920 ザ・ドリフターズの志村けん の同級生だったという恵面(エズラ)さんの恵面姓とは何か? A
20200401
太宰府地名研究会 古川 清久
本稿は 815 ザ・ドリフターズの志村けん の同級生だったという恵面(エズラ)さんの恵面姓とは何か? @ の続編になりますのでそちらからお読み下さい。


喜劇王 悲しすぎるよ 志村けんさん死去 コロナで急逝「危険身近に」による
当初、恵面さんとはその居住地(東村山)から言って、北関東を中心に展開し後に武士(モノノフ)と呼ばれた古代物部氏の一氏族だったのではないかと考えていました。
しかし、どうも「エズラ」という姓(呼称)が日本的でないことは明らかな上に、物部的でもない事からそれも違うのではないかと考えるようになりました。
そこで思い出したのが「旧約聖書」に「エズラ記」がある事でした。
旧約聖書にはヨシュア、ヨブ、イザヤ、エレミア、エゼキエル…外多くの記録書があるのですが、カソリックは別としてユダヤ教で最も重視されると言われるのが「エズラ記」なのです。
「バビロン捕囚」は良く知られています。新バビロニアのネブカドネザル2世によってユダ王国の民がバビロンへ捕虜として強制移住させられた事件です。
その後ペルシャのクロス王が新バビロニアを滅ぼし、紀元前6世紀にバビロン捕囚は一部解消されます。
さらに紀元前5世紀にもエズラによって第二次の帰還が行われエルサレムの城壁の改修が行われたのでした。この栄えあるユダヤ人の指導者こそエズラだったのです。
学者エズラの功績
BC539、バビロニア帝国に代わって支配者となった ペルシャ帝国のクロス王の勅令により、一部のユダヤ人がエルサレムに帰還し、 多くの困難を乗り越えて、神殿を再建(BC516)、続いて城壁を再建(BC444)します。 神殿の再建には総督ゼルバベルと祭司であり学者であるエズラが、 城壁の再建には総督ネヘミヤが大きな働きをしました。 このようにしてエルサレムの町が再建され、 「第七の月が近づくと、民はみな、いっせいに、 (城壁の)水の門の前の広場に集まって来」 (ネヘミヤ7:72〜8:1)ます。
Wikipedia 20200402 17:01による(↓)
聖書のお話(学生向)による
ただ、同教授は日本に警戒せよと言う警告の書として書いたのであって日本への敬愛の念を込めていたのではなかったのです。彼は今も健在でトランプに周近平との融和を訴えているのです。詳しくは、日経ビジネス2019/12/6を…(古川) |

バビロン捕囚
ここまで推定を越え想像に空想を加え、失礼を無視して北関東の恵面一族の起源を勝手に書いてきましたが、そのエズラの一流がどのようにして列島に入って来たかを考えて見たいと思います。
東京都の西には東村山の南には小平、国分寺、武蔵野、三鷹、日野、府中、調布市があり狛江市があります。
狛江市はかつて高麗=高句麗系渡来人が入った国と考えられましたが(最近は行政が否定してはいるようですが…)、それでも、埼玉県日高市に鎮座する高麗神社には高麗王若光の伝承があり同社自体が高句麗の後裔である事も含め、大量の高句麗系氏族が北関東一帯に展開した事は十分に考えられるのです。
事実「日本書紀」「続日本記」に記述があり、高句麗からやってきた日本にやってきた高句麗系氏族の中心に高麗王若光がいたはずなのです。
高句麗から日本に渡来してきた高麗王若光の生涯と埼玉県日高市にあるお墓
716(霊亀2)年に駿河・甲斐・相模・上総(かみつかさ)・下総(しもつふさ)・常陸・下野(しものつけ)の7国に居住していた高麗(こま)人1799人を移し、武蔵国高麗郡(現・埼玉県日高市や飯能市を中心に東西30km、南北10kmに渡る村々)が建郡された。その高麗人たち、そして彼らを統率し、高麗郡全体を治めたとされる、高麗王若光(こまのこしきじゃっこう)(?〜748)は異郷・高麗で何を考えて一生を終えたのだろうか。
高麗王若光「らしき」人物についての公式記録は、『日本書紀』(720年)内の、天智天皇5(666)年10月に、高句麗(こうくり、BC37〜668)国王が飛鳥に送った使者のひとりに「玄武若光」がいたこと。
そして『続日本紀』(797年)の、大宝3(703)年4月に、朝廷から従五位下(じゅごいげ)の高麗若光に王(こしき)の姓(かばね)が与えられたということだけである。ここで言う「姓」は苗字のことではなく、臣(おみ)・連(むらじ)・朝臣(あそん)・眞人(まひと)などの称号のことで、「王」は外国の王族の血を引いた高位の者に与えられるものであったため、若光は高句麗王族の血縁者または高位の者であったことが窺い知れる。しかし「玄武若光」と「高麗若光」が同一人物であるかに否かに絡んだ記述は存在しない。また、694(持統8)〜710(和銅3)年まで日本の首都であった藤原宮(奈良県橿原市)跡東面大垣地区から出土した「□□(判読不能)若光」の文字がある木管が、高麗王若光と関連があると見られている。
我々、百嶋神社考古学の信奉者には、百嶋由一郎氏の話が耳に残っています。
「高句麗はユダヤ系ではなくイスラエル系です…」と言われていました。恐らくこのイスラエル系氏族と共にエズラの一族も列島に避退、進出…してきたのではないかと思うのです。
他に重要な説があればいつでも従いたいと思います。ご判断はご自由です。




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