2022年07月25日

ビアヘロ200 太宰府地名研究会6月〜7月のスケジュール表を公開します。

ビアヘロ200 太宰府地名研究会6月〜7月のスケジュール表を公開します。

佃収連続講演 2022529日(日):熊本県和水町〜202265日(日)北九州市戸畑区


太宰府地名研究会 編集員 古川 清久




太宰府地名研究会+熊本神代史研究会トレッキングへのご案内 20227月のスケジュール


梅雨明け724日に大分県竹田市〜豊後大野市の3社に掛けてトレッキングを行います。何故、この神社を選んだかと言えば、この間取り上げてきたヤマト・オグナの熊襲退治の一方の主人公である河上 猛が、この祖母山北麓の穴森神社と健雄霜凝日子神社に関連する阿蘇大蛇伝説を創った大神一族ではなかったのか…という仮説と繋がってきたのです。それこそが百嶋由一郎が残した示唆が導いてくれたのでした。

河上猛は阿蘇大神氏なのです。

22724日(日)10時に熊本県高森町スーパーASUKA:熊本県高森町高森1978-2集合(弁当持参)






テーマ:祖母山の祖母とはなにか? 一体誰の祖母なのか? では祖母の孫とは誰なのか?


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 穴森神社 カーナビ検索 大分県竹田市神原1432番地 祭神:穴森大明神 嫗嶽大明神とも…延喜式内社 豊後國直入郡 健男霜凝日子神社とも…   ※ お賽銭は各自でご準備下さい(オープン参加)。

➋ 健男霜凝日子(タケオシモゴリヒコ)神社神幸所(里宮) カーナビ検索竹田市神原2447

➌ 宇田姫神社 カーナビ検索 豊後大野市清川町三玉1493 御祭神   華ノ本姫

➍ 岡 城址 カーナビ検索大分県竹田市竹田2889                    お杖代09062983254(古川)

  8月はお盆の為講演会は行いません。

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529日(日)〜65日(日)の日程で、埼玉から佃収先生にお出でいただき、熊本(和水町)、福岡(北九州市戸畑)に於いて100人規模の方々にお集まり頂き延べ10時間に亘ってお話をお聴きしました。急施のため準備不足ながら82歳の年齢を押して2度もの講演会を行って頂いたことになります。日々追われる皆様には無理をしてお集まり頂き改めてお礼を申し上げます。次回以降準備万端に最大の取り組みを行います。来年は小単独開催でも100人を集めたいですね。


その他の小規模集会、勉強会のご案内  佐賀、熊本、大分への新たな展開のために

626日(日)1300〜 当日連絡:090-6298-3254 (古川)

謎の延喜式内社 七幸神社を探る! 佐賀県伊万里市山城町楠久524-11 七宝神社社務所 集合

佐賀県も延喜式内社が薄い地域ですが、旧式内社であり、明治の村社ながら廃社となり近年私的に再建された神社が在ったのです。隣接する曹洞宗本光寺の前住職小島宮司のお話をお聴きします。お杖代 古川

721日(木)1230〜当日連絡:090-6298-3254 (古川)

熊本県西原村 伊藤まさ子勉強会 熊本県西原村会場小森58058 俵山湧水そば 平田庵 正面私邸

テーマ:「大友家持歌日誌」から古代の真実を探る! 当日連絡:090-6298-3254

/(sun) 丁己歴史塾+太宰府地名研究会主催 佃 収 北九州市講演 へのお誘い



202265日(日)13001700 60人規模で佃 収 講演を北九州市(戸畑区)でも行います

会場   福岡県北九州市戸畑区汐井町16 ウェルとばた 8F JR鹿児島本線 戸畑駅 隣

講演者 『古代文化を考える』(同人誌)主宰 佃 収 (著書多数) 参加費1000

テーマ 熊本は「貴国から高市天皇」でした北九州では、「日本人の起源」〜「倭の五王」で

テキストとして「日本通史」(概要編)新「日本の古代史」(佃説)1200円当日:40部限定販売

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佃 収氏の講演会を長年に亘って実施されてこられた事だけでも敬服に値しますが、菊水史談会の功績は何と言っても「納音(ナッチン)九州年号対応表」(和水町の旧庄屋の住居に保管されていた古文書の一部)の確保でした。これは長年に亘って佃 収先生の著書を隈なく読み込んで来られた前垣事務局長でなければ発見できなかった功績であり、あれほどの実例のある「九州年号」を認めない教育委員会や学芸員(通説が嫌がる九州王朝実在の証拠だからです)が如何に無視しようとも歴史的業績は消え去る事は無いでしょう。「九州年号」には「二中歴」を始めとして「海東諸国紀」「如是院年代記」「本朝皇代記」「和漢春秋暦」「興福寺年代記」「王代年代記」…など実際には20以上の実用例があり、明らかに近畿大和政権以前に実在し使用されていた言わば九州王朝を現在に伝える物証なのです。ただ、この幾つかに分かれた年号群は大半は対応するも、初年号が幾つかのもので「継体」「善記」と異なるとか、使用期間が違うと言った点があり、初歩的な議論では磐井の乱で九州王朝を滅ぼしたはずの継体(福井県から出てきたなどと言われる)の名が付された「継体」が何故九州年号と言えるのかと言った話まで出ていたのでした。

