ひぼろぎ逍遥(跡宮)A1129 月読神社の総本社もともとは山の神だった(長崎県壱岐市)
20251013
太宰府地名研究会(神社考古学研究班)古川 清久
我が百嶋神社考古学の者にとって、結論だけは分かっていながら、それが何故そう言えるのかが置き去りにされているものに、月読命=大山祇という公式があります。

百嶋由一郎 最終神代系譜(部分)
勿論、経験的に大山祇系の神社が鎮座する裏山に三日月山が在ったりする…例に幾つも遭遇している事から疑問は持っていなかったのですが、ただ、何故そう言えるのかについては、百嶋由一郎からは聴いていなかった事から改めて問われると、答えに窮する事に成ったのでした。
ただ、以前から鍵は壱岐の島の月読神社に在りそうだという事は見当が着いていました。
私が頻繁に壱岐島を訪れていたのはもう30年も前の話であって、まだ、本格的に神社を探訪することまではやっていなかったため全く身についていなかった事は致し方無かったのでした。
そうした中、昨年の晩秋に山梨県の日蓮宗(身延山)のご住職からの問い合わせを頂き、これは本気で調べなければならないと思い始めたのでした。
その後、このテーマで十本ほどブログを書くに至りましたが、今般、佐賀〜長崎に跨る旧松浦党研究連合会の解散に伴い、伊万里で新たな研究会を再興するので参加しないか…とのお誘いを頂くと、壱岐と松浦党との関係も無視できないことから、改めて、この連合会のエリアに繋がる唐津市〜伊万里市〜松浦市〜平戸市〜佐世保市へと拡がった中近世史の郷土史会の研究内容に、我々、神代史〜古代史を対象とする門外漢がどこまで役に立つかは無視して、このエリアを神社研究の立場から改めて考え直すと、大山祇系の祭祀が異常に多いことに気づくに至ったのでした。
どうせ、倭寇、海人族の領域だから、恵比須さんや底筒男命様…ぐらいしか祀っていないであろうと思っていると、とんでもないことに海なのに何で大山祇系の神が異常なほど多いのかという事実に驚愕したのでした。それらが伏線となって、この重大な月読命=大山祇という大問題に取り組む事にせざるを得ないと考えているところです。
このブログのタイトルも、
引用したものです。
月読神社を探るには壱岐が起点となりますので、


壱岐の中央部で博多港からのジェット・ホイルが着く芦辺港と西の勝本町湯本温泉の中間辺り
そもそも、通説派とは異なる九州王朝説の立場に立つ少数派の中でも、自分の頭で物事を考えるそのまた一部の人々の中では、この月読神社こそ高木大神のドラ息子のニニギこと瓊瓊杵尊(ニニギ)
の天孫降臨以前に列島に進出していた人々が居たはずで、それが地神と呼ばれているのです。
それこそが大山祇系であり、半島南部の金官伽耶から壱岐の中央部に橋頭堡を築き九州本土の糸島半島への侵略を行ったのではないかと囁きあっていたのでした。
それが金海金氏=ウマシアシカビヒコジの一族で百嶋神社考古学では大国主命の祖父でもあるトルコ系南匈奴(王昭君の後裔)とするのです。


勿論、百嶋神社考古学は別の見解を持っており、スサノウは伊弉冉と伊弉諾の子である事は申し上げておきます。

近畿大和朝廷の意向に沿った話をそのまま受け入れても何の意味もないので、違う見解をご紹介しましょう。ウィキペディア(20251017 21:23)による
月讀神社(つきよみじんじゃ)は、長崎県壱岐市芦辺町国分東触に鎮座する神社である。橘三喜が延喜式内社(名神大社)であると査定したが、これは誤りであるとされる[1]。
祭神
現在の祭神は月夜見命、月弓命、月読命の3柱である。3柱はいずれも同神である。
本来の祭神は「山の神」であったが、橘三喜の比定によって月読命が祭神であるとされるようになった[1]。
延宝以前の由緒来歴は不明。延宝4年(1676年)に平戸藩の命を受けて壱岐島の式内社の調査を行った橘三喜が当神社を式内名神大社の「月読神社」に比定し、同年6月1日に藩主松浦鎮信により石祠と神体として木鏡1面が奉納され、以後しばらくは式内社とされたが、それ以前は特段の祭祀設備もなく単に「山の神」と称されるのみであった。三喜が式内社と認定したのは鎮座地が「清月(きよつき)」と呼ばれていたからであったが、別に「ふかつき」とも呼ばれており、その語源は「ふかふち」であると見られるので[2]、この三喜の判断は誤りであり、本来の月読神社は箱崎八幡神社であるとされる[1]。
関連して、当会の主筆「宮原誠一の神社見聞諜」のNo.262 阿蘇の神々 国造神社の神 の後段に以下の文書が有ります。
■月読神社
国造神社の案内所で宮川のおばちゃんに出会い、国造神社の古い絵図を見せてもらいました。山城まい様が、阿蘇神社に大切に保管されている四百年前の国造神社の古い絵図を紹介されています。その絵図を見ると、昔の国造神社は朱の柱に白壁です。この形式の神社は天照女神と正八幡大幡主を祀ります。現在の社殿は、寛文12年(1672)、肥後熊本藩第3代藩主細川綱利によって造営されていますので、その以前の姿でしょう。
まるで、龍宮神社です。大分県由布市湯布院町の宇奈岐日女神社も同様です。

