2022年01月22日

ビアヘロ189 グループの老メンバーから依頼のあった筑後の秋葉神社について

ビアヘロ189 グループの老メンバーから依頼のあった筑後の秋葉神社について

202111125

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


当会のメンバーには若手(と言っても40代程度ですが)から八十歳前後の方までおられますが、今回のお話しは戦後80年を生き延びたご老人からのご依頼から始まった秋葉神社のお話になります。

秋葉神社、愛宕神社…と言った名で知られる筑後市(福岡県久留米市南隣の地方都市で岩戸山古墳石人山古墳のあるところと言う方が早いかも知れません)の秋葉神社の祭礼に参加された老メンバーがその神社の世話役でもある友人からこの神社の神様について「誰が祀られているかが分からない…」との話があったためご協力させていただく必要もあろうかと分かる範囲で小稿を纏た次第です。

無題.png

この神社は九州自動車道広川インターの西のエリアで3号線の渋滞を避けるために頻繁に通るところですから同社の存在は承知していましたし、秋葉神社とも確認していましたが、参拝はしておらず、さっそく現地踏査をして、リポートの裏採りをしたいと考えています。

 ただ、カーナビだけで秋葉神社だから金山彦系=カグツチで安心していたのは誤りだったようで、もっと重要な深い意味がありそうなのです。

無題.png

「福岡県神社誌」には筑後市の秋葉神社は二社とも搭載されていません(中巻 八女郡)。

仕方がなく、下巻最後尾の無各社一覧を見ると、同じく八女郡として搭載はされているものの記述はこれだけです。


秋葉神社 味耜高彦根神 羽犬塚字屋敷 419p

秋葉社  味耜高彦根神 下廣川村   422p


このため少し広いエリアで確認すると、最下段右の秋葉神社(福岡県八女市東唐人町1-214-2)は、火之迦具土神 として書かれており、味耜高彦根神 ではなくこれが(火之迦具土神)本来の祭神のはずなのです。

無題.png

福岡県八女市東唐人町の秋葉神社

無題.png

福岡県ではこれ以降の南では秋葉神社の分布が消えます。この金山彦系の祭祀は南の熊襲の領域には分布がないのでしょうか?また北九州でも消えます。

 そこで全国的な秋葉神社の祭神を考えることにします。出典はウィキペディア(20211125 19:24)ですが、学術書よりはよほど確実です。ご覧の通り上記の地図以南にはないのです。

 とりあえず、九州・沖縄地方のうち福岡県だけを考えます。

福岡県

徳力秋葉神社 - 福岡県北九州市小倉南区徳力5丁目にある神社。

秋葉神社 - 福岡県直方市大字上頓野にある神社。

秋葉神社 - 福岡県田川郡赤村大字赤にある神社。

秋葉神社 - 福岡県古賀市筵内にある神社。

秋葉宮 - 福岡県福岡市博多区吉塚1丁目にある神社。

秋葉社 - 福岡県福岡市中央区天神1丁目にある神社。

秋葉神社 - 福岡県福岡市中央区鳥飼3丁目にある神社。

秋葉神社 - 福岡県太宰府市にある神社。

秋葉大神 - 福岡県小郡市光行にある神社。

秋葉神社 - 福岡県久留米市櫛原町にある神社。

秋葉神社 - 福岡県久留米市田主丸町恵利にある神社。

秋葉神社 - 福岡県久留米市田主丸町菅原にある神社。

秋葉神社 - 福岡県久留米市京町にある神社。

秋葉神社 - 福岡県久留米市山本町豊田にある神社。

秋葉神社 - 福岡県久留米市草野町吉木にある神社。

秋葉神社 - 福岡県筑後市大字一条にある神社。

秋葉神社 - 福岡県筑後市大字羽犬塚にある神社。


 静岡県浜松市天竜区春野(はるの)町領家(りょうけ)、秋葉(あきは)山に鎮座。祭神は火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)で、古くは秋葉山三尺坊大権現(さんじゃくぼうだいごんげん)と称され親しまれた。現在は秋葉山本宮秋葉神社を正式名とする。起源は不詳であるが、『三代実録』の貞観(じょうがん)16年(8745月の昇叙の記事を当社のものとみる説もある。古くから仏教と習合、防火の神として朝野の信仰を集めた。明治の神仏分離後、社蔵の仏像類は同県袋井(ふくろい)市の可睡斎(かすいさい)(曹洞(そうとう)宗)に移った。旧県社。例祭は1216日で、夜半に行われる「秋葉の火まつり」は有名。[茂木貞純]


通常、秋葉権現は神仏混交の結果ではありますが、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)こそが秋葉様の本体で、愛宕神社も同様と思われて構いません。

 してみると、筑後市一條の秋葉神社は何故 味耜高彦根神 とされているのでしょうか?