そこでお考え頂きたいのですが、この「九州年号」に幾つかの系統があり、それが九州王朝の分裂と関係があるのではないかと指摘されたのが佃 収先生でした。皆さんも後醍醐天皇と南北朝騒乱期の事は良くご存じの事と思います。近畿大和朝廷の延長上の内戦時においても従来の年号は使用されており、南北朝期の60年間は互いに別々の年号を創っていたのです。後に南朝の後亀山天皇は、統合を受諾し三種の神器が後小松天皇の御所に移され南北朝分裂が終わり、この時南朝の年号が廃止しされ北朝の年号「明徳」が存続したのでした。これについて古代史の復元シリーズ 5》「倭の五王と磐井の乱」を読まれるべきですが、新著の早わかり「日本通史」(概要編)新「日本の古代史」(佃説)第2二部第1章物部麁鹿火政権(佃説)以下第2章阿毎王権(俀国)、第3章豊王権、第4章上宮王権、第5章天武王権、第6高市天皇…をお読みください。実に素晴らしいクレバーな解析です。

古田武彦が鬼籍に入り、続く多くの研究者も続き九州王朝論を正しいと考える研究者は、佃 収氏と僅かな方しか残っておらず、何れ、九州王朝って何のことだと言われる時代が目前に来ています。

かつては九州王朝を意識した研究会もあったのですが、研究者を失い村興し町興し果ては世界遺産登録に浮かれ、通説派の教育委員会関係者や学芸員のご高説を賜り賛意を表する状況では早晩九州王朝研究も消失するでしょう。中には自称九州王朝論の研究者と称すも、行政の芸人に成り下がる方々も出るようではさぞかし古田武彦も草葉の陰から嘆いているでしょう。佃収先生は九州王朝論の主流派である古田史学などから独立し自らの研究を続けて来られました。それだけでも敬服に値しますが、九州のフィールド・ワークを徹底して続けて来られました。現在そうした研究者を見ません。かつては「法隆寺は移築された」を書かれた米田良三氏も居たのですが数年前氏も鬼籍に…。

現在、当会は熊本、福岡(福岡、太宰府、久留米)、佐賀、大分の4県で研究会、講演会、勉強会と合わせ現場でのフィールド・ワークも続けています。関心をお持ちの方は、ブログ「ひぼろぎ逍遥(跡宮)」外のトップ画面スケジュール表をご覧ください。また、九州内だけでも当会メンバーによるブログ(百嶋由一郎神社考古学に触発された)が十数名により20本(全国レベルでも356本)が公開されています。
来年は準備万端100人の講演会を!太宰府地名研究会+百嶋由一郎神社考古学研究会(文責:古川)

事務局 中島 茂 09052892994 (通信不能時連絡 古川 清久  090-62983294


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7月以降のスケジュール


伊藤まさ子「万葉集」勉強会 西原村 2022721日(木)12301600

会場:熊本県阿蘇郡西原村小森58058 俵山湧水そば 平田庵 正面私邸


太宰府地名研+熊本神代史研究会トレッキング

7月期  要:参加費資料代(注意:内容変更有)

2022724日(日)10:001700


22724日(日)10時に熊本県高森町スーパーASUKA:熊本県高森町高森1978-2集合(弁当持参)

テーマ:祖母山の祖母とはなにか? 一体誰の祖母なのか? では祖母の孫とは誰なのか?

「誰の祖母」山なのか 無題.png

ヤマトオグナ(後の日本武尊)に誅殺されたとされる熊襲猛の話は良く知られるが、実際には佐賀県の大和IC付近にいた熊襲猛は誅殺を免れ背振を越え福岡市早良区の某所に移動しその末裔は今もまとまって住んでおられます。それとは別にその末裔が竹田〜豊後大野の大神一族となったのではないか?と話が拡大しています。


通説と言うか宮崎のインチキ神話は神武僭称贈る崇神を神武に偽装しウガヤフキアエズの祖母に仕立てています

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
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