2019年06月30日

600 出羽から陸奥への道 S “東北遠征を終えて手にした小さな成果について”

600 出羽から陸奥への道 S “東北遠征を終えて手にした小さな成果について”

20180627

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


今回も15日間を走り抜く往復4200キロの大遠征でしたが、何とか無事に戻ってくることができました。

その中でも大きな発見の一つは山を「森」と表現する顕著な傾向でした。

始めはマタギのエリアだけの現象かと思ったのですが、若干の例外はあるものの新潟県と福島県より北の出羽、陸奥の全域に認められる現象のようなのです。

戻って来て「東北圏(新潟県)広域道路地図」(東京人文社93.8刊)という旧地名が良く残る25年前の地図で見ましたが、それこそ地域差はあるものの東北全域の山の名称が確認できたのでした。

新潟、福島でも県境を中心に「森」地名は確認できますし、青森県では多少薄くなるのですが、これは南部が甲斐から入っており消されているからかも知れませんが、古くは、ほぼ、東北全域の山は「森」と呼ばれていた事が分かってきたのでした。

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真室川音頭で有名な山形県真室川町周辺の地図ですが、八森、鉤掛森、丸森、黒森と盛りだくさんです


元々、この民俗現象については二十年ほど前に気付いていました。しかし四国西部の特殊な現象と考えていました(勿論、九州でもそれらしきものは幾つか拾っていましたが)。

ところが、今般、東北全域にこの傾向が確認できるとなると、この東西分裂の理由が不明で混乱しています。

始めはアイヌとの関係を考えましたが、羅臼やトムラウシなど「ウシ」が基本で、北海道に山を「森」と呼ぶ傾向がないことからこれは違いそうです。

断崖絶壁の岩山は「イムカルシュベ」という印象的な呼称であり、本州でも「五十嵐」や「遠軽」などとして残されていますが、アイヌ語ではないだろう…とは当初からの思いでした。

とすると、マタギの言葉なのか山窩の言葉なのか…と思いが馳せます。

 実は出羽三山神社の境内を見て廻っていた時に、摂社や山上の祭神を見ると圧倒的に大山祗系祭祀じゃないか…と考えたあたりから、この月山、湯殿山周辺にも多くの「森」表記が拾えることから、四国西部と瀬戸内海の大三島の三島神社とを連想し彼らが持ち込んだのではないか?と考えたのですが、では、何故、月山(ガッサン)、湯殿山(ユドノサン)、出羽三山(デワサンザン)、羽黒山(ハグロサン)と呼んでいるのかと混乱の極に貶められたのでした。このため、現在、尚、苦しんでいるところです。

しかし、九州王朝の総本山久留米の高良大社が鎮座する高良山はかつて「高牟礼」と呼ばれていました。

さらに言えば、この「牟礼」地名は「室」「群」「森」などとも置き換えられ、「花牟礼」など○○牟礼、○○群…型地名が大分県の豊後大野市などに色濃く拾えます。

この「牟礼」は古朝鮮語の集落、山、村、城、砦…といったものを表しており、故)百嶋由一郎氏もこれは蒙古高原から持ち込まれた地名と言われていました。「山の名前で読み解く日本史」では、“牟礼の付く名の山が大分県に集中する”としています。これ以上は進めませんので、ここでは一般的にも指摘されている古朝鮮語の「ムレ(山)」ぐらいにしておきますが、この古朝鮮語というのが半島の民族が目まぐるしく変わっているため単純に朝鮮人の地名とは考えられないのです。このテーマは今後とも疋き摺ることになるでしょう。まだ、良く分かりません。「森」は銛かも知れませんが、今は大山祗系が「牟礼」を付し、この祭祀を継承したニギハヤヒ系が「山」としたのではないかと考えているところです。

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こちらは秋田県の旧東成瀬村ですが、笹森山、栃ケ森山、大森山、小滝森、雨田森…が森山は両論併記か


さて、やはり重要なのは、九州には九州の神様が、東北には東北の神様、奈良には奈良の神様がいる…と錯覚されているのですが、独自の神様が鎮座しているのではなく、九州から広がった神々が名を変えており、九州で見ない神々も九州から広がった次世代、後裔の神々である事が良く分かったのでした。

