太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

はじめに


すでに、当方の「ひぼろぎ逍遥」がオンエアされていますが、九州王朝論の立場から、より「百嶋神社考古学」へとシフトした神社研究の古層を探るものとして新たなブログを継続しています。


これにはプロバイダーを含め何時情報封殺が行われるかも知れないため、最低でも複数の発信媒体を準備しておくべきではないかと考えているからでもあります。


今後ともかなり突っ込んだ内容で書いて行く言わば奥ノ院にしたいと考えています。


綾杉るな女史によるblogひもろぎ逍遥に対抗しようという意図はないのですが、華麗なひもろぎ逍遥に対して、緋色のボロ着で、神籬=ひもろぎ(ひぼろぎ)を逍遥=彷徨い歩き、神社を探るというほどの意味で、「ひぼろぎ逍遥」を随時書いて行くことにしたものです。ただし、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象なども認められます。


 さて、現在、ひぼろぎ逍遥とひぼろぎ逍遥(跡宮)との合計のアクセス数は日量10001200件(年間4045万件)まで上がっています。


 同時に、連携する研究者によるblog20近くまで数を増やしており、全体では最低でも年間100150万件近いアクセス数を持っているものと思われます。


 当blogには九州王朝論から百嶋神社考古学へと向かわんとする多くの研究者、記録者、bloger…が参集されています。


 年に10回、10年でも高々100回程度の研究会でも大半は教育委員会関係者から学芸員といった利権まみれの方々通説を拝聴し心服するような、研究者亡き研究会は全く何の価値もないものと考えており、そのようなどこにでもあるような話を好まれる方々は、そこら辺りの既存の郷土史会、史談会に行かれ、村興し、町興し、世界遺産登録に拍手を送り、思いっきり尾を振られれば良いでしょう。


しかし私達は後ろ指を刺される様な探究に踏みとどまり、これまでの歴代の行政権力が隠し続けた真実の歴史の探求へと向かう人々への道標と成ろうと思うものです。




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無題.png読者の皆さんに…真実の神社研究へのご支援を…


太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久




ひぼろぎ逍遥、ひぼろぎ逍遥の読者の皆様、また、グループのブログをお読みの皆様、暑い中、丹念無題.pngにお読み頂き有難いと思っています。


 古田武彦が亡くなり、また、百嶋由一郎氏が亡くなり数年が流れました。


 当初、貴重極まりない百嶋研究の一部でも残せないだろうかと考え、手書きデータや神代系譜文書のDVD化、音声データの保存、複製、宣伝という作業を続けて来ました。しかし、単にデータの保管、配布の体制を確立するだけでは継承ができないと考え、blogで百嶋研究の説明、現場実調を徐々に進め公開してきました。この結果、全国にも理解者が増え始め、神社研究ではなんとか特異な勢力を形成できる所まで漕ぎ着けました。


 既に、百嶋研究の一部でも接点を持った全国の二十五人を超えるブロガーが独自の側面から研究を進めておられますし、ブログは書かないまでも、神社調査を行い記録を残している方もおられます。


 勿論、統一性は取れてはいませんし、なかなか難解な内容だけに、解明できない問題についてはメンバーの若い世代に託すことになるでしょうが、なお不明なものは後世の研究者に期待する事に成るでしょう。


 百嶋先生と知り合いになったのは七年ほど前だったと思いますが、もしも後数年生きておられたならばもう少し古代、神代の謎を継承できたかも知れません。しかし、未熟な者だけで作業を行わざるを得なかった事から今尚皆さんにご迷惑をお掛けしているものと理解しております。


しかし、私達の能力を考えれば、むしろ上出来といったものかも知れません。


さて、メンバーの背骨を形成している中心的思想とは、当然にも九州王朝論です。


 百嶋先生も“私も九州王朝論が分かっていない人に神代史を教えても意味がないし、教えたくないですね…”と言われていた事が今でも耳に残っています(吾は百嶋由一郎の面受の弟子なり!)


