918 牟礼地名を追って “群、室、無呂、村…地名はトルコ系匈奴が持ち込んだものではないか?”
20200226
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
九州の牟礼地名についてはこれまでにも何度も取り上げて来ました。
大分県が最も濃厚なのですが、長崎県にはなく佐賀県も唐津市の石室に地名があるものの風呂地名の可能性もあり一応存在しないとしておきます(恐らく倭人=海人族中心のエリアにはない)。
鹿児島、宮崎、大分、熊本、福岡には相当数拾えます。これをモンゴル高原、シルクロード辺りからトルコ系匈奴、ヘブライ系氏族によって持ち込まれた痕跡地名ではないかと考えていますが、気になるのは九州外の分布で、これを割り出そうと言う作業を机上ながら進めて見たいと思います。
これで、大まかな傾向が把握できれば列島に於ける民族の移動と日本と言う民族国家の成立がある程度掴めるものと考えています。
山口県防府市牟礼 旧佐波郡牟礼村(山陽線防府〜富海付近)
香川県高松市牟礼 旧木田郡牟礼町(高徳線八栗口駅付近)
東京都三鷹市牟礼 旧無礼村→牟礼 牟礼神明社
兵庫県赤穂市有年牟礼 旧有年村(うねむら)はかつて兵庫県西部(西播磨地区)に存在していた村
愛知県豊橋市牟呂町 この他に牟呂○○町が6例
愛媛県松山市雄群 旧温泉郡小栗村、春日町の一部、竹原村、土居田村、針田村、藤原村が合併し温泉郡雄群村として発足 村名は雄郡神社の祭神である雄郡神に由来する
滋賀県近江八幡市 日牟禮八幡宮 日牟禮八幡宮 拝殿 ... 691年、藤原不比等が日群之社八幡宮を参拝
長野県飯綱町牟礼 飯綱町(いいづなまち)は、長野県北部に数年間存在しそうな町。2005年10月1日に牟礼(無礼ではない)村とミスイ村が合併して誕生した。自治体として存在した後は、お隣さん(長野県の方)とともに大きな所に吸収され、その端の方の一地域になると目されている。
長野県小諸市岩村田 恐らく小諸の「諸」も牟礼地名のバリエーションの一つのはずで、大字諸有
五十貫も石貫=石頭城、石城山の置換えです。佐久市の北の石尊山もその置換えでしょう。佐久市の中心部の岩村田も石牟礼、石群の置換えです。
そして佐久は須久岡本遺跡の須久であり、チェルネンスク、ペトパブロフスク、ムルマンスク、クルスク…のスクと同じ意味なのです。勿論、佐久は城柵の柵なのです。この「スク」「ツク」も針葉樹で造られた城柵都市=砦なのです。
真田幸村はトルコ系匈奴の末裔かも知れません。
新潟県胎内市牟礼山 旧北蒲原郡黒川村

長野県飯綱町牟礼(旧牟礼村)
では、再確認のために大分県の牟礼地名を拾ってみましょう。
大分県豊後大野市三重町百枝牟礼 付近に牟礼神社…が
大分県豊後大野市三重町上田原2071 付近に牟礼岳観音院…が
大分県豊後大野市朝地町市万田570 牟礼鶴酒造
大分県佐伯市栂牟礼山
大分県臼杵市野津町大字藤小野於無礼
大分県竹田市大字会々3221 豊後騎牟礼城跡

スク、ツク地名については ひぼろぎ逍遥(跡宮)から
379 | 須 久 |
を
牟礼地名についてはひぼろぎ逍遥(跡宮)から
769 | 再び「牟礼」地名を考える A 作業ノートから |
768 | 再び「牟礼」地名を考える |
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651 | トルコ系匈奴が持ち込んだ地名について |
石頭城、石城山=石貫地名について
643 | 続)タシクルガン(石頭城、石城山)Ta Shi Ku Er Gan Lu |
641 | タシクルガン(石頭城、石城山)Ta Shi Ku Er Gan Lu |
を
宮崎県えびの市 浦 池牟礼
鹿児島県鹿児島市牟礼岡一丁目から牟礼岡三丁目 旧吉田町牟礼岡一丁目から牟礼岡三丁目
熊本県阿蘇市無礼、群…
現在、最も注目しているのは長野です。
まだ三度しか入っていませんが、二度目も通過だけでしたので、じっくり一週間ぐらいかけて探訪したいと思っています。
特に関心を持っているのが、上田、小諸、佐久、戸隠…旧牟礼村一帯です。
室町幕府の「室町」も牟礼地名の一つのはずで、トルコ系匈奴の後裔たる関東武士団が持ち込んだ者のはずなのです。

実は熊本市にも「牟礼」地名があります。熊本市の東の大津町の中心部にも「室」(ムロ)地名があります。
福岡県久留米市 高良山(旧称高牟礼山)
鹿児島県鹿児島市牟礼岡
宮崎県都城市高崎町大牟田牟礼水流
大分県豊後大野市三重町百枝牟礼
大野市緒方町軸丸高牟礼…
佐賀、長崎、熊本も薄く 海人族の領域で牟礼地名は拾えません。