2022年04月18日

ビアヘロ 197 映画 「愛国女子」を見てきました “ここに登場する天御祖神社とは何か…” @

ビアヘロ 197 映画 「愛国女子」を見てきました “ここに登場する天御祖神社とは何か…” @

20220305

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 熊本市在住の神道家でその筋では全国的に知られたF女子から“「愛国女子」―紅武士道”のチケットを貰いました。

当初、その経緯については良くは分からなかったのですが、チケットのリミットが23日しかなかったことから、まずは無駄にしては…とばかりに早々にも見てきました。

勿論、大川隆法氏監修の映画であることから、まずは“見ずんばあるべからず…”とばかりに足を動かすことにしたのでした。

ただ、チケットを特別に回してくれた女性も、言わば神道会の風雲(女子)児と考える事から、時代の必要性が昂揚(高揚)する時には、それなりの人物が社会の要請で自ずと現れるものだと思ったのです。

彼女は、あの悲惨極まりない熊本地震の最中、自らの家が被災していても、翌日には自らのネット・ワークを駆使して周辺の方々への救援のための炊き出しに動いたのですから、その意志には尋常ならざるものを感じていました。このため、私も山を越え翌日には手に入るものを持って翌日にはお手伝いに向かったのでした。これを、単純に日本版ジャンヌダルクとするのは誇張に過ぎるかも知れませんが、時代の要請とはそのようなものなのでしょう。それほど彼女の動員力と即応性には目を見張るものがあるのです。

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STORY

ある日、街で芸能事務所にスカウトされた大学4年生の大和静は、案内された事務所で武器を手にした4人の男たちに襲撃される。しかし、大和一心館の10代目道場主である父に鍛えられ、剣道4段・全国大会優勝の腕前を持つ静は、あっという間に相手を倒してしまう。身構える静の前に、芸能事務所の社長を名乗る高山悟志という男が現れる。戸惑う静に高山は、自分の本当の姿は、日本を古来より守りし創造神である天御祖神を本尊とする「日本救済会議」という団体の事務局長であり、この国を守るために活動していること、そして今まさに日本が滅亡の危機にさらされていることを告げるのだった......。物語の舞台はやがて現実世界から霊的世界へ。日本の未来と静自身の命をかけた激しい戦いへと続いていく。

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2022.2.21

【週末観客動員数ランキング第2位】映画『愛国女子―紅武士道』

2022218()に公開した映画『愛国女子―紅武士道』。全国227館でスタートし、公開初週の土日2日間においては、動員数116,629名、興行収入は145,676,540円を記録しました。また、興行通信社が発表する週末観客動員数ランキングでは、数々の大作映画が上位を争う中、堂々の初登場第2位にランクインしました!

同日公開された作品の中においては、本作が第1位の成績であり、公開初日を含めた3日間(218日〜220日)では、動員数154,504名、興行収入は193,081,010円を記録し、華々しいスタートを切りました!本当にありがとうございます。

SNS上では、「日本人なら必ず観るべき映画」「今の日本が置かれている状況・問題にリンクした内容であり、観る前と観た後とで意識が変わった」「今の日本があるのは、先人たちが日本を守るために命を懸けてくれたおかげであることを思い出させてくれた」「セリフ一つ一つに言霊が込められて、熱い涙が止まらなかった!」「今の自分が日本の国を守るために何かしているか?これから何ができるか?と考えるきっかけになった!」と、熱い想いを載せた投稿が多く見受けられています。

軍備の増強を続ける近隣諸国との外交問題、そして止まらない新型コロナウィルスの猛威など様々な困難に直面している現代日本。多くの方々が本作をご覧いただき、今こそ日本の明るい未来を切り開くため立ち向かう愛国女子・愛国男子となる方が一人でも増えていくことを願うばかりです。

大ヒットスタートを記録した映画『愛国女子―紅武士道』。今後の続報をお待ちください!


