ビアヘロ198 映画 「愛国女子」を見てきました “登場する天御祖神社の東西分離とは何か…” A
20220305
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
映画「愛国女子─紅武士道」(大川隆法・製作総指揮・原作)の中に3人の愛国女子が登場します。中でも武道に秀でた主人公の女子の武道場の正面に祀られた祭壇に“天御祖神”が出てきます。
では、この“天御祖神”とは何なのでしょうか?

連動するネット上の:映画「愛国女子」を10倍楽しむ! 日本の源流──天御祖神の聖地を探る - 強羅・相模・静岡熱海編 という販促=プロモーション文書には以下のような事が書かれています。
強羅・相模・静岡熱海編 あの富士山から、日本文明は始まった──。
3万年前に存在した古代富士王朝の面影を、富士山麓の地域に求めた。…3万年前日本を創造した「天御祖神」同作最大のキーワードとなる「天御祖神」は、幸福の科学の霊査で明かされた、実在の神である。今から約3万年前、宇宙から富士山麓に降り立ち、日本文明の源流である「富士王朝」を築いた。日本が誇る精神文明のほとんど、例えば日本語、お辞儀・合掌などの礼儀作法、柏手・しめ縄・禊払いといった神道の作法やお祭り、剣や相撲の道、そして武士道などは、いずれも3万年前に天御祖神が伝え、人々が現在まで脈々と受け継いできたものだという。
王朝の多くは溶岩に埋もれるもその富士王朝も、富士山の大規模な噴火により現在は溶岩の下に覆われてしまった。後継者たちが全国に散り、大和朝廷をはじめとする日本の歴史を紡いできたというが、その間に、富士王朝の記憶や天御祖神の名は、忘れ去られていった。
しかし近年、霊的に明かされ始めた富士王朝の実在を前提に、富士山周辺の文物を注意深く読み解いてみたい。そこには王朝の痕跡が、確かに見えてくる。…
これによると、所謂「富士文書」とか言ったものが描く世界を取り込んでおられるようです。映画の中に登場する神まで議論する必要などないのであって、それはそれで良いのですが、まず、東大出身の大川氏の目にも止まったはずの文京区大塚、駒込、早稲田…には5〜6社の天祖神社があります。
これは文京区中心に見ただけで、新宿、杉並、中野…と見ていくと、恐らく数十社は簡単に拾えるのではないか、しかも、天照大御神を祀るものが多く、言わば、江戸っ子のベランメイ調に単純化されている様に見えます。
九州にも「天祖神社」なるものが福岡県飯塚市、大分市、湯布院温泉の由布市や当会の研修所からもそう遠くはない大分県玖珠町にもかなり存在していることから、この神or神々がどのような関係になるかを少し考えて見たいというのが今回のテーマです。

ただ、富士文書とか物部文書として名高い「先代旧事本紀」にも天御祖神という名の神が存在するのではないのであって、それは大川氏のリーディングなり表現が適切ならば、ヒーリングにあるのです。
それ自体は、思考の行き着くところであって、神道であれ仏教であれ、現代人が求めるものであれば、そして、現代の日本人、日本民族にとって必要ならば、宗教家としては許されるものと思うものです。
ここでは、列島に渡来した多くの神々でも現代の日本人の血流に流れ込んだ有力かつ強力な先祖神を御祖神とし、ある時期の渡来を意味する天御祖神として崇めることは許されるべきであり、必要性があるならば祀られるべきものかも知れません。
ただ、私達百嶋神社考古学の者からすれば、テーマは日本人が如何に形成されたのか、日本人がどこからやってきたのか、また、多くの民族の渡来による混血も含め、一体どのような、衝突、争乱、共存…の結果によって形成されたかの深相を探るのが我々の任務なのです。
ここで“天祖神社”を考えると、分布が関東圏と北部九州に分裂していることに気づきます。
多少の例外はあるものの、どうもそれ以外の分布領域がないようなのです。
この現象がそもそも何を意味しているのか?若しくはそもそもこの二つの領域は元々異なるかも知れないという問題が横たわっています。これは落ち着いて調べなければ分からないのであって、それは当会の任務になるはずなのです。