何ーだ!と思われた方は多いでしょうが、私にとっては非常に重要な事なのです。

 ただ、移動に時間が取られますので、今後は福井県限定とか岩手県限定という形で丹念に見て廻るつもりです。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 17:09| Comment(0) | 日記

2019年06月28日

599 出羽から陸奥への道 R “男鹿半島にやってきた阿蘇高森の草部吉見=ヒコヤイミミ神”

599 出羽から陸奥への道 R “男鹿半島にやってきた阿蘇高森の草部吉見=ヒコヤイミミ神”

20180628

太宰府地名研究会 古川 清久


 今回の東北遠征を思い立った理由ですが、第一は秋田県、男鹿半島の真山神社を見る事でした。

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真山神社縁起


<主祭神>

瓊瓊杵命(ににぎのみこと)

武甕槌命(たけみかづちのみこと)

<合殿神>

天照大御神(あまてらすおおみかみ)豊受大神(とようけのおおかみ)

豊玉毘女神(とよたまひめのみこと)少彦名神(すくなひこなのみこと)

大山咋神(おおやまくいのかみ)大名持神(おおなもちのみこと)


塞神三柱神(さえのみはしらのかみ)

※塞神三柱神とは… 衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)、八衢比古(やちまたひこ)、八衢比売(やちまたひめ)の3柱の総称

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真山神社縁起によれば、主祭神は 瓊瓊杵命(ニニギ)と武甕槌命(タケミカヅチ)とされます。

では、百嶋最終神代系譜をご覧ください。

ニニギは高木大神(高皇産霊尊)の子であり、その姉(拷幡千々姫)は草部吉見=武甕槌命のお妃にあたるのです。つまり、この瓊瓊杵命と武甕槌命とは義理の兄弟となるのです。

この神社の主神である武甕槌命が阿蘇の草部吉見(ヒコヤイミミ)であることがお分かり頂けたのではないでしょうか。

さらに言えば、真山神社も元は赤神社と呼ばれていました。

冒頭の地図の本山は赤神社と書かれていますよね。

この「赤」は九州の筑豊地方の高峰 彦山(ヒコサン)の神であった当時の名なのです。

正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(正しくあっという間に勝った…というほとんど自画自賛のような名なのですが…)のマサカツアカツの「アカ」を赤とし、赤神社としているのです。

ちなみに、彦山直下には現在も赤村があるのです。


赤村は、福岡県の東部に位置する村。田川郡に属しており、筑豊を構成する自治体の一つでもある。

ウィキペディア(20180628 19:33による


実は、もう一つの傍証があります。民俗学的テーマになりますが、南方系習俗とも言われる、仮面来訪神に海南島を出発した黎族の首領とも言うべき草部吉見大神が反映されているように見えるのです。

一般にも男鹿半島で良く知られるナマハゲの甑島版が「トシドン」と呼ばれていることです。

この「トシドン」こそ、草部吉見神の別名、大歳神(オオトシガミ)のことではないかという話です。

鹿島大神、春日大神、大歳神、武甕槌、建借間命、草部吉見、ヒコヤイミミ…これらが、全て同一の神であると言う認識に立つことができれば、多くの謎が氷解します。

草部吉見神の「草部」がカヤ=伽耶ケ部であり、一時期、高木大神の傘下に入った黎族(大嶋組傘下に入った初期の山口組程度の意味)と考えれば分かりやすいかも知れません。

百嶋神社考古学の延長上ではこのように考えられるのです。「草」とは伽耶の列島側の略表記なのです。

もう一つ、鹿児島県薩摩川内市の沖に甑島があります。ここには鹿島(鹿島大神=武甕槌 鹿嶋アントラーズの鹿嶋ですね…)があり、この甑島には仮面来訪神の風習があるのです。

つまり、男鹿半島の秋田ナマハゲと甑島の鹿島のトシドンとは繋がっているのです。

百嶋由一郎五所川原神代系譜にも書かれていますが、この草部吉見さんは大歳神(オオトシガミ)とも呼ばれており、甑島の仮面来訪神はトシドン(つまり大歳神)と呼ばれているのです。

最期に同社縁起に書かれている 塞神三柱神(さえのみはしらのかみ)

※塞神三柱神とは… 衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)、八衢比古(やちまたひこ)、八衢比売(やちまたひめ)の3柱の総称 について触れておきます。

この神様が堂々と書かれている事にある種の大らかさを感じるのですが、この神々は神武天皇に弓を引いたとされる長脛彦=登美能那賀須泥毘古兄妹であり、金山彦の孫神となるのです。

一般的には八衢=ヤチマタに引き摺られて猿田彦とアメノウヅメなどと全くの勘違いをされていますが、最後尾に掲載している百嶋由一郎浦項伝説系譜(部分)の青枠内の二神こそこの塞神三柱神の二神なのです。では衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)とは誰なのでしょうか?