 そこでメンバーで筑前筑後の神社のエキスパートである宮原誠一氏(「宮原誠一の神社見聞諜」管理者)に尋ねててみると、実は久留米水天宮の神殿背後の立派な境内摂社も、秋葉神社の祭神を味耜高彦根神としており、それ以来、神社が誤っておられるのではないかと思っているとのお話だったのです。

無題.png

久留米水天宮、従って有馬藩の権威とを合わせ考えると理解できないのですが、本来、金山彦=火之迦具土神であるべきものを何故か味耜高彦根神にしているとしか考えようがなく、その影響が廣川周辺まで及んでいたと見るべきなのでしょう。今のところここまでしか言えません。

 一応、裏付けのために、佐賀県や福岡市周辺の秋葉神社を見てみましたが、間違いなく金山彦=火之迦具土神としており、何故か筑後久留米班一帯だけが味耜高彦根神にしているようなのです。以下二例を。


佐賀県鳥栖市の秋葉神社 秋葉神社縁起 火防・火伏の神、火之迦具土神を祭神


≪御祭神≫火産霊命(ほむすびのみこと)【火之迦具土神】軻遇槌神(かぐつちのかみ)

秋葉山本宮秋葉神社御祭神は、火之迦具土大神ヒノカグツチノオオミカミと申し上げ、伊邪那岐・伊邪那美二柱の神の御子で火の主宰神です。火の光は時間的、空間的に人間の活動範囲を拡め、その熱は人間に冬の寒さも克服させ、食生活を豊かにし、そのエネルギーは工業・科学の源になると共に、その威力は総ての罪穢れを祓い去ります。光と・熱と強いエネルギーを与えられたこの神は、文化科学の生みの親として畏敬され、崇められてまいりしました。


全国的にも神社を大切にした有馬家には特別な伝承が残っていたのでしょうか?

 それとも、味耜高彦根神を秋葉神社の名で守るべき必要があると考えておられたのでしょうか?

これ以上の追及は困難ですが、金山彦と味耜高彦根神を簡単に説明して将来へ託したいと考えるものです。

 時間的制約がなければ、最低でも九州全域の秋葉神社、愛宕神社…をネット検索でも続け、全体的傾向を把握し、何故、筑後にこの様な現象が生じたかを調べることもできますが、当面は不可能です。

 では、分かるところから作業を進めましょう。

秋葉、愛宕は通常火の神様として扱われ、百嶋神社考古学でも火之迦具土神として扱い、製鉄、冶金、瓦製造、陶磁器関係者で奉られることが多い神様です。


無題.png

百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


福岡県下で最も知られた愛宕神社をご紹介しておきましょう。

無題.png

愛宕神社 カーナビ検索 福岡県福岡市西区愛宕2丁目7-1


古くは鷲尾神社といい、景行天皇の代に、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)、伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)の2神を祭ったという。寛永11年(1634)黒田忠之が京都愛宕神社から火産霊神(ほむすびのかみ、かぐつちのかみ)、伊邪那美尊(いざなみのみこと)の2神を勧請し、愛宕神社を作った。明治34年(1901)両社が合併し、現在鷲尾愛宕神社として4神が祭られている。開運・長寿・商売繁盛・鎮火、また禁酒・禁煙などにも霊験があるとされ、「愛宕さん参り」の習俗が今も続く。

「福岡市の文化財」より

 百嶋神社考古学ではイザナミは金山彦の妹、スサノウのお妃となるクシナダヒメ(母神:埴安姫)も本物の神武天皇のお妃であるアイラツ姫も金山彦の娘となります(母神:大市姫)。

難敵なのは味耜高彦根神です。


『古事記』では阿遅鉏高日子根神、阿遅志貴高日子根神阿治志貴高日子根神と表記し、別名に迦毛大御神(かものおおみかみ)、『日本書紀』では味耜高彦根命、『出雲国風土記』では阿遅須枳高日子と表記する。また、阿遅鋤高日子根神とも。

大国主神と宗像三女神の多紀理毘売命の間の子。同母の妹に高比売命(シタテルヒメ)がいる。農業の神、雷神、不動産業の神として信仰されており、高鴨神社(奈良県御所市)、阿遅速雄神社 (大阪府大阪市鶴見区)、都々古別神社(福島県東白川郡棚倉町)などに祀られている。すなわちこの神は大和国葛城の賀茂社の鴨氏が祀っていた大和の神であるが、鴨氏は出雲から大和に移住したとする説もある

