ビアヘロ 263
ひぼろぎ逍遥1155 五年ぶりの伊予への神社調査 “南宇和郡鬼北町の黄幡神社” (中)
20260328
太宰府地名研究会 古川 清久
話の急展開に驚かれたかも知れませんが、私自身もまさか神武巡行伝承のクライマックスとも言うべき山梨県の街中に鎮座する天津司神社の調査団の中心人物が黄幡(オウバン、キバタ)の神である事を失念していたのでした。
この神武巡行伝承は筑豊から海路によって糸魚川辺りから松本経由か、上越市(旧直江津)辺りから善光寺経由で甲府盆地に入っているはずで、詳しくは、新ひぼろぎ逍遥1107大山祇は月読命なのかを考える ❶“天津司舞の天津司神社の再掲載”の前後のブログをお読み頂きたいと思います。
余裕のある方は、この神社は市杵島姫と草部吉見を祀る二社となり徳島にも展開しているため以下もお読みください。
神武巡行に参加した市杵島姫と草部吉見は旅行中に良い中に成り夫婦として早めに戻る事を許されている様なのです。
ひぼろぎ逍遥(跡宮)
656 | 続)徳島の天津司神社 @〜A “四国の「もう一つの 歴史教科書問題」氏による近稿からの転載” |
655 | 徳島の天津司神社 @〜A “四国の「もう一つの歴史教科書 問題」氏による近稿からの転載” |
654 | 阿波の天津賀佐彦神社は神武巡幸の痕跡なのか? “徳島県美馬市美馬町西荒川” |
この神武巡行は九州王朝による列島の調査旅行であり、その中心メンバーには天照、神武(カムヤマトイワレヒコ)、山幸彦、海幸彦=草部吉見、市杵島姫=宗像三女神、金山彦、大山祇、ミズハノメ、埴安姫、阿蘇の神沼河耳=金凝彦…のオール・キャストであり、数代下る神武東征伝承とは全く異なるのです。
これは、開化天皇と神功皇后(夫婦)=「高良玉垂宮神秘書」の指揮下で、開化の腹違いの兄大彦(武田信玄、新羅三郎もその末裔…)が日本海ルートで会津に入り、東北一帯に展開し…その後裔が前九年の役の安倍貞任、宗任に繋がっているのです。
神武僭称贈る崇神が行ったかの様に藤原=阿蘇氏=多氏が偽装していますが、中心的役割は大彦と考えています。神武を足一揚宮、一本柱揚宮とかで出迎えたのは崇神の子(ウサツヒコ…)であり、耳川から東征に出かけたのも推定でしかないのです。
決して騙されないようにしてください。「古事記」の95%は嘘と言ったのも百嶋由一郎でした。 ここまで書くと藤原系、神社庁、宮内庁もカンカンでしょうが、そう伝えています。



神武御巡行は二世紀の半ばに行われた列島全域の調査旅行であり、天照大神、神武天皇(神武僭称贈るハツクニシラススメラミコト崇神ではないカムヤマトイワレヒコ)大幡主、豊玉彦=八咫烏、大山祇、罔象女神、金山彦、埴安姫、山幸彦=ニギハヤヒ=猿田彦、海幸彦=草部吉見、市杵島姫…随行者によるもので、筑豊から山口、広島、岡山など瀬戸内海にかなりの痕跡を留めています。
神代の神々のオール・キャストで行われたもので、途中で市杵島姫と草部吉見は夫婦と成り、中途で戻る事が許された様なのです。その痕跡が前掲の天都司彦神社です。
対して、神武東征は、ずっと時代が降り、第9代開化天皇と仲哀死後の神武天皇ご夫婦の指揮下で、ハツクニ崇神というより、開化天皇の腹違いの兄大彦の揮下で行われたもので、実権はその権威から日本海ルートで北上した大彦のはずなのです。多分、柏崎刈羽辺りから南魚沼郡から会津に入っているようです。今年の秋にも「神代の浜辺」(所沢市)のT氏と会津に入るつもりです。
ここまでくるともう少しお話ししたくなります。百嶋由一郎は“その後お二人は薩摩の阿多(旧加世田町=現南さつま市)で村長さんの様な事をしておられました”と語っていました。
これもあてずっぽうで調べたことが有ましたが、草部吉見と市杵島姫との間に生まれるのが大山咋=佐田大神=松尾様=日枝山王=日吉様が生まれますので、日枝神社を探せば金峰町の白川に日枝神社が在る事に気づきました。市杵島姫はスサノウと豊玉彦=八咫烏の妹のアカル姫が新羅の王子様アメノヒボコ=スサノウとの間に産んだ子ですから白川伯王を思わせる白川沿いに日枝神社があるのは合理的で、加世田一帯には3〜4社の日枝神社が拾えます。

今は会津にお住まいですが、5年ほど前でしたか、祖父母の家を処分するとして父と同地の日枝神社の近くにあった旧居に行かれた女性からお電話を頂いた事がありました。
この方は、当方が出していた先行ブログを読まれて連絡を取ってこられたのでした。
ひぼろぎ逍遥(跡宮)A1046 南さつま市 阿多・白川の日枝神社について再び… 20240614
神社や古代史に関心を持つ方で、薩摩半島の阿多と言う土地を知らない人はいないと思いますが、その一角に白川地区があり、日枝神社(金峰町)があります。ただ問題は祭神を猿田彦としている事です。