金山彦なのかスサノウなのか今後に待ちたいと思います。

書くべきことはまだあります。この塞神三柱神の親神にあたる金山彦こそ真山神社の神かも知れません。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)

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百嶋由一郎五所川原神代系譜

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百嶋由一郎浦項伝説系譜(部分)

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記

2019年06月25日

598 出羽から陸奥への道 Q “山形県鶴岡市出羽三山神社の神々(沢に鎮座する摂社から)”

598 出羽から陸奥への道 Q “山形県鶴岡市出羽三山神社の神々(沢に鎮座する摂社から)”

20180626

太宰府地名研究会 古川 清久


 では、出羽三山神社に入りましょう…。

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始めは降り宮かと思ったほどでしたが、谷(東日本は沢と言わないと通じませんが)には多くの摂社が置かれていました。

この摂社の祭神から出羽三山神社の姿が多少とも見えてくるでしょう。

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西日本ではこの名称ではあまり出て来ませんので(道後温泉の周辺では見ました)ご存じない方が多いと思います。簡単に言えば金山彦のご夫婦です(勿論、磐裂が大市姫 根裂が金山彦)。

この磐裂、根裂は関東から北に目立つ星宮神社などに祀られていますが、神武天皇(あくまでも本物の方のカムヤマトイワレヒコですが)と衝突せざるを得なくなった長髄彦=那賀須泥毘古(ナガスネヒコ)の祖父神にあたるのです。

 この金山彦について百嶋由一郎氏は完全なモーセの後裔氏族のイスラエル人で、同族の秦の始皇帝姓は嬴(エイ)、氏は趙(チョウ)、諱は政(セイ)姻戚関係を結び先行して列島に進出している(新ヘブライ)系氏族の長であり、最高の製鉄技術を持って入っている。

 このため、海を渡っている事から、氵(サンズイ)+嬴(エイ)=瀛(イン)=忌部=因部=卜部=占部と言われているのです。

 そのため、宗像三女神の市杵島姫も本来は瀛ツ島姫と書くのです。

この一族には加計学園の一族もおられるのですが、別の話になるのでやめておきましょう。

 その後、秦の始皇帝の一族も漢帝国の時代になると王族クラスがごっそりと半島経由で豊の国に入り畿内に展開するのです。

 一方、先行して列島に入っていた人々は阿波から熊野を根拠地にしますが、何故かその中枢部は福岡に戻り博多を拠点にしているのです(それが本物のヤタガラスの一族なのです)。

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百嶋由一郎極秘神代系譜(部分)


長くなるのでこれまでにしますが、関心をお持ちの方は、ひぼろぎ逍遥 106 白川伯王家の源流の神社初見 “飯塚市鹿毛馬の厳島神社(安芸の宮島のルーツ)”外を検索してください。

次におられたのは五十猛神社でした。

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土地 土地で、また、時が移ろっても、名を変え、名を伏せ生き延びようとしますので、この神様が物部の権化であり、伊勢神宮の外宮の豊受大神の夫神であることや、海幸山幸神話の山幸である事など百嶋神社考古学の者しか知りません。最低でも物部氏の総大将のニギハヤヒの事であるとは理解して頂きたいのです。

 五十猛とはニギハヤヒ=山幸彦=猿田彦=彦火々出見=天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊…なのです。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


 まだ俄かには信じられないという方は多いでしょう。

 その向きにはインターネットで山陰本線の大田駅(島根県太田市)の隣に五十猛駅がある事をご確認ください。

 この大田には石見の国一の宮の物部神社があるのです。そして、五十猛駅の先には馬路(マジ)駅もあるのです。そうです。ニギハヤヒの後裔(子とも…)のウマシマジのマジなのです。

