2023年11月09日

974 気ままな上州への神社調査 ⓱ “阿蘇の立野の大峡谷の岩戸神社は戸隠神社の元宮か?”

974 気ままな上州への神社調査 ⓱ “阿蘇の立野の大峡谷の岩戸神社は戸隠神社の元宮か?”

20230517

太宰府地名研究会 古川 清久


以前、ひぼろぎ逍遥に以下を書いています。以下再掲載します。


549 岩戸神社に行かねばならない “阿蘇は立野大峡谷の南崖に鎮座する重要な一社”  20171227


 通常、現地に訪れる事無くblogを書くなどあり得ない事(これまでにも例外が12ありますが)ですが、今回は逸る気持ちもあり下調べの意味もあることから未見の神社を書くことにしました。

 この神社にこれまで全く気付かなかった事は迂闊と言えば迂闊でした。阿蘇への進入路は熊本市側から入る通常のルートが4本程度あるのですが、そのいずれからも外れている上(江戸期まで南阿蘇に入る良く使われた「南郷往還」)にどこからも見えないようない岩肌に鎮座している神社だったからでした。

 この地がいかに重要かは、熊本大学の裏手に龍田山があり、立野の大峡谷が窄まっていることから、この地で西からの風が一気に風速を上げる場所だからであり、「日本書記」の“龍田の風を立野に祀る”という故事はこの地の事であって(古田史学の会の正木 裕が言う画期的な説)決して大風など吹かぬ辺鄙な奈良の話ではないのです。そして、風の神こそ支那都彦(シナツヒコ)草部吉見=ヒコヤイミミであり、雷神とは崇神(ヒコヤイと市杵島姫との間に産まれた大山咋と鴨玉依姫の子)の事なのです。

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おごりは禁物です。私が知らないとしてもうちのメンバーには神社に精通した人が数多くいる訳で、訪ねると熊本のF女史はグループのメンバーを動員し、地元の大津町が整備する前に道つくりを行ない神社の整備をしていたと言っていましたし、福岡のI女史はグーグル・アースの古代祭祀線が線上に載ったため入口まで入ったものの、蛇が苦手で逃げ帰って来たとか…知らぬは私ばかりだった訳です。

 いずれにせよ、ここにも大国主命、少彦名命祭祀を確認できる訳で、熊本では見過ごす事の出来ない重要な一社なのです。

 駐車場は十分にあるものの、一キロ足らずを広葉樹の森抜けて歩く必要があり、最低でも片道20分余りの参拝になるようです。

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無題.png関東在住メンバーの常陸の国ふしぎ探検隊の方々からは、この神社が信州の戸隠に移動していると言ってきているので、この点に注目して調査を進めようと考えています。

 ただ、今のところあちらの金山彦祭祀は確認できていない事から(戸隠中社の思兼命は金山彦ですので)、果たしてうまく繋がるかは現地に入って以降の事としたいと思います。

 年明け早々に、熊本のメンバー数人と現地に入る相談を進めているところです。

戸隠神社について
奥社参道中程、萱葺・朱塗りの随神門

 戸隠神社は霊山・戸隠山の麓に、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社です。
その起こりは遠い神世の昔、「天の岩戸」が飛来し、現在の姿になったといわれる戸隠山を中心に発達し、祭神は、「天の岩戸開きの神事」に功績のあった神々をお祀りしています。
平安時代末は修験道の道場として都にまで知られた霊場でした。神仏混淆のころは戸隠山顕光寺と称し、当時は「戸隠十三谷三千坊」と呼ばれ、比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と言われるほどに栄えました。
  無題.png江戸時代には徳川家康の手厚い保護を受け、一千石の朱印状を賜り、東叡山寛永寺の末寺となり、農業、水の神としての性格が強まってきました。山中は門前町として整備され、奥社参道に現在もその威厳を伝える杉並木も植えられ、広く信仰を集めました。

明治になって戸隠は神仏分離の対象になり、寺は切り離され、宗僧は還俗して神官となり、戸隠神社と名前を変えて現在に至ります。

戸隠には岩戸が飛んで行ったとの話がある訳で、当然、その投げられる元があるはずなのです

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)     必要とされる方は09062983254まで


以下は地元大津町のHPから 「熊本県神社誌」には見るべき記述はありませんので、ネット情報から。

岩戸神社

最終更新日:2022817

平成28416日に発生した熊本地震の影響により、現在岩戸の滝・岩戸神社への登山道を閉鎖しています。危険ですので、入山されないようお願いします。

 また、駐車場に入る手前の橋も被害があり、通行不可となっており、駐車できない状況です。

内牧の畑地区から、渓谷を登ること約1km、断崖絶壁から落ちる清流の下、深山幽谷の中にあります。

 神社は通称「飛佛」といい、これにまつわる任承があります。創建は永正4(1507)と棟札にあり大己貴神、少彦名神を祀り、併せて南北朝時代と推定される量感豊かな阿弥陀三尊も合祀され、今なお神仏混合の形を示す県下でも稀な神一社です。

伝説

 畑集落の山の上にある岩戸神社を「飛仏(トンボトケ)」といっています。江戸時代の初め、谷向こうの立野(南阿蘇村)の山野に観音堂があったといいます。ある年、野焼きの火で観音堂が燃えたとき、観音さんは難を逃れるために白川を越えて、ここまで飛んでこられたといわれ、それ以来この名がついたといいます。飛んできた時、豆ガラで目を突かれたのでこの集落では豆をつくらないそうです。

