971 「宮原誠一の神社見聞諜」No.207 福岡市檜原の天照大神奉祭氏族 の転載 ❶
“福岡市檜原の天照大神奉祭氏族”
202211124
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
宮原誠一の神社見聞諜 の前書き
日本神道の弱点は、神社の祭神が不明瞭なことです。祭神がはっきりしているようで、実態がはっきりしません。また、古事記・日本書紀をどんなに解析しても、神様の縦横の関係は解かりません。
神社を訪問し、百嶋神社考古学と合わせ見ますと、新たな古代の神々と古代史像が浮かび上がってきます。各地の神社を見て、聞いて、調べて、考えたことをまとめ 「宮原誠一の神社見聞牒」 として公開してまいります。
なお、この報告は歴史、民俗等の学術論文ではありません。神社・祭神を再考するものです。
宮原誠一の神社見聞牒(207)
令和4年(2022年)11月21日
「No.123 大日孁貴(天照大神)伝承の地・福岡市南部の檜原」2019年9月29日
「No.129 崇神東征と卑弥呼・大幡主の神霊東遷と近畿王朝の確立」2019年11月28日
「No.136 神武天皇を祀る福岡市南区柏原の神社」2020年2月28日 から要約
福岡市南区柏原(かしわら)の丘に「亀甲に大字」紋を社紋とされる羽黒神社があり、神武天皇(大伯太子)が居られたと云われ、その北隣が天照大神(卑弥呼) が居られたと云わる「檜原 ひばる」です。檜原という地名は「最も尊い丘」という意味です。
現在は大国主命を祀る羽黒神社でが、天正14年(1586) 羽黒神社が勧請される以前は埴安神社だったのでしょう。
氏子さんの地区名は山田(上下)組、大城戸(上下)組となっています。「山田」は卑弥呼に因む地名、大城戸の大城は「王城」の変形で、「王の城」となります。この一帯が「王城・宮城」でしょう。大伯太子(神武天皇)の紋章に加えて、「王城」となれば、福岡市南区柏原に鎮座する羽黒神社の丘は、卑弥呼女王、神武天皇の姉弟が住まわれる王城となります。
「亀甲に大字」紋の社紋は大幡主(埴安命=国常立神)に庇護されていることを意味し、羽黒神社の装いは大山祗によって守られているかのような神武天皇(大伯太子)を祀る神社です。
羽黒神社 福岡市南区柏原372

社頭前の川は樋井川
那珂川市の伏見宮を北に上がった西の標高60m程の小高い丘の中腹に天神社が鎮座です。檜原の近くにあり、大幡主と大日孁貴(天照大神)を共に祀ります。大日孁貴の伝承の地です。天神社の小高い丘は場所柄、福岡市の檜原と那珂川市の山田と接します。見上げても良く、見下ろしてもいい場所にあります。檜原という地名が「最も尊い丘」にぴったりです。

福岡市の古代の波際線からかなり奥まった(福岡市南区)辺りの油山の裾野に柏原と桧原と樋井川という古代史ファンならば直ぐに気が付く地名が静かに残されています。
僅かに脳細胞を活動させれば、これが重要な地名だと思いつくと思います。
当然、奈良県の神武天皇を祀る「橿原の宮」の橿原、また、奈良県桜井の天照大御神を祀る「檜原神社」の檜原もこちらからの移動である事がお分かりになるでしょう。
百嶋先生からも本物の“武天皇は「柏原」に、(腹違いの姉の)天照は「桧原」に別れて住んでおられました。”とお聴きしています。 以下も地図を含め 古川による
檜原 五社神社 福岡県福岡市南区桧原2丁目24

柏原(神武)と桧原(天照)が別々に住んでいた地名が隣接しており、樋井川により分かれていたのでしょうが、地名がある程度それを示してくれています。
古川による
百嶋由一郎氏が残された100枚近い神代系譜、講演録音声CD、手書きデータスキャニングDVDを必要な方は09062983254までご連絡下さい。
天神社 福岡県那珂川市(旧岩戸村)道善321

檜原(ひばる)の北にヒミコと隣あわせに、神武天皇は福岡市南区柏原(奈良の橿原ではありません)に居られ、後に、ヒミコと共に糸島曽根に移られました。
伊勢神宮の前身の奈良県桜井市の檜原神社は福岡市南区の檜原(ひばる)の地名と同じです。 その後は糸島市の曽根(ソネ)の平原(ひらばる)です。「檜原」も「平原」も同義語で「高貴な丘」という意味です。
後に、卑弥呼(天照大神)と大幡主は、椎根津彦によって神霊東遷が行なわれます。
卑弥呼(天照大神)は奈良県桜井市の檜原神社に、大幡主は大和神社(おおやまと神社・奈良県天理市新泉町星山)に倭大國魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)として、一時鎮座されます。最終地は、卑弥呼(天照大神)は伊勢神宮内宮に、大幡主は伊勢神宮外宮に鎮座です。
以上が、前記事の概要です。本題はこれからです。