2022年08月06日

903 筑豊から消された諏訪神社 A  “彦山南北安定化作戦こそ三悪人による葦原中津国制圧だった”

903 筑豊から消された諏訪神社 A  “彦山南北安定化作戦こそ三悪人による葦原中津国制圧だった”

20210811

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


始め(初回の参拝時)は気付かなかったのですが、甘木〜朝倉〜杷木〜小石原の全体像が分かって来るに連れ、大国主命の国譲りとは、それを率先した天照大御神、正勝吾勝…こと草部吉見=海幸彦、タカミムスビこと高木大神という三悪人による葦原中津国=甘木〜朝倉〜杷木〜小石原に加え、大国主命の彦山北麓の筑豊の巨大穀倉をも確保し、彦山を中心として置かれた48大行司社による支配を企図したものだった事までもが見えてきたのでした。

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つまり、彦山の南北麓を安定化させ未来永劫北部九州全域を支配せんと企図した事までが見えてきたのです。48大行事制がいつ確立したかは不明ですが、その流れへの基本構造は見えてきたのです。私も20弱の大行事社を巡りましたが、以下は添田町作成と思われる彦山解説から48大行事社をご覧下さい。

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添田町  無題.pngより


カミムスビ VS タカミムスビ 戦争


皆さん異論をお持ちになる方が多い事は容易に想像できますが、“彦山の南北安定化作戦こそ三悪人による葦原中津国制圧だった”と前述しました。

何故、そう言えるかと言うと、出雲の国譲りの張本人である、天照大御神とその実行部隊であった武甕槌がどのような背景を持った人物(神々)であるかが理解できれば、葦原中津国の召し上げとは神代でも多くの勢力間でも特定の勢力による領土の奪い合いだった事が見えてくるのです。

 高木大神=カミムスビの神は良いとして、まず、天照大神、初期は大日靈貴(オオヒルメムチ)と呼ばれていましたが、彼女の父神が列島大率姫(ジー)氏は良いとして母神は高木大神の淑叔母であると百嶋先生は言われていました。

 この女神様は、現在も兵庫県姫路市の西数十キロの内陸部に在る佐用(サヨウ)町の佐用都比売神社の境内地内神殿裏手の最奥部に、天照御祖(アマテラスミオヤ)神社として祠が残されています。

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上)百嶋由一郎神代系譜イヨ系譜 下)百嶋由一郎極秘神代系譜(いずれも部分)

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詳しくは以下をお読み下さい。

ひぼろぎ逍遥(跡宮)

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佐用都比賣神社(兵庫県佐用町)の奥の院伯母宮は天照大御神の母神を祀る


つまり、天照大御神とは高木大神系の人物であり、頼りがいのない神武天皇に替わり神聖政治を仕切ったのでした その背後に居たのは高木大神だったのです


では、祭神の天忍穂耳命はどうでしょうか?非常に大仰な名で呼ばれていますが、「正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命」というのが正式名の神様で、天照大神の日継の御子であり、天孫ニニギノ命の父神にあたるとされています。

アマテラスの子でありニニギの父神という振れ込みになっていますが、正勝吾勝勝速日天之忍穂命の語尾に耳という尊称が付されていますので直ぐに阿蘇系氏族の一人であることが丸わかりとなっています。

カミヤイミミ、カムヌナカワミミ、ヒコヤイミミ…と良く知られた神様がおられますが、全て阿蘇に進入した中国大陸に展開していた黎族であり最期は雲南省麗江に追い詰められた、旧九黎族(苗ミャオ族もそうですが)の一派だったのです。

 この人物は阿蘇を弟の健磐龍に任せ東に北に進出しますが、彦山の高木大神に見込まれ、次女の栲幡千千姫命(タクハタチジヒメ)を妃とします。このことは人気が全くなかった息子のニニギに代わり事実上の高木大神系の後継者となった事を意味したのです。

