2023年02月03日

942(前) 佃 収 和水町講演 ➊ と、天武王権と長屋親王木簡問題

942(前) 佃 収 和水町講演 ➊ と、天武王権と長屋親王木簡問題

   20220708

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


当研究会+丁巳歴史塾は、熊本県和水町の菊水史談会と提携し、埼玉県在住(熊本県玉名市出身)の佃収先生をお呼びして延べ10時間に及ぶ和水町講演〜北九州市戸畑講演を行いました。

菊水史談会は、元々、先生が玉名市のご出身であったことから十数年前から佃先生の講演会に取り組んでこられました。菊水史談会は10数年前から佃研究に取り組んでこられ最盛時は180人規模で講演会も行われていました。正に、熊本県でも民間研究団体の最大業績と言えるでしょう。

当方も、福岡県久留米市や久留米大学などで佃 講演に取り組みましたが、菊水史談会のご努力には敬意を表しています。

巷の史談会、郷土史会が、どこかで聞いた風な通説派のインチキ話を、教育委員会関係者とか学芸員から拝聴し、ただただ平伏し、翌日には忘れてしまっているという有様である事を考えれば、古田武彦九州王朝論を遥かに抜き去っている佃 収 九州王朝論 を支えて頂いた事には、十分な賛意を表したいと思うものです。

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しかし、同会も高齢化と、若手の新規参入が堪え、何れは消失への道へと進むものと思われ、今後の佃収九州王朝論を継承は無理としても、保持し、拡散する責務を担わされた事になります。

幸いなことに、我々のグループにはまだまだ若い熱心な研究者が集まっており、生涯を掛け、一生を費やして研究を続けてこられた佃先生や百嶋先生の業績を後世に残し引き継ぐ作業を行う事が出来ればと、新たな決意をしているところです。

多くの、史談会、郷土史会、地名研究会…が、自らの研究を放棄し、ただの親睦会に堕落しつつ、村興し、町興し、邪馬台国シンポジウム…といった、文化庁の天下りの腐臭が漂ようような(全国に邪馬台国の候補地は百か所もあります…お前ら馬鹿か!)インチキ文化運動、果ては、世界遺産登録へと進むと、日本文化の崩壊へと突き進むとしか思えず、ただのフィクションに過ぎない、韓国、中国の歴史ファンタジーと同列以下に堕落して行くことでしょう。

我々だけはそうした底なし沼には近づかないつもりですが、何時の時代にもさもしい人間はいるもので、更に戒めるべきと思うばかりです。

ともあれ、今回、熊本県和水町40人(529日の6時間)〜北九州市戸畑区60人(65日の4時間)での連続講演を行うことが出来、何とか述べ100人の講演会を行うことが出来ました。

先生のご年齢を考えると、今後も年に一度と言わずお話をお聴きしたいと思っているのですが、何としても、武漢肺炎ウイルスによる3年間のブランクは悲しいばかりです。

我々は、むしろ、これまで以上に、福岡(北九州、久留米)、熊本、大分、佐賀での小規模集会、分散集会、トレッキングを継続していたことから、勢力を維持し、むしろ拡大をさえ見ていますが、熱心な若手参集者を得ており、今後もこの傾向は継続するものと考えています。

しかし、国家的規模での思考停止状態に追い込んだ行政の無策には怒りを禁じえないばかりで、そればかりか、数十兆(6070)もの金を外国資本に毟り取られているそうですから(ワクチン6億回分)子供にまで無理やり摂取させようとするのでしょう。ウクライナ支援+復興支援で10兆円…これも一部の官僚どもだけにキックバックが送られているはずなのです。日本は事実上、全世界の破産国家のATMの役割をさせられている事になっているのです。話が逸れましたが、実験的に 佃 収 講演の音声ドキュメントをオンエアしたいと考え、本ブログとYouTube音声とを結合させたメディアを実行したいと思います。

熊本神代史研究会トレッキング(太宰府地名研究会)202267月のスケジュール

梅雨明け710日に大分県竹田市〜豊後大野市の3社に掛けてトレッキングを行います。何故、この神社を選んだかと言えば、この間取り上げてきたヤマト・オグナの熊襲退治の一方の主人公である河上 猛が、この祖母山北麓の穴森神社と健雄霜凝日子神社に関連する阿蘇大蛇伝説を創った大神一族ではなかったのか…という仮説と繋がってきたのです。それこそが百嶋由一郎が残した示唆が導いてくれたのでした。

河上猛は阿蘇大神氏なのです。

22710日(日)10時に熊本県高森町スーパーASUKA:熊本県高森町大字高森1978-2集合(弁当持参)。

テーマ:祖母山の祖母とはなにか? 一体誰の祖母なのか? では祖母の孫とは誰なのか?

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 穴森神社 カーナビ検索 大分県竹田市神原1432番地 祭神:穴森大明神 嫗嶽大明神とも…延喜式内社 豊後國直入郡 健男霜凝日子神社とも…   ※ お賽銭は各自でご準備下さい(オープン参加)。

➋ 健男霜凝日子(タケオシモゴリヒコ)神社神幸所(里宮) カーナビ検索竹田市神原2447

➌ 宇田姫神社 カーナビ検索 豊後大野市清川町三玉1493 御祭神   華ノ本姫

➍ 岡 城址 カーナビ検索大分県竹田市竹田2889                  お杖代09062983254(古川)

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今回、佃収先生の熊本(和水町)講演が急遽決まりました。このため、準備不足ながら8日間に2度もの講演会を行うことになりました。日々追われる皆様にはご迷惑をお掛けしますが、逆に言えば最良かつ念願の講演者のお二人をお迎えすることになります。時間に余裕がなく宣伝できませんが最大の取り組みを行います。

皆さん宗像市に何故 かのこの里、かのこゆり と二つもの施設(道の駅)があるかお分かりになりますか?

