太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2017年04月22日

327 龍王とは豊玉彦=ヤタガラス 那賀町日浦の龍王神社の神とは豊玉彦 

327 龍王とは豊玉彦=ヤタガラス 那賀町日浦の龍王神社の神とは豊玉彦 

20161009

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

神社研究に於いて、龍王とか八大龍王といったものが何であるか分からないといった話を良く聞きますが、元々は仏教の概念であり、神仏混交によっていつしか神様の一つと考えられる様になった結果、この混乱は拡大している様に思います。

そもそも「龍王」とは神ではなく王であり、神よりも人間との印象を与えています。

 このことにようやく気付き、意外と多く存在する龍王神社なるものがある程度理解できるようになってきました。

 元々龍王と呼ばれていたか後に龍王と呼ばれるようになったかは不明ですが、確かに龍王と呼ばれた神がいた事は分かるようになってきました。

 別に四国まで来てその話をする必要もないのですが、たまたま龍王神社があったことから取り上げる事にしたまでの事です。 

 豊かな社叢林に囲まれた神社はそれだけで心惹かれるものですが、龍王神社の祭神が誰であるかは同社由緒書をお読み頂ければ、お分かり頂けるでしょう。

 龍王神社の祭神が豊玉彦であることには気づいていました。

 同社の由緒書きによると、豊玉彦命はヤタガラスで良いとして、豊玉媛命とはお妃ではなく櫛稲田姫との間に産れた娘=鴨玉依姫の事と考えられそうです。それは、神武天皇の御祖母と書かれているからです。

つまり、ここでの神武とは神武僭称贈)崇神天皇を意味しているのです。

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同社御由緒


さて、龍王と言えば海幸山幸神話が頭に浮かんできます。以下、山幸彦と海幸彦で検索。


名前のごとく、山の猟が得意な山幸彦(弟)と、海の漁が得意な海幸彦(兄)の話である。兄弟はある日猟具を交換し、山幸彦は魚釣りに出掛けたが、兄に借りた釣針を失くしてしまう。困り果てていた所、塩椎神(しおつちのかみ)に教えられ、小舟に乗り「綿津見神宮(わたつみのかみのみや)」(又は綿津見の宮、海神の宮殿の意味)に赴く。

海神(大綿津見神)に歓迎され、娘・豊玉姫(豊玉毘売命・とよたまひめ)と結婚し、綿津見神宮で楽しく暮らすうち既に3年もの月日が経っていた。山幸彦は地上へ帰らねばならず、豊玉姫に失くした釣針と、霊力のある玉「潮盈珠(しおみつたま)」と「潮乾珠(しおふるたま)」を貰い、その玉を使って海幸彦をこらしめ、忠誠を誓わせたという。この海幸彦は隼人族の祖である。

その後、妻の豊玉姫は子供を産み、それが鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)であり、山幸彦は神武天皇の祖父にあたる。綿津見神宮          ウィキペディア(20161009 21:15による


百嶋神社考古学では塩椎神とは博多の櫛田神社の主神の大幡主であり、その子が豊玉彦にあたるのです。

つまり、釣針を失った山幸彦に息子である龍王のいる龍宮に行けとアドバイスをしたのであり、そこには鴨玉依姫=豊玉姫がいたのです。

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無題.png阿波は忌部の国です。

 当然にも大幡主の子である豊玉彦=ヤタガラスの国である以上、龍王を祀る神社は多いはずなのです。

 結論から言えば、龍王とは豊玉彦であることが確認できたことになるのです。 

そして、龍宮とは対馬の海神神社、和多都美神社であろうと考えていますが、大幡主自体も船で多くの港を行き来していた海人であろうことは言うまでもありません。

阿波には龍王神社、八大龍王神社が数多くあります。

龍王と八龍との区別はまだつきませんが、同種の神社であろうことは間違いないでしょう。

それはともかく、境内には摂社と思しきものがありました。

祭神は、左の通りです。

蛇王権現社というものは初めて見ましたが、まだ何の事だか見当も付きません。

龍王神社、八大龍王神社については見当があるのですが、もう少し多くのファクターを押さえてからでなければ結論は出せないようです。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 10:56| Comment(0) | 日記

2017年04月19日

326 阿波と土佐の国境に鎮座する若宮神社と境外摂社高良神社

326 阿波と土佐の国境に鎮座する若宮神社と境外摂社高良神社

20161009

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

 国道56号線で阿波から土佐に入ると、甲浦(カンノウラ)と呼ばれる天然の良港があります。直接太平洋に晒されるも正面に島を持つ天恵の地が甲浦であることは地図をご覧になればお分かりになるでしょう。


