906 中国山地の奥深く息づく謎の神社への下調べ “周南市須万秘密尾の氷見神社”
20210828
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
北九州市を中心に活動を続ける丁巳歴史塾との接触からもうすぐ二年になろうとするのですが、当会のメンバーであり百嶋神社考古学研究の同志でもあるS氏(「事代主のブログ」編集者)と出雲崎の美保神社への調査旅行の計画が持ち上がりましたので、私の希望を入れ周南市の氷見神社を見たいと思い下調べを始めることにしました。
この神社は丁巳歴史塾のメンバーである夢野良平氏の著書(海鳥社)に出てくるもので、私も彼の二著を読んではいたのですが、「旅に出て考える」の51ppに半ページほどしか出てこない神社であることから、夢野氏と電話で話していてこの神社の事が出て来てもとっさには思い出せずにいたのでした。
当然、未踏の山深い集落のそのまた奥にある神社であることから、出雲崎への道すがら見に行こうと思いたったのでした。
S氏の了解も得た事から、この怪しげな名の地区にある神社を調べることにした訳です。
まあ、怪しげなとは言ったものの、氷見神社が氷見ツ尾(ツは所有の格助詞の一つ)に在るとされるのは理がある事で、普通は氷見という現地地名から氷見神社とするのですが、氷見とは能登半島の氷見のはずであり、社名の起源はここに在るはずなのです。
従って、秘密尾とは氷見神社のある谷程度の意味で、それを謎めかして秘密尾と呼んだか、ある種禁制の地としたかであるでしょう。
とは言ったものの、現在、石川県の氷見市に氷見神社はなく、始めから決め付けるのは早計であるはずです。まずは、現地を見てからとさせては頂きますが、何とウィキペディアにもこの僻陬の地の神社の情報が書かれていたのです。まあ、これほど山深い神社の情報がアップされている事は、周防ではかなり重要な神社であるのかも知れないのです。そう考えると全国(埼玉、川越、富山)に氷見神社が分布している事にも多少は合点が行くのです。
氷見神社(ひみじんじゃ)は、山口県周南市須万秘密尾(すまひみつお)にある神社。祭神は、闇於加美神ほか。平安時代の歴史書にもその名を残す由緒ある神社で、貞観9年(856年)に須万村秘密尾に創建されたと言われている。旧鹿野町東部の秘密尾にあり、標高1000m級の中国山地に抱かれている。「露嶋宮」とも呼ばれ、若宮のほかに、山の中腹に中宮があり、山全体を上宮としている。上宮である奥社は今でも女人禁制である。禊の行場としても有名で、明治時代には神道家の川面凡児がここに籠り、神道の修行法を編み出したと言われている。現在でも山口県下の神官たちの禊ぎ行場として使われている。 2月に元旦祭、4月に春大祭、祈年祭、7月に夏祭、11月に秋季例大祭、新嘗祭が行われる。伊勢神宮同様、「遷宮祭」も20年ごとに行なわれており、二つの御社地の宮を交互に建て替えている。山口県下で遷宮を行なっているのは氷見神社だけである。前回の遷宮祭の時はすでに過疎化が始まっていたが、出身者が集まって遷宮を取り行なった。
20210828 11:36による


手元には「山口県神社誌」もあり、本来はこれを優先するべきでしょうが、まずは夢野氏の全文からご紹介しました。
次は「山口県神社誌」411pからですが、クラオカミ(スサノウの姉)だけではなく、アシナヅチ+テナヅチの夫婦神が祀られています。
これで、神社の性格が非常に鮮明になりました。
このお二人は、製鉄神であるアシナヅチ=金山彦(カグツチ)、テナヅチ=埴安姫(博多の櫛田神社の大幡主=カミムスビ)でその娘が櫛稲田姫になる訳で、スサノウのお妃になるのです。
ただ、これは象徴であって、実際には山陽、山陰の製鉄地帯の三宝荒神に繋がる神武天皇に楯ついたナガスネヒコ(スサノウの子=金山彦の孫にあたるイスラエル系製鉄集団)までを見るべきなのです。


ここで面白いのは、この氷見神社の鎮座地が周防の旧都濃郡であることです。もうお分かりかも知れませんが、この都濃郡とは北に延びた日向の一の宮都農神社(宮崎県児湯郡)でもあることです。

都農神社(日向の児湯郡)の表面的な主祭神は大国主命(大山祗の子であり櫛稲田姫の兄)
氷見神社(周防の都濃郡)の主祭神は神俣姫(実は蘇民将来伝承に登場するクラオカミでありイザナミ、イザナミの娘でスサノウの姉)

百嶋由一郎最終神代系譜(上)、005アイラツヒメ神代系譜(下)

氷見神社 カーナビ検索 山口県周南市鹿野須摩秘密尾
未踏の神社ですので当然にも写真はありません。
こちらも良く利用させて頂く の記事「氷見神社 山口県周南市須万秘密尾」の現地動画から切出させて頂きました。