『ウィキペディア(Wikipedia)』20211127 15:44による


ところが我が百嶋神社考古学ではかなり異なる見解を採っています。

無題.png

百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


通説が大国主神と宗像三女神の多紀理毘売命の間の子とするのに対し、百嶋神社考古学では豊玉姫(タゴリ姫=タギリ姫)は良いとして、父神を彦火々出見命=山幸彦との間に生まれているのがウガヤフキアエズ命であるとします。

宗像三女神の市杵島姫と大国主命との間に生まれた下照姫を、この山幸彦と豊玉姫との間に生まれたウガヤフキアエズこと味耜高彦根神(アジスキタカヒコネ)が妃としているのです。

このため、妃の下照姫を介してその義理の父神はと言えば大国主になる訳で、その意味で言えば、アジスキタカヒコネは大国主命の義理の子とまでは言えるのです。

そして、下照姫は母神が大国主命のもう一人のお妃である市杵島姫であることから、混乱が生じているのです。宗像三女神に関しては当の宗像大社でも、また、「古事記」と「日本書紀」とでも混乱が生じていることからしても分かるように、500年は降る時代に近畿大和政権の藤原系官僚(阿蘇系多氏)が不正確な理解をしたとしてもおかしくはないのかも知れません。宗像大社の本来の祭神が大国主命であり、そのお妃が市杵島姫(キサガイ)と豊玉姫(ウムガイヒメ)でもあるのですが、記紀の編者が二階から目薬を注すようなことをするから訳が分からなくなっているのかも知れません。

ちなみに久留米市中心部の櫛原天満宮(秋葉神社)も大火の教訓からか火産靈神 味耜高彦根神 を祭り神としており、重々承知の上で味耜高彦根神を祭神としているのです。

これで味耜高彦根神(アジスキタカヒコネ)のアウトラインがご理解頂けたのではないでしょうか?

最後に残された問題は、何故、金山彦であるべき秋葉神社が味耜高彦根神を祀っているかです。

そこで考えるべきはこの場所が久留米の高良大社のお膝元であるという事であろうと思うのです。

実は、高良大社に残された貴重極まりない「高良玉垂宮神秘書同紙背」ではニギハヤヒ=山幸彦=猿田彦=五十猛の子であるウガヤフキアエズが高良玉垂命(第9代開化天皇)と同等それ以上の存在として描かれている部分が多々見られるのです。

この点は、故)百嶋由一郎氏が特に強調されていたのですが、必要以上にウガヤを格上げして書いている部分があるので其の部分は割引いて読みなさいとの話を聴かされていました。

このウガヤフキアエズの出自についてはかなり興味深い話があるのです。ただここでそこに触れるの混乱するため避けますが、そういう意味もありその息子である味耜高彦根神が高良玉垂宮にとっては極めて重要であることから祭神としては消し去ることができず、高良大社の裏紋木瓜紋を所有する金山彦に関わる秋葉神社として神社を残し、密かに味耜高彦根神が守られていると見る事もできるかも知れません。

実は、金山彦は九州王朝の初期を支えたイスラエル系の重要氏族であり、次の第二期は我々がトルコ系匈奴と考える大国主命に替わるのです。

その意味では九州王朝の中心部での政治的な転換に対応する問題なのかも知れませんし、非常に重要な祭神であったことから、秋葉神社という比較的問題の生じない神社名で味耜高彦根神が祀られたのかも知れません。勿論、その逆もありうるのです。つまり、秋葉神社=金山彦を奉斎する一族に対し、押し売り的にウガヤフキアエズが祭神として捩じ込まれたのかも知れないのです。

何れにせよ、全国区の神社である久留米水天宮の境内摂社が金山彦として味耜高彦根神を祀っている以上ですからただ事ではないのです。

無題.png

上の紋章は久留米高良大社のものですが右端の左三つ巴紋が表紋で、右端が本来高良大社の裏紋で実際には初期の九州王朝を支えた金山彦系の臣下としての神紋なのです。そして唐花紋とも花菱紋とも呼ばれる真ん中の紋章こそが高良玉垂命の神紋でこの点も理解しておいて頂きたいと思います。

無題.png 九州全域でも満遍なく秋葉神社が拾えますが、佐賀県だけが秋葉の名では空白地帯となります。

 実際、佐賀県では秋葉では遭遇したことがありません。

 ただ、これは別の神社名で名乗られているためで、佐賀県では、ほぼ八天宮、八天社、八天神社という名で展開しているからです。瞬間ぎょっとしましたが、こういうことがあるから神社探求は難しいのです。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | ビアヘロ
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: