894 彦山西方の神々を考える個別編 C “彦山の祭神も再確認しておきましょう”
20210605
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
一連のこのシリーズの中で彦山そのものを考えることも必要になりますので、ここで概括しておくことにしましょう。

祭神:正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命( マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト)
伊耶那岐命 (イザナギノミコト) 伊耶那美命 (イザナミノミコト)
高木大神は裏に控えておられるのでしょう。表に出ているのは正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命 というかなり仰々しい祭神名で祀り上げられていますが、一体誰なのかお分かりになるでしょうか?
我々百嶋神社考古学の者ならずとも、「耳」という尊称(称号)が付されている事からして、中国の江南から入って来た神である事が分かります。
呉太伯の血流(つまり周王朝)を引く本物の神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)の子などというとんでもない話で第二代綏靖(スイゼイ)天皇扱いされ蘇民将来伝承の巨胆でもある神沼川耳命(カミヌナカワミミ)=黎族(阿蘇氏)、聖帝伝説絡みの多芸志美美命=手研耳(タギシミミ)実は健磐龍のことでもあるのですが、蘇民将来伝承の蘇民でもある神八井耳(カムヤイミミ)命、日子八井耳(ヒコヤイミミ)命(「日本書紀」にはない阿蘇高森の草部吉見神)、岐須美美命(『先代旧事本紀』)が…。このように耳の呼称を持つのは等しく雲南省麗江から海南島を経て九州阿蘇に避退した黎族(簡略化すれば阿蘇氏)なのです。
この事については「ひぼろぎ逍遥」以来、過去何度となく書いてきましたのでここでは細部について触れることは致しません。正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命と呼ばれる(自ら呼んだ多少大袈裟な名称)のがこの人物であり、高木大神の次女の栲幡千千姫命(長女の萬幡豊秋津師比売命の別名とする説がありますが、当然誤り、彼女はカミムスビ=大幡主の子豊玉彦=ヤタガラスの妃なのです)。

百嶋由一郎最終神代系譜(部分)
阿蘇氏でも建磐龍は本物の方の神武(カムヤマト…神武僭称贈る崇神ハツクニシラスではない)の妃だったアイラツヒメと蘇民将来伝承の巨胆=金凝彦(カナコリヒコ)との間に産まれているのです
それだけがいまだに阿蘇氏が神武天皇の一族であると強弁する理由なのであり それぐらい当の阿蘇宮司家も知っているはずですが、話が次世代に引き継がれていない可能性もあるかも知れません…
高木大神は朝鮮でも大邱(タイキュウ=テグ)を拠点としていました。その一族への事実上の入婿となったのが阿蘇氏のヒコヤイミミだったのです。
これで、栲幡千千姫(タクハタチヂヒメ)をお妃とした正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命なる人物が、阿蘇高森の草部吉見さん=ヒコヤイミミであることはお分かり頂けるでしょう。
イザナギ、イザナミ(列島に基盤を置いていた金山彦の妹)も新羅に居た神様で、その御子こそスサノウ=新羅の王子様だったのです。その後イザナミはイザナギと別れ列島に戻り熊野神社のクマノフスミと名を変え大幡主=カミムスビのお妃となり熊野系の一角熊野那智大社などを担う。
イザナギが祀られていない熊野神社が非常に多い事に気付かれている方は多いと思います。
イザナギとイザナミは分かれているのです。豊玉彦=ヤタガラスも金山彦の妹イザナミの子なのです。「日本書紀」の一書に「もう別れましょう…」とも…。

つまり彦山にはイザナギと別れたイザナミも祀られているのです。
また、琵琶湖の多賀神社もイザナミとイザナミこそ国の元と強弁しておられる神社もあるのです。
彦山でも正統な宮司家を排除する等、宇佐神宮に引き続き神社庁の悪巧みが進みつつあるようですが、元々明治期に山岳修験を政権への危険排除で潰したのですから彦山の再建は前途多難でしょう。
彦山については触りだけでいずれ書かなければならなくなるでしょう。短くもここまでとします。