2026年07月31日

ビアヘロ 265 ひぼろぎ逍遥1174の先行転載 “神社で撮影された心霊写真を公開します”

ビアヘロ 265 ひぼろぎ逍遥1174の先行転載 “神社で撮影された心霊写真を公開します”

20260624     

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


ひぼろぎ逍遥1174 最近行った神社トレッキングで起こった「心霊現象」についてお話しします

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太宰府地名研究会 古川 清久


当会はカルト集団ではないのですが、実際には少数ながら霊能者と思われる方が参加(時に出入り)されており、過去、男女を問わず延べ10人近い方が通過されています。女性が5:110:1が普通なのですが、今は不思議と男性で2人のパーマネントな中枢メンバーとして活躍されているのです。一人は建築士で2本の神社関係ブログを書いておられる方で、もう一人は❷50代の会社役員です。  

最初にご紹介した方を仮に❶S氏としておきます。後で確認すると自分が撮影する写真もかなりの頻度で心霊写真が撮れる…と語っておられました。

 この手の話は誤解される事が多いため具体的にどの神社であるかは勿論伏せますが、心霊現象が映像として撮影できましたのでご紹介したいと思います。

 福岡県内の某神社とまでは申し上げられますが、それ以上は当面差し控えます。ただ、会員内部では承知しておいて頂きたいと思いますので、画像だけをオンエアしておきます。

 昨年の夏の終わりに実施した川上 猛の生誕地を探る神社トレッキングに於いても、熊本県高森町の二つの神社で前述の若手男性の霊能者が➀神殿から何事かとこちらを除いていた、A神殿から二人の童子がこちらを見つめていた…と言っていたのでした。こちらも仮に❷M氏としておきます。

 と言っても、単に妙な霊感を持つ変わった男性…と言った人物ではなく、きちんとした会社の役員で、なおかつ「古事記」「日本書紀」を一応は全部読んだ…と言ており頻繁に全国の神社を見て宮司、禰宜と話をしてくる強者ですので、ご心配は全く必要が無いのです。






















ではご覧ください。

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驚くべき映像ですが、現場では誰も気づいてはいなかったのです。ただ、一人を除いてはです。

 それは、❷M氏だけが気づいていたようなのです。彼に聴いてみると、開口一番“やはり出てましたか”でした。“参拝殿から神殿に向かう途中の渡り廊下ですれ違っていたので”と言ったのです。

これがエクトプラズムという意味ではありませんが。心霊現象の範疇には入るでしょう。


AI
による概要(エクトプラズムで検索)

エクトプラズムとは、心霊現象において霊媒の身体から発するとされる正体不明の物質(心霊体)を指します。1893年にフランスの生理学者シャルル・ロベール・リシェが提唱した造語で、かつては幽霊の物理的な実体として交霊会などで報告されていましたが、今日では科学的な根拠はないとされています。

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M氏はこうも言っていました。

 ここでは要約して書きますが、急に多くの参拝客が来たから何事だといった面持ちで、決して悪意とか敵意を持った反応ではなかったと感じていますが…”でした。

 私も電話での話でしたが、堂々たる話し振りで、改めて彼の感受性と理解力に驚かされたのでした。

 当日は参加者も156人程度でした。今回も都合が着かず参加できなかった方を対象に何度か追加トレッキングを行っているところです。

 参加者でも神殿内まで入った人は少なく、私が現在の状況と以前の配神の違いなどを説明したのですが、中には、今回のブログには胆を冷やす方も出て来るでしょう・

 一方、改めて神社への尊崇の念を抱き、お賽銭を高額にしよう…とか、神殿のお掃除だけでもしてあげたい…と言った話も出始めています。

 これについては、私も神社トレッキングには清掃用に小型の充電式掃除機を持って行っていた事もあるのですが…今は氏子婦人会の清掃活動もままならず、私達の探訪参拝でも組織化して清掃ご奉仕を行おうかとも考えているところです。

 それほど、氏子組織の高齢化、員数の減少と併せ神社への尊崇の念が消失しつつあるのです。

 今般、心霊写真、UFO、人工地震と言った一般には白眼視される記事を公開しましたが、それは学芸員とか教育委員会とか権力に尾を振り、新たな食い扶持を探ろうとするさもしい連中の定番と言ったもので、このような心霊現象などと言ったものを極端に嫌い否定したがる構造に連動賛同し私もその仲間のつもりですからどうぞ仲間に入れて下さいと自らを売り込もうとするあやかりを狙う恥ずべき構造を感じさせるものだからです。

 特に、九州王朝論者であるにもかかわらず、非常に薄い根拠で、福津市の東端の某神社に残された文書に同地も「マツラ」と呼ばれた記述が有ったとして田川から京都郡に邪馬台国を持って行った行政の芸人とかそれに連動するK県K市のK八幡宮の宮司のような行政に自分を売り込もうとする連中、こう言ったった輩の踏み絵の様なものでしかないのです。

 結局、真実の探求はどうでも良く、村興し町興し果ては世界遺産登録で少しでも良い目に合えれば良いと言った構造に落ち込む事に成るしかないのです。

 敬愛する、佃収、米田良三、古田武彦といった巨星が落ちると、ペトログラフ問題同様こういったウゾウムゾウノ蛆虫共が沸いてくるのです。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | ビアヘロ
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