852 伊川とは何か? “福岡県飯塚市 伊岐須に注ぐ伊川” @ “北九州市の伊川との対応から”
20201205
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
福岡県飯塚市の伊岐須に隣接して伊川という地名があり以前から気に掛けていました。
この伊岐須には高宮八幡宮という大社がありその基底部には神武天皇(神武僭称贈る崇神ハツクニシラスではなく本物の初代天皇カムヤマトイワレヒコ)に弓を引いたとされる(想定)長脛彦(金山彦の孫)の居た最大拠点だったのではないかとして以前にも書いています(跡宮431)。
しかも、この神社は境内入口の鳥居の神額が大山祗社と書かれており、八幡宮以前の祭祀の存在を感じさせます。また、境内社として大山祗社が置かれている上に、何故か不釣り合いな大きさの事代主神社まで置かれているのです。
このことだけでも宇佐神宮の威光を受入れ贈る応神などの八幡神を受入れたもののそれ以前には大山祗、大国主の祭祀が存在し、その再基層部には、どなたも想像だにされていない金山彦〜スサノウ〜ナガスネヒコ系の祭祀が存在していたのではないかと想像を膨らましてきました。まず、高宮八幡宮とナガスネヒコ祭祀については以下をお読み下さい。
高宮八幡宮 カーナビ検索 福岡県飯塚市伊岐須886-2 пF0948-22-3491
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ただ、いくら神社を見ようが境内を彷徨しようが全く痕跡を拾えません。
しかし、この間のフィールド・ワークの結果、東関東の息栖(イギス)神社、兵庫県の餘部鉄橋正面の伊伎佐(イキサ)神社(兵庫県美方郡香美町香住区余部2746-2)、佐賀県唐津市の三光神社(佐賀県唐津市相知町伊岐佐甲2369番地)…が、どうみてもナガスネヒコ系とされる息栖神社のルーツとしか考えられず、この高宮八幡宮を経由して九州を横断しさらに東に向かったとしか見えないのです。

しかも、飯塚市の伊岐須は3文字表記であり好字二字令(和銅6年=713)以前の九州王朝以前に遡る地名と考えても良さそうです。

高宮八幡宮 カーナビ検索福岡県飯塚市伊川171-12(伊岐須に伊川が隣接する)
ただ、地名と地形はぴったり対応しているものの、「福岡県神社誌」を見る限り、岐(クナト)の神と言われる長脛彦祭祀の記述もなければ、境内にも痕跡は一切ありませんでした。強いて言えばナガスネヒコの父神であるスサノウとナガスネヒコの妹のオキツヨソ足彦の孫に当る足仲津彦(贈る仲哀天皇)が祀られている事ぐらいです。
このため再考すると新たに思いつくことがありました。これも注目していた「伊岐須」に隣接する「伊川」という奇妙な地名の存在でした。
実はこの地名は福岡県北九州市の門司区にもあり、対応させて考えると新たなものが見えてきました。
さらに前の話になりますが、先行して兵庫県の明石海峡大橋の付け根にある「舞子」は大分市の「舞子」の海人族の移動によって生じたものではないかと考えていました。
そう言えばこの「伊川」が兵庫県の垂水だか明石にもあったなあ…などと考えていると、少し違ったイメージが湧いてきたのでした。
それは、ただの思い付きですが伊川は「イセン」と呼べば解かるかも知れないというアイデアでした。

この北九州市門司区の伊川には天疫神社(青○)があります
この話に入る前に高宮八幡宮を「福岡県神社誌」(中巻339p)で再確認しましょう。

祭神は贈る応神別王、贈る仲哀、スサノウで良いようです。ただ、一般的な八幡神社の祭神ではありません。しかし、最低でもスサノウは残されており、我々はその子がナガスネヒコとしますので、高宮八幡宮がナガスネヒコの最大拠点だったのではないかという探求の糸口は見えてきました。

再び「福岡県神社誌」(中巻339p)を見れば、伊岐須に隣接する伊川には二つの八幡宮、八幡神社があります。この二つの八幡宮には、スサノウに、従ってナガスネヒコ、金山彦の血を引いた足仲津彦が祀られている事が読み取れるだけでした。しかし、八幡神社には非常に興味深い事が書いてありました。
「藩主黒田家の崇敬を受け、疫神社とも呼ばれていた」と言うのです。我々百嶋神社考古学の者に言わせれば、黒田はイスラエル系の人であり不思議でもなんでもないのですが、それは置くとして、疫神社と呼ばれていたとすると符合するものを見つけました。

それはこうです。もう一つの北九州市門司区の伊川の中心部には天疫神社が在り、両方の土地に住む人々には明らかな同族性が認められるのです。

「福岡県神社誌」(下巻147p)
この天疫神社には金山彦の娘である櫛稲田姫が筆頭に祀られており(この事はスサノウ系ではなく金山彦系を思わせますね)、同じく久奈止神として息子の岐神=ナガスネヒコが祀られているのです。
ここでも、ヤチマタヒコ、ヤチマタヒメが列記されていますが、編者はこれをアメノヤチマタの故事から猿田彦とアメノウヅメと理解されているようです。しかし、これも百嶋先生は「ナガスネヒコト、オキツヨソ足彦ですよ…」と言われていた事を思い出します。
この天疫神社の近くには八坂神社があり。直ちにヤハベを思わせますが、ここでも櫛稲田姫が筆頭神となっており、金山彦系の土地であることが分かります。
戻って、飯塚の高宮八幡宮の付近にも彌禜(これもヤファエですね)神社が在り、筆頭神としてスサノウを、以下、稲田姫と書いています。この二つの地区には濃厚な関連性が確認できるのです。
“それは、伊川は「イセン」と呼べば謎が解けるかも知れないというアイデアでした”と前述しましたが、紙数の関係で、853 伊川とは何か? “福岡県飯塚市 伊岐須に注ぐ伊川” A に廻し、陝西省渭水盆地の渭水に繋ぎます。

853 伊川とは何か? “福岡県飯塚市 伊岐須に注ぐ伊川” A に続く
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