2026年06月10日

ビアヘロ 262 ひぼろぎ逍遥1154 五年ぶりの伊予への神社調査 “南宇和郡鬼北町の黄幡神社”(上)

ビアヘロ 262

ひぼろぎ逍遥1154 五年ぶりの伊予への神社調査 “南宇和郡鬼北町の黄幡神社”(上)

20260326     

太宰府地名研究会 古川 清久


鬼の付く地名や姓はそれほど珍しくは無いのですが、合併地名とは言え中々行政地名としての市町村名は少ないのではないでしょうか?

 そのような話はどうでも良いとして、宇和島市の奥、高知県でも四万十川にも近い内陸部の町なのです。

 白王神社や白皇神社も多く、神社に関しては非常に魅力的な地域ではあるのです。

 ここに黄幡(オウバン)神社と言う奇妙な神社群が存在するのです。しかも、瀬戸内海を挟んだ広島市周辺にも同じものと考えられるものがある事から、岡山の白雲皇帝塚と南予の繋がりとも対応しているようで触れておく必要があるのではないかと思い、今回、現地を踏む事にしたのでした。


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詳しく検索すると、広島市の山手の方に7社は在るようで、以前見たのはどれだったかさえ分かりません。これだけあると、大都市でもありかなりの関係者がいるはずですが、これはこれで調べる必要があるかも知れません。

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それはそれとして、伊予と土佐の国境に集中する黄幡神社ですが、今回訪問したのは鬼北町父野川の同社でした。

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先ずは、愛媛県神社庁のデータをご覧ください。

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天照大神はともかくも国常立命(天地開闢神の一神説明略)と無難な祭神が選ばれているようで合祀の結果なのでしょうか本質ではないような印象を持たざるを得ません。神社庁は無視し、国堺を越えて土佐の黄幡神社を見てみましょう。

神社探訪 狛犬見聞録・注連縄の豆知識 様の黄幡(おうばん)神社 です。いつもながら性格です。

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高岡郡四万十町戸川430 (平成2916)この神社は、JR予土線・十川駅の北2.5km程の辺り、戸川の街外れに鎮座しております。

御祭神 磐長姫由緒 不明 (宮崎県西都市の菊池氏集落東米良の白銀神社の祭神が磐長姫です

黄幡神(おうばんしん)は、九曜の1つである羅睺(らごう)を奉ったもので、集落の境や村の中心、村内と村外の境界や道の辻、三叉路などにおもに石碑の形態で祀られている。
現在は道祖神の様に村の守り神として信仰されているが、元々はインド神話に登場するラーフと呼ばれる蛇神であり災害をもたらす神として恐れられた。日本に伝来してからは、日食を引き起こした神であるスサノオと習合した。
また、吉凶の方位を司る八将神(はっしょうじん)の一柱で、別名万物の墓の方といい、また兵乱の神ともいう。この方角に向かって土を動かすのは凶だが、武芸に関することは吉とされている。
習合の結果、神として分類されたが仏教、特に密教と深く結びついている神である。仏教での本地は摩利支天王とされる。
ウィキペディア より

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黄幡神(おうばんしん)は、九曜の1つである羅睺(らごう)を奉ったもので、集落の境や村の中心、村内と村外の境界や道の辻、三叉路などにおもに石碑の形態で祀られている。
現在は道祖神の様に村の守り神として信仰されているが、元々はインド神話に登場するラーフと呼ばれる蛇神であり災害をもたらす神として恐れられた。


これは内子町の神社ですが、奇妙なことに素盞鳴命(スサノウノミコト)という事になっているのです。どうもこの神社については祭神のバラつきが大き過ぎるようです。

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ここまでくると広島の黄幡神社の祭神が気になってきます。以下は、広島郷土史探訪シリーズU消された広島の黄幡信仰 によるものです。

広島郷土史探訪シリーズU消された広島の黄幡信仰

このサイトは、郷土史を探訪するためのサイトです。特定の宗教や信仰を勧誘する目的はありません。古文書を引用する場合、原則的に、字体と仮名づかいは現代のものに改めます。

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以下は貴重過ぎて連絡が取れない間はもったいなさ過ぎて掲載できません。本文を検索して下さい。

一応一通り読ませていただきましたが、実は私も甲州武田氏の領域の周辺も15年ほど前から調べている事から、この武田氏が何者であるかは承知しており、その延長上に安芸武田氏、甲州武田氏の奉斎する神々を実見しており、今回の伊予の東温市、西予市周辺そして四万十川流域に分布する10社程の黄幡神社の意味が氷解した様に思っています。

始めはインドのラーフ神アスラ=アシュラ(阿修羅)が分かり易いでしょうか。中央構造線に沿って山岳修験が九州と吉野(エシノ)を往来していたことからそれもあるかと考えていたのですが、広島郷土史探訪シリーズU様のおかげで謎が解けたのでした。

