856(後) 鳥子三宮神社の基底部を探る @
20210105
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

ヤタガラスはカミムスビという有力者のプリンスであったために多くの氏族 豊秋ツ姫(高木大神の長女)、罔象女命(大山祗の長女)、櫛稲田姫(金山彦の娘=イカコヤヒメ)、木木花咲弥姫(大山祗の次女後に前玉姫)、武内足尼(スサノウとクシナダヒメの間に生れたナガスネヒコの妹オキツヨソ足姫)…と姻戚関係を結びます。ここまで確認できれば、次のステップに進むことができます。天日鷲=鳥子大神とは如何なる出自であるかです。そのためには杉山姫なるものが何かを知らねばなりません。
簡単に言えば、この杉山姫も阿蘇津比売(アソツヒメ)の別名でしかないのです。
ここら辺りからの話は現在の阿蘇宮司家(健磐龍系)が嫌がる話になるのですが、この阿蘇津比売は始め本物の神武天皇(後の藤原によって第10代とされた神武僭称贈る崇神ではない)の息子である第4代懿徳天皇(母は大山祗の姉大市姫=燕脂姫の娘アイラツヒメ)の妃になるのですが、後に別れ、阿蘇家の祖とされる健磐龍との変節を経て最終的にヤタガラスの妃となる時点では杉山姫と名を変えているのです。
これが神奈川県の川崎市などに集中する杉山神社なのです。要はかなり奔放な女神様だったのです。
天豊ツ姫⇒阿蘇津比売⇒天比理刀刀ヒ寒川姫⇒杉山姫
さらに説明を加えれば、天豊ツ姫は第4代懿徳天皇の妃時代の名、阿蘇津比売は出戻り時代の復名、健磐龍による皇后陛下略奪、籠絡と応諾の結果の罵声が天比理刀刀i屁こき姫の意味)の名となり、最後は寒川姫、杉山姫は、しかたがなくヒコヤイミミがヤタガラスに頼み込み引き取ってもらって後の改名と言った趣旨の話を百嶋氏はされていました。
百嶋由一郎氏は神社研究上は「熊本県神社誌」の編纂者であり人吉の青井阿蘇神社の宮司(神社長)でもあった上米良純臣の副官に近い存在だったのであり、神社中枢部では伝え知られた話だったようです。
ここまで解読した上で改めて西原村の性格を考えると、この地は阿蘇氏が熊本に進む出口のような場所であったと気づきます。今でこそ阿蘇谷に向かう白川右岸(北岸)ルートが主である事から錯覚しがちですが、地形から言っても阿蘇谷よりも南郷谷との関係、阿蘇神社よりも草部吉見系(年禰神社系)との関係が深い一帯であった事が見えてきます。そして、同村全域の祭神も解析すると単純に阿蘇系とは言えず、大幡主系=天御中主命=妙見=北辰の系統、とりわけ豊玉彦=ヤタガラス系の勢力が製鉄、製銅、冶金を行っていた事を強く意識するのです。


百嶋由一郎お騒がせ姫神代系譜
鳥子三之宮神社の解析は一筋縄ではゆきませんが、ここで横道に逸れ少し目先を変え古代製鉄で知られた西原村でもとりわけ鳥子の一族について考えて見たいと思います。
それは西原村HPから取り出した日置若狭守の供養塔の話です。
中近世は私の興味の向かう領域ではないため詳しくはないのですが、多少思いついたお話を付け加えておきたいと思います。
九州の神代史から古代史について関心を持つ人々にとってはほぼ常識的なことですが、3世紀前後の列島に於いて、近畿大和とりわけ奈良県では全く鉄が取れた痕跡などなく、逆に筑紫から肥後にかけては圧倒的な製鉄の痕跡があることです。
中でも熊本県は著しく、荒尾から玉名そして山鹿、つまり尚岱山周辺の古代製鉄産の存在があり、今尚、菊池川の川底には夥しい量の砂鉄がうず高く堆積しているのです。
この点、山を崩し風化花崗岩の隙間から砂鉄を取り出す山陰などの乱暴なカンナ流しによる製鉄に比べれば川底から取り出した鉄を精錬すれば良い肥後の製鉄は非常に有利だったのです。
これに加え阿蘇平野と菊池、山鹿に拡がっていた巨大穀倉こそが南北朝争乱期に象徴される阿蘇氏、菊池氏、五条家、黒木氏…といった宮方の抵抗できた基盤だった事が分かってきます。
そこでこの日置氏の話に踏み込みましょう。この日置氏=疋野の一族は製鉄で知られた人々で、全国にその足跡を残しています。