朱の柱と白壁の配色社殿は天照女神(瀬織律姫・水神)・大幡主を祀ります。
宇奈岐日女(うなきひめ)は楮(こうぞ)の栽培を司る神様で、木綿(ゆうば)大神と呼ばれていた。木綿(ゆふ)とは、楮(こうぞ)のことであり、それを原料とした布のこととなります。天照女神は養蚕の神でもあり、織姫神です。
同様の古絵図が、福岡市箱崎の筥崎八幡宮です。現在の茶色の社殿でなく、朱の柱に白壁の社殿です。(メッセージ10)
筥崎八幡宮 福岡県福岡市東区箱崎一丁目22-1

阿蘇社、高良社、若宮八幡、乳母子社、多賀塔、筥松が楼門横に描かれています。
筥崎八幡宮の境内社に阿蘇社、高良社、若宮八幡宮があります。筥崎八幡宮に阿蘇社と高良社があるのが驚きです。祭神は共通ということでしょうか。福岡市の筥崎八幡宮の祭神も天照女神と大幡主です。月読神社の祭神は月夜見命(天照女神)と月弓命(大幡主)ではないか。
壱岐芦辺町の月読神社に筥崎八幡宮が勧請されて、海裏神社から箱崎八幡神社となっています。「壱岐神社誌」によれば、芦辺町箱崎に式内月読神社が創立され、次に海神が配祀され海裏神社(海裏宮)となり、後に筥崎八幡宮が配祀され箱崎八幡神社となっています。
芦辺町の箱崎八幡神社 (相殿の月読神社)
長崎県壱岐市芦辺町箱崎釘の尾触1294

海裏神社(海裏宮)
(主) 豊玉彦命 (とよたまひこ)
豊玉姫命 (とよたまひめ)
八幡神社
(主) 品陀和気命 (ほんだわけ 応神天皇)
仲津日賣命 (なかつひめ)
帯仲日子命 (たらしなかひこ 仲哀天皇)
息長帯日貴命 (おきながたらしひめ 神功皇后)
(相殿)月読神社
天月神命 (あめのつきかみ 月夜見命、月姫、月天、天照女神)
(相殿)高御祖神社
高皇産霊神 (たかみむすび 月弓命、日天、正八幡大幡主)
日本書紀の顕宗天皇紀では、遣任那使の阿閉事代に「月神」が憑依し、「我が祖先の高皇産霊命は溶けあっていた天地を創造した功績がある。民地を私に奉れ。私が請うままに献上するならば、福慶があるだろう」と宣託し、阿閉事代は京に帰って天皇に詳しく申し上げると、山城国葛野郡の歌荒樔田(うたあらすだ)が月神のために与えられ、壱岐県主の祖の押見宿禰が祭祀を行ったとされる。この話に登場する「月神」は天月神命であると考えられている。Wikiから
京都市西京区松尾大社の境外摂社の月読神社は、箱崎八幡神社の月読神社から分祀されたとされる。高御祖神社から分祀されたのが、奈良県橿原市の目原坐高御魂神社とされる。高御祖神社
壱岐市芦辺町諸吉仲触9

嵯峨天皇時代の弘仁2年(811)創建。紀州田澄の熊野権現を勧請し、延貨の調(1676)、平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査により式内社高御祖神社と改められる。
祭神
高皇産霊大神 (たかみむすびのかみ 正八幡大幡主)
伊聾諾大神 (いざなぎのかみ)
伊奘再大神 (いざなみのかみ)
(相殿)
天日神命 (月弓命、日天、正八幡大幡主、熊野速玉男神=薬師如来)
天月神命 (月夜見命、月天、月姫、天照女神、熊野牟須美神=千手観音)
壱岐芦辺町国分の月讀神社(つきよみ)
長崎県壱岐市芦辺町国分東触464

壱岐の月讀神社HP https://tsukiyomijinja.com/yuisyo/
祭神
月読命 (右)
月夜見命 (中・天照女神)
月弓命 (左・正八幡大幡主)
由緒
延宝以前の由緒来歴は不明。
延宝4年(1676)に平戸藩の命を受け、壱岐の式内社調査を行った橘三喜が当神社を式内名神大社の「月読神社」に比定し、藩主松浦鎮信によって石祠と神体として木鏡一面が奉納され、以後しばらくは式内社とされたが、それ以前は特段の祭祀設備もなく単に「山の神」と称されるのみであった。

境内社 月読神社 左は月夜見命、右は月弓命
※本来の祭神は「山の神」であったが、
平戸藩の橘三喜の比定によって月読命が祭神とされました。
Wikiでは、これは「誤り」とされていますが、「山の神」は大山祗の神であり、月読命とされます。さらに、山の神で月読命は天照女神と正八幡大幡主です。
よって、橘三喜の比定も、あながち間違いとは言えないようです。
ひぼろぎ逍遥(跡宮)A1130 月読神社の総本社|もともとは山の神だった(長崎県壱岐市)へ続く


にお読み頂き有難いと思っています。









えてくるのです。
代から信仰の対象とされてきました。








ただ、天照が主神と言うのは、本来の伊勢神宮の性格から言って、積極的に受け入れたものではないように思うのです。そう思うのは、伊勢神宮に天照が持ち込まれるのは百年以上は遅れ「倭姫命世紀」で知られる倭姫以降の話でそれまでは外宮しかなかったのです。


















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