915 事代主も建御名方も大国主命の子ではありません
20211014
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
皆さんも少しずつ百嶋神社考古学の世界に賛同できる部分もあるのではないか…と思われているかもしれませんが、何分、千数百年に亘る記紀による呪縛、洗脳の結果、おいそれとは解放されないのは致し方ないかも知れません。
故)百嶋由一郎先生は古事記の95パーセントは嘘だと言い切りました。
我々もそれに同意していますが、古事記を掘り下げれば掘り下げるほどインチキ神話であることが分かってきます。
これを聖典として崇める人々の哀れさを傍目で見ているばかりですが、自らの頭で考え続けることなくしてはただの思想的奴隷であり続ける以外はないのです。
まずは、「出雲神話」でも最も初歩的な部分から自らも一緒に考えて見たいと思います。
何度も申し上げておりますが、まず、“皆さん大国主命を現出雲(島根県出雲地方)の方だと信じ込んでおられます”(百嶋先生の言葉から…)と、言われていました。
勿論、大幡主=カミムスビ家=カモス家への入婿となった大国主の事ですから、以前から、また、国譲りの結果によってもカミムスビ系の植民国家への移動(引越しだから袋を)はあった事でしょうが、国譲りの結果によって現出雲に移動したのであって、彼は元々出雲の出身の人物ではさらさらなかったのです。

百嶋神社考古学の立場から言えばというだけの話しですが、神代系譜の一つから考えることにします。
なんだそれだけのことかと思われるかも知れませんが、では皆さんが考えておられる通説派による根拠はどこにあるのでしょうか?それとも別個に調査や発見でもされたのでしょうか?
記紀の解釈によるだけの話なのです。結論を先行させますが、事代主も建御名方も大国主命の子でもなければ、お二人とも兄弟ですらないのです。
ただ、事代主が三保ケ崎で釣りをしていたとか呼び寄せに船を送ったといった話にはそれなりのリアリティがあることから、古くからこの兄弟とされる人々が不断に同地を訪れることが可能な関係を持っていたことは想像が可能でしょう。つまり、現出雲が大幡主=カミムスビ系の植民領域だったという事です。
では、大国主命の子とされるお二人の周辺の親子関係を考えて見ましょう。以下の百嶋神代系譜へ…。



百嶋由一郎 008イヨ系譜
参考になったでしょうか?
建御名方は草部吉見神と敗残したナガスネヒコの妹オキツヨソ足姫との間に生まれたヤマトタケルの伯父にあたる人で最後まで抵抗した武人だったことが分かります。
結果的に阿蘇系の父と金山彦+スサノウ系の血を引く母との間に生まれた人だったことが分かるのです。
中枢部は日本海ルートで上越から信州諏訪に逃げたかも知れませんが、諏訪、御名方、南方神社の分布から見て、配下の多くの民衆の多くは、九州西域、薩摩、大隅…一帯に陸路で逃げたのではないかと考えています。
この系譜には注意すべき点があります。
一つは、事代主は大山阼と鴨玉依姫(下賀茂大社)の間に生まれた活玉依姫を妃としていることから、大国主系=大幡主系からも阿蘇系+宗像(市杵島姫)系からも期待された人物であり、この点から一部には大国主命の後継者つまり長子として理解された可能性はあるでしょう。
それは鴨玉依姫の娘である活玉依姫を妃としているからです。
一方、建御名方は、敗残したナガスネヒコの妹オキツヨソ足姫との間に生まれた氏族で一見すると阿蘇系に征服された様にも見えるのですが、百嶋由一郎最終神代系譜には奇妙な縦の二重線が引かれているのです(黄枠青→)。言うまでもなく横書きの二重線(=)は婚姻などによる姻戚関係を意味してます。
これを縦書きにされており、百嶋先生の他の使用例からみると養子など義理の関係を意味しているようなのです。
これから考えると、苦労して開発した領土を何の努力もしていない天照の御子と称する阿蘇系の草部吉見如きに奪われるなど絶対に認められず、本来は海幸彦=草部吉見とオキツヨソ足姫との間に生まれておきながら、山幸彦=ニギハヤヒ=彦火々出見系の一族に移行しているのではないかと思える、少なくとも百嶋先生はそういう意味で系譜を作成していた様に思えるのです。

百嶋由一郎最終神代系譜(部分)
これで、兄弟扱いされた建御名方、事代主の出自について、当方の百嶋神社考古学がどのように考えていたかは、ある程度の見当が着かれたのではないかと思います。
この様な基礎的な問題すら掘り下げることなく浮かれた話に迎合し本来の任務の研究など放っぽり出し、村輿し町輿し世界遺産登録などに全面協力し騒ぎまくる教育委員会関係者、学芸員…そのエピゴーネンなるものが如何に浅ましくもさもしい連中であるかに呆れ果てるばかりです。
ましてや、それに抵抗せんと真実の古代史を掘り下げようとした一部の九州王朝論者においても、古田武彦氏は絶対に誤りがないとか、古田先生が誤っていると言うのか…と妄信する向きには九州王朝説の前進など望むべくもないとしか思えないのです。
勿論、京都学派、考古学協会、邪馬台国畿内説論者…と言った買弁、御用学者共は学者の名に値しない俗物でしかないのです。
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