西原村HP教育委員会より
鹿児島の日置市、山口の旧日置町(現長門市)、大阪の羽曳野、丹波篠山の日置氏…切が無いのでここまでとしましょう。
そこで、玉名の疋野神社が頭を過りました。この疋野神社の一族がいた玉名こそが日置氏のルーツとも言うべき本願地と思われ、巨大鉄山と言える尚岱山を背負い菊池川を遡上しもう一つの製鉄地帯である大分県の国東半島+姫島への製鉄ベルトが形成されているのです。このとんでもない話については以下をお読み頂く必要があります。極秘扱いにされてはいますが、藤原氏はこの重要な製鉄氏族である日置氏=疋野神社(温泉神社)の祭神こを自らの参加に置く為に第6代とされた孝安天皇の一族としたのであり、全国の日置氏はその後裔氏族と考えられるのです。
@ 神武 神日本磐余彦天皇(カンヤマトイワレヒコノスメラミコト) 九州王朝正統皇統
A 綏靖 神渟名川耳天皇(カンヌナカワミミノスメラミコト) 阿蘇系(黎族)
B 安寧 磯城津彦玉手看天皇(シキツヒコタマテミノスメラミコト) 大幡主(白族)
C 懿徳 大日本彦耜友天皇(オオヤマトヒコスキトモノスメラミコト) 九州王朝正統皇統
D 孝昭 観松彦香殖稲天皇(ミマツヒコカエシネノスメラミコト) 阿蘇系(黎族)
E 孝安 日本足彦国押人天皇(ヤマトタラシヒコクニオシヒトノスメラミコト) 玉名半阿蘇系(黎族)
F 孝霊 大日本根子彦太瓊天皇(オオヤマトネコヒコフトニノスメラミコト) 九州王朝正統皇統
G 孝元 大日本根子彦国牽天皇(オオヤマトネコヒコクニクルノスメラミコト) 九州王朝正統皇統
H 開化 稚日本根子彦大日日天皇(ワカヤマトネコヒコオオヒヒノスメラミコト) 九州王朝正統皇統
I 崇神 御間城入彦五十瓊殖天皇(ミマキイリビコイニエノスメラミコト) 黎族+白族
J 垂仁 活目入彦五十狭茅尊(イクメイリビコイサチノミコト) 宮崎生目神社主神
K 景行 大足彦忍代別天皇(オオタラシヒコオシロワケノスメラミコト) 玉名半阿蘇系(黎族)
L 成務 稚足彦天皇(ワカタラシヒコノスメラミコト) 素性系統不明
M 仲哀 足仲彦天皇(タラシナカツヒコノスメラミコト) 九州、山口に痕跡
N 応神 誉田別天皇(ホンダワケノスメラミコト) 宇佐素性系統不明
O 仁徳 大鷦鷯天皇(オホサザキノスメラミコト) 九州王朝正統皇統
※以下省略
極一部の方を除いて、大半の皆さんは「記」「紀」偏重の歴史によって、初代神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)以来血統の繋がる直系に依り天皇家の血筋が連綿と繋がっているとお考えかも知れませんが実は全く異なるのです。
初代神武天皇こそ呉の太伯の血を引く本物の天皇ですが、第2代綏靖天皇は阿蘇神社最奥の神殿に祀られている金凝彦=巨胆将来神であり、神武との繋がりなど全くないのです。
第3代安寧天皇は博多の櫛田神社の主神大幡主=カミムスビ(造化三神)かつヤタガラスの父神であり天御中主系白族の人物なのです。
次の第4代懿徳天皇は神武天皇と吾平都比売(アイラツヒメ)の間に生れた呉の太伯の血を引いた本物の天皇ですが、再び第5代孝昭天皇となるとそれこそ阿蘇系祭神の雄高森の草部吉見神社のヒコヤイミミ(これが事実上の藤原氏の始祖と言われる当方に移動した多氏、宇治氏、阿蘇氏なのです)、そして、第6代孝安天皇となると、製鉄の技術を握った集団の長であり、具体的には熊本県玉名市の疋野神社の隠された祭神、日本足彦国押人天皇なのです(日置氏はその後裔か?)。勿論、初代神武天皇と血の繋がりがある訳などないのです。第7代、8代、9代は孝霊、孝元、開化は再び呉の太伯の血統を引く天皇とされていますが、実質的に天皇となったのは、久留米の高良大社の主祭神とされる高良玉垂命であり、実質的な本物の天皇と言っても良い人物なのです。それ以降は再び阿蘇系の崇神、垂仁が続き、第12代になり、再び疋野神社の製鉄神孝安天皇の子が景行天皇とされるのです。
我々九州の古代史神代史を探究するものとしては、極めて重要な第16代仁徳天皇(母神は神功皇后)という本物の天皇があるのですが、一切の真実が歴史の闇に隠されているのです。
要は藤原氏が権勢を守るために有力集団を取り込むために天皇を創った事が見えてくるのです。
ひぼろぎ逍遥(跡宮)※公開済み
855 | 古代玉名から姫島への製鉄回廊に生れた波比岐神(疋野神社の主神)は 天皇扱いされた 香春神社 |
854 | 古代玉名から姫島への製鉄回廊に生れた波比岐神(疋野神社の 主神)は天皇扱いとされた 疋野神社 |
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835 | 国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か L “ツヌガノアラシトは何を…?” |
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826 | 国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か D “玉名、山鹿から国東、姫島へ” |
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822 | 国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か @ “消えた祭神を求めて” |
821 | 「古事記」中つ巻 孝安編 G “孝安は熊本県玉名市に いた景行の父神” |
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819 | 「古事記」中つ巻 懿徳編 E “懿徳は安寧の子でなく 神武ので僅かに倭人伝にも登場する” |
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814 | 「古事記」中つ巻 神武編 @ “笑ってしまいますが… 宇沙都比古が神武を迎えたと言うのです” |
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