670(中) “ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! 八坂神社+龍王社 祭神編
20210712
太宰府地名研究会 古川 清久
龍王社 :豊玉姫
一方、久木野神社(龍王社)は豊玉姫(旧祭神=豊玉彦)であることから白族系、つまり博多の櫛田神社の大幡主系の神社であると分かります。
そこまで見てくると、白水村は阿蘇系と思われる1社栗焼神社に加え、観光地としても有名な巨大遊水池に鎮座する白川吉見神社はあるものの、この神社も本来は大山祗の娘神大市姫=ミヅハノメこそが主神であって、それを阿蘇系が覆い被さろうとしている神社であることは一目なのです。
こう考えると、旧白水村には阿蘇系は皆無に近い事が分かるのです。
これは、草部吉見が短期間伊勢の外宮の豊受大神をお妃とした事から、白水吉見神社(ミヅハノメは伊勢の外宮の母神)にヒコヤイミミが入り込んでいるに過ぎないのです。勿論、その後は山幸彦=猿田彦=ニギハヤヒがその任を継ぐのです。
旧久木野村に於いてもこの傾向は変わらず、二子石日吉神社が大山咋系(父神:草部吉見、母神市杵島姫)である以外、目立った阿蘇系神社は無く、ここも、金山彦+スサノウ+大山祗系の山上楽園だった事が分かるのです。
ここまで考えてくると、南郷谷は白族系が卓越した、阿蘇谷は阿蘇氏が卓越したエリアである事が見えてくるのです。
恐らく、雲南省の昆明と(大里グループは怒江)から紅河で海南島へ更に列島へ入った白族=天御中主+大幡主系に対し、雲南省麗江から(怒江)海南島を経由し天草苓北そして列島へ入った黎族=多氏=阿蘇氏=後の藤原氏は取決めを行ない棲み分けを行なった様にさえ思えるのです。
一つ問題があるのは阿蘇谷の金山彦系で、火振り神事で知られる霜宮も金山彦系の民が住み着いていた土地の様に見えます。
ここも豊かな遊水地で農耕に適した沃土ですが、高千穂と同様の鬼八(喜八)伝承が在り、これもイスラエル系金山彦系の民の土地だった様に見えるのです。
多くの民が混住した事は十分に考えられるのですが、恐らく、阿蘇系が入る前に金山彦系(秦の始皇帝と姻戚関係を結ぶ)は入っていた様に思えるのです。
恐らくそのイスラエル系の民の中に、出エジプト以来の民がおり、ピラミッドを造る技術を持った人々もが存在していたのだと思うのです。
そして、その彼らこそが天球を観側し、爆発を続ける阿蘇高岳を封じ込めるべく、11の神社群を整備し文字通りの天井楽園を造ろうとしたのではないかと思うのです。
つまり、田尻宮司の御先祖様達の中にピラミッドを造った技術者のグループが在り、その大号令のもと阿蘇系の民をも巻き込み、高岳中央河口丘を封じ込め、メソポタミア神聖直角三角形とエジプト神聖直角三角形の中にいわば結界を張り阿蘇五嶽を封じ込め、文字通りの天井楽園を造ろうとした様に見えるのです。
不十分ながらここに田尻想定の概略をブログにしました。
既に651〜660はオンエア済みですが、漸く残り10本をアップする事ができます。