879 長崎県には何故か大国主命を祀る神社が異常に多い C “雲仙市小浜温泉の 小浜神社”
20210313
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
気分次第で書いていますので、決して島原半島時計回りという順路とは一致していません。
2〜3月の厳冬期の小浜温泉ほど風情を感じさせるものはありません。
雲仙岳への南側の登山口の浜(一部海底)から湧く100度の間欠泉を引く高温泉の温泉地の小浜はこの季節無風状態で温泉の湯気が真っ直ぐ昇っています。
元々、三菱長崎への技術者として招聘された外国人技術者の高級な避暑地として設えられたのが硫黄泉の雲仙温泉だった事に対し、庶民向けのチープな浜の温泉地が小浜温泉だったのです。
従って、夏場は雲仙温泉へ、冬場は小浜温泉へと足を向けるのが合理的で、寒風吹きすさぶ中でも小浜に来るとそれが消えのんびりと一時を過ごせるだけでも温泉場の効能と言えるでしょうし転地療養でもあるのです。

多くの庶民向けの安宿が残るものの、共同浴場も幾つかあり、国道に面した浜の湯や公営国民宿舎望洋荘は誰でもが足を向けるところですが、この旧国民宿舎から100メートルほど入った裏通りの一角にある脇浜共同浴場をご存じの方は余りないと思います。昭和レトロそのものと言った満州事変前後に建てられた(しばらく前までは実際に漆喰、土壁の浴場)があったのです。 改装によって、外側に新たに壁材が施された様ですが、元の雰囲気は壊さず、今尚、涙が出る様な風情を漂わせる第一級の温泉場が残っているのです。食塩泉を好まれない向きもありますが、実は泉源としてだけはこの地に珍しい炭酸泉もあるのです。ご自分で検索を試みて下さい。

ひところ前まで雲仙にもこの手の共同浴場が残っていましたが徐々に消えて行きました。
雲仙は強烈な硫黄泉、小浜は強烈な食塩泉のため、逆に鉄筋コンクリートなど腐食が一気に進み全く持たないのです。
このため、竹筋コンクリートが実際に利用され、木造土壁漆喰の伝統的建築物が実際に意味を持っていた時代が存在していたのでした。
髪を洗ってもべたべたしないさらっとした高温食塩泉200円は是非堪能すべき一湯でしょう。、

番台の奥さまと男湯に周って来られたご婦人から宣伝して置いて下さいと言われましたので
さて、本題に戻しますが、この脇浜共同浴場のある裏通りの一角に小浜神社があります。グーグルでは853番地と出るのですが、神社が移転されており良く分かりません。


確かに大己貴外2柱としていますので、天御中主命+少彦名命かと思いましたが、、天御中主命ではなく劔柄神社草部吉見神(阿蘇高森のヒコヤイミミ)で良いようです。実際にはスサノウのような気もしますが…。
温泉の神を御祭神とする小濱神社と、武道(相撲)の神を御祭神とする剣柄神社が合祀されて、現在の小浜神社となりました。平成8年に社殿が建立されました。延宝7年(1679)に一晩で描かれたといわれている拝殿天井絵の龍には、雲仙普賢岳が噴火し土石流がこの地に流れてきた時、天井から抜け出し小浜を護ったと言う伝説が残っているようです。 (境内案内板「ビックリ小浜神社」より抜粋)
小浜には、小浜神社と劔柄神社があり(その他にもありますが)、小浜神社は島原領主松平忠房公の命により小浜大明神として建立し、のち小浜神社として祀ってきたそうです。劔柄神社も同じ頃の建立だそうです。その後、多分近年でしょうが、新しく社殿を立て、小浜神社として合祀をして、現在の小浜神社になっています。
さて、下の方が現在の、小浜神社の本来の天井絵です。旧の小浜神社から移設したものでしょう。かなり色あせていますが、ガイドブックの史跡巡りには「大蛇」と書いてあります。「龍」のような感じ?作者不明ですが、金箔を使って、一夜で描いたそうです。これだけ大きなもの、かなりの実力を持った絵師のものだと思われます。実に生き生きとしています。さて、この大蛇、口伝によると、寛政四年の島原地震の折、天に舞い上がり、大津波が来るのを告げ、普賢岳から流れる溶岩を身をもって防いだそうです。
(サイト「千々石(ちぢわ)deその日暮らし〜長崎県雲仙市千々石町」より)
小浜神社 - 神社探訪・狛犬見聞録

「劔柄宮(たかひのみや)」
御祭神 小濱社 大己貴命 少彦名命 劔柄社 武甕槌命
大己貴命は別名大国主命といわれ農業の始祖、国家鎮護の神と崇められました。
少彦名命は医薬術の神となり、この二柱の神が力を合わせて国造りをされました。
また、温泉の力により庶民の病を癒したことから温泉の神様として崇敬されています。
武甕槌命は武道(相撲)の神、国土鎮護の神として崇敬されています。
同社HP

ここには四面神社の影響はなく、事実、そのグループにも入っておられてはいないようですが、古くはどうだったのかは分かりません。
大国主命祭祀と長崎県というテーマで全県を探査している段階ですので、現状が把握できれば構いません。
跡宮も久しぶりに訪れましたが、国賊に近い小泉竹中による米国への郵政の売り飛ばしと国民所得の半減化により韓国にも馬鹿にされる様な国にまで貶められました。
結果、スクラップ化していた小浜温泉や別府温泉のような事実上潰れていた温泉地が復活しつつある事は寂しい喜びではあります。

「劔柄宮(たかひのみや)」= 劔柄社 武甕槌命が加わっているのですが、これが鹿島大神=阿蘇高森の草部吉見(ヒコヤイミミ)と理解できる方は少ないと思いますので、重複は承知の上で、神代系譜でお示ししておきます。これが後の藤原の祖先神であり第5代贈る孝昭天皇扱いとされたしかし重要な人物です。

百嶋由一郎最終神代系譜(部分)
草部吉見のお妃の一人となったタクハタチヂヒメこそ長崎の南北高来郡の語源である高木大神=タカミムスビの神の次女(天孫ニニギの姉)なのです。正に雲仙直下の小浜には相応しい神で代わりに追いやられたのが天御中主命ではないかと考えています。前述の気になる祠です。
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