2023年09月12日

975 大根川の話

975 大根川の話

20221229

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 神社を見て回っている方はお気づきかも知れませんが、「大根川」なる奇妙な地名があるのです。

 この話はどちらかと言えば新ひぼろぎ逍遥に書くべきでしょうが、気分の問題もあり跡宮のテーマとしました。まず、具体例をいくつかご紹介しましょう。

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福岡県みやま市と言ってもお分かりにならない方も多いでしょうが、南に大牟田市、西に柳川市、北に九州自動車道…と言えばお分かりいただけるでしょうか?もう一つ、福岡県内の例を出しましょう。

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福岡市の北、福津市の南にあたる古賀市の中ほどを西に流れる川で、薦野に端を発しています。

 ダメ押しにもう一つ福岡県内の例を出す前に宇佐と岩国の例も見ておきましょう。。

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厳島神社が出ていますので直ぐにお分かりになるでしょうが、広島県に隣接する岩国市の東の県境に大根川が東流しています。

 これら大根の意味についても故)百嶋由一郎は語っていましたが、それは後回しにして、県境を越えかなり広範なところに地名が拡散していることが今までの例だけでもお分かりになるでしょう。


無題.png次に大分県宇佐市の例も見てください。

宇佐神宮から駅館川を西に越えたところに、

その名もずばり、大根川神社があります。


大根側川(矢立)神社 大分県宇佐市佐野1344


 多くは漢字に引きずられてか、大根を洗って

いると旅の僧侶が現れ大根を所望したが、与え

なかったため水が枯れた。

 それが、弘法大師だったとか伝教大師だったと

いう話になっているものの、この神社では、放

生会の話に大伴旅人の話が加わり、宇佐の御託

宣集を読まざるを得なくなります。

 しかし、これが全国に拡散した大根川地名の

起源ではなかったかとさえ思ってしまいます。

 しかし、まだ、決めつけるのは早いでしょう。

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宇佐の矢立宮(大根川神社)に関する「宇佐御託宣集」の記事を見ればこの大根の意味も分かってきま

す。(ネットで同社を検索しお読みいただきたいと思います)


 我々がこの問題に気付いたのは百嶋神社考古学に接触したばかりの時期ではあったのですが、これを説明できなければ、百嶋面受の者としては説明できないと気がかりでしたが、ようやく解決した思いがしています。

 その前に、もう一つ例を出しておきましょう。

 それは、筑前から筑豊に越える冷水峠から入る、大根地山の大根地神社の話です。


大根地神社 カーナビ検索 嘉穂郡内野村大字内野字大根地


祭神 国常立尊、国狭槌尊、豊斟渟尊、泥土煮尊、沙土煮尊、大戸道尊、大戸辺尊、面足尊、惶根尊、

伊邪那美尊、天照大神、天忍穂耳尊、瓊々杵尊、彦火々出見尊、鸕鷀草葺不合尊 15


俗伝に往昔神功皇后の勧請し玉ひし社なりと云ふ。社説に曰く、神功皇后羽白熊襲征伐の時其の元年三月八日此の霊山に登らせられ、勝ち軍を祈らせ給はんとして天神七代地神五代を鎮祭せられ、皇后親ら御神楽を奏し給ひて此の山に御宿陣あらせらる。其霊験著しく容易に熊襲等の諸賊を誅滅し給ふと。其後里民産土神と仰ぎ奉りしを、此の山は里を距る一里十余町、而も宝満山に亜ぐ高岳なるにより参拝容易ならず是を以て宝治二年老松神社を村に勧請して産神と斎ひ奉るに及び、当社は遂に末社の格に下れりといふ。然れど当社は俗に大根地権現或は大根地稲荷神社などと称し、夙に藩主黒田氏に尊崇せられ、宝永二年には綱政公より石の鳥居寄進あり、又特に藩主の許ありて明治初年に至るまで嘉麻、穂波一円(今の嘉穂郡)に神符を配札し英彦山宝満の山伏等ここに峯入して修験するなど、古より広く世に知られ、崇敬者は近郡は更なり福博、北九州方面より遠く朝鮮、満州地方に及び参詣するもの日に多し、社内に通夜堂あり参籠者常に絶えず。