さて、四月の近江〜但馬、五月の糸魚川〜諏訪〜山梨、六月の青森と15日間づつ三度に亘って長躯の神社調査を行いました。


ぶっ続けで調査すれば良さそうですが、落ち着いてリポートも書かなければならず、研究会のスケジュールもあってそういう訳にも行かず、各々3,0004500キロの往復の調査とならざるを得なかったのです。


今後も、三重、和歌山、岐阜、福井…と、よりきめ細かい調査に入るつもりですが、もはや資金が底を尽きつつあります。


元々、福島の原子力災害辺りから、これ以上行政機関に留まりたくないとの思いが募り、後先き考えずに58歳で早期退職した事から(当時上の娘は大学に在学中だったのですが)年金と言ってもギリギリ暮らせる程度の物で、なんとかここまで働かずに神社調査を行ってきましたが、既に限界点を越え始めたようです。事実、当会は研究を優先するためメンバーから会費を取る事なく僅かな参加費で運営しています。


人手不足の時代、まだ、働こうと思えば職はあるはずですが、拘束時間が長くなれば、研究を進める事ができないまま人生の終末期を迎える事にもなりかねず、できるだけ体力がある間に遠距離の調査に入りたいと思っています。このため、出来る事ならばこのまま神社研究に専念したいものと考えています。


基本的には年金生活で何とかやっていますので、月額であと二〜三万増やせれば、車の維持、車検、保険、介護保険料、研修所の維持、研究会の組織化、ネット規制に対応するためにもう一つ別の発信のためのサイトの準備……と増加する負担にも対応できるのではないかと考えています。


今後、研究内容を保全するためにも、外付けハード・ディスクをタイム・カプセル化して鍾乳洞に保管する(太陽フレアによる磁気データの消失への対策)とか、研修所の維持、後世に残すためにユーチューブ化してオンエアするなど新たな作業に入る必要も生じており、もし可能であれば、通説とは全く異なる百嶋神社考古学の保護と継承のためのご支援をお願いできないかと考えています。


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年間一口2000円以上の任意の百嶋神社考古学研究会の支援会員となって頂ければ、九州においでになった際に会員待遇として温泉付き研修所に一泊お泊めできます。九州での神社調査の拠点として活用下さい。


振込用の銀行預金講座、郵便貯金番号は以下の通りです。


 大分銀行 若宮支店 000093−7505802 フルカワ キヨヒサ


 ゆうちょ銀行 店番 778 預金種目 普通預金 口座番号 1165562 氏名上に同じ


また、もし差支えなければ、以下のメールにお名前と住所と電話番号を以下のメールに送信して頂き、カンパした旨の連絡を頂ければ、神代系譜のDVD(既にお持ちの場合はそれに代わる音声データなど)をお送りできるものと考えています。


 携帯のメール・アドレス ariakekai@ezweb.ne.jp携帯 09062983254 (常時対応)


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2018年12月24日

529 臙脂色から大山祗 大市姫を考える “福岡県朝倉市大山祗神社のおしろい祭り”

529 臙脂色から大山祗 大市姫を考える “福岡県朝倉市大山祗神社のおしろい祭り”

20180215

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 皆さんは臙脂(エンジ)色と言うものを覚えておいでになるでしょうか?

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えんじ色 えんじ色(臙脂色、えんじいろ)とは濃い紅色のこと。

日本工業規格においては、JIS慣用色名の1つに「えんじ」として下のように色が定義されている。

えんじ色の由来 名前の由来は中国の紅花の一大産地である「燕支山」にちなみ、本来は紅花染めをこの名で呼んだ。

現在はカメムシ目カイガラムシ上科の一部の昆虫、特にアジア産のラックカイガラムシ、南ヨーロッパのケルメスカイガラムシ、メキシコのコチニールカイガラムシなどの体内色素を浸出させて得るコチニール色素で染めた色をさす。日本には奈良時代に「紫鉱」の名でラックカイガラムシの分泌物が渡来しており正倉院にも薬用として採集された「紫鉱」が保存されている。エンジムシとも呼ばれるこれらのカイガラムシから採集された色素は友禅紅型の染料として現在も利用される。

ウィキペディア(20180215 12:26による


 日本には 鴇(トキ)色、茜(アカネ)色、藤(フジ)色、山吹(ヤマブキ)色、小豆(アズキ)色、亜麻(アマ)色…と多くの色があり、日本文化の豊かさが反映されていました。

 勿論、ニューギニア高地人の様に“あの鳥の羽の色”“あの花の色”“あの木の葉の色”と言った形容詞が沢山ある(共通性普遍性がない)社会の表現と言えばそれまでですが、以下をご覧ください。