この神社に関して2017年8月に以下を書いています。全文を残し画像など縮小し再掲載します。
461 南さつま市の辺境に市杵島姫と草部吉見の故地を発見した? 阿多の白川の日枝神社
これは、「ひぼろぎ逍遥」517〜520で書いたものの関連ですので、「ひぼろぎ逍遥」に書くべきかも知れませんが、内容がかなり神社考古学に絡むものである事から(跡宮)で扱うことにします。
520 | 僭越ながらも鹿児島の老古代史家からの照会に お答えして 所感 CD |
519 | 僭越ながらも鹿児島の老古代史家からの照会に お答えして 所感 B |
518 | 僭越ながらも鹿児島の老古代史家からの照会に お答えして 所感 A |
517 | 僭越ながらも鹿児島の老古代史家からの照会に お答えして 所感 @ |
517〜520は九州王朝論の導入部のような話であり、無関係と言えば無関係になりますので、これから話す事からは遠い話であり、恐らくこれで良いのでしょう。
いずれにせよ、この4〜5本のblogについてお話しするために350キロを走り貫き、南九州市の手前の南さつま市を訪れたのでした。
その二週間前には兵庫県但馬を訪問していたのですから距離は半分で直ぐに届く距離です。

南九州市金峰町白川が阿多の南東、旧加世田町の東に在ることがお分かり頂けますか?
実は、百嶋由一郎氏の音声記録の中に“阿蘇の草部吉見さんと市杵島姫はご夫婦として若いながら阿多で村長をされていました。”(不正確ですかね?)といった話をされていました。
この他にも、市杵島姫は甑島(甑島には鹿島がありますね、これも鹿島大神=草部吉見と関係があるのです)のカノコユリが好きで、別名の佐用姫とはサユリを愛したからではないかとも思うのですが、それはともかく、このお二人がどこにおられたかは百嶋先生から聴いておらず、市杵島姫がカノコユリと関係がある事だけは 437 勝沼ワインの里の大善寺(特別版)に触れています。どちらにしてもその話だけは耳に残っており、阿多を通過する度にその事を考えていました。
今般、南九州市川辺町を訪れたついでに、南さつま市に白川集落がある事に気付き、彼らはここに居たのではないかと考え、今回入って見ることにしました。市杵島姫は白山姫の後裔でもあるのです。
言うまでもなく、白川とは白川伯王(天御中主命)の一族が居た場所に付けられる地名であり、日枝も日吉大社=松尾大神を意味しており、草部吉見と市杵島姫の間に産まれた大山咋神=佐田大神を意味しており、まさにピッタリなのです。

あの郵政省に蓄えられた国富を米国に売り飛ばした売国奴小○純一郎の父小○純也は東加世田村の出身でここからもそう遠くはない 後に神奈川に移り朝鮮銀行に勤務とか…

日枝神社 カーナビ検索 鹿児島県南さつま市金峰町白川2076
縁起では祭神を猿田彦としています。鹿児島、宮崎は維新政府の中核だったためか、主要な祭神で祭神の入れ替えを行っている事が分かっていますので、真に受けることは出来ません。
全国でも草部吉見=海幸彦を祀る神社が非常に少ない事は事実です。
このことには海幸彦に対して山幸彦が勝利したことが反映されているのだと思いますが、この神社の祭神が猿田彦で無い事は明らかで、それは日枝神社や日枝という地名からも分かります。
面白いのは縁起にある“鎌倉期の橋口又太郎が白川宇治野に御神体を安置した”という部分であり、白川とは市杵島姫系統の象徴的な地名であり、宇治は阿蘇氏、それも阿蘇を健磐龍に任せ東に進出した本当の阿蘇氏を意味する多氏、宇治氏を意味する地名である事から、この時点までは、市杵島姫と草部吉見の共同祭祀は残っていたものと思います。
今後この地区の調査は心掛けますが、最早、痕跡は辿れないのではないかと思うばかりです。
多分、山幸彦=猿田彦祭祀に変えたのは島津か明治維新以降の人々だろうと思うものです。
少なくとも、白川、日枝、宇治、出水(泉)という地名がセットで在る事が脅威的で、二番目の地図の端に高良地名があり、ここにも高良神社がある事は既に書いています。
泉も初期の九州王朝を暗示します。九州王朝の初期の形態が辿れる重要な場所である事は明らかです。
元々加世田とは地名からも分かりますが、干拓地としての地名であり、本来、古代に人が住み着いていたのは微高地の阿多や安全で水の豊かな白川などであったはずなのです。
殊更、日枝という地名があり日枝神社として残っている事はもしかしたら大山咋はこの地で産まれたのではないかとまで思うのですが、無論、思考の冒険、暴走である事は否定しません。
しかし、水の豊かな古代の一等地です。
薩摩藩の国学者共は余程阿蘇系の神を受け入れるのが嫌だったのでしょうね…。


大山咋=日吉=日枝こそお二人の神様の子神なのです
研究目的で百嶋由一郎神代系譜を必要とされる方は直接09062983254までご連絡下さい
8年前に書いたブログは以上のとおりでした。ところが、一週間ほど前に、兵庫県在住の女性から、この神社についてのご質問と百嶋神社考古学に関する資料を欲しいとの電話による照会が入りました。私もネット上に3000本にもならんとするブログを書いてきたため、どのブログの事を話しておられるのか分かりませんでしたが、しばらくして内容が分かってきました。
不正確かも知れませんが、どうやらこの神社のすぐ傍にお住まいだった祖父母が高齢のため亡くなられたようで、お父さんが家をかたずけに来られていたようで、この神社の祭神やその意味を理解すれば、自分たちがどのような存在であるかが分かるのではないかと考えられたようなのです。
以下は、この依頼をしてこられた方に対して同社の性格についてご説明した文面になります。
百嶋由一郎が残した90枚の神代系譜スキャニングDVD、講演録音声CD、手書きデータDVD…を必要な方は090-6298−3254までご連絡下さい。常時対応可…


にお読み頂き有難いと思っています。















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