news | 映画『愛国女子―紅武士道』公式サイト より


 今回、このF女史を殊更引っ張り出した事には多少この映画と符号するものを感じたからでした。

 それは、自らが再建した神社(売りに出されていた宮崎県高千穂町内の廃社)を確保し、これまでの多くの蓄積から多くの人々を校合し、整地は元より、屋根の吹き直し、床の張替え…など、地域を巻き込んで、社殿の再建をやってのけているのです。そして、今や、定期的に合気道の教練まで行っているという妙邂を意識したからでもあったのです。

 その意味で、ここでは、まず、彼女の独立系神社を改めてご紹介しておきたいと思うものです。

 その神社は「ひのみこ社」と名付けられました。当方のブログ「ひぼろぎ逍遥(跡宮)」と「ひのみこ社」でダブル検索しても直ぐに拾えますので、一部をご覧いただきたいと思います。


851 高千穂町の一角で神社を再建する運動が始まった “ひのみこ社のご由緒について”

20200906

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 全国の神社の建物が劣化し、それを支えるべきはずの氏子の組織までが壊滅しつつある今、宮崎県高千穂町の一角において、売りに出されていた神社の敷地と社殿を買い取り再建する運動が始まっています。

 かく言う私もこの土地と社殿を管理していた不動産屋との相談にも多少は関与していた事から、参加できる日は阿蘇の外輪山沿いの100キロ近い道をひた走り、社殿を磨いたり参拝殿の床を磨いたりというささやかなお手伝いの作業をさせて頂いています。

 その運動と言うよりも、熊本の霊能者と言うか神ごとに関係する女性先導者自身が、あまりにも素晴らしいそのロケーションと古代にまでも遡る地域の歴史に感じいった事から、何とか再建し皆の拠り所としたいとの思いの実現に踏み出し実際にそれをやってのけておられている事に感じ入り書き始めたものです。

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再建工事に入る前の出雲大社教(明治の教派神道系教団)高千穂教会
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この神社の正面に四恩(シオン)岳がある事がお分かり頂けるでしょう。

 長年、神社調査を行ってきた者として解るのですが、神野、上野(カミノ、ウエノ…)と呼ばれる姓の人若しくは地名は何らかの形でイスラエル系、ユダヤ系と言われる人々との関係が辿れるのです。

 ただ、始めからこのような話を持ち出せばトンデモ説扱いされる事は明らかで、一般的には曹洞宗や浄土真宗などでも主張される仏の「四恩」としておくことが穏当かも知れません。

 無論、シオン山とはイスラエルの聖地エルサレムの南にある山とされていますよね。

 少なくともそういった知識を持った人々が入っていた土地だったとまでは言えそうです。

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エルサレム シオン丘陵


この上野地区の北には愛宕山があり金山彦(「古事記」ではカグツチ)の象徴ですし、同じく南の下野地区にも烏岳があります。

ヤタガラス(豊玉彦)系の山岳修験(豊前の求菩提山)の南の拠点であった事までが見えてきます。

 熊本の南阿蘇から宮崎の高千穂へと繋ぐ国道傍の住宅地ながら、同社の脇には素晴らしい清流が流れ

ています。

 F女史がこの地を惚れ込んだ理由もこのロケーションがあった事は言うまでもありません。

 しかし、そればかりではなく優れた感受性を持つ彼女は自らの感性によってこの地の歴史的重要性を掴み取り、神社の再建を始めたのでしょう。

 さて、そもそもこの地にあった元々の神社はそれほど古いものではありません。

 同社に残されている創立者田尻武雄氏の略歴(碑文)によれば、明治の教派神道系の言わば新興宗教団体で、その背後にあるのは、現在、石見、出雲、伯耆辺りに閉じ込められている出雲大社が全国的教団として教線を強化するために創られた教団と思われます。


出雲大社教 出雲大社教(いずもおおやしろきょう)は、1882年(明治15年)、当時の出雲大社前大宮司・第八十代出雲國造・千家尊福(せんげたかとみ)が創設した教団である。教派神道(神道十三派)の一つ。

