2023年02月09日

944 信州佐久の鯉太郎 “千曲、上田、小諸、佐久遠征への下調べ”として (企画編)⓪

944 信州佐久の鯉太郎 “千曲、上田、小諸、佐久遠征への下調べ”として (企画編)⓪

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太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


34年前、宮崎県諸塚村での神楽の大祭に参加したことから、北九州を拠点とする丁巳歴史塾での講演〜提携へも話が進み、徐々に連携した活動が深まって行く事になりました。

その後、当会のメンバーには講演可能な研究者が多数おられることから、講演者の派遣要請があり、多くの講演者を送り込むことになりました。その数は12人以上になり、年に一回もお鉢が回ってこない状態になってきたのです。

結果、新たな舞台が出現したことから、スケジュールも過密となり、メンバーも相互に融合するようになって、実質、活動量が倍に跳ね上がることになりました。

折しも、武漢肺炎ウイルス蔓延により多くの研究団体(もうそれほどまともなものが残っておらず、ほとんどが村興し町興し世界遺産登録と言った通説派のもので自由な民間研究団体などとは言えないものですが)が活動を休止、規模縮小…へと行政指導宜しく右へ倣いをする中、我がグループだけは提携の前進のために休止することなく手を替え品を変え、小規模集会、小規模トレッキングなどを駆使して活動を増大させてきました。

その延長上に熊本〜福岡に繋ぐ九州王朝論者の雄 佃 収 氏 を埼玉県からお呼びし、延100人を動員する和水(熊本県玉名郡旧菊水村=菊水史談会主催)〜戸畑(北九州市戸畑区)講演も実現できたのでした。

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古田武彦を失った今日、九州王朝論を最先端で支える佃収先生の研究はこちらからお読みください


 ただ、前述の通りスケジュールが過密なってくると長距離での遠征調査が出来なくなり、ここ数年本州中央部などへの神社、寺院の調査に行きたいとの思いが積もるようになりました。

 そうしたなか、丁巳歴史塾から8月はお盆ですからお休みにしましょうとの有難い提案を頂き、渡りに船とばかりに信州最奥部の調査に向かうことを考えました。

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これはネットから拾った冬の八ヶ岳であまりにも暑いので納涼を込めて使わせていただきます


 佐久市から小諸市を東に上り詰めると皆さん憧れの山梨県清里村に入り、標高がその観光地周辺でも1400メートルに近づきます。

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この点、佐久市を調査の最終目的地とした2週間ほどの車中泊の旅を企画したのですが、長野県でも千曲市、上田市、小諸市、佐久市の4市を対象とした神社調査にはかねてより幾つかの目的がありました。

 それは実リポートを読まれるとして、この4市を東に登り詰めると右手に八ヶ岳が迫ってきます。

 ただ、今回は佐久の調査が終わると、開放感からまずは鹿教湯温泉に入りたいと松本方面に戻り、そこで一泊し、別ルートで甲府方面に向かったのですが、山中湖の友人の別荘での合流への日程調整のために、甲府市の手前(韮崎市や富士見町辺り)から涼しい八ヶ岳高原での車中泊をと清里村に向かうという変則的なルートを選ぶことになりました。

 結果、清里村での一泊が加わりましたが、長野4市の終了から鹿教湯温泉での一泊も願いが叶って(40年前は鹿教湯温泉の少し下手の大塩温泉に泊まりパスしましたので)同温泉の雰囲気も満喫できました。

 調査旅行の主要地は上田から佐久でしたが、途中で気になる神社を見掛けると随時参拝する事の繰り返しで、まあ、560社は見たかも知れません。

 車の車検が終わると731日、万全の体制が取れ、一路、山口県山口市から島根県益田市へと向かいました。山陰周りで北陸は福井市から九頭竜川を上り郡上八幡を目指すのです。

そして、飛騨高山から東上し上高地を左に見て松本に入るコースを選んだのでした。

今回、敦賀北から福井までは越前、鯖江、福井と交差点が多く渋滞が激しいため例外的に高速道路利用しました。平野が大きいとどうしても交差点の数が多くなりどうしても渋滞しやすくなります。

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こうして、731日昼から出発した調査旅行は1泊目島根県津和野町、2泊目敦賀市内で車中泊し、よく翌早朝から調査対象領域に入ることになります。

福井から九頭竜川を遡り白鳥町に辿り着き、ここから郡上八幡市、下呂市、高山市方面と言う未踏の地に入る事になった訳けです(不思議ですが、郡上八幡、飛騨高山はこれまで入っていません)。

ともあれ、こうして調査が始まったのでした。3泊目は高山市の町中でしたが、標高からか、かなり涼しく、翌早朝、長野県は松本市を目指して、最大の難関となる山間部の入口に差掛る頃には13度前後になるなど、最奥部の東日本の入口に差し掛かっていたわけです。ともあれ、上高地、白骨温泉付近を通過し、松本に入る手前辺りは夏場の観光地として人が足を向けるのは仕方がないと思うばかりでした。

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新穂高温泉、奥飛騨温泉郷、白骨温泉、上高地…は、登山客、温泉ファンにとどまらず憧れの的ですが、私達の様な神社研究者、古代史研究者のはしくれとしてはただの邪魔な存在でしかありません

そんなものに現を抜かす暇はないとばかりに通り抜け、松本市に駆け下り、猛暑の中、地表を這いつくばり神社を調べて回ることになるのです


こうして岐阜県から長野県、山梨県に亘る神社調査が始まったのでしたが、長野の4市を中心とする現地調査は至ってスムーズで、長野県での2泊を加え、山梨県は山中湖湖畔の別荘へと向かうのでした。

有難いことに、富士山正面の親友の別荘地で34泊休養し、最終日の昼前には掃除を終え、別荘を跡にして、盆前の12日には日田市に戻ってきました。

帰路は別ルートで、諏訪の手前から伊那に入り、さらに一山を越え、西の恵那からJR中央本線沿いに木曽街道を掛け下り、岐阜の手前辺りで仮眠し、翌早朝には関ヶ原から長浜、琵琶湖に入っていました。

以後、小浜、舞鶴、京丹後へ戻り、炎天下に12300キロを12日で走り抜け、ほぼ、ガソリン代だけ(ホンダフィットシャトルはリッター当たり25キロ)の2週間の調査旅行は幕を閉じたのでした。

燃費の良い車とは言え、現状のリッター165170(実際には兵庫県養父市の三菱石油の直営店で151154円で満タンにしましたが)円では、1キロ走行に対して7円に相当し、燃料代だけでも総行程3400キロでは、アイドリング、エアコン使用も含めて、3万円近く要し、往復、5000円以下に抑えた高速道路料金と併せて35千円は使っているでしょう。とは言え、収穫は十分に大きかったと言えます。

これについては、全部は書けませんが、可能な限りリポートを書きたいと思います。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
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