862 鳥之子(天日鷲)も祀る天目一箇神とは鳥之子の祖神=ヤタガラス “熊本県山鹿市薄野神社”
20210114
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
これも西原村の鳥子神社に付随する話になるのですが、熊本県山鹿市の西4〜5キロほどの所に薄野(ススキノ)神社があります。
これは民俗学者の谷川健一が「青銅の神の足跡」で取り上げた天目一神なる製鉄神を祀る神社であり、私も十年近く昔にブログを一本書いています。
さて、二千年前辺り(つまり真実の神代)以来、この一帯は非常に重要な製鉄地帯だったようです。
具体的には荒尾市から玉名市そして山鹿市に跨る尚岱山一帯の古代製鉄の象徴として、故)谷川健一も取り上げた「青銅の神の足跡」の天目一箇神もあるのです。

この天目一箇神とは製鉄を行ない続けるといずれは火玉が目に入り片目が潰れるのですが、その時製鉄技術を持った技術者は引退し神として崇められるのです。
また、有名な安来節にドジョウすくいがありますが、これは面白おかしく仕立てられたもので、実は鉄を浚う鍛冶屋の姿を残したものなのです。
この滑稽さを競う踊りには片目が潰れ鉢巻を締めたひょっとこ面の男(メッカチ)が登場します。
ひょっとことは火吹男(ヒフキオトコ)であり、メッカチとは片目が潰れた鍛冶屋の意味なのです。
地図をご覧頂ければ明らかですが、鹿北町芋生(イモオ)があります。
これも鋳物(イモノ)を置換えた地名ですし、下の地図には出てきませんが、付近には川沿い(菊池川の支流)に金堀(カネボリ)という地名さえ拾えるのです(国道3号線)。
こちらは支流ですが、阿蘇の火山灰が大量に堆積した土地から流れ出す土砂には大量の鉄が含まれているのです。このため火山地帯だった阿蘇の周辺では川の運搬に伴う浮遊選(洗)鉱が行われ砂鉄が堆積する場所があるのです(蛇行地の淵)。そこから川を浚えば今でも良質の砂鉄が手に入るのであり、天目一神を祀る一帯が前述した上吉田地区なのです。
この点、後に鉄生産の中心となった山陰(島根、鳥取、広島北域)がカンナ流しを必要としたことから言えば有利だったはずなのです。ただ、人口が薄く有利な点はやりたい放題に山を壊せた事だったのです。
さて、山鹿から菊池へと溯る一帯こそ後に南朝方として数百年に亘って闘い続けた菊池氏の領域に入るのですが、谷川健一氏の著書に絡む「天目一箇男神」の話がネット上にありますので参考にご紹介します。

肥後国誌 には 熊本県の鹿本郡を中心とした玉名郡や菊池郡に及ぶ広大な一帯が かっては水底で そこは茂賀の浦と呼ばれていたとあります そこに阿蘇大明神である健磐竜命が山鹿に来て 鍋田の岩を蹴透して湖の水を流したと云う話を紹介し 湖の水を有明海に導いた川が菊池けれつ川だと書いています 氏は 各地に残るこうした蹴裂伝説が鉄器を用いての開墾や開拓を暗示しているとし 阿蘇国造の祖神である健磐竜命がその阿蘇湖の干拓に係わった事が この伝説を生んだとしています くばるあめのまひとつかみ又 氏は 蹴裂伝説の他にも 山鹿市久原に目一箇男神 ( 天目一箇神 ) を奉る神社があり しかも その近くに銅山があった事を書いています そして 肥後国誌 巻之七には その金属ゆるぎたかまの神である目一箇男神が 6 世紀の継体大王時 ( 磐井の時代でもあります ) に震岳 ( 別名高天山 ) のたぐい主神として奉られている事を紹介しています 更に 地元の伝説にはその震岳にいた土蜘蛛の類が景行大王 ( 日本武尊の父 ) の軍勢に激しく抵抗したが 滅ぼされたという話がある事を指摘しています 興味深い事に 村上恭通氏の 倭人と鉄の考古学 によれば 発掘による鍛治工房跡は 当時の先進地域であった博多地区以上に その菊池 / 山鹿地区に於いて発掘されています つまり 弥生時代から古墳時代の移行期において 別の言い方をすれば 卑弥呼の時代において 鍛治工房跡の遺跡が集中的に見られる所が阿蘇 / 菊池 / 山鹿地区と博多地区なのです …(中略)… 又 先に見たように 魏志倭人伝には 邪馬台国には丹 すなわち 水銀朱が有ると書かれており 一歩下がって 丹がベンガラをも指すとしても 邪馬台国とその朱 & ベンガラの繋がりを辿る事に加え 青銅や鉄の軌跡と朱やベンガラがどう繋がっているかを探求する事は 古代を知る上で大事な事と思われます 「母の故郷に見る鉄の跡」による
これまでの話から、少なくとも足(帯)の名を持つ、孝安天皇=玉名の疋野神社の主神とその子景行という一氏族が入った領域が巨大な製鉄地帯、冶金地帯だったと言う事はお分かり頂けたはずです。
では、この神社の祭神をご覧頂きましょう。
熊本県神社誌を見ても「天目一箇神」とあるだけで一向に要領を得ません。、
そこで、敬愛する「玄松子」様に頼ると非常に重要な神々が並んでいました。