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ウィキペディア「黄幡神」20260328 09:12による

話を分かり易くするために、まず、瀬戸内海を挟んで黄幡神社が存在する理由は、戦国期に安芸の武田氏が毛利氏の分流の小早川氏辺りに滅ぼされ、伊予から土佐の辺境に逃げ込み再起を企図するも果たせなかった安芸武田氏が持ち込んだものと考えられそうです。


AIによる概要

愛媛県における武田(たけだ)姓は、県内で約5,200人が居住し、名字ランキングで40位に位置す

る比較的多い姓です。今治市(旧越智郡上朝倉村)の朝倉武田文書のように、この地域に根付いた歴史的な系譜や由来を持つ一族が存在します。

愛媛の武田姓に関する特徴

人数・順位:愛媛県内におよそ5,200が住んでおり、同県内で40の順位を誇る名字です。

地域性:今治市の朝倉地区に由来を持つ「朝倉武田文書」が確認されており、古くからの土地の武士や豪族に関連している可能性があります。

由来:一般的に武田姓は甲斐武田氏(源氏)に代表される地名由来のものが多く、各地の武田氏が土着したケースや、名門の血筋を引く事例が含まれると考えられています。

愛媛県内で「武田」は、歴史的な武士のルーツと関連の深い名字の一つと言えます。


これで、安芸から伊予へのベクトルと、持ち込んだ人々と大体持ち込まれた時期の見当が着きました。ただ、同社の起源は広島での研究が優先されるべきでしょう。

 念のために、山梨県の黄幡神社を検索すると以前リポートも書いている神武巡行伝承の、天津司神社が出てきました。どうやら起源は甲府まで遡りそうですね。安芸からの勧請もあり得ますが…。

 これについては、ひぼろぎ逍遥(跡宮)からアップしていましたが、文化庁からのクレームのためか565は消されているようですので、

565

糸魚川〜甲斐〜南巨摩の旅 D “天津司舞の天津司神社にやって来た”

ひぼろぎ逍遥(跡宮)ビアヘロ250

新ひぼろぎ逍遥1107大山祇は月読命なのかを考える ❶“天津司舞の天津司神社の再掲載”

をお読みください。何れにせよ武田氏と黄幡神社との関係は明らかです。

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AIによる概要 山梨県甲府市小瀬町にある天津司(てんづし)神社山梨県神社庁)の御祭神として「黄幡神(おうばんしん)」が祀られています。この神社では国指定重要無形民俗文化財の「天津司の舞」が伝承されており、地域の守り神として信仰されています。

神社名: 天津司神社(てんづしじんじゃ)

場所: 山梨県甲府市小瀬町557

御祭神:黄幡神を含む天津神十二神

特徴: 昭和51年に国の重要無形民俗文化財に指定された「天津司の舞」で知られています。

黄幡神とは: 元はインド神話の災害をもたらす蛇神「ラーフ」を起源とし、日本では道祖神のように集落の守り神として、特に石碑の形式で辻などに祀られることが多い神様です。

神社探訪・狛犬見聞録 +1

具体的な「黄幡神社」という名称の独立した古社よりも、地域を守る神様として他の神様と合祀されていたり、石碑が祀られているケースが多いです。

 以下、新ひぼろぎ逍遥1107大山祇は月読命なのかを考える ❶“天津司舞の天津司神社の再掲載”

の一部から、黄幡神社がカミムスビ神こと大幡主を祀るものである事をご確認ください。

 そういえば、西予市にも大元神社も在りましたね。愛媛県西予市三瓶町和泉字ナガタキ714番地

宇佐八幡宮の大元神社もそうなのでしょうか? 

宇佐八幡宮も本来はカミムスビを祀る祭祀であり、上宮の中の門も宗像三女神を祀るものである事と

も対応するのです。

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昇天の二神とは阿蘇高森の草部吉見(ヒコヤイミミ)=海幸彦を婿神とした市杵島姫(奴奈川姫)

百嶋メモに依れば、舞に登場する9人の神とは、大日孁貴(オオヒルメムチ)=天照大御神、経津主命とは山幸彦=ニギハヤヒ、黄幡神=博多の櫛田神社の大幡主=ヤタガラスの父神、月弓命は大山祗命、根裂神は金山彦、磐裂神は埴安姫=黄幡神の妹神、磐筒男命=八重(速)思兼(ヤタガラス)、磐筒女命=罔象女(大国主の姉)、豹尾神は本物の神武天皇になり、消えた一神とは神沼河耳(草部吉見の父神)市杵島姫(奴奈川姫)とは神沼河耳の息子の草部吉見のお妃となったことから呼ばれた様なのです。 ひぼろぎ逍遥1155 “南宇和郡鬼北町の黄幡神社”(中)へ続く

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | ビアヘロ
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