947 信州佐久の鯉太郎 信州最奥部の神社を探る (実踏編)❸ 上田市 山鹿神社
20220820
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
次の訪問地は上田市です。信州上田と言えば真田幸村しか頭に浮かばないのが私であってそんな人間が上田の神社について語るなど僭越至極ですが、知識も持たぬ遠来の異邦人のリポートとなります。
ただ、城を見たいのではなく、真田が如何なる人々なのかを知りたいのです。当然にも神社を見ます。
まずは、真田の中心地を訪ねましたが、それは比較的傾斜のある山手の丘陵の中心部にありました。
それはともかく、真田と言えば猿飛佐助や霧隠才蔵に象徴される真田十勇士や六文銭or六連銭(リクレンセン)の紋章ぐらいしか知らないのですから先ずは恐る恐ると言ったところになります。
ただ、六文銭からは素性は見えてきません。仏教の六道の六文銭とはわかりますが、ルーツは探れません。
実は、真田家は、六文銭だけではなく「結び雁金」(ムスビカリガネ)や「州浜」(スハマ)を使っていたと分かり少し見えてきました。これは現地でも気付きましたが、ここら辺りになるとネットだけでは分からないのであり、どうしても現地踏査が必要になるのです。


まず、上田市には真田神社(長野県上田市二の丸1-1-12)があり、歴代城主が祀られています。
対して、この真田氏の本城がある丘陵の中心部にある神社の名称が山家(ヤマガ)神社なのです。
我々九州に住む者にとって山鹿と言えば熊本県山鹿市の山鹿なのですが、後でこれは間違いであって、福岡県の山家(筑前山家)以外にはないと思うに至りました。この事実は衝撃的でした。
勿論、北九州市若松区には山鹿という同名の地名があり、外にも二つの対応する地名(花房、台)もあることから、これは熊本→北九州と移動しているのではないかと考えていました。ただ、これは「山家」です。
現在、上田市全域の神社の祭神を検討していますが、関係があるのかないのかは分からないでいます。
それは、真田氏自体がどのようなルーツを持つかが分からないからで、清和源氏、木曽義仲、海野氏、滋野氏…との説も読ませていただきましたが、古代から戦国期の真田の間には1000年もあり、殆どたどり着けないと思うばかりです。ただ、彼らのご先祖様は九州から日本海沿いに新潟まで入り直江津から信濃に入っているはずなのです。




ここまで見てくるとようやく真田氏もしくは真田氏が居城を置いた上田に住み続けたであろう人々の起源が見えてきました。まずは同社の祭神を見ましょう。白山大権現を祀ることは言うまでもありません。
祭神:大国主神 伊邪那美神(イザナミ) 菊理媛神(ククリヒメ)
この神々からは祭神がかなりばらついており、真田氏が一体如何なる神を奉斎していたかが分かりにくいのですが、まず、祭神の菊理媛神(ククリヒメ)とは天御中主命の別名であり、白山大権現が脱漏している訳ではないのです。
菊理媛とは本来は潜るの意味であり(大阪府富田林市の美具久留御魂神社)、さらに言えば白山姫とも同体なのです。逆に言えば、祭神を菊理媛神と書いている事は山家神社御由緒に書いている白山大権現とが同一神である事を示してもいるのです。

百嶋由一郎最終神代系譜(部分)
一般的にある氏族が自らの神社に守護神として神を祀る場合、それは祖先神である場合が多く、その意味で真田のルーツを考えているのですが、一つの提案として下記の六文銭以前の真田の紋章が洲濱(スハマ)であったことから、その紋章が黄枠の一つ安曇磯良の後裔だとしたら、多少の整合性が得られるのです。この場合、5代遡れば白山姫(権現は神仏混交の表現)に辿り着くのです。
もう一つは、相殿の孤立した神八井耳神の存在からのアプローチです。この神は阿蘇氏の一流で、最終的に権力を握った藤原氏のルーツであり、真田も古くは藤原氏の一派としている事から受け入れただけのものかも知れません。
ただ、この神社の社名となっている「山家」が鴨玉依姫と大山咋の大恋愛事件(朱塗りの矢事件で知られる)現場=筑前山家である事を考えれば、左の黄枠の後裔氏族であるかも知れません。
何れにせよ、九州の物部地帯から離脱し遠賀川河口から北上し直江津辺りから信濃の最奥部に移動したか、大国主命を祀筆頭神として祀っている事から、その起源を福岡県筑前町の大己貴神社(於保奈牟智神社)に求めることから(オオナムチは出雲の人ではなく、九州の筑後川北岸を奪われたために出雲にひっこししたのです)、同じ筑前町の山家とも対応するのです。
物部氏が武士(モノノフ)になったと考えられるのです。
この問題については、以前のブログをお読みになっていないと理解できないと思いますので、以下のブログなどから読まれ、パワー・ポイントを手に入れることもできますのでお考えいただきたいとおもいます。
そもそも大国主の国譲りの話、総じて出雲神話は「古事記」だけに存在し、「風土記」などにも記述がありません。
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スポット 041 6.26 甘木朝倉「田神社探訪トレッキング」での驚愕すべき発見! @
スポット 042 6.26 甘木朝倉「田神社探訪トレッキング」での驚愕の発見! A
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最後に比較的珍しい山家と四阿屋(東)という地名についてお知らせしておきましょう。


この二つの地名は県境を挟み比較的近い同一文化圏と思われ、無視はできないと思っています。
百嶋由一郎が残した神代系譜、講演録音声CD、手描きデータスキャニングDVDについては09062983254まで