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島根県大田市川合町川合1545

祭神こそウマシマジとされていますが、幟を揚げた物部神社であり延喜式内社であり石見国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社です。

 次は大歳(大年)神社です。

 前掲の神代系譜をご覧ください。豊受大神=伏見稲荷=アメノウヅメにとっては五十猛神の前の夫神にあたるのがこの大歳神=海幸彦=ヒコヤイミミ=阿蘇高森の草部吉見神=東北の方にとっては常陸の鹿島大神こと武甕槌であり、後に奈良の春日大社の表面的な主神であり藤原氏の祖先神になるのです。

 従って、五十猛と大歳神が並べられている事にもそれなりの意味があるのです。

そしてその事は直ぐ分かるのです。

どうやら出羽三山神社は理解してこの配置を取っておられるようです。

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下居社とは沢におられる神々の社というほどの意味なのでしょうが、イザナギ、イザナミ、アマテラスオオミカミ、天八神、クグヌチ、ヒコホホデミ、ミズハノメ七神が祀られています。

良く分からないのが天八神です。

誓約(ウケイ)などと妙な表現になっていますが、天照とスサノウの子産み争いの結果生まれた五神(男神)+三神(女神)なのでしょうか?

これについても百嶋由一郎氏の最終神代系譜で確認しておこうと思います。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


 黄枠の市杵島姫、豊玉姫はスサノウが誓約で産んだとする三人の女神のお二人です(勿論嘘話ですが)。

アマテラスの五人の御子神はここには書かれていません。

 スサノウはイザナギとイザナミの子ですが、結果的に分れるアカルヒメとの子が市杵島姫になります。

 一方、ヤタガラスと高木大神の長女にあたる豊秋ツ姫の子が豊玉姫になるのです(一応、一般的に云う天八神の一部となるでしょう)。

 クグヌチ、カグツチは火之迦具土神とも軻遇突智とも書く、最初にご説明しました製鉄の神である根裂神=金山彦です。

 ヒコホホデミは、これも最初の方で説明申し上げた五十猛であり、ニギハヤヒ=山幸彦=猿田彦=彦火々出見命=天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊… になるのです。

 それに水の神様として知られていますが、スサノウのお妃であり(アカルヒメ、櫛稲田姫の前のお妃)、大国主命とコノハナノサクヤヒメの姉にあたる神大市姫がミズハノメになります。

そして、その御子が出羽三山の山頂に祀られる稲倉玉命とか倉稲玉命とされる伊勢の外宮の豊受大神になるのです。

 当然、一緒に祀られているのが伊氏波神(イデハノカミ)で、恐らく五十猛であり、ニギハヤヒ=山幸彦=猿田彦=彦火々出見=天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊だと理解しています。

 かなり重複していますが、山頂の二神はこの下居社にも祀られており、400メートルも登る必要はないことになるのですが、山岳修験の神社でそのような事を言うのは不行き届きとなるでしょう。

 では、伊氏波神(イデハノカミ)が彦火々出見命であるという解読が許されるとしても、伊氏波神(イデハノカミ)とはどういう意味でしょうか?彦火々出見命は伊達氏にしてもそうなのですが、「伊」が付く地名は彦火々出見命と関係が深いと考えています。

 故)百嶋由一郎氏も、例えば福岡市が糸島市に連続する今津、今山、今宿…は、山幸彦=彦火々出見の支配地ですよ…と言われていました。

 同様に、伊氏波神(イデハノカミ)とは、「イデハノカミ」であり伊の出羽の神と解読できそうです。

 ここまで見てくると、羽黒山の出羽三山神社とは、伊勢神宮の外宮がそのまま移動したような配神であり、豊受大神を中心に、大山祗系(私達はトルコ系匈奴の一派と考えていますが)、スサノウ系、金山彦系ががっちりとスクラムを組んだ物部系の神々を祀る神社群であることが分かるのです。

 当然、その敵対物とは権力を掌握した阿蘇系=藤原系、高木大神系だったと言えそうです。

 月山、湯殿山と併せ羽黒山の出羽三山神社とは過激な物部氏の流れを汲む強面の神々の連合体だったようですし、両勢力の間に入りバランスをとったのがヤタガラス系=橘一族であり海人族だったようです。


百嶋由一郎氏が残された音声CD、神代系譜、手書きデータ…を必要とされる方は09062983254まで

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記