2022年04月18日

877 長崎県には何故か大国主命を祀る神社が異常に多い A “諫早市 宗方神社”

877 長崎県には何故か大国主命を祀る神社が異常に多い A “諫早市 宗方神社”

20210312

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


第一回目の探査行は島原半島から始めました。雲仙市、島原市、南島原市、南串山町に大村市を加えるというかなり広範なエリア無題.pngです。

順路は雲仙市から雲仙岳を時計回りに巡り、初見の神社を見て行くことになります。

今回は、これらの神社の全てを報告する事が目的ではないため、一部の興味深い神社を優先し書くことにしました。

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正面には銅版の掲示板があり、貞観12年以来、天御中主、大国主、少彦名命の三神を祀る神社である事が書かれています。


貞観12年は貞観大地震の翌年ですが、中国では唐時代の真只中です。

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元々ドルメンがあったのでしょうか石蓋が残っています


 同社は村社ですが、“弘法様を祭った時点では、「宗方村四面宮」と成っているので、この神社も、昔は「四面宮」と呼ばれていたのではないか。奉納踊り、宗方浮立が復活しました。 

 郷土史家の夏目先生の、お話でも、古老が「お四面さん」と呼ばれてあったことと、三代実録にある福岡の宗像神社と関係があったのは松浦郡の宗像神社であった点を踏まえて、今の諫早神社である諫早四面宮の末(寺)社であったろうと言われている。“

無題.pngによる地元の方のコメント

この神社がまた謎である。長崎県神社庁によると祭神は「天御中主命・大己貴命・少彦名命」らしい。

???ちなみに有名な宗像大社の祭神は「田心姫神(たごりひめのかみ)湍津姫神(たぎつひめのかみ)市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)」だ。まあ、これは誰でも知ってる宗像の女神さまだね。

なんで違うの??だってさ、ムナカタと言ったら普通三女神でしょ??

間違えようがないと思うんですけど。そんなのイナカの神社だからだろうとお思いでしょうが、今日図書館で諌早の歴史の本をちらっと読んできた。(閉館近くで、禁帯出本なので借りられない)それによると、諌早の宗方神社は『三代実録』に「肥前国宗形神社」としてのってるらしい。ほんとに諌早の宗方なのか??

ここはさ、宗方町の神社だから宗方神社になってんじゃないのかなあという気もするね。だって祭神が違うから。

肥前国と一口に言っても、宗像社なんて無数にあるだろうしな。平戸市田平の宗像神社の方がアヤシイな。佐賀の方も考えないといけないしね。諌早の宗方町はもともと宗像氏の土地で、当然ここには宗像一族がいたわけです。宗方町から長野町にかけてね。おもしろいね。諌早の宗方神社は別名が「四面宮」なのだそうだよ。当然こっちの名称の方が古いだろうね。もともと四面宮だったとしたら、それは島原の温泉神社と同じってことになるんだよな、自動的に。つーことは、ムナカタさんが温泉神社を祀ってた可能性もあるわけ。島原の温泉神社は古いからね。『三代実録』にのってるのが、諌早なのかどうかってのはおいといて、ムナカタさんも温泉神社信仰はあったのかもな。そんなのわかるもんかとお思いでしょうが、土地的にそうなんだよ。よその人にはわからないだろうけど、島原はそれ自体が聖地なんだよ。だからその周辺の土地に信仰が及ぶのは当然です。対馬と同じだね。

ネット上で良く遭遇する仮称リアス式によるコメント

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仮称リアス式が指摘される通り、参拝殿には四面宮の一社との垂れ幕が掲げられていました。

 勿論、四面神、四面宮は面四つあり、白日別、豊日別…四面神社の意味は九州島全域を意識したもので、この九州島全域の支配者との意味が込められている。

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グーグルで四面神社を表示するとこの程度ですが、例えば島原市にも数社確認していますし、実際には相当の数が拾えます。

事実、「四面宮ものがたり」という小冊子を配布し、雲仙温泉神社(総本社)以下、雲仙市、島原市、南島原市、諫早市の25社でグルーピングが進められているようです。

 元々、雲仙岳とは「温泉岳」の意味であり、旧高来郡=南北高来郡を象徴する神社だったのです。

 当然にも高木大神(タカミムスビ神)を中心とする先住神を意味しているものなのです。

 対岸の熊本県山鹿市宗方町にも四面神社がありますが、その解説文を読むと、やはり、大汝少汝(オオナムチ、スクナムチ)=大国主命+少彦名命が祀られているようで(タカミムスビノカミは後ろに控えている)、どうも、一時期、高木大神は阿蘇の草部吉見(妃は高木大神の次女タクハタチジヒメ)と全面提携する前は大国主命と提携したる時代があったようなのです。

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これで、何故山鹿の志々岐神社の背後に大国主命を祀っていたかが良く分かりました(と言っても初めて読まれる方には意味不明でしょうが)。長崎の延長だったのです。

 そもそも長崎県の大国主命祭祀を調べ始めたのは、福岡県宗像市の本来の祭神は大国主命だったのではないか(故百嶋由一郎氏は断言されていましたが…)というテーマの検証に本格的に取り組む一環としてこれまで放置していた長崎県の大国主命祭祀の探訪作業を行っているのです。

無題.png

こちらは佐賀市の佐賀城脇に在る四面神社の解説文です ただここには大国主の痕跡はありません

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
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