2026年05月02日

ビアヘロ 260 新ひぼろぎ逍遥 1164 の先行掲載 ひぼろぎ逍遥1163 15年ぶりの瀬高町(現みやま市)への神社トレッキング資料の公開  20260410

ビアヘロ 260 新ひぼろぎ逍遥 1164 の先行掲載

ひぼろぎ逍遥1163 15年ぶりの瀬高町(現みやま市)への神社トレッキング資料の公開  20260410

= 本稿は後日ひぼろぎ逍遥(跡宮)に掲載の予定です                  20260421

    

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


オープン参加 資料代 1000 瀬高町と言っても分からない時代になりましたが、久しぶりに筑後地方の神社トレッキングを行います。お賽銭は各自用意して下さい。

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20265みやま市での神社トレッキン

日 時:2026517日(日)or雨天の場合は24日 10:00

 連休明けですが、人込みを避け遠くのトレッキングに出ましょう!(仮案)

 みやま市(旧瀬高町)を中心に神社を探る…

今回、特にお見せしたいのは堀切玉垂神社(現仁神社)です。高良大社より重要と言っても過言ではないのですが、残念なことにお見せしたいものは、現在、失われています。

ただ、暫く前まで、高良玉垂命と神功皇后が夫婦であった事の証拠が存在したのでした。


集合場所(本案) 道の駅みやま みやま市瀬高町大江2328

昼食 うどんのふじ家 道の駅みやま正面          

 集合場所(予備) みやま市瀬高町坂田873−1 大力うどんP 昼食も同店

探訪予定の神社無題.png

 堀切玉垂神社(現仁神社)は、西鉄江の浦駅の北東1.9kmほどのみやま市瀬高町河内(旧山門郡瀬高町大字河内字松原)実は筑後で最も重要な高良玉垂宮です。

現地は分かり難いため、みやま市瀬高町河内31443堀切公民館Pを目安においで下さい。

❷ 堀切聖母宮(泰仙寺)   みやま市瀬高町泰仙寺14 高良玉垂命と神功皇后

 こうやの宮(磯上物部神社)みやま市瀬高町太神1674  ここで昼食休憩になるでしょう

❹ 竹飯八幡宮        みやま市高田町竹飯14761

 九躰神社         みやま市高田町岩津897(岩津公民館に駐車を)

❻ 上楠田天満宮       みやま市高田町上楠田1264(参道右手にP有り

予備(駐車場が無いためパスする可能性あり)

※ 竹飯八幡宮 みやま市高田町竹飯1476

帰路は、北にはみやま柳川IC or 有明海沿岸道路、南には南関ICになるでしょう。

         集合場所           昼食(出発に支障なければ他も可) 

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❶ 堀切玉垂神社(現仁神社) みやま市瀬高町河内31443


一言で言えば、高良玉垂命=第9代開化天皇と仲哀死後の神功皇后とが夫婦であった事を今に伝える神社です。まず、肥前鳥居にも驚愕させられますが、社殿の荘厳さに圧倒させられます。

高良大社は高良玉垂命=第9代開化天皇を祀るも神功皇后を隠し、宮地武神社は神功皇后を祀るも開化天皇を隠し、こうして九州王朝のシンボルであった二つの巨大神社を引き裂き、阿蘇氏=後の藤原氏に乗っ取られた近畿王権は、九州王朝の痕跡を消し去ったのでした。

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ただ、以下をご覧ください。日本国政府が公的に発表する際のシンボルが五七桐紋ですが、これは天皇家の皇族でも天皇家の一族を表し、三互桐紋は天皇家と姻戚関係を結んだものの使用できる紋章なのです。つまり、五七は高良玉垂命、三五は神功皇后を表しており、かつては両者を表すかなり大きな等身大クラスの人形が祀られていたのです。ところが、始めは敗戦時だと考えられますが、開化天皇の178年前に神功皇后も隠されたようです。

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聖母宮とは神功皇后を祀る神社であり、最も規模が大きいものは熊本県山鹿市の聖母八幡宮です。通説は応神天皇の母との触れ込みですが、とんでもない大嘘で、長子が仁徳天皇=シレカシ命以下、朝日豊盛、暮日豊盛…など、高良玉垂命と神功皇后の実子5人と皇后の連れ子4人の9人を祀る神社が九躰皇子を祀る九体神社(みやま市高田町岩津897)に後で参拝します。

このように久留米の高良大社に残された「高良玉垂宮神秘書」を読まれればお分かり頂けます。

詳しくは、ひぼろぎ逍遥 055 みやま市河内に超高格式の玉垂宮が存在する を先に読めば意味が分かります。


無題.png153 超高格式瀬高玉垂宮の神功皇后像が消えた “みやま市河内の高良玉垂の宮” 聖母宮と玉垂宮が隣接すること自体がお二人が夫婦であったことを示していますし、「宮神秘書」14p にははっきり夫婦と書いてあります。