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俗に「ワイン・レッド」と言われる「バーガンディー」(フランスブルゴーニュの英語表現)にも近い色なのでしょうが、最近、我々の内部では「臙脂色」を気にしています。

何故かと思われるでしょうが、列島文化を守ろうとか復活させようなどと思っている訳ではありません。

 百嶋神社考古学では、金官伽耶(新羅金氏)の金越智=ウマシアシカビヒコヂと天御中主命=白山姫の間に産まれたのが、姉の大市姫と弟の大山祗=月読命となるのです(最終神代系譜)。

 そして、実はこの大市姫が別名として臙脂姫(エンジヒメ)と呼ばれているのです。

 この大市姫=臙脂姫と金山彦(金鎖大神)の間に産まれたのが神武高兄五瀬命であり、本物の(神武僭称贈る崇神などではないという意味での)神武天皇の本当のお妃であるアイラツヒメになるのです。

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中国の紅花の一大産地である「燕支山」、正確には臙脂山と書くようですが、ここに大市姫=臙脂姫の名も端を発しているのです。ちなみに臙脂山は甘掖市山丹にあります。


色の説明 臙脂色(えんじいろ)とは、黒みをおびた深く艶やかな紅色のことです。臙脂とは古代に中国より伝わった化粧紅などの顔料の名前に由来しますが、『臙脂色 えんじいろ』として一般的に広く使われる様になったのは、化学染料が広まった明治中期頃からです。

古代の中国では、辰砂 しんしゃから作られる顔料の『朱 しゅ』にヤギの脂を加えて化粧紅を作っていたことから、「脂」の字が化粧紅を指していました。

また当時、「燕 えん」の国の紅が非常にすぐれていたため、燕産の化粧紅がブランド化し「燕脂 えんじ」と呼ばれました。それが後に『臙脂 えんじ』と呼ばれるようになったようです。

いまでいえば、海外で「KOBE」といえば、神戸牛を指すような感じでしょうか?

また別の説では、中国の紅花の一大産地「燕支山 えんじざん」に由来するともいわれています。

我が国では奈良時代の『正倉院文書 しょうそういんもんじょ』に『烟子 えんじ』『烟紫 えんじ』と、また平安時代の辞書『和名類聚抄 わみょうるいじゅしょう』には、『焉支』『烟支』『燕支』などと記されていますが、いずれも顔料の名前を指しており、色名ではありません。

色料の臙脂には。紅花を染料とする植物性の『正臙脂 しょうえんじ』と、臙脂虫 えんじむし(ラックカイガラ虫・紫鉱 しこう)やサボテンに寄生するコチニールの雌虫の赤い色素からとれた動物性の『生臙脂 しょうえんじ』の二種類に分けられます。ともに『深紅 しんく』のような濃い紅色ですが、『生臙脂』のほうがわずかに紫色を帯びて濃厚です。

ちなみに、臙脂虫などから採集された天然の色素は、化学染料が広まった現在でも友禅や紅型の染料として広く利用されています。またコチニールといえば食品を赤く染める天然の着色料として有名ですが、コチニールでより濃く染めた色は『洋紅色 ようこうしょく』と呼ばれます。

臙脂色は、最近では「早稲田大学」のスクールカラーとして認知度が高い伝統色名といえるでしょう。

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百嶋極秘神代系譜(部分)スサノウのお妃となる神大市(ミヅハノメ)とは別神で伯母姪の関係です


 百嶋先生は福岡県久留米市田主丸町の月読神社とか朝倉市杷木町の大山祗神社を念頭に、“列島には多くの民族が入って来ています。

呉越は元より、百済、新羅、高句麗、秦、渤海…(後に近畿大和朝廷の本拠地となった奈良にはペルシャ人も入っている…などと吹聴しているのですが)、何故かトルコ系匈奴については隠されています。

どうもこれらの人々がごっそり入っているのですが全く隠されているのです。“と…。

 言外には、それこそが熊襲であり、その中核部隊がトルコ系匈奴だったと言う意味が含まれているのです。実はその背景に朝敵熊襲については明らかにしない、隠そうとする動きが見て取れるのです。

 良く考えて下さい。月読命=大山祗についてはほとんど事績が書かれていない事にもそういう背景があったのです(要は朝敵熊襲については直接の情報を持っていないし詳述できないのです)。

