842 大原八幡宮再考 北関東の大原神社から A 未知の駅 捄フサ が描く大原神社(君津編)
20200820
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
百嶋神社考古学グループ 未知の駅 捄フサ からの転載です
未知の駅 捄フサ

@大原神社と大原足尼(君津編) 君津市平山字宮後823
大原足尼を御存じでしょうか。
私は昨年末にHP「ひぼろぎ逍遥」の古川さんから初めて聞いた名前でした。
なんでも筑紫豊国の国造だったそうで、奉斎している神社が全国に幾つか鎮座しており千葉県にもあるとのことでした。
確かにそういう名前の神社があることは知っていました。
ですが千葉県にはかつて夷隅郡大原町がありましたので、てっきりその関係かなー、と漠然と考えておりました。
年末年始は多忙でなかなか調査に出動できなかったのですが、
やっと参拝できたのでご報告いたします。
大原神社オオハラジンジャ 君津市平山字宮後823

JR平山駅を通り過ぎると線路の向う側に見える鳥居 右側に見えるこんもりした杜が神社です

人気はまったく無く・・・ でも久々に「これぞ古社!」という趣のある神社
特徴的な真中が太い注連縄
拝殿の上には鳥!! 大原神社は周囲を田圃で囲まれた地に鎮座しておりました。
御祭神は天兒屋根命と天太玉命の二柱。
社伝によれば往古南都の春日神社を遷し祀れるといいます。
ところが、本殿を見てみると・・・
本殿右側
本殿左側
フルール・ド・リスがあるんですよ〜。
本殿の華やかな装飾からも女神様だとわかります。
本殿の脇に随身が 本殿の右に鎮座する小社
「千葉県神社明細帳」では境内社に
熊野神社(速玉男之命・事解男之命・伊弉册命)
須賀神社(素盞嗚命・奇稲田姫命)
佐田彦神社(猿田彦命・鈿女命)
とあります。おそらくこの道祖神のお社が佐田彦神社だと思われます。
佐田彦命についてですが、サタヒコはサルタヒコと間違えられて混乱が生じている社が多々見受けられます。
社名表記が「佐田彦」である場合や猿田彦の表記でも読みが「サタヒコ」の場合は、真の御祭神は佐田大神であると考えた方がいいと思います。
佐田大神とは大山咋命のことです。
本殿左側に1つだけあった石祠 神楽殿 屋根には五三桐紋
やはり女神様だ! 見えやすい用に拡大して載せたかったのですが、撮影の腕がヘッポコでしてブレていたため拡大してもぼやけていてハッキリ確認できない状態でした。
神楽殿の奥にある境内社たち
こちらは明治期に合祀された、元は近隣に点在していた小社であると思われます。
先程の「明細帳」によると合祀した神社は以下。
明治41年に熊野神社(伊弉册命・速玉男命・事解男之命)
白滝神社(日本武命)
阿夫利神社(高龗命)
浅間神社(木花開耶姫命)
秋葉神社(火産霊命)
弁天社(水速能賣命)
明治43年に同村の山滝野に鎮座していた
八坂神社(須佐之男命)
荒神社(火産霊命)
稲荷神社(稲蒼魂命)二柱
八幡神社(誉田別命)
日枝神社(大山咋命)
どの神社の御祭神か不明ですが大山津見命・大物主命・埴山比賣命もいらっしゃいます。
戦争関係の板碑と一緒に砲弾が・・・!神社でちょいちょい見かけますが信管は抜いてあるのかな(汗)
遙拝所だと思われる仕切られた場所
さて、隠されている真の主神である女神さまについてです。
表向きの御祭神である天兒屋根命と天太玉命から考えると、候補としては春日神社の比賣神さまか天比理刀当スです。
ですが大原神社は大原足尼を奉斎している神社という説を忘れてはいけません。
大原足尼もスクネを足尼と表記していることから女性であるとわかります。
こちらの女神様は
@大原足尼
A天比理刀当ス
B比賣神
の、どなたかです。
残念ながら、それ以上のヒントは得られなかったので調査はここまで。
補足ですが近隣にある君津市山滝野にも大原神社があるようですが、山滝野は明治期には「松丘村」の範囲内で平山も含めて一村でした。
だから平山の大原神社に明治43年に多数の社が合祀されたと考えられます。
現在山滝野に大原神社が鎮座している理由としては、山滝野の住民が「やっぱり神様がいないと不安だな〜」と考えて平山の大原神社から分祀してもらって神様を連れてきたのだと思います。
平山大原神社の御祭神に関しては、未来の自分が真実に辿り着くことを期待して次の神社へGO!