無題.pngこの花は市杵島姫が愛した花との伝承があるのですが、彼女が幼少期を過ごしたと思われる飯塚市鹿毛馬の厳島神社の鎮座地が田島(宗像の辺津宮)でその隣接する大字が佐與(サヨ)なのです。ここに住んでいたから別名が作用姫(兵庫の佐用町佐用津姫神社)になっているのですが、これが古代中国語ではユリを意味していたようなのです。赤間、東郷は市杵島姫の実在を思わせます。そしてこの花は鹿児島県いちき串木野市(市杵島姫が地名に反映していますね)、薩摩川内市の沖に浮ぶ甑島が列島でも最大の群生地なのです。百嶋神社考古学では阿蘇高森の草部吉見=ヒコヤイミミと市杵島姫とは夫婦で、先生からも神武巡行に随行し甲府から戻り、薩摩の阿多の村主(スグリ)になっていると聴いています。これが甲府の天津司神社の舞として残り、徳島の二つの天都賀佐比古神社として痕跡をとどめているのです。してみると甑島に鹿島町があったことも分かってきます。の鹿島も草部吉見=ヒコヤイミミ(藤原氏の祖神)なのです。彼女も共に。

ここで、ネット上の 無題.png から佃先生の簡略化された通史の目次を紹介します。

目 次

第1部 倭人の誕生から「倭の五王」まで ( )内はページ

第1章 人類の誕生と移動(3)

DNAと遺伝子(3)

ホモ・サピエンスの誕生(4)

出アフリカ(Y染色体遺伝子による)(4)

第2章 倭人の誕生(佃説)(7)

無題.png北方モンゴロイドの移動(約18000年前)(7)

満州人・朝鮮人・日本人の祖先(7)

第3章 倭人(天氏)の移動(9)

呉の倭人(9)

呉越の戦いと東表の倭人(10)

山東省の倭人(天氏)(11)

第4章 倭人(天氏)と箕子朝鮮(佃説)(13)

箕子朝鮮(13)

倭人(天氏)の移動(14)

第5章 倭人「卑弥氏」(佃説)(18)

倭人(卑弥氏)とは(18)

「倭人(卑弥氏)」の移動(19)

第6章 中国東北地方の古代史(周〜戦国時代)(22)

燕と箕子朝鮮の戦い(22)

古代中国王朝の領域(23)

「燕の長城」と「万里の長城」(23)

箕子朝鮮と大凌河(25)

「倭人(天氏)」と「箕子朝鮮」の関係(26)

第7章 中国東北時代の古代史(前漢時代)(31)

前漢時代の中国東北地方(31)

漢と衛氏朝鮮(32)

第8章 「倭人(天氏)」と高天原(佃説)(38)

天氏と卑弥氏の出会い(38)

天氏による「高天原」の建国(39)

高天原の時代(41)

第9章 『古事記』『日本書紀』の「天孫降臨」(44)

『日本書紀』の「天孫降臨」(44)

『古事記』の「天孫降臨」(45)

『古事記』『日本書紀』の「天孫降臨」の問題点(47)

10章 「倭人(天氏)」の移住(佃説)(48)

高天原の危機(48)

高天原からの移住の決意(49)

筑紫へ移住(天孫降臨)(49)

11章 「倭人(天氏)の渡来」の[検証](52)

吉武高木遺跡(52)

「倭人(天氏)の渡来」の検証(須玖遺跡)(54)

「倭人(天氏)の渡来」の検証(吉野ヶ里遺跡)(56)

「倭人(天氏)の渡来」の検証(考古学から)(57)

「倭人(天氏)の渡来」の検証(人類学より)(61)

12章 伊都国と神都(佃説)(67)

伊都国の樹立(67)

伊都国の発展(68)

13章 「卑弥氏」の渡来(第1回目)(佃説)(70)

「倭城」からの逃亡(第1回目)(70)

「倭人(卑弥氏)」は朝鮮半島へ(71)

朝鮮半島の「倭国」(71)

弥生時代後期と委奴国の樹立(72)

「委奴国」と金印(74)

不彌国(75)

伊都国王権(76)

14章 「後漢時代」の倭(佃説)(78)

公孫氏と「倭」(78)

15章 「卑弥氏」の渡来(第2回目)(佃説)(80)

「倭人国」と「倭国」(80)

伊都国王権と倭国の戦い(第1回)(81)

「倭国(邪馬壹国)」の位置(佃説)(82)

「邪馬壹国」と「狗奴国」(87)

北部九州「倭国」の樹立(88)

公孫氏の滅亡と「景初二年」問題(89)

16章 倭国と伊都国、狗奴国の戦い(佃説)(94)

倭国と狗奴国の戦い(1回目)(94)

伊都国王権と倭国の戦い(95)

「倭国」と「狗奴国」の戦い(2回目)(96)

17章 神武東征(逃亡)(佃説)(98)

伊都国と倭国の戦い(98)

神武東征のルート(99)

18章 崇神天皇(佃説)(105)

崇神天皇の渡来(105)

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
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