太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログをスタートさせました。


かなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史による「ひもろぎ逍遥」は、九州大学の物理学の教授であった故真鍋大覚氏による「那の国の星・拾遺」をヒントに神功皇后を追い求めておられます。


これに対して、対向の意図は全くないのですが、当方は、かつて、草ヶ江神代史研究会を主宰されていた百嶋由一郎氏の神社考古学に基づくフィールド・ワークにより書いて行きたいと考えています。


お断りしておきますが、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。


これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象も認められます。


詳しくはユーチューブ等で永井正範氏の講演をお聴きください。


また、このブログには百嶋神社考古学を追求する他のサテライト研究会に参加されている研究者の小研究を掲載することも考えています。


最近の傾向としては後発の(跡宮)の方がより読み込まれているようです。



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2017年04月30日

330 高知市春野町の荒倉神社の天闇龗大神 

330 高知市春野町の荒倉神社の天闇龗大神 

20161010

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


高知市の西の佐川町に鎮座する五所神社(白王神社)に向かう途中、早朝ながら少し寄り道をして荒倉神社を訪れました。

 この神社には天闇龗大神という聞き慣れない神様が祀られていたからでしたが、離合ままならぬ直線の参道を入ると閑静な神社がありました。



天闇龗大神あめのくらたつのおおかみ

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同社由緒(上)参拝殿(下)

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始めは天闇龗大神という厳つい神名にたじろいだのですが、吉野の丹生川上神社からの勧請と分かり多少の見当が着きました。


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五七桐の紋は参拝殿にもありましたがその見当もある程度つきます


さて、祭神の話にはいります。

後から加えられた四神(実は天児屋根と武甕槌は重複のため三神ですが)はお分かりになるであろうことからここではふれません。

では天闇龗大神とは如何なる神様でしょうか?

吉野には丹生川上、下社、中社、上社があります。

どうもその下社からの勧請のようですので下社の祭神を見れば分かります。

御祭神は闇靇神とされています。


高靇神社(現上社)を式内社とすべきとする『大日本史』に従い、明治七年、当社(下社)を口の宮、高靇神社(上社)を奥の宮とした。が、これにも異義が生じ、明治二十九年、当社を下社、高靇神社を上社とした。さらに東吉野村の蟻通神社が、社辺の高見川を古代の丹生川であるとして請願。よって、蟻通神社を中社と認定し、中社祭神を罔象女神、上社祭神を罔象女神から高靇神へ下社祭神は高靇神から闇靇神へ改められた。

敬愛するHP「玄松子」より


我が百嶋神社考古学では高靇神とは金凝彦=神沼河耳、闇靇神を神俣姫=丹生津姫とします


 つまり、荒倉神社とはイザナギ、イザナミの間に産れたスサノウの姉 丹生津姫=神俣姫を祀る神社であり、水銀採取集団との関係も想像できる神社と言うことができるのです。古社ですね。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 21:59| Comment(0) | 日記

2017年04月27日

329 白川白王を祀る高知県佐川町の白王神社 

329 白川白王を祀る高知県佐川町の白王神社 

20161010

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

 今回の南阿波〜東土佐の神社調査において最重要の目的地が佐川町の五所神社でした。

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南国土佐の高知の西に佐川町があります。

何故このような僻陬の地に今回の調査の最大の目的地を置いたのかと思われるでしょうが、百嶋先生は博多の櫛田神社の“大幡主(豊玉彦=ヤタガラス)の父親である白川伯王(白山姫=天御中主の弟)を祀る神社が高知県にある”。また、“その祖父を祀る神社が岡山県にあるようだ…”とも話しておられたからでした。

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忌部にも秦氏にも関わる列島の神代史を考えるうえでも最重要の神様を祀る神社だけに、それが、何故、佐川町なのか、それとも、かつては広範に存在していたものが、唯一、佐川町だけで残ったのか…という

探索の一歩としての神社の調査だったのです。

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百嶋由一郎最終神代系譜

では、五所神社の由緒をご覧ください。

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由緒をご覧になれば分かられるように、祀神の筆頭に白王神社があり明治期に合祀されていることから、元々白王神社があったことは容易に想像できそうです。

まず、由緒の愛宕神社に底筒男命が書かれているのは単純な誤りでしょう。

また、白王神社にイザナギ、イザナミ、菊理姫神が置かれているのは、一応、順当ですが、肝心の白川伯王の名は消されていることから、もしかしたら、イザナギ、イザナミと入れ替えられている可能性は否定できないように思います。

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もしも、白川伯王が消されたとすれば、勿論、明治維新です。

 明治の神祇官登場以降、天皇家の宮廷祭祀を司ってきた白川神道の白川伯王家は排斥され、その一族白王氏はその名を使う事さえも王姓は不敬であるとして改姓を要求され、白土に名を変えさせられます。

 その事実を残すためとして、白土の土に「、」を付し「白土+、」を姓とされている方も現存されています。

前段に掲載したものはその一例で、福岡県八女市の某神社の表記が改竄されている事が分かります。

 次は、佐川町史の五所神社に関する資料です。

 今のところここまでしか分かりませんが、外にも資料があるかも知れないため探して見たいと思っています。

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実は、この佐川町の神社資料を見ると、一万五千人ほどの人口であるにもかかわらず、何と250もの神社が書き留められているのです。