さらにグーグル・マップを見ると面白い事実に気づきます。

 矢部川を渡るとそこは柳川市です。勿論、古代には柳川市は海の底で、中世の藤原純友の弟が有明海の通商破壊戦で活躍した時代に芦原や島ができる巨大な湿地帯になるのですが、この事から、柳川側が新興地である事が分かります。そこに応神天皇を祀る鷹尾神社、大和町鷹ノ尾地区が在ることからも、後発地帯に藤原の息の掛かったエージェント応神が防衛線を引くかのように立塞がっているのが良く分かります。

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 鷹とか隼で応神天皇を表現していますね。宇佐の境外摂社が鷹居社ですし、京都など隼神社は誉田別尊を祀ります。福岡県小郡市の横隈隼鷹神社外多くの例が在ります。


❸ こうやの宮(磯上物部神社) みやま市瀬高町太神1674

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分


無題.pngうやの宮なる奇妙な名の神社がある事は良く知られていますが、神社研究を怠ってきた古代史家には何のことだか分かっておられないようです。騎馬民族風の武人の人形が七枝刀の様なものを持っていますが、磯上物部神社の名の通り、7代孝霊天皇のお后である卑弥呼宗女伊予=細姫に対して兄(ウマシマジ)から贈られたもので、こうやの宮が別名磯上物部神社と呼ばれている事からも推定が可能です。

 ニギハヤヒ=山幸彦=猿田彦=彦火々出見…と伊勢の外宮様(辛国息長大姫大目命)との間に生まれたのがイヨでその伏見稲荷でもある物部を象徴する女神を后としたのが孝霊天皇になるのです。良く七枝刀を手にする女神を卑弥呼と誤っている方がおられますが、卑弥呼宗女イヨ様なのです。何でも卑弥呼に仕立てたがるのは商売目的ですね。

 我々百嶋神社考古学の者にとってはこのこうやの宮を含む旧瀬高町一帯は九州王朝の王族の居留地、パレスと考えてきましたが、この地に残されていた宝物は奈良に差し出さされ、その痕跡を残すためにこうやの宮が造られたものと考えています。

暫く前まで、この地には田中神社が在り(現在も残っているのかも知れませんが)、恐らくその一族が保管していた物と考えています。故)百嶋由一郎はこの地には五七桐紋を持つ田中姓の方がお住まいに成っており恐らく孝霊天皇、イヨに繋がる一族だろうと申していました。


 ここで昼食休憩だろうと思いますが、有明海沿岸道路で戻れば直ぐだと思います。

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概して筑後地方は、柳川の立花うどんを筆頭に、うどん屋が多くしかも格安店が多い事で知られていますが、大力うどんもその一つです。上のメニューは一例ですがうどんのふじ屋のものです。

 筑後に入ると一気にうどん店が多くなる事をご存じだと思いますが、これも日向の火山灰土壌のため水田稲作が出来なかった大山祇系の人々の粉食文化(ヤセウマ、だんご汁、伊予、讃岐、阿波〜信州のオヤキ〜甲斐のホウトウ〜関東の食文化に繋がっている)のです。起点は日向です。

後半はみやま市でも高田町になります


竹飯八幡宮 みやま市高田町竹飯14761


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九躰神社みやま市高田町岩津(地番不詳のため傍の岩津郵便局の地番875−1

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9人の皇子を祀る神社の意味で、高良大社(福岡県久留米市)の摂社である高良御子神社(皇子宮、坂本宮で知られています)と同じ御祭神です。

祭神:高良玉垂命の子九躰王子

高良玉垂命=第9代開化天皇と仲哀死後の神功皇后との間に生まれた五柱の実子

斯禮賀志命(仁徳天皇 勿論、応神の子などは大嘘)、朝日豊盛命、暮日豊盛命(この二神は福津市の宮地嶽神社で神功皇后と共に祀られています)、神淵志命、谿上命

四柱は神功皇后の連れ子とされ仲哀との子とか仲哀の側室の子とも言われます。

神娜男美命、神坂本命、神安志奇命、神安樂應寳秘命

私の記憶では自民党の官房長官も務めた松野頼三(松野鶴平の子で松野頼久の父)の娘が嫁いだ

一族が寄進した神社で起源は明治以降とされています。この事は松野一族が九州王朝の一族であった事を物語っています。つまり、有名な松野連系図の一族です。

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無題.png松野連系図については倭王、倭国、九州王朝に直結する

問題ですが、松野頼三の話の行き掛り上取り上げました。

とにかく、筑後の最深部に入ると大変になります。


❻ 上楠田天満宮 みやま市高田町上楠田1264(参道右手にP有り

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大藤が有るだけで九州王朝系の神社と分かり祭神は菅原道真公。ワンコはもういないでしょう。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 15:00| Comment(0) | ビアヘロ
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