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この高知県現東洋町の甲浦駅のそばに八幡神社があります。

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同社由緒書

この八幡宮は宇佐八幡成立当時(応神単独)の一社一殿一神をそのまま表現しているのではないのか?と思われるほどの贈)応神天皇一神が祭神とされており、境内摂社には若宮神社が配されていたのです。

 この甲浦八幡宮自体に興味は尽きないのですが、ただちに東洋町役場の教育委員会を調べるも「東洋町合併50年記念・べんり帳」程度のものしかなく、成果は全く上がらず、まずは、自力で周辺の神社を全て見ようと廻ってみる事にしました。

 すると八幡宮の正面200メートルのところに高良神社が置かれていたのです。

 高良の神が甲浦八幡宮の正面に置かれているとなると、考えられることは一つです。

 それは、本来、甲浦八幡宮とは高良玉垂命と若宮神社(高良玉垂命と神功皇后との間に産れた嫡子=斯礼賀志命/シレカシノミコト=仁徳天皇=大雀命)を祀る神社だったものが、贈)応神天皇(こんなものは天皇でも何でもなくホンダワケと別王なのです)と入れ替えられ、はじき出された高良玉垂命を摂社として祀った可能性があり、その時期は高良大社に残された「高良玉垂宮神秘書」によれば、九州の宗廟を宇佐八幡に渡す749年の段階ではなかったかと考えられそうです。

 これはあくまで推測でしかないのですが、一目、その印象を持ちます。

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甲浦八幡宮正面に置かれた境外摂社高良神社

この神社が境外摂社であることは、「東洋町合併50年記念・べんり帳」の神社一覧にも掲載されていない事から明らかです。

してみると、甲浦港、旧甲浦村の甲浦とはこの高良神社から付されている可能性があり、そもそも高良玉垂命を祀る神社があったからこそ高良の浦と呼ばれ高良村と呼ばれていたものの表記が変えさせられたものであることまでもが見えてきたのでした。

そこまで分ってくると、古代九州王朝の神威が室戸岬の手前まで及んでいた事に戦慄を覚えるのでした。

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高良玉垂宮神秘書

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 12:19| Comment(0) | 日記

2017年04月17日

325 白人神社とは何か? “那賀郡那賀町拝宮の白人神社”

325 白人神社とは何か? “那賀郡那賀町拝宮の白人神社”

20161008

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

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四国の屋根とも言うべき剣山の南麓に白人神社という神社があります。

徳島県美馬市穴吹町にも白人神社がありこちらはどうどうたる神社ですが、今回とりあげるのは秘境中の秘境の山上集落に鎮座する非常に印象的な小社です。

徳島市の南、阿南市に注ぐ那賀川を遡り、現在嵩上げ工事中の長安口ダムのダムサイトを越え5〜6キロ奥に入った日真地区から北に入る山道を上り詰めた辺りにあるのがこの神社です。

 ほぼ離合が不可能と思える急傾斜の曲がりくねった隘路を数キロ上り詰めると標高500メートル辺りに山上集落が現れます。と言っても目に入るのは数戸の人家のみです。

それらを確認する余裕もないまま、さらに登ると川沿いに社殿らしきものが見えてきます。

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 白人神社とは一体なんだ?というのが最初の印象でした。

 まず考えられることは、新羅系の神が奉祭されているのではないかということでしたが、当たらずとも遠からずでした。

 邇邇芸命は高木大神の息子ですから、高木大神の本拠地である古霊(コリョン)は新羅の大邱に近い伽耶ですから新羅とも言えそうな場所であり、邇邇芸命は白人と言えない事もないのです。

 ここでは、剣山北麓の白人神社関連数社を見ていない段階での判断は早とちりになりかねない事から一旦保留し、摂社と思われる八幡神社、若宮神社に目を向けることにしましょう。

 既に、四国の高良神社15社に関しては全て実調しリポートを公開していますが、それに付随し若宮神社も散見される事に気付いていました。

 特に、讃岐、阿波では若宮神社が単独でもあるようで、四国でのフィールド・ワークを重ねるにつれ、これらが久留米の高良大社の高良玉垂命と神功皇后との間に産れた嫡子=斯礼賀志命(シレカシノミコト)=仁徳天皇=大雀命を祀るものであることは間違いないと思う様になってきました。

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清流に浮かぶといった面持の美しい神社でした。

道さえよければ再訪したいと思いますが、正直言って命からがらといったところで、スズキのジムニーなど軽の四駆でもなければ入らない方が無難かも知れません。

 ただ、感動的な一社でした。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 11:32| Comment(0) | 日記