 ここまで申し上げた通り、白族とトルコ系匈奴をひいた越智族とのハイブリッドである大山祗の姉の大市姫が臙脂姫と呼ばれている事は、彼女が臙脂の紅差(口紅)の国=「燕」からやってきたお姫様という意味が込められており、百嶋先生も朝倉市杷木町の大山祗神社で「おしろい祭り」が行われている事の背景には、「おしろい」と「紅差」=大陸から伝わった「臙脂の紅差」が反映されており、旧杷木町の教育委員会に問い合わせをしたら、“祭神の名前は聴けなかったがここの神様は女性です…と聴いています”と言われていた事が今も耳に残っています。

 そうです。大市姫とはトルコ系匈奴の血をひき、甘粛省辺りを駆け巡っていたトルコ系匈奴の国からやってきたお姫様だったからこそ臙脂姫と呼ばれたのでした。以下連携blog「宮古の縁側日記」から。


58 龍族櫛稲田姫と八岐大蛇

櫛稲田姫(櫛名田比売)とはどう言う女性だったのでしょうか?

八岐大蛇(古事記)【八俣遠呂智(日本書紀】

の物語から始めます。

櫛稲田姫は出雲と言う土地に住んでいました。

現在の島根県の出雲ではありません。

出雲地名は日本国中にわりとある地名です。

物語は高天原を追放されたスサノオが出雲国に降り立った所から始まります。

高天原で大暴れをして突然出雲に降り立つと言う理由は全然書いてない唐突なストーリーです。

スサノオはそこである夫婦に出会います。

聞けば八岐大蛇と言う怪物が毎年8人の娘を差し出せと言い最後に残った末娘を食べに来ると泣いています。

無題.pngスサノオは末娘との結婚を条件に八岐大蛇を退治することを請け負います。

大丸1老父婦の名前 大山祇の子    足名椎命(あしなづち) 手名椎命(てなづち) 大山祇とは越智族の事です。

越智族は中国の燕の国の王様の家系。燕は紀元前1100年頃-紀元前222年に渡って中国大陸に存在した強国です。

紀元前222年に終焉したのは秦の始皇帝が中国を初めて統一したから言われています。

しかし、燕は宝貝(子安貝)を貨幣としていた中国、インド、ギリシャなどに宝貝を輸出していた国です。

子安貝は沖縄が一番の産地でした。

その後に銅銭の朱露銭を鋳造し貨幣にした国なので、そう簡単に無くなるのはおかしいと考えています。

中国の新たな埋蔵物の発見を期待しています。

こちらも「大山祇の子」と簡単に書いてありますが足名椎命は燕国の日本王(九州、沖縄、台湾)です。

手名椎命は女王です。

燕は中央アジアのキルギスあたりにフェルガナ(大苑国)、中国の燕、日本の九州、沖縄、越国(富山)、台湾(大苑)領地を持っていました

インドのアーンドラ国のセントバーハナ王朝の王族でしたのでインドにも精通していました。

【セント バーハナ**神の乗り物クンピーラ(ワニ)

足≒草鞋、サンダル(パドゥカ)を神の履物として崇拝していました。

それと太陽の子ミトラ神を信じていました。足名椎命の知られている名前は、金山彦 事解男(ことさかお) 中山様 面足尊(おもたらし) 秋葉様 国狭槌(くにさづち)

金刀比羅宮に御祭神としては祀られていませんが金刀比羅がクンピーラ語源である事は間違いありません。

手名槌尊の知られている名前は 越智姫 臙脂姫(えんじひめ) 大市姫 埴安姫 草野姫(かやのひめ)

以上が櫛稲田姫の両親のプロフィールです。臙脂姫は紅花の染料を意味します。紅花の口紅  緑がかった黄金色。

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スサノオと櫛稲田姫は綿花と染色に関係しています。


ひぼろぎ逍遥のバックナンバーですが、337 朝倉市杷木町の大山祗神社とおしろい祭 20161212

をかきました。以下再掲載。この神社の本当の祭神も臙脂姫だと思うのです。


 無題.png大分自動車道の杷木ICから東に10分ほどのところにある山奥の小集落におしろい祭で知られる大山祗神社があります。


大山祗神社 カーナビ検索 朝倉市杷木大山527


しとぎを顔に塗り豊作を願うと言う風習、もっと言えば、奇習、奇祭といった面だけを町興し宜しく宣伝されてはいますが、これについてはそれだけでは済ませられない列島神(古)代史の重要な側面が表に出ているものと理解しています。

