ビアヘロ 259 新ひぼろぎ逍遥 837〜839 からの転載
全国の神社が荒れていく中、売りに出された社殿+神社地を買い取り再建する作業が始まった(下)
20200812
太宰府地名研究会 古川 清久
全国の神社や氏子組織が壊滅しつつある今日、宮崎県高千穂町の一角で売りに出された神社の敷地と社殿を買い取り再建する運動が始まっています。

仮称 ひのみこ社 カーナビ検索 宮崎県高千穂町上野(カミノ)4956地先 ※この地番は上野中学校
さて、この神社の正面に四恩(シオン)岳がある事がお分かり頂けるでしょう。
長年、神社調査を行ってきた者として解るのですが、神野、上野(カミノ、ウエノ…)と呼ばれる姓の人若しくは地名は何らかの形でイスラエル系、ユダヤ系と言われる人々との関係が辿れるのです。
そもそも高千穂も高木大神(タカミムスビ系)の地域であり、故)百嶋翁もユダヤ系ではなくイスラエルだと言われていました。
私達にはこの一帯に古くから住み着いておられる方々は遠く西方から移住された方々の末裔ではないかと考えています。
シオン山とはイスラエルの聖地エルサレムの南にある山とされていますよね。
少なくともそういった知識を持った人々が入っていた土地だったと考えるのです。
ここまでは 全国の神社が荒れていく中、…(上)で書いていたことです。
その時点では話を進めるため端折って飛ばしていました。
そこで、再度、四恩岳がイスラエルの聖地エルサレムの南丘のシオン山の置換えという話を蒸し返したいと思います。

エルサレム シオン丘陵
実は“四恩幼稚園” “四恩保育園” “四恩こども園”…と言うものが全国にあります。
仏教では、人は生まれながらにして四つの恩を戴いているとされています。
これを四恩(しおん)と申しまして、国王(国家)、衆生、三宝そして父母の四つの恩です。
恩という字は心の上に因という字が乗っています。
因は「もとづく」とか「うけつぐ」という意味です。
「心」の上に「受け継いでいるもの」を乗せているのが「恩」なのです。
「受け継いでいるもの」とは「お陰」です。
私たちは様々な「お陰さま」を受けて生きているのです。
その四つの大きなお蔭さまが「四恩」です。
千葉 館山の曹洞宗のお寺 西光寺「法話」による
四恩四種の恩恵。思想が成立している。九世紀初めの般若三蔵訳『諸仏境界摂真実経』下では国王・父母・施主・衆生の四恩が説かれ、『大乗本生心地観経』二では、父母・衆生・国王・三宝の恩が説かれ、父母の恩は共通するが、如来の恩と説法師の恩が三宝の恩にまとめられ、新たに衆生の恩と国王の恩が加えられている。日本では四恩思想は早くから伝えられた。法隆寺金
堂釈迦像の銘文や、東大寺法華堂の不空羂索観音像の縁起には四恩の語があり、『日本霊異記』上、三五では四恩のために絵の仏像を作ったとある。空海の著作中には四恩の語が多く見出され、それらは『心地観経』に基づくものと、それ以外のものとの二系統があるとされる。さらに明治期には『心地観経』と『党網経』の四恩説に基づき、『明治孝節録』『幼学綱要』『教育勅語』に示された儒教的な教育倫理に対する仏教者側の反動として、護法・報恩思想の復古運動が行われた。
一応、仏教用語に「四恩」がある事は承知していました。
実はこの熊本から高千穂への国道を通過するたびに、非常に美しい山門を持つ神社が在る事に気付いていました。
まだ詳しくは調べていませんが、江戸時代には仏教が事実上の国教とされていた事もあり、この地区の神宮寺的な存在がこの寺ではないかと思っていました。恐らく上野神社との対応があったのではないでしょうか。
当然にも「四恩岳」の名称を与えたのもこの一族であり、この地域の首領的な存在であり指導的な立場に在ったのではないかと思っています。そこで、この寺を調べると、案の定、曹洞禅宗の名刹だったのです。
天理教も曹洞禅宗も全てヘブライ系です
故)百嶋由一郎氏は、“道元もヘブライ人だし曹洞禅宗も全てヘブライ系です”と言われていました。
この四恩岳が古くからシオン岳と呼ばれてきたものが後に、仏教用語の「四恩」とされたものか、単なる鎌倉以降のものか、国土地理院(陸軍測量部)以降のものかは不明ですが、付近には烏岳が二つ、愛宕山も二つあるなどどうみてもただ事ではないため、勝手ながらシオンの丘説を唱えておこうと思うものです。
シオン修道会がシオンの丘を体現している訳ではありませんが、良く知られているため持ち出しただけです。
シオン修道会(シオンしゅうどうかい、フランス語:Le Prieuré de Sion、英語:Priory of Sion)とは、1960年代以降のフィクション、ノンフィクションで扱われた秘密結社の名称である。

