば、罔象女神、大国主、木花開耶姫となります。木花開耶姫の紋章は桜紋です。木花開耶姫と瓊瓊杵尊との間に姫君の古計牟須姫(こけむすひめ)がおられます。古計牟須姫の紋章は橘紋で、「古計牟須橘紋」と言われます。橘紋の始まりでしょうか?「若宮」とは木花開耶姫の子・古計牟須姫を指すのでしょうか。

甲賀の若宮神社は祭神を隠されているようです。


清流と緑と紅葉の郷「大河原」へようこそ無題.png

      http://www.ac-koka.jp/~mrd03201/

      http://ookawara.shiga-saku.net/e1200578.html

      拝殿前の御湯(みゆ)

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福岡県糸島市にも同様の若宮神社があります。


  若宮神社 福岡県糸島市志摩船越292

  福岡県神社誌に記載なし

  糸島市志摩船越桜谷に鎮座で、かつては桜谷神社と称した。

  祭神は、苔牟須売神(こけむすめ)、木花開耶姫(このはなのさくやひめ)

  なお、祭神の苔牟須売神とは地元では盤長姫命(いわながひめ)と伝承されている。

  糸島郡誌に「寛永元年(1624)115日、浦の漁人仲西市平の妻に神告ありて、

  初めて勧請せしという。文政六年再建せり。」とあり。


  若宮神社 福岡県糸島市志摩津和崎300

  祭神 木花開耶姫


古計牟須姫(こけむすひめ)は木花開耶姫と瓊瓊杵尊との姫君で、古計牟須姫の紋章は橘紋です。親子で祀られていることになります。古計牟須姫が主祭神のようです。

北隣の引津神社の祭神は御年神で古計牟須姫とは夫婦で、社が夫婦並んで祀られていることになります。その子が「武国凝別命」で筑紫水沼君の祖となります。

橘族は女系が主流となります。日本の歴史は男系表示ですが、それでは本当の歴史はわかりません。すべての人に父母(男女)があるように、日本の歴史は男系女系同時に見る必要があります。女系橘族が歴史の表舞台に出られたのが孝謙天皇(女帝)です。孝謙天皇の祖母が「県犬養三千代」で、元明天皇から橘姓を賜っています。


月読命の若宮と言えば大国主となりますが、月読命と木花開耶姫が「若宮」の関係になるのか不明です。おそらく、木花開耶姫・瓊瓊杵尊の若宮が古計牟須姫でしょう。


志摩船越の若宮神社の神額、京都の月読神社の神額、壱岐の月読神社の神額、球磨郡の岡原霧島神社の神額の額縁はそれぞれ皆同じなのです。共通する祭神は木花開耶姫となります。

月読神社の主祭神が月夜見命であることを考えると、

 月読神社の主祭神=月夜見命=木花開耶姫

という構図が浮き上がるのです。


月読命は男性説、女性説あり、月読命は男性神ですが、女性説も根強くあります。

木花開耶姫が「かぐや姫」といわれるように、月夜見と満月にイメージがぴったりの女神です。月読神社の祭神が、月読命(大山祗)のみならず、大国主(月弓)、木花開耶姫(月夜見)がおられるのかも知れません。月読神社は謎の多い神社です。


#月読神社#大国主#月読命#若宮神社#木花開耶姫#古計牟須姫


ひぼろぎ逍遥(跡宮)A1125 続)大山祇命は月読尊と同体なのか? “宮原誠一の神社見聞諜から”〜続く

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記