明治13年に東京都日比谷の神道事務局に設けられた神宮遥拝所において、神造化三神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神)および天照大神の四柱を祀ると決定されたことに対して、出雲派は大国主大神も祀るべきだと主張し、伊勢派との間で大きな論争になったが、伊勢派が明治天皇の支持を得たこともあって、出雲派は敗北し、大国主は祀られないことになった(明治13年の祭神論争)。さらに、明治151月に明治政府が布告した「神官教導職分離令」によって、神社に奉仕する神官と布教を行う教導職が分離され、これによって出雲大社に勤務する神官が国家とは別に独自に出雲信仰の布教を行うことが禁止された。そのため、当時の出雲派(千家)のトップである千家尊福は、出雲大社大宮司を辞職して自らが教団の開祖となり、信仰組織を出雲大社本体および国家神道から分離させる形で明治15年に設立した。出雲大社教は昭和26年に出雲大社と統合されたが、その後も法人としては出雲大社教と出雲大社は別団体となっている。  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』20200811 12:18 による


結局、良く知られた 黒住教、御嶽教、神理教、金光教、天理教…などと同様の明治期の新興宗派であり、元々は主祭神を大国主命とする教団の神社だったのです。ちなみに隣県の熊本市にも同教団の教会があります。出雲大社熊本教会: 熊本県熊本市中央区九品寺2丁目6-61  096-364-3779

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「古事記」の大国主命と因幡の白兎の話はどなたもご存じですが神殿入口の欄干には折れたまま耳のない波乗り兎が(因幡の白兎の故事ですね)…これについては許されれば何とか直したいと思うのですが…


波乗り兎のモチーフです、誰か耳を治して頂ければ有難いのですがやりようが分かりません。

高千穂にしかも九州に大国主命とは訝しがる方は多いでしょうが、実は九州の方なのです。

これについては百嶋神社考古学の根幹を成す部分で、かなり多いので関心をお持ちの方はとりあえず以下辺りから探ってみて下さい。


 新ひぼろぎ逍遥

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全国の神社が荒れていく中、売りに出された社殿+神社地を買い取り

再建する作業が始まった(追補)

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全国の神社が荒れていく中、売りに出された社殿+神社地を買い取り

再建する作業が始まった(下)

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全国の神社が荒れていく中、売りに出された社殿+神社地を買い取り

再建する作業が始まった(中)

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全国の神社が荒れていく中、売りに出された社殿+神社地を買い取り

再建する作業が始まった(上)


仮称 ひのみこ社 カーナビ検索 宮崎県高千穂町上野(カミノ)4956地先 ※この地番は上野中学校


ここからは、再生なったひのみこ社のチラシの素案です。

ひのみこ社に参拝された皆様へ

ご参拝になった ひのみこ社 は、神社庁にも属していません。

また、色々な新興宗教団体にも属しておりません。

いわばどなたでも自由にお参りになられ思うように願いを託すことのできる神社です。

この神社の前身は、明治の初め(明治5年)に出雲大社がその教えを普及するために創られた出雲大社(イヅモオオヤシロ)教の枝の一つとして旧上野村村長も務められた田尻武雄氏によって設立された高千穂教会を始まりとしています。

それについては、今も同社参拝殿正面に残された碑文に書き留められています。

このため元々は大国主命と繋がりを持つ神々が祀られていたのです。

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「古事記」の大国主命と因幡の白兎の話はどなたもご存じですが神殿入口の欄干には折れたまま耳のない波乗り兎が(因幡の白兎の故事ですね)…


このため、現在も神殿の欄間にはうさぎのモチーフがあり、神殿にも神鏡が残されています。

しかし、数年前にこの教会を継承されていた方がご高齢のため離れられ、その際にその神霊は出雲に戻され大国主命の祭祀は完全に消えております。

古来、続く多くの神社であれ、新興の教団であれ、地域や集落の力が失われていけば、このような神社も後を継ぐことができなくなり潰え去って行くのは仕方がないでしょう。

それどころか、ほぼ一世代に亘るここ30年の構造的経済社会の停滞によってか、全国の多くの神社がその継承者、支援者、氏子組織に衰えを見せ廃社、統合、合祀どころか災害なども加わり地域そのものを押し潰しつつあります。

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そうした中、この高千穂町と谷で隔てる熊本県高森町草部出身の女性が荒れて行く神社を建て直そうと思い立ったのでした。