この高千穂の上野という土地の面白さはとりあえず上野神社の祭神に良くあらわされています。
一つはイザナミの夫であるイザナギが祀られていません。この点は大半の熊野系神社と同様です。
我々百嶋神社考古学の者としては、“イザナミ(金山彦の妹)はイザナギと別れ博多の櫛田神社の大幡主=カミムスビ のお妃となっておられます”との説を受入れています。
元々、高千穂が高木大神の領域であった事は既に述べていますが、にも拘らず、高木大神(タカミムスビ)そのものも、その息子であり、木花開耶比売命(コノハナノサクヤヒメ)の夫であったニニギノミコトも祀られてはいません。
特に重要なのは、後に藤原氏の祖となる阿蘇系の草部吉見神(高木大神の次女のタクハタチジヒメの夫)も健磐龍命も祀られていない上に、藤原が追放した道真公は祀られているのです。
してみると、高木大神のエリアであるはずの高千穂にも拘らず、高木大神系が排除されている事がかなり鮮明な特徴と言えるでしょう。
最後に本物の神武天皇と本物の御妃であるアイラツヒメが祀られています。
これこそが本当の神武天皇の実像であり、宝石のような非常に価値ある祭神となっているのです。
ここには近畿大和朝廷成立以前の九州王朝でも初期の神々が結晶として揃い踏みしている様に見えるのです。
御祭神
伊弉冉命(イザナミ)
事解男命(コサカオ)
速玉男命(ハヤタマオ)
木花開耶比売命(コノハナノサクヤヒメ)
日子火火出見命(ヒコホホデミ)
豊玉比売命(トヨタマヒメ)
鸕鷀草葺不合命(ウガヤフキアエズ)
玉依比売命(タマヨリヒメ)
神日本磐余彦命(カムヤマトイワレヒコ)
吾平津比売命(アヒラツヒメ)
花房比売命(ハナブサヒメ) ※まだ確定的に申し上げられませんがタクハタチヂヒメの可能性あり、草部吉見(ヒコヤイミミ)の妃となる以前の状態が反映されている様に見えるのです
神功皇后命(ジングウコウゴウ)
品陀和気命(ホンダワケ)
武内大臣命(タケウチノスクネ)
菅原道真公(スガワラミチザネ)

百嶋由一郎“漢倭奴国王印”神代系譜(部分)
長崎県の大村湾沿岸から諫早市、島原市に掛けての旧南北高来郡から高千穂町三田井の一帯は高木大神=タカミムスビの領域でした。
そこに真空地帯の様に金山彦系、大幡主(カミムスビ)系と考えられるエリアが存在しているのです。
高来町(たかきちょう)は、長崎県北高来郡にあった町。 2005年(平成17年)3月1日に諫早市、多良見町、森山町、飯盛町、小長井町と新設合併し、新市制による諫早市の一部となった。
ウィキペディア 20200813 14:11 による

百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


にお読み頂き有難いと思っています。















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