福岡県神社巡り福岡神社参拝帳より

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福岡県の久留米方面(筑後地方)から筑前町冷水トンネルを抜けるのではなく冷水峠から山道を登ると大根地山の頂上付近に大根地神社があります。


遠く東京都日野市新井二丁目18には大根川があり大根川公園もありますが、神奈川県平塚市真田にも金目川水系大根川が流れています。また、神奈川県秦野市にも大根川地名が拾えます。

まだまだ拾えますが、震源地は九州以外はあり得ません。この理由は後で触れます。先に進みます。

これは当会の事務局長のN氏が探し出した本に書かれていたものですが、「豊国筑紫路の伝説」市場 直次郎 編著(もう50年近く前のものです) にも大根川の話が登場します。

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久留米の高良大社の背後の高良山から流れ出す高良川も大根川と呼ばれていたとは私も知らなかったのですが、そう聴くと少し見方が変わってきました。

私は後の藤原の祖である南阿蘇南郷谷の高森の草部吉見=ヒコヤイミミと関連することが多いため大根(オオネチ)地も含め大根川は草部吉見との関係だけで考えて済ましていました。

しかし、どうもそういう単純な話ではなかったようです。

大根はだいこんと呼ぶのではなく、やはり、“オオネ”と呼ぶべきようで、私的には、やはり、禰宜のネギではないかと考えていました。確信はないのですが、それを、アメノコヤ=多氏=阿蘇氏ヒコヤイミミに象徴化していたと理解していたのです。少し早とちりかも知れませんが大根は多氏の禰宜なのかも…。間違っていたら、直ぐに修正すれば良いだけで、思い切って探索は進めたいと思います。

現在の理解では、この「大根」地名が付された場所は九州王朝のエリアとしても例外なく重要な拠点であり、何らかの政治的要地でもあったように思います。

みやま市は高良山の王族達の居留地=パレスと考えてきましたし、古賀市のそれは福津市津和崎の海軍基地だったはずですし、大根地山は筑前から筑豊への通路という…要地なのです。

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大根地神社の参道は普通車では行くべきではなく、ジムニーなど軽の四駆がベストでそれでも冬樹や雨の時はスタックの恐れがありなかなか容易ではありません。それで私もずっとパスしていましたが、「事代主のブログ」氏の車に事務局長のガイドで見ておきたいと思っているところです。

 これ以外にも多くの類型があるのですが、今のところ決定的に思えるほどの物はありません。

 ただ、大根川神社(矢立神社)のネットへの発信はかなり興味深いものです。全ては憚られますので一部を掲載しておきます。以下、shrine-heritager 無題.pngから


矢立宮(大根川神社)

1.鎮座地 大分県宇佐市佐野1344

2.旧社格 郷社(明治5年)

3.祭 神 誉田別命(ほむたわけのみこと・応神天皇)

4.由 緒 養老四年(西暦720年)に鹿児島県大隅半島の隼人一族を征討するために、大和朝廷から征隼人時節大将軍に任命された大伴旅人が この地で、弓矢の矢を立て必勝を祈願したことから、矢立宮と呼ばれていると伝承されている。

神亀二年(西暦725年)に、宇佐八幡宮がかの地に鎮座した後、勢力を広め矢立宮を行幸会8ヵ社の一つにし、大根川神社と名乗るようになった。

宇佐宮記に「[古老傅]に伝う、大根川神社は大神御霊行の昔、この川辺に於いて社女 大根の供養を奉る。故に爾云うとあり、大根は於保禰(おおね)と訓むべし』と記されている。

5.行幸会 中津市に鎮座する薦神社(大貞八幡宮)の神体である三角(御澄)池に生える真薦で造った新薦枕(御験・みしるし・神を表すもの)を、支配地の神の勝地(地勢のすぐれた土地)8ヶ所に鎮座した外宮を巡行し、宇佐八幡宮に収める儀礼、神護元年(西暦765年)に始まったとされている。

6.境 内 1475.28坪(4811u)

7.建造物 本殿(流造)・申殿・拝殿・回廊

8.川祭り カッパ祭りとして、下佐野・上佐野地区の住民が2年毎に交互に、水利・水難を守る河童の次郎衛門に感謝し、五穀豊穣を祈る特殊神事が行われている。

境内の五十石川沿いに、自然石で造られた「河童の次郎衛門」の碑が建てられている。

9.その他 当神社に祈念すれば、失せ物が出てくると云われている。

平成27年(西暦2015年)11月 下佐野自治区 長峰地域づくり協議会 境内案内板より

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ただ、これは覆い被された第一層のものであり、その下の層は触れられていないようです。

 そこで気になるのが久留米市の高良川も大根川と呼ばれていたと言う前述の市場直次郎氏のアドバイスです。これが多分次の覆いであり、これを剥がせば何かが浮かび上がるような気がするのです。

 多分、百嶋由一郎氏もそこまではお分かりだったのではないかと思うのですが、まだ分からないでいます。

 少なくとも高良山の少し北に小峰があり吉見岳と呼ばれています。中世の城があったようですが、多分、阿蘇高森の草部吉見神社の吉見ですね。

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このサイトには『八幡宇佐宮御託宣集(hachiman usanomiya gotakusenshu)』に記される

「大禰河(one gawa)」の伝承 が掲載されています。


八幡大神が 大根を食したので「大根河(one gawa)」と呼ぶとあります

【原文】

自利其至流大禰河 云々 古老傳云 大禰河也 大御神御修行之昔 於此河邊被召大根 故云尓也 有社 有祭矣

「意訳」

「 八幡大神が昔 「それより 大禰河(おほねがわ)に至りました」うんぬん

 古老が 傳(つた)へて 云うには 大禰河(おほねがわ)なり 

八幡大神が 御修行の昔 この河辺で 大根(だいこん)を召し上がりました それで 大禰河(おほねがわ)と云う社(やしろ)有り 祭(まつり)有るなり 」


まあ、これだけの話です。これで各地の大根、大根川地名を説明できるとも思えないのですが、禰宜の禰が簡略されている可能性はあると思います。

ともあれ、大根地神社の神々は異様です。修験が絡むとこうなりがちですが、記紀にも名前だけが列挙された神々が出てきますが、事績が伝えられぬ神々とは推定もできません。ただ、この修験は熊野系であることは伊弉冉が書かれるも伊弉諾が書かれていないことから元々は、カミムスビ、金山彦、大山祇の強固なスクラムの中にある神々、つまり、タカミムスビ、伊弉諾系、阿蘇系の入らないグループの神々とだけは分かるのです。

してみれば、天照だけが異質なのです。何故ならば天照の母神は高木大神=カミムスビの叔母(播磨の佐用都比売神社)であるからであることは過去何度も申し上げてきました。

そこで、このような神々が祀られる大根地神社の祭神に似たものとして四山神社が在ることをお知らせしておきます。15柱の古風な神々が勢揃いしているのです。再掲載します。


祭神 国常立尊、国狭槌尊、豊斟渟尊、泥土煮尊、沙土煮尊、大戸道尊、大戸辺尊、面足尊、惶根尊、

伊邪那美尊、天照大神、天忍穂耳尊、瓊々杵尊、彦火々出見尊、鸕鷀草葺不合尊 15


 この手の造化三神クラスの神が祀られている大根地神社と矢立宮(大根川神社)が同じものだと言えば違うだろうと言われるのは明らかで、これこそが第二層なのです。

 この手の神様が祀られる例は稀で、強いて言えば熊本県荒尾市の四ツ山神社ぐらいで、ここでも、主神としては造化三神だけで、天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神…という訳です。ただ、この他にも多くの分社摂社がラインナップされており、ここも有明海を睨む管制高地の様な要地の神社なのです。

 通常、修験が平野部とか海岸部に降りてくることはないのですが、奇妙な神社である事だけは分かります。

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四山神社 カーナビ検索 熊本県荒尾市大島818


 今回のブログは纏まりがないのですが、大根川だけに大混乱のまま、問題提起だけで一旦中断し、春に大根地神社に上り再考する意欲が出てくればリポートを書きたいと思います。

 もう明日は大晦日で最悪の新年を迎えることにならなければという危惧を抱きこれまでとします。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 18:44| Comment(0) | 日記
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