2023年09月18日

977 宮崎県高千穂町上野の上野神社の花房姫を大分県中津市山国町守実温泉の英山社に確認した 中)

977 宮崎県高千穂町上野の上野神社の花房姫を大分県中津市山国町守実温泉の英山社に確認した 中)

 “英山社に参拝します”               20230104

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 大歳祖神社の境内地に車を止めて直ぐに分かるかと思うと、中々見つからなかったため、地元の子育て中のお母さんにお尋ねするとおじいさんを呼びに行かれご案内頂く事になりました。

 実は目と鼻の先にあったのですが、短時間ですがお話を頂きありがとうございました。

 漱石も通ったであろう日田往還の街道筋から直接梯子を掛けたような急坂の参拝道と言うより石段があり神社を見せていただきました。この参道は崖を登ると言った感じですのでくれぐれもご注意を!

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ともあれ、こうして上野神社以来、5年越しの謎だった花房比売が僅かな細い線で結ばれたのでした。

 「竜樹山開基因縁記」の記事によれば第三代安寧天皇の時代に彦山から狙われているという意識を安寧自体が持っていたという認識があったと書き留められているのです。

 まあ、百嶋神社考古学では仁徳天皇の時代に九州から浪花高津宮に東遷したと考えていますが、安寧の時代の中心は九州に在りますので、彦山から安寧を狙うとしたら東からの光になるはずで、ここでは書き換えがされていると思います。

そもそも安寧が誰かについては当会の主だった方々の中でも論争があったのですが、私は、安寧はカミムスビ神こと博多の櫛田神社の主神の大幡主だろうと考えてきました。

百嶋神社考古学でも安寧天皇が誰であるかをはっきりと明示した物はないのですが、安寧の子が山幸彦=猿田彦=ニギハヤヒ…とのメモがあるのです。

百嶋神社考古学では第2代が阿蘇のカナコリヒコ(金凝彦)第3代天皇がカミムスビ神ですから全く系統の異なる神々を連ねて神代系譜を造っているのです。まあここまでにしますが九州の神々なのです。

 これは百嶋系譜極秘003に残された小さなメモなのですが、これによれば大幡主=カミムスビ神=塩土老翁と分かるのです。すると塩土老翁が大幡主であるとは面受の弟子の数名は口頭で聴いていますので、花房姫もその時代の人であることの見当は付くのです。阿蘇ご一家系譜のメモの一部をご覧ください。

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英山社には舞殿らしきものまであり、かつては定期的な舞の奉納も行われていたようです。

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金毘羅さまでしょうか 正勝吾勝の子が大山咋=山王日吉ですから一応は金毘羅に繋がります



かつて、漱石が通過したころまでは湯治場のある街道町であり、さぞかし繁盛していた事でしょう。

この神社の石段も石工に頼み、数人から10人掛りで一日一段づつこさえていったはずです。

現在の方が、遥かに貧しい時代になっていることに気づいて欲しいものです。

今やここ十年で神社が半減するとも、五分の一にまで減るとも言われているのです。

 売国奴、小泉、竹中に唆され、グローバル化を推し進めた結果、日本は神社総崩れを直前にしているのです。

 鎖国とは外国貿易の徳川政権による外国貿易の独占と一部の密貿易を行った数藩だけが法外な儲けを手にするものでしたが、問題は外国による干渉が存在しない、自由な内国経済を持っていた事の方が重要で、内国経済を維持するために全ての必要なものを国内だけで生産し消費する循環させる経済が成立しており、非常に豊かな国だったのでした。

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行きは良い良い帰りは怖い…

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
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