薄野神社の境内摂社に八坂神社があることはスサノウ系そのもので、熊野座神社もヤタガラスその藻です。木幡は不明(北関東の木幡神社は正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊としておりヒコヤイミミか?)。境外摂社に菅原神社(3)と天神社(1)がある事は象徴的で、菅公は金山彦〜スサノウ+櫛稲田姫〜ナガスネヒコの後裔氏族の本家とヤタガラス系本家によって成立した氏族であり、その氏族がこれらの神社であった事を物語っています。
このように一つ目神社がヤタガラス系に庇護された金山彦の後裔のナガスネヒコ製鉄集団の神社であった事は疑う余地がありません。薄野神社の祭神として天日鷲命(西原村鳥子の祭神)が直接的祀られていると言う訳ではありません。しかし、同社は明らかに天目一箇神を祀っていることから、以下…
天目一箇神 あめのまひとつのかみ
別名 天目一命:あめのまひとつのみこと 天麻比止都禰命:あまのひとつねのみこと 天久斯麻比土都命:あまのくしひとつのみこと……
金工鍛冶の神。作金者の神。鉱山師の神。筑紫・伊勢両国の忌部の祖神。天津日子根神の御子。
太玉命の率いる五神(天日鷲命:阿波忌部の祖、手置帆負命:讃岐忌部の祖、彦狭知命:紀伊忌部の祖、櫛明玉命:出雲玉作の祖、天目一箇:筑紫・伊勢忌部の祖)の一柱。
『古語拾遺』に、天照大御神が天岩屋戸に隠れた神話では祭具としての刀剣や斧、鉄鐸を作る役をしている。『古事記』ではこの役をやっている神は鍛人天津麻羅となっており、同神とする説がある。あるいは天津麻羅は鍛冶職人という一般名詞とする説もある。
溶鉱炉の火を片目で監視して、火の色で温度を測るため、片目が見えなくなってしまうことから一目という。その異形な姿や、鉱山を求めて各地をさすらう異界の人々という印象がある。
社伝によると、継体天皇四年(510)十一月、高天山の神主若山連の後裔吉田氏が祀ったという熊本県内屈指の古社。
祭神は天目一箇命であり、鍛冶集団の神。筑紫・伊勢の忌部の祖である。社地周辺には旧銅山があり、採掘の神として祀られた。菊池川流域には古代製鉄遺跡も広く分布している。
また、社記によれば、蒲生の不動岩と彦岳権現が首引きをした時わが子の首引を案じていた母神の目に首引きの大綱の端が当たり一目をうしなわれたので、その母神を祀ったとある。 敬愛する玄松子による
そこで同社の祭神ですが、主祭神の太玉命はやはりヤタガラス=豊玉彦で良いと考えます。
太玉命の率いる五神(豊玉彦=ヤタガラス)(天日鷲命:阿波忌部の祖(鳥之子)、手置帆負命:讃岐忌部の祖(スサノウ)、彦狭知命:紀伊忌部の祖、櫛明玉命:出雲玉作の祖、天目一箇(重複か?):筑紫・伊勢忌部の祖)の一柱 敬愛する玄松子による

百嶋由一郎神代系譜 004 ヤタガラス系譜原本(部分)
ここでは、薄野神社の主神がヤタガラスであり、その随神として西原村の鳥子と同一神の天日鷲命が祀られている事が確認できれば良いのではないかと思います。少なくもこのブログの任務もその範囲です。としたのでした。確かに敬愛する玄松子氏に全幅の信頼を置いて書いたのですが、天目一箇神=別名 天目一命:あめのまひとつのみこと 天麻比止都禰命:あまのひとつねのみこと 天久斯麻比土都命:あまのくしひとつのみこと……金工鍛冶の神。作金者の神。鉱山師の神。筑紫・伊勢両国の忌部の祖神。天津日子根神の御子=太玉命の率いる五神と言うものの、全ての天目一箇神が五神を等しく抱えていたかには不安が残ります。
製鉄には、砂鉄の採取、燃料の調達、運搬、保管、製鉄、冶金、その搬送…と多くの職能集団を抱え込みます。それが各々対応しているとすれば五神が等しく従っている事になるのです。
一応、天日鷲命=鳥之子がここにもいたとすることは許されるでしょう。
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