以下もう一本「神話と古事記」様より

岩戸神社 熊本県菊池郡大津町外牧  20160512

岩戸渓谷、勇壮な岩戸の滝が境内に接するマイナスイオン溢れる社

[住所]熊本県菊池郡大津町外牧 [電話]096-293-3115 - 大津町役場商業観光課


岩戸神社(いわとじんじゃ)は、熊本県菊池郡大津町にある神社。大津温泉・岩戸温泉の近く、岩戸渓谷の切り立った断崖絶壁の下にひっそりと鎮座する。通称は飛佛(とんぼとけ)という。御朱印の有無は不明。    創建は永正4年(1507年)と棟札にあり、室町時代となる。大己貴神少彦名神を祀る。
あわせて、南北朝時代と推定される量感豊かな阿弥陀三尊も合祀され、今なお神仏混合の形を示す県下でも稀な神社。江戸時代の初め、谷向こうの立野(南阿蘇村)の山野に観音堂があり、ある年、野焼きの火で観音堂が焼失した時、観音さんは難を逃れるために白川を越えて、当地まで飛んできた。

これが通称の由来で、飛んできた時、豆ガラで目を突かれたのでこの集落では豆をつくらないといわれる。

当社の鳥居から約1キロ、1の滝、2の滝、3の滝と三つの滝、いわゆる岩戸の滝の数々を眺め、ゆったりと散策できる参道となっている。
参道は、一部険しくなっており、長袖・長ズボン・スニーカーなど歩きやすい服装が推奨されている。
境内に接する滝(3の滝)は落差30メートル以上ともいわれ、勇壮で壮観。マイナスイオンに溢れたパワースポットとしても認知されている。


 百嶋由一郎は音声記録でも残していますが、戸隠神社について熊本から飛んで行った…と話しています。ただ、根拠とか由緒とかと関連付けては話していません。

 修験者の拠点があった事は間違いが無いと思いますし、岩戸神社という名称が(高千穂だとか阿蘇だとかなら普通に思えますが)何故この地に…と、しかも、普通なら肥後に大国主命、少彦命…を敢て祀っている事に逆に信憑性を感じてしまうのです。

 故)百嶋由一郎は「皆さん、大国主を出雲の人だと思い込まされてしまっていますが、こちらから移転した先が出雲何ですね…」と言っていたことを思い出します。

 今回、初めて戸隠に行った時も、この岩戸神社の事が引っ掛かっていました。

 ちなみに戸隠の神は以下の通りです。どう見ても畿内の勢力圏に入った後の祭神ですね。


天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)

天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)

天表春命(あめのうわはるのみこと)

九頭龍大神(くずりゅうのおおかみ)

天鈿女命(あめのうずめのみこと)

高皇産御霊命(たかみむすびのみこと)

栲幡千々姫命(たくはたちちひめのみこと)

天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと  と祭神が全く異なる事から中断せざるを得ません。


 ただ、信濃が近畿大和朝廷にとって完全に自らの領域になって以降祭神の入替えが行われているはずで、摂社などで反証できるならばともかく、初見の神社でそのような芸当はできません。

 実は、この熊本県大津町の岩戸神社に関しては、宮崎県高千穂町にある明治の教派神道系新興宗教団体出雲大社教の高千穂教会が任務を終え、境内地、社殿を含めて売りに出ていた神社を買い取って社殿を修復し、見事な神社「ひのみこ社」(高千穂町 ひのみこ社 を検索して下さい。当方も、同社を含め高千穂88社の内20社はブログを書いています)として再建した F女史がグループのメンバーを動員し、荒れていた岩戸神社の参道を何度も何度も整備し、事実上管理が放棄されていた状態の参道を整備されていました。

 ところが、熊本地震の結果、この神社の参道直下にある、鳥居や駐車場へと入る橋が壊れた結果、現在も復旧ができていない有様の上に、神社への参道も通行禁止となっているため、私も駐車場手前までは行きましたが、今も入れないでいます。

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以下の新ひぼろぎ逍遥 を検索されれば 現在の神社庁統制下の神社とは異なる神社である事はお分かりいただけるでしょう。列島が危機の真っただ中にある中で、国民も国土も国の富も、国の文化も守ろうともせず、三年間も続いた武〇肺炎〇ィルス騒動(蓋を開ければ案の定五類のただの風邪)で困窮する人々が続出する中でも国難克服のための祈祷もせずに氏子そっちのけで高級車でゴルフ三昧の宮司もおられるようでは、ここ五〜十年で神社は実質的に半減するでしょう。しかし、県外からも多くの信者を集める ひのみこ社 は崇敬を集め地域の核に成長している事でしょう。


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全国の神社が荒れていく中、売りに出された社殿+神社地を

買い取り再建する作業が始まった(追補)

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全国の神社が荒れていく中、売りに出された社殿+神社地

を買い取り再建する作業が始まった(下)

838

全国の神社が荒れていく中、売りに出された社殿+神社地

を買い取り再建する作業が始まった(中)

837

全国の神社が荒れていく中、売りに出された社殿+神社地

を買い取り再建する作業が始まった(上)


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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
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