まだ、子育ても完全には終了していないうら若き身にありながら、多くの悩みをもつ困窮者、社会的弱者を救済する拠り所にしたいとの思いから神社の再生のための活動を始められたのです。

本来、神社であれ、寺院であれ、教会であれ、教団そのものの利得や名声を優先する向きがあるとも聴きますが、社会や地域が崩れ落ち人生さえも失う人々が増えつつある今日、本来、教団の有るべき姿を追い求めたいとの気持ちが在られたのではないかと思っています。

そうでもなければ、いくら子供の時から良く通っていた思い出深く素晴らしい背景を持った土地だったとしても、個人で土地建物を求め相当の資金を注ぎ込んで手間の掛かる事業に踏み入れる人などいるはずは無いはずなのです。

しかし、彼女を慕う多くの人々の手によって神社の蘇生は始まりました。

多い日には20名近い人々が入れ替わり立ち代わり加わりで作業が行われました。

それこそ手弁当に食事持ち込みで床磨き〜天井磨き、壁磨きが行われ、資財、道具、備え付けの器具などの持ち込みも行われました(工事完了後には今や670人もの人々が集まってこられているのです)。

また、素人には手に負えない大工仕事、左官仕事、解体作業、廃棄物の搬出…なども、いつしか地域の協力者が現れ、元の出雲大社教時代の信者おばあさんから頼まれたとして子、孫などの世代のその道の専門家が協力を申し出てこられ、瞬く間に再生へと向かったのでした。

新しい神社の名称は“ひのみこ社”とされたようです。古代日向国のことその意味は日に向かうまさしく陽の御子(巫女)の意味であろうと思うのですが、まだ、その真意はお伺いしてはいません。

少なくとも、熊本から宮崎そして大分に掛けての方々が関心と救いを求めて訪問される心の拠り所となる本物の神社が生まれたと思うものです。


ひのみこ社社務所:熊本市or高森町草部連絡先問い合わせ先 090-9793-4630


 さて、話がひのみこ社に偏ってしまいましたので、話を戻しましょう。後は、…

909 映画 「愛国女子」を見てきました “ここに登場する天御祖神社とは何か…” A 20220305

 に引き継ぎます。今やNHKをはじめとして地上波や大手新聞などの既存のマスコミを敬遠し避けて久しいのですが、「幸福の科学」大川隆法総裁、釈 量子、及川幸久…氏の動画は、ほぼ全てを見ていますし、少し前の幸福実現党の「日本を変える! 123の政策」などに異論は抱きません。

 ただ、正しいことを言う人、正しい行動をとる人々は、必ず敗北することを知る事から、それでも尚立向かおうという強固な意志を持つ人しか同行する事は出来ないのです。

 勿論、それでも国家が崩壊する時はいずれ訪れるのであり、その昂揚期の波に乗れる人は幸福であろうと思うものです。このあまりにも大嘘を吐き続ける既存の言論界、科学界、政界からの自らの分離と独立性の保持は、インター・ネットの社会への浸透と、逆にインター・ネットの変質(言論統制)の中で、それでも真実を伝えようとする一群の人々と論客が排出している訳で、中でも一際輝いていたのが及川幸久氏に象徴される同会の人々でもあったのです。

 いずれ、国家と社会と文化の危機はさらに深化してくるはずで、この激変の大波はまだまだ増大し、私達を襲うはずなのです。その事に危機感を持たない人々は不意打ちを食らうことだけは確実なのです。

 ようやく力を落とし始めた親中共、親K韓某学会の〇明党に対し、願うらくは、「愛国女子」の上映に踏み切られた一群の人々のご努力と意気込みに賛意を表したいと思うものです。

 現在の日本にはマッカーサーの占領政策の延長上に二度と米国に歯向かわない国家として骨抜きになりましたが、今は、ドジョウであっても、溯上する鰻の精神から進め本来の国を取り戻すべきなのです。


新ひぼろぎ逍遥909 映画「愛国女子」を見てきました“ここに登場する天御祖神社とは何か…”A へ

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | ビアヘロ
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