2022年06月24日

889 高千穂の四恩山裾野の上野神社再掲 @ “宮崎県高千穂町上野神社”

889 高千穂の四恩山裾野の上野神社再掲 @ “宮崎県高千穂町上野神社”

20210512

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


以前(20170922)ひぼろぎ逍遥(跡宮)に以下を書いています。今後のシリーズに合わせ以下再掲載。

483 古代の痕跡を今に留める高千穂峡の手前に鎮座する不思議な神社 “高千穂町上野 上野神社”


 多い時には熊本のメンバー数十人単位で大規模なトレッキングを行っていましたが、最近は各自五月雨的に神社トレッキングを行い始めています。

 女性はむしろ土日に休みに難い事もあるため、今後は小規模トレッキングを連発した方が密度も上がり、機動的に動ける上に、重複が避けられ(勿論、何度も行くことによってようやく分かる事もあるため必ずしも重複が良くない訳でもないのですが)平日に何度か行う方が良いのかも知れません。

 第一、何台もの(時として10台も超える)車で狭い神社に移動するのは大変な事なのですから。

 これは、急に時間ができたお二人が神社を訪問するという話を聴き急遽私が加わった小規模トレッキングのリポートなのです。

 これまでは、読者の皆さんにはどうでも良いような話でしょうが、やっている方はそれこそ真剣で、見落としがない様に注意して時間に追われる遠距離の調査を行っているのです。

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烏岳と愛宕岳との線上に上野神社が置かれている事が分かります。

 また、上野(カミノ)集落の正面に四恩山があるのです。

 愛宕岳は二つ、烏岳も二つあり、この一帯がイスラエル系、瀛(イン)氏の集落である事が分かるのです。それにしても四恩岳とは凄いですね…。祇園はシオンの置換えでありシオニストのシオンなのです。

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社殿は上の千木は男神である事を示しています

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無題.pngさて、高千穂の神社を取り上げることにします。

 神社研究者にとって高千穂に関して全く触れない訳にも行かないのですが、実のところ、どのように解釈するかはかなり難しく、島津が造った南の高千穂はともかくも、ある程度の信憑性をもった北の高千穂の分析には注意を要します。

 故)百嶋由一郎氏からは“高千穂と言うか三田井は、元々、高木大神の支配下にありました。

長崎県の諫早、島原一帯から高千穂まで高木大神が支配しておられたのです。…”といった話を聴かされていました。

 この事からも、隣の熊本県高森町の草部吉見神社の本当の支配者が実は高木大神=ニニギの親父(祖神)であり、草部(クサカベ)の意味も朝鮮半島の伽耶の支配者でもあった高木大神の影響が及んでおり、伽耶部→茅部→草部との表記の変化(鈍化)が起こっているのです。ついでに言えば鹿児島もカヤカベ教も草部のつまり伽耶部なのです。

 草部吉見ことヒコヤイミミは高木大神=タカミムスビの次女タクハタチヂヒメを妃としており、その意味ではタカギオオカミ系なのです。だからこそ国風化の時期には「日下」と書いて日下部(クサカベ)と読ませたのです。

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高木大神の次女である栲幡千千姫命(タクハタチヂヒメ)は草部吉見のお妃になられていますね。

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祭神を見て真っ先に驚いたのは、神日本磐余彦命(カムヤマトイワレヒコ)、吾平津比売命(アヒラツヒメ)という本物の神武天皇と本物のお妃が大切に祀られている事でした。

 インチキ神話の宮崎の事、普通なら神武僭称ハツクニシラス崇神が美々津から東征に出たなどと書きそうなものですが(勿論これは部分的には正しいのですが、それは開化天皇=高良玉垂命の命により神武僭称贈る崇神が畿内の支配に入ったのであって、この男が事実上の最初の天皇だなどと言うのは大嘘で、それもただの臣下でしかなかったのです)、これだけでもこの縁起には信憑性が認められるのです。

 次に、伊弉冉命(イザナミ)が祀られるものの、伊邪那岐命(イザナギ)が書かれていない縁起が相当にある事は神社研究者の方はどなたもご存じかと思います。

 これは、直ぐに分かれ、イザナミ=クマノフスミは博多の櫛田神社の大幡主(ヤタガラスの父神)のお妃となられているからなのです。

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百嶋由一郎極秘系譜(部分)


死んで黄泉国にいかれた伊邪那美神を、伊邪那岐神が追っていったところ、 すでに伊邪那美神の遺体は腐ってうじがたかり、遺体の各部に八雷神が生まれていた。

『古事記』や『日本書紀』本文では、伊邪那岐神は慌てて逃げ帰ったと記されているが、一書には、穏やかに「もう縁を切りましょう」と言い、「お前には負けないつもりだ」と言って唾を吐いた。

その唾から生まれた神が速玉男命。次に掃きはらって生まれた神が泉津事解之男。唾が玉となって飛ぶ姿の神か。絶縁の神だろうか。

なお、速玉神と記す時、速玉男命とする場合と、熊野速玉大社の祭神・伊弉諾尊とする場合がある。


敬愛する玄松子による

この速玉男命(豊玉彦=ヤタガラス)と泉津事解之男こそが金山彦なのです。

日子火火出見命(ヒコホホデミ)=ニギハヤヒと鸕鷀草葺不合命(ウガヤフキアエズ)とは親子関係ですので、当然の配神です。

由緒で、一柱だけ分からぬ神様がおられます。花房比売命(ハナブサヒメ)です。これが全く見当が着かないのです。(編集時点の考えとしては、やはり、タクハタチヂヒメで良いと思います)

分からないものを分かったように書くのが一番危険な事ですので、これは今後の課題とします。

最後の応神天皇(ホンダワケ)=こんなものは呉の周王朝の流れも汲まないもので本来の天皇などではありはしない…などが加えられていますが、これは宇佐神宮が羽振りを利かした時代の名残でしょう。

 神話の故郷などと持ち上げられすぎた感のある高千穂ですが、今後少し真面目に考えて見たいと思います。ただ、いなければいけないはずの五瀬命が何故おられないのかが不思議です。


研究目的で百嶋神代系譜を必要とされる方は09062983254までご連絡ください

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ネット検索を続けていると、「花房姫」が出て来ました。しかも、何と直ぐ近くだったのです。

このPDFファイルを発見し何とか見当が着きました。

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これでは名前を変えても丸わかりで、彦山の正勝吾勝勝速日天忍穂耳命、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(耳が着いているので阿蘇系黎族と直ぐわかりますよね)、この話の花房姫が誰かはタクハタチヂヒメしかありようがないのです。

ただ、この神社は金山彦系(贏氏)、大幡主系(白族)の神社であり、阿蘇系は全く見当たりません。

してみると五瀬命がいないのは不思議です。

 ただ、三田井は元々高木大神(イスラエルorユダヤ系)の領域だったのであり、タクハタチヂヒメがいても良いのです。


ネット上には花房姫の墓まで出て来ます。そのうち遠くはないので足を延ばして見ようと思います。

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 どうやら守実温泉で英山社を探せば良いようです。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
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