 この内容は、千数百年の長きに亘ってひた隠しにされていた可能性があり、一度に、説明したとしても凡そ理解して頂けないと考えています。

 ただ、後世にこの重要な側面を伝え残すためにもそろそろ重い腰を上げなければならないと考えているのですが、まずは、表層の解説からご覧いただきましょう。

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おしろい祭り                          日時:122日  1400

昔からの「伝説」によると、大山祗神社を「山の神」と呼び、山の神は元来「女の神様」といわれています。その「女の神様」がお化粧をする事を意味し、「おしろいをぬる」といわれています。

このおしろいは、新米(初穂)を粉にして水でといて(しとぎ)顔にぬるもので、昔の農家の人が、氏子の繁栄と新穀の豊作を神に感謝し、来年の五穀豊穣を祈願する、全国でも類のない奇習とされています。

おしろいの顔の付き具合で来年の「作柄」を占い、このおしろいは家に帰るまで顔を洗ったり落としてはならず、火の中に入れると火事になり、帰って牛馬の飼料に混ぜて飲ませると無病息災だといいます。

当日は午後2時頃から宮座が始まり、宮司のお払いがあり、祝詞が奏上されます。拝殿で氏子全部が宮座の膳につき、座元の人達は大きな鉢にしとぎを持ち出して宮司の顔から塗り始めます。

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 問い合わせ先:道の駅「原鶴」インフォメーションセンター

       電話:0946-62-0730

       住所:朝倉市杷木大山

       地図:http://goo.gl/maps/pb0kT


現在、百嶋神社考古学を追い求める当方の研究者たちにとって、最も関心を寄せているのが、故)百嶋由一郎氏の遺言と言っても良い証言で、それがこの神社に関係しているのです。

(音声CDが必要な方は09062983254まで)。


神社伝承から見る古代史 百嶋由一郎先生の世界 --- もう一つの神々の系譜


源実朝以降に、朝鮮人である神様を日本の偉い神様にしておくのはまずいということで削ってしまった。削られたお宮さんは困りますね。田主丸のさんや様、おしろい祭りをやっているおおやまつみ神社、あそこは困って祭神すり替えをやっている。すなわち、政府が許すという範囲のことしか表に出してはいけないというお触れに従ってごまかしておられる。ところが、ナニクソ、こんなこと発表して構うもんかと、熊本城ががんばられた。熊本城の本丸の地下にゆくと王照君の間がある。古代中国の4大美人、西施、王照国、貂蝉、楊貴妃ですが、王照君は100%消された朝鮮人ですね。さて、その消された朝鮮人の神様のお子様が、田主丸のサンヤ様、そしてそのお子様が大国主です。

中国4大美人、西施(年齢は2500何十歳)、そして次の方、王昭君、熊本城の大広間に行くと王昭君の絵がでかでかと描いてあります。そしてこの人こそ大国主命の先祖とお考えください。秘密にされておりますけれど、間違いございません。その代表的な裏付けとなるひとつに、朝倉のおしろい祭りがあります。朝倉の大山祇神社、ここでははっきり書いてありますが、ご祭神を王昭和君と書くわけにはいけないから、遠慮して遠慮して、ご祭神はもとは女であった、そしてお化粧が云々と書いてあります。この人の年齢は紀元前33年に嫁がれたそれに20歳プラスなさったらよい。この人の血統も秘密になっていますが大体わかります。いずれ機会があったら、その時話します。次は、貂蝉(ぴゃおちゃん、ちょうぜん)、1800年前曹操が天下を取った時代にずるい賢い連中がこの人を使って、最後にこの人を使い切ったのは曹操です。最後の方は1300年前、楊貴妃(やんくいへ)以上の4人が古代中国4大美人です。 

肥後の翁のblogから一部切出し


まず、十五夜お月様を愛でる風習については、現代人にも良く知られています。

田主丸の「さんや様」とは「二十三夜月待ちの風習」(一部には「講」を作り、その仲間で御馳走を食しながら月の出を待ち、月が現れるとそれをめで拝んだ)の残る領域と重なるもので、月、“うさぎ”などがシンボルになっています。

一方、同系統のものかどうかは不明ですが、十三夜や二十六夜待ちの風習は非常に薄くなっているようです。

 無題.pngさて、「神社伝承から見る古代史 百嶋由一郎先生の世界」を読まれた方に誤解がないように先手を打っておきますが、ここで朝鮮人と言う場合、現在の朝鮮人をイメージすると全く訳が分からなくなってしまいますので、若干のコメントを加えておきます。

 古くは呉の太伯王(周王朝の長子)の子孫=“倭人は呉の太伯の裔”を筆頭に、列島には多くの渡来系民族、氏族が雪崩れ込んでいます。

 百済、新羅、高句麗はご承知の通りですし、秦の始皇帝の支配を嫌い半島に逃げて来ていた秦の臣民、後には漢帝国に滅ぼされる秦(秦氏=嬴…瀛氏)の王族、官僚、武人、技術者…、そして、漢王朝も同様に…(恐らく、綾氏、笠氏…)、鮮卑、恐らく、燕、趙、魏、晋、漢、斉、楚、五胡十六国時代の民族の一部も、繰り返し、繰り返し多くの人々が押し出されてきたのでした。

 従って、現在の半島には古代朝鮮人の中枢部(王族、学者、軍部、技術者)は残っておらず(百済、新羅、高句麗にしても同様)、残ったのは新権力に手のひらを返すように態度を豹変させ、直ぐに強い者、得な側に従う節操のない人々(これが毎日年から年中、嘘を付き続けている現代の中国、朝鮮の民族体質に繋がっていることは半島の大統領弾劾などにも認められる現象ですね)だけで、古代朝鮮は列島にそのまま移ってきていると考えるべきなのです。

 つまり、簡単に言えば古代の朝鮮人こそが列島人であり、現代の半島人とは古代朝鮮人などではなく、新たに生じた(生じ続けた)空白に北方から侵入し続けた濊(わい、拼音: Huì)、鮮卑などと入れ替わった人々のことなのです。つまり、玉突き状態で新世界としての列島に移動した優秀な人々によって形成されたのが列島人だったのです。

そこまでの事を理解して頂いたうえで、この月を愛でうさぎの狛犬を置く様な民族集団とは何であるのかを考える事が今回のテーマです。

 ただ、非常に多くの説明をする必要があり、今回はその骨格だけをお話しするだけになります。これについては、現在、500シートのパワー・ポイントとして朝来(アサクナ)を作成しています。

 あくまで途中経過ですが、この問題に近接する内容となっています。

必要とされる方は直接09062983254までご連絡ください。

 以降は随時続編で書くとして、ここでは、大山祇神社をご覧いただきます。

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2018年12月21日

528 熊本県菊陽町にも若宮が祀られていた! “熊本県菊陽町若宮八幡宮”

528 熊本県菊陽町にも若宮が祀られていた! “熊本県菊陽町若宮八幡宮”

20180212

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

                                              

 福岡から熊本県に入ると高良神社とか若宮神社というものが劇的に少なくなります。

 このため肥後ではほとんど高良+若宮というコンプレックス(複合体)を忘れてしまっていました。

 ところが、今般、菊陽町という神社研究ではあまり廻らない地区を調べていると、若宮八幡神社なるものを見いだし急に色めき立ちました。


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若宮八幡宮 カーナビ検索 熊本県菊陽町大字津久礼429(上津久礼区)


若宮八幡宮は、安和2年(969年)山城国久世郡男山八幡宮から八幡大神を勧請し、応神天皇とその御子、仁徳天皇と神功皇后(息長足姫命)併せ祀っています。以後700年余り白川右岸の地にありましたが、度重なる水難や疫病のため、延宝67年(16781679年)頃、村直りとともに現在地に移転建立されました。本殿前の二の鳥居には、「若宮社」の額が掲げられ石柱には「延寶八年正月吉日」「氏神當所移徙」の文字が刻まれ、遷宮と村直りの歴史を物語っています。             菊陽町HPによる

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菅原神社(左上) 猿田彦大神(右上) 罔象女神(下)

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ご覧の通り白川右岸の河岸段丘に移されています


「古事記」「日本書紀」を真に受け金科玉条とされる方には全くお分かりにならないでしょう。

まず、仁徳が応神の子であるとか大嘘が天下で通用しているのですからほとんど漫画みたいな話であって、仲哀死後の神功皇后は開化天皇の妃となり仁徳を長子として朝日豊盛命、暮日豊盛命…と五人の子をもうけ死ぬまで添い遂げているのです。

斯礼賀志命(シレカシ)朝日豊盛命(アサヒトヨサカリ)暮日豊盛命(ユウヒトヨサカリ)渕志命(フチシ)谿上命(タニガミ)の五皇子。それ以外にも別腹か連子に四皇子が…。

恐らく、神功皇后の連子と考えられる 那男美命(ナオミ)坂本命(サカモト)安志奇命(アシキ)安楽應寳秘命(アラオホヒメ)の四皇子の合計九体皇子の筆頭長子が仁徳天皇なのです。

そして、全国に高良玉垂命と若宮こと仁徳天皇を祀る九州王朝の祭祀が隠され消されつつもかなり残されているのです。

未確認ですが青森県内にも高良神社があり、実踏したものとしては栃木県那須神社境内社が北限です(当時、今年6月に現地確認)。そこで、存在しないと考えていた若宮八幡宮が肥後に存在した事に気付き、千田聖母八幡宮に高良、仁徳の影を見出していた事から、肥後にこのコンプレックス存在の可能性を多少は考えていただけに実際に確認できて喜ばしい限りです。

 安和年間の勧請とはされてはいるものの、この祭祀コンプレックスが九州を本拠地とすると知る者には、本物の可能性を考えざるをえないのです。

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2018年12月18日

527 熊本空港直下の二社を見る “熊本県大津町の窪田日吉神社と窪田阿蘇神社”(下)

527 熊本空港直下の二社を見る “熊本県大津町の窪田日吉神社と窪田阿蘇神社”(下)

20180212

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


窪田阿蘇神社には真新しい孟宗竹の鳥居が設えられていました。

当然、熊本人工(?!)地震によって鳥居や社殿に被害が出たからでしょうが、真新しいコンピュータ制御の完璧な鳥居より反って良いような気もします。

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祭神は以下の通りですが、草部吉見神社の配神ではなく阿蘇神社配神になっています。

 これを見る限り、そのまま阿蘇谷の阿蘇神社が大津に展開しているように見えます。

表面的には内牧の阿蘇神社そのものに見えます。

しかし、県神社誌の同社の摂社群を見る限り、菅原系神社しかなく、地神社にしても埴安姫と罔象女神であり、埴安姫と大山祗の子が罔象女神であることを考えれば、それらを奉斎する氏族を制圧して阿蘇系の支配が成立している事を見るのです。

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ご覧の通り参拝殿、本殿も地震の影響が出ているようです。

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重要なのはこの阿蘇神社の基層には別の神々が見える事です。神社誌に青枠を掛けていますが、これこそが、元々この地域の方々が奉斎していた先祖神のはずなのです。この「塞」は猿田彦かナガスネヒコか?

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波邇夜須命と美都波女命とはイメージが湧かない方が多いでしょうが、百嶋最終神代系譜をご覧ください。

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金山彦のお妃としての埴安姫(ヤタガラスの姉)、金山彦の後に大山祗の子としての美都波女命=神大市姫、同時にスサノウのお妃であり、金山彦と埴安姫の子である櫛稲田姫とスサノウの間に産まれた長脛彦こそ実は八衢比古であり、その妹の八衢比賣(ヤチマタヒメ)なのです。

一般的にはこの二神を猿田彦と天鈿女命に充てるのですが、それは神武天皇に逆らった逆賊を隠すためもあり、隠している間にそれが本物になってしまったものである…と考えるのです。

 その意味で塞神社を考えて頂ければ、この阿蘇系神社の底流には金山彦〜スサノウ〜大山祗そして岐神こと長脛彦が見えるのです。

 確かに表面だけを見れば阿蘇系神社です。そして、阿蘇系が覆い被さって以降はその通りでしょう。

 しかし、それでは古代の真実には全く迫れないのであり、この神社を祀る氏子の方々の遠い祖先の思いを裏切る事にもなるのです。


百嶋神社考古学に関係する資料を必要とされる方は090-6298-3254までご連絡ください

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