20230622
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
宮原誠一の神社見聞牒(217) 令和5年(2023年)03月01日
福岡県朝倉郡筑前町(旧三輪町)弥永(いやなが)に大己貴(大国主)を祀る大己貴神社が鎮座です。わが国で最も古い神社の一つと言い伝えられています。
社号の「大己貴神社 おおなむち」の刻字が残る造型物は境内にはありません。神社案内板あるいは資料には「大己貴神社」と記載されていますが、一点の境内石碑に「縣社 大巳貴神社」とあり「己」でなく「巳」とあります。「大己貴神社」と「大巳貴神社」では性格がガラリッと変わります。祭神の性格も変わるのです。
弥永に鎮座する「おおなむち神社」はどちらの表記が正しいのでしょうか。
現在の大己貴神社の鳥居の扁額は「大神大明神 おおがだいみょうじん」「大神神宮 おおがじんぐう」とあり、本殿の神額は「大神宮 だいじんぐう」あるいは「おおがぐう」でしょうか? 「大己貴」「おおなむち」の刻字はありません。弥永の大己貴神社の祭神はどうなっているのでしょうか。

https://www.oonamuchi-jinja.or.jp
大己貴神社HPから 本殿の社紋は左三巴でなく右三巴紋です
大己貴神社 福岡県朝倉郡筑前町(旧三輪町)弥永697

一の鳥居 扁額は「大神大明神」左の石碑は「幸神」

幸神(さいのかみ)と読んだら、大国主です。幸神(こうじん)と読んだら、庚申様の猿田彦大神です。
そのほかに荒神(こうじん)様がおられます。「さいのかみ」の大国主か、幸神尊天の猿田彦大神か。

一の鳥居の後の石碑「縣社 大巳貴神社」唯一の「大巳貴」の名称です

二の鳥居 扁額は「大神大明神 おおがだいみょうじん」

三の鳥居 扁額は「大神神宮 おおがじんぐう」

三の鳥居の後に対の六角台座の六角灯籠は大幡主をうかがわせます

拝殿向拝前に対の松の木が植えてあります

拝殿前の蘇鉄(ソテツ) 昔は対で植わっていたのか

拝殿前左側に六角台座の六角灯籠が一基

拝殿向拝の亀蛇、鳳凰、龍の彫刻

本殿神額の「大神宮」三柱の神様です

赤系と白のコントラストは大幡主をうかがわせます

大己貴神社(平成4年の境内案内板) 今はありません
筑前国続風土記によれば、「大神大明神は弥永村にあり、<延喜式神名帳>に「夜須郡於保奈牟智神社小一座とあるはこれなり。祭るところの神は大己貴命なり。今は大神大明神と称す。御社は南に向かえり。東の間に天照大神、西の間に春日大明神を合わせ祭る。宮所神さびて、境地ことに勝れたり」
<日本書紀>に「仲哀天皇9年秋9月・庚午朔己卯(の日)、(神功皇后)諸国に令して船舶を集めて、兵甲を練らんとせし時、軍卒集い難し、皇后曰く 必ず神の心ならんとて、大三輪社を立て、刀矛を奉りたまいしかば、軍衆自ずと聚る」とあり、9月23日(旧暦ゆえ、現在の10月)祭礼ありて、この日神輿 御幸あり。御旅所は村の西・十町ばかりの処にさやのもとというところあり、これなり。その他、年中の祭礼たびたび有りしとか。いまはかかる儀式も絶えはてぬ。然れども夜須郡の惣社なれば、その敷地広く、産子(氏子のこと)殊に多くして、人の尊敬浅からず」との記載がみられる。
太宰管内志(国学者・伊藤常足編)によれば「<筑前神社志>に、(神功)皇后より 後に嵯峨天皇弘仁2年(811)勅願ありてご建立あり。その後、661年を経て 御土御門院文明3年(1472)、勅願としてご建立あり。その間、数度造り替えありといえども詳らかならず、伝われる縁起・記録類は天正15年(1587)より96年の間、仮殿に居ましける。寛文12年(1672)石鳥居建立。祭礼神幸の儀式は同13年に再興す。本社、貞享4年(1687)改造す。拝殿は元禄5年(1692)建立。同6年社領少々、黒田甲斐守寄付し給えり。神職松木氏(本姓大神)先祖より宝永2年(1705)まで62代相続せり」とある。
さらに、筑前国続風土記附録にも次の記録がみられる。「神殿一間半・二間半、拝殿二間半・四間、(中略)この村(弥永)及び甘木・隈江・楢原・甘水・持丸・菩提寺・千代丸・牛水・馬田・野町・高田・依井・大塚すべて十四村の産土神にして、夜須郡の惣社なり。頓宮地は本社の西南、八町ばかりにあり。東南十間余り、周りに松杉植わり、中に礎石あり。神幸の時は、ここに仮殿をも葺く。また町の中に浮殿の地あり。切り石ありて里人は神輿林と云う。社内に祇園社・黒殿社・八幡宮・現人社・水神・神池あり」
平成4年3月 三輪町教育委員会
平成21年の境内案内板

平成26年の境内案内板

福岡県神社誌

内容は「平成4年の境内案内板」と変わりません
最近、宮原先生の研究はかなり飛んでおり、付いていけない気もしていますが、探索とはそういったもので、誤りに気付けば舞い戻って一から見直せば良いだけで、多少の冒険的仮説は新しい世界を開く事になるかも知れないのです。しばらく勉強させて頂きます。(古川)