 ただ、注意すべき点があります。本来ならば、建御名方は阿蘇系の人物と言えない事もないのです。

 それは、草部吉見=海幸彦とオキツヨソ足姫(神武に弓を引いたナガスネヒコの妹)との間に産まれた人物で、母が逆賊、朝敵の子としても父が草部吉見であることから彦山の高木大神も心配していなかったのかも知れません。

 ところが、彼は大国主命に心酔したのか実力に敬服したのか、大国主命の次男とまで言われる様になったようです。

 そうすると、彦山の南北の裾野は大国主系に占拠されてしまう事にもなりかねず、俄かに危険にさらされる事になったのでした。

 恐らく、この事が葦原中国=旧朝倉郡を日嗣(日継)の御子(皇子)である息子(勿論息子でもなんでもないのですが)のアメノオシホミミが支配するべき土地である…などと無理難題を持ち出したのでした。 

 何やら九段線を偽造し南シナ海の大半を自らの領域と主張するどこやらの国の様な事を言い出したのでした。

 お分かり頂けたでしょうか?これが葦原中国簒奪彦山三悪人説の大まかな根拠なのです。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)下も同様


 では、もう一枚神代系譜をご覧頂きましょう。

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前述の通り、建御名方は草部吉見=海幸彦とオキツヨソ足姫(神武に弓を引いたナガスネヒコの妹)との間に産まれた人物で、本来、阿蘇系の人物のはずなのですが、ナガスネヒコの血がそうさせたのか、卑弥呼宗女イヨやウマシマジなどの筑豊の物部勢力との関係を強めた様に思えるのです。

 国譲りの結果、自らが開拓した筑豊を奪われるのですから、筑豊を最大拠点としていたニギハヤヒ(山幸彦)の後継者ウマイマジと繋がるのは理の当然であり、建御名方は事実上の物部氏を背後に背負って彦山に対抗したのではないかと想像するのです。

 無題.png建御名方に尊称としての大国主命の「主」が付されないのは、彼が大幡主系の人物では無かった事がそれだけで分かります。対して、兄とされる事代主には「主」の尊号が付されています。その理由は恐らく、事代主=大直根子、生井神が大山咋と鴨玉依姫との間に産まれた活玉依姫を妃としたことその姻戚関係に依って大幡主系氏族とされたからと考えられます。

 この「主」の称号を貰えない建御名方と貰えた事代主とが兄弟ではない事はそれからも推定可能ですが、そもそも事代主は、古々代ヘブライ系の人物であると百嶋先生からは聴いていました。

 トルコ系匈奴としての大国主命も、市杵島姫、豊玉姫という大幡主系のプリンセスを妃とした事によって「主」という称号を使っているはずなのです。

 この二人が兄弟であるなどと言った嘘話はもう好い加減にして頂きたいものだと思うばかりです。

 ただ、好色だった大国主の事ですから多くの側室はいたはずで、その意味では腹違いの兄弟かも。

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百嶋由一郎008イヨ神代系譜(部分)


今回、サブタイトルを“彦山南北安定化作戦こそ三悪人による葦原中津国制圧だった”としました。

 通常このような表現は避けるのですが、この出雲の国譲りによって高木大神系の天照、タカミムスビ、マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ=阿蘇高森草部吉見神、という高木大神系の三神が葦原中津国の国譲りを強要したと言う話はあまりにも横暴であり、その意味で三悪人と言う表現をしただけの事で、それ以上の意味はないのです。

 この考えは、自ら努力する事無く他人が多くの労力を投下し開発した土地を、単に自らの子が治めるべき国であるとして取り上げるなどという事は到底認められないのであって、中国共産党が南沙、西沙を勝手に埋立て、元々数百年も関心も実効支配もしていない土地を急に自らの国土と主張するのと同様になるでしょう。

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彦山川流域開拓神登志氐大国主命比氐


彦山川流域開拓神として大国主命いて

してみると、その北に宗像大社があり百嶋神社考古学では本来の祭神は大国主命(お妃は市杵島姫と豊玉姫)だったとするの符合するのです。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
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