地図からは漏れていますが、福岡県糸島市の北端にも大祖神社がありますので、最低でも10社は拾えます
ここで天祖神社について一旦は置くとして、北部九州には太祖神社、神祖神社、玉祖神社(周防の防府)、水祖神社(飯塚市)…もうなかったですかね。
このうち、玉祖神社は造化三神の一神、天御中主命、高皇産霊神、神産霊(カミムスビ)神でその実体は博多の櫛田神社の大幡主、水祖神社は女性神で、大山祗の三人の子の長女神大市姫(ミズハノメ)と分かっています。
太祖神社、神祖神社はまだ良く判らないのですが、ここ十年では結論を出さなければならない思っています。

玉祖神社=青枠、水祖神社=赤枠 百嶋由一郎最終神代系譜(部分)
この問題は取り敢えず後回しにするとしても、概念としての天祖神社は、渡来系の古い先祖神と考えれば、列島民族の祖先神、開拓神と考える事は許されるでしょう。
ただ、九州の天祖神社は関東圏内の天祖神社が天照大御神としている事とは違いもう少しはっきりとした具体性を持っていますのでこれからご紹介したいと思います。
取り敢えず最も近い二社を選びましたが、大分県でも豊後と豊前の分水嶺には近いものの、まだ海からは最も遠い山の上に追い上げられた人々が奉斎する神社で、所在地は大分自動車道玖珠インターから西に二、三キロといったところで、物部氏の匂いのするその名も大田田根子と同じ太田に鎮座の立派な一社です。
この神社は、7、8年前に何度か別のテーマで参拝させていましたが、今回訪れると、小規模ながらバイパス工事が行われており、昔の参道はそのまま元のまま残され、元の道路がバイパス化され付け替えられていました。
このため、多少は神秘性が消えましたが、今なお立派な社殿が地元の信仰、崇拝を集めているという強い印象を受けました。
では、ご覧いただきます。

気づきませんでしたが、北山田駅の南にも天祖神社があるようですそのうち行ってみましょう。辺鄙なところほど、原形が残るもので、何かつかめるかも知れません。
湯布院温泉の天祖神社は承知していますので大分県下の天祖神社の実踏は意外と早く終わるでしょう。
重要なのは、太田地区の天祖神社です。
ここは不思議なことに、500メートルも離れていない地区に分社があるのです。
元宮を余程神聖視していたか、そもそも奉斎する人々が民族的に異なっていたのかも知れません。
初めにお断りしておきますが、不思議なことに大分県には通常どこの県でも作られている神社誌がありません。
明治期の神名帳はあるのですが、県立図書館クラスしかなく、かなり不自由です。
宇佐八幡宮の専横だろうと勝手に考えていますが、対立が凄まじかったからかも知れません。
このため、いずれどうにかしますが、仮に調べても神名が書かれているだけで、それほど詳細な情報が得られる訳でもないため、二時間以上かけて大分の中心部にまでは中々足が伸びません。
むしろ、沢山の神社を見て、帰納演繹的に共通性を見ていく民俗学的手法の方が効率が良いという気がしています。一般的に、「古事記」「日本書紀」などの文献に重点を置き過ぎるのであって、そもそも記紀も偽書中の偽書と考え研究すべきと思うばかりです。

ここでは祭神として妙見神が筆頭に書かれ、併せてスサノウが祀られています、ホンダワケは宇佐八幡宮のお膝元だけに甘受していると見るべきでしょう。何よりも天御祖には相応しくないことは明らかです。
実質的に、久留米の高良大社が九州(という意味は列島全体の意味ですが)の宗廟を宇佐八幡に渡すのは奈良朝を越える749年と「高良玉垂宮神秘書」に書かれており、藤原が持ち込んだ応神が天御祖神ではありえないのです。
従って、天照大御神とスサノウとが本来の祭神のはずなのです。
一方、湯布院温泉で知られる由布市湯布院町川上の天祖神社は、祭神を天之御中主神、素盞鳴男命、軻遇突智命(金山彦)、事代主命とし、後世、大物主神が合祀されています。

結局、北部九州の福岡県糸島市から大分県大分市の南東部に掛けて偏った分布が認められ、この現象が何に基づくものかは今のところ何とも言えません。
やはり、何らかの氏族が西から東に移動した可能性は否定できないと思うのですが、仮に天照大御神とスサノウ、もう少し広げたスサノウの両親としての半島系(新羅系)のイザナギ+イザナミの移動があり、高木大神(タカミムスビ神)の許可を得る(衝突を避けるために)ために、天照を名目的に受け入れたのではないかという仮説を立てています。

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