2023年06月28日

ビアヘロ207 気ままな上州への神社調査 ❽ 雑踏と参拝客で溢れる三嶋大社 “静岡県三島市大社”

ビアヘロ207 気ままな上州への神社調査 ❽ 雑踏と参拝客で溢れる三嶋大社 “静岡県三島市大社”

 20230408

太宰府地名研究会(百嶋神社考古学研究班) 古川 清久


その日の気分次第で書きたいものを書くのが当ブログですので、書く順番は全くバラバラになってしまいます。

 順序は逆なのですが、実は、961 気ままな上州への神社調査  全てが美しかった浅間神社 静岡県富士宮市の浅間大社の前に参拝したのがこの三嶋神社でした。

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東海道から入れば三島大社…さらに進めば三島宿、三島女郎衆がお出迎えと言うのが相場でした


 江戸落語を聴いていると三島宿の三島女郎衆(みしまじょろしゅ)、フーテンの寅さんの口上や浄瑠璃や歌舞伎にも登場した三島のお仙しか頭に浮かばない思想的貧困はともかくも、年度末、桜満開の上天気に三島大社に参拝しようなどと考えたのが大間違いで、とうとう正規の駐車場に車を入れることは諦め、同社の裏手の空き地に車を止めて数百メートルも歩けば、境内には入れる訳で、神社参拝には慣れている事から裏口入学は当たり前で、結果、新たな発見もできた訳です(これについては別途)。

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まず、三島、三嶋大社と言う名称ですが、当然にも伊予国一宮、愛媛県の大山祇神社=大三島の大山祇が展開を見せたものとしか考えていなかったのですが、どうもそうではないとされているようなのです。

そもそも三島とは伊豆半島沖の島の事(多くの島から何故三島となったのでしょうか)で、しかも何時の間にか、易々と国譲りに同意し高木大神、天照、武甕槌…に靡いたただの商売人でしかない事代主を取り込み、本来の祭神であったはずの若宮を変質させ応神だかその子などとしているようなのです。

隅切り角の八角形が大山祇の神紋でないはずはあり得ず、それを否定する事は全国的傾向からも明らかで、議論の余地は全くありません。

この大山祇が祀られていることは、富士宮市の冨士山浅間大社に大山祇の次女であるコノハナノサクヤが祀られている事とも、また、富士山北麓に多くの浅間大社がある事とも対応しています。

また、甲信越に大量に分布する若宮八幡宮、神社、社が静岡県にも大量に分布しており、これらの大半が仁徳天皇(実質上最後の九州王朝の最後の天皇)オオササギことシレカシノミコト(父は高良玉垂命=開化天皇、母は神功皇后…「高良玉垂宮神秘書」による)であり、特に四道将軍の大彦の末裔と考えられる武田信玄が韮崎市の武田八幡宮の神殿内脇殿にこの若宮を祀っている事とも対応しているのです。

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拝殿の賽銭箱には桐紋が付けられていた  三島の諸社には、桐紋を付けているものが多い


この仁徳は正統皇統の呉の太伯の血を汲む倭国の後裔だったのであり、大彦も開化天皇の腹違いの兄弟に当たることから、その皇統のシンボルである大彦は、その皇統を汲む仁徳=若宮を奉斎しているのです。

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全てを同時に表示できませんが傾向は分かります 上)長野県北部の若宮八幡宮 下)山梨県の若宮八幡宮

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新潟県を含め、後は、ご自分でご確認ください。実は静岡県が最も多いのです。これらの傾向を把握した上で三島大社の若宮を解読して頂きたいのです。間違っても応神天皇などではないのです。

 続日本紀とかから思い付きだけで三島の意味を変えるとか好い加減な事は止めて頂きたいのです。

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どうやらここでは事代主の御子を若宮としてしまっているようです 改竄ですね商売人ですね

甲信越の若宮八幡神社、若宮八幡宮をお調べになればお分かりいただけるでしょう

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一社三殿三神の若宮神社は誉田(別)王と神功皇后の三神スタイルをとっていますが


仲哀死後の神功皇后と開化天皇(高良玉垂命)の五人の子の長子が仁徳=シレカシノミコトです(「高良玉垂宮神秘書」)で俗にオオサザキと呼ばれるものを東京都神津島(神集島)の神に仕立てているようです 商売人の手口ですね ちなみに神集島は佐賀県唐津市の直ぐ沖にあるものが原形です


『その昔、伊豆諸島の中心である神津 島の天上山に、島々の神々が集まり会 議をしました。一番大切な会議は、生 命の源である「水」をどのように分配す るかでしたが、言い分がさまざまで、 なかなかまとまりません。そこで次の 日の朝、先着順に分けることになりま した。…

…ちなみに、長浜にある阿波命神社も倒壊した。阿波命神社境内は東京都指定文化財なので東京都が再建したが当社の再建では地元の方々が多くを出費したらしい。通称は明神様。創祀年代は不詳。祭神は、物忌奈命。言い伝えでは、三島大神(事代主命)の嫡子で神津島の開祖、長浜・阿波命神社に祀られている阿波当スは母神。                     敬愛する玄松子の物忌奈命神社による


ここまでわかれば三嶋大社の祭神も大山祇を主神とする単独の祭神を国譲りの結果、近畿大和の手下となった商売人事代主がねじ込まれたようです。

 では、大山祇を主神とする三島神社をこの地に持ち込んだのは誰だったのでしょうか?

それは北条氏以外にはありえないと考えます。

そもそも、北条氏はどこからやってきたのでしょうか?直接的には伊予の大三島から持ち込んだのでしょうが、伊予には旧北条市がありました。確か交差点名としては残っています。


北条市は、愛媛県中予地方にあった市。松山市の北に隣接し、瀬戸内海に面した田園都市であった。 200511日に温泉郡中島町とともに松山市へ編入され、地方自治体としての北条市は廃止された。

ウィキペディア 20230408 23:38(便座芋)

その北条氏のルーツも阿蘇大蛇伝説の大神氏(祖母山直下の豊後大野)なのです。


大神一族の神紋 豊後国南部に勢力を持った大神氏は三つ鱗紋を定紋としています。

全国ご先祖調査MAP 大分県のご先祖調べ による


無題.png 三つ鱗は祖母山の豊玉姫の使い大蛇の鱗を意味しています 祖母の意味も豊玉姫…

その大神一族こそが、二度にわたって元寇を葬り去った北条氏のルーツなのです。   

無題.png後北条氏は少し拉げた三つ鱗紋を使っていますが、古くは三本杉 無題.png

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | ビアヘロ
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