 普通はあり得ない規模で、日本全体の神を一か所に集めた古代の宗教都市だったとしか思えないようなありようなのです。

 思えば、大陸からも、半島からも、九州や畿内からも遠く、脊梁山脈の南側の安全な一角だけに、多くの神々が集められたのではないかと言う考えが湧いてきました。

 ロマンティックではありますが、根拠に乏しいもので、今後とも念頭に置きながら考え続けたいと思っています。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 10:00| Comment(0) | 日記

2017年04月26日

328 伊予の伊予神社に九州王朝の影を見た 

328 伊予の伊予神社に九州王朝の影を見た 

20161009

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


伊予には伊予神社ありと頭には入っていたのですが、これまで参内した事はありませんでした。

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伊予神社 カーナビ検索 愛媛県伊予郡松前町神崎193

南阿波〜東土佐の神社調査を終え戻ってきたのが愛媛の松山市、伊予市の一帯でした。

まだ陽も高いことからもう一社見せて頂こうと西に向かっていると伊予神社が目に留まりました。

特別の思いもなく直ぐに境内傍の道路に車を止めたのでした。

ただ、伊予神社なるものは二つあり、まずは松前町のほうから見せて頂くことにしました。

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伊予神社

伊予神社(いよじんじゃ、伊豫神社)とは愛媛県に鎮座する神社であり、『延喜式神名帳』の伊予国伊予郡にその名が記載され、名神大社とされている。現在「伊予神社」を名乗る神社が愛媛県伊予郡松前町神崎と伊予市上野にそれぞれ鎮座しており、いずれも式内社の論社となっている。…

…河野氏の系譜を記した『予章記』には孝霊天皇の皇子の彦狭島命が反抗する民を制圧するために伊予国に派遣されたとあり、続けて皇子が現社地にあたる神崎庄に鎮座し、このことから当社を親王宮と呼ぶと記している。

速後上命は『先代旧事本紀』内の「国造本紀」では神八井耳命の子孫とされており、成務天皇の時代に伊予国造に任命されたとある。

ウィキペディア(20161010 09:23による

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無題.png祭神

主祭神 彦狭島命 

配神  愛比売命 伊予津彦命 伊予津姫命 日本根子彦太瓊命 

細姫命 速後上命

言うまでもなく、欠史8代と貶められた九州王朝系の人物の中には、重要人物であったことから、綏靖、孝安、孝昭のように後の藤原によって天皇だったことにされた贈)天皇もあるのですが、本物の九州王朝の天皇であった第9代開化に繋がる孝霊、孝元の一族があるのです。

 その九州王朝の皇統を受けた一族が展開している領域が愛媛の伊予だったことが見えるのです。


懿徳 大日本彦耜友天皇     おおやまとひこすきとものすめらみこと                 

孝霊 大日本根子彦太瓊天皇  おおやまとねこひこふとにのすめらみこと

8 孝元 大日本根子彦国牽天皇  おおやまとねこひこくにくるのすめらみこと

9 開化 稚日本根子彦大日日天皇 わかやまとねこひこおおひひのすめらみこと


この79代の和風諡号を見てもその同族性が見て取れます。

また、祭神の一人とされている細姫命も物部系のウマシマジの妹であり、多くの皇別氏族を輩出した孝元天皇の母君(皇后)こそがこの神社の主祭神に思えるのです。

それが、「神殿上部の千木は何故か女千木で、どうも三五桐がうたれているようですね」とした理由でもあったのです。

してみると、伊予と言う一国名も、もしかしたらこの細姫のことかもしれず、卑弥呼以来の祭祀権を引き継いだ栄えある卑弥呼宗女イヨから付されている事が見えてくるのです。

ここまで考えてくると、日本根子彦太瓊命=孝霊天皇が配神として下げられていることまで見えてくるわけで、むしろ、近畿大和朝廷の影響下で良くぞこの祭神を保ったものとも言えるのです。

 今回は、図らずも九州王朝の版図の一端を見せて頂いたようで、その意味でフィールド・ワークの終わりでの有難い贈物だったわけです。

 最後に、この神社の本来の祭神は卑弥呼宗女イヨであり、愛比売命とはその別名なのかも知れず、それだと女千木との整合性があるように思えるのです。欠史8代を架空とする知ったかぶりの学者どもはどのように説明するのでしょうか?聴いてみたいものです。


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百嶋由一郎最終神代系譜


ウィキペディア氏も祭神は把握されていましたが、境内摂社に関しては触れられておられません。

「細姫命も物部系のウマシマジの妹であり」と前述しましたが、境内にはそのことを如実に表す摂社が置かれています。

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 猿田彦とは山幸彦でありニギハヤヒであり、ウマシマジと細姫命の父親でもあるのです。

 この外の摂社としては金山彦系の奥津彦命、奥津姫命、白族の厳島姫、修験の匂いがする竃神社と多くの神様が残っておられます。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 06:33| Comment(0) | 日記