2021年08月06日

663 “ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている!   健軍神社 数理編

663 “ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている!   健軍神社 数理編

20210703

太宰府地名研究会 古川 清久


健軍神社と言えば熊本では知らぬ者のない大社です。早速、田尻宮司の提案をご覧頂きます。

 この鳥居が何故このようにひしゃげた形になっているかについては、まだ、禰宜にも社務所にも問い合わせしていません。日吉神社ではかなり異形の鳥居もありますが、ここでは取上げません。


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健軍神社について、本誌はあまり触れておられません。熊本市の中心部にある大社だけにそれが何故かは分かりませんが、私も以前から気付いていたのですが、同社参道が雲仙普賢岳山頂にぴったり向けられていると言う現象だけははっきりしていますので、この問題を指摘されているブログをご紹介しておきます。

 無題.pngという熊本の地場のブログがあります。今回のテーマにとって関係がありますし、それ以上に貴重かつ重要な内容ですので、勝手ながら掲載させて頂きます。全文を掲載するのは失礼に当たりますので残りは直接お読み下さい。


2018630 () 健軍神社(熊本市)

熊本市東区健軍本町にある健軍(けんぐん)神社には、神社から266.5度方向、43kmにある雲仙普賢岳(今は平成新山に隠れている)に向かって一直線に伸びている長さ1.2kmの参道があります。その風景は43kmの見えない参道が普賢岳まで続いているようでもあります。

奥にうっすらと普賢岳(平成新山)が見えます。

さすがに43kmも離れていると間に有明海を挟んでいることもあって、晴れた日でもいつも霞んで一日中見えていることはほとんどありません。この神社を紹介した様々な記事でも参道が普賢岳方向に向いていることについては殆ど触れられていないようです。


画像1.健軍神社楼門前から見た参道。

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さすがに43kmも離れていると間に有明海を挟んでいることもあって、晴れた日でもいつも霞んで一日中見えていることはほとんどありません。この神社を紹介した様々な記事でも参道が普賢岳方向に向いていることについては殆ど触れられていないようです。


画像2.参道越しの雲仙普賢岳(平成新山)。

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しかし、境内にある国造社の祖(火国造)ともされる健緒組は健軍大神としてこの大きな神社の祭神筆頭にあります。これはこの地域での健緒組の強い影響力が長きにわたっていたことの表れと思われます。このことと雲仙普賢岳に向かう参道は無関係ではないように思えます。肥後国風土記逸文によれば土蜘蛛の討伐報告を受けた崇神天皇が健緒組に“海の民であるにも関わらずよく山の賊を討った”と言って功績を称えたといいます。健緒組は海洋渡来人だと言っているのです。(由緒書の影行天皇と時代が相違)

健軍神社の周辺は縄文時代からの遺跡が継続して出土し、いつの時代も何世代も人々の営みが続いていたことがわかります。画像の地図は藍色の部分が現在の有明海、青い部分が標高10m以下で古代の海・汽水域だった区域です。健軍神社の場所は入江になっていて天然の良港であったように見えます。弥生時代の始まり頃、或はそれ以前から、海を渡って来た多くの人達がこの神社の地を前進拠点とし、九州内陸を目指していったのだろうと思います。以下も貴重な話をかかれていますがここでは省略させて頂きます。

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本誌61


多少の疑問、健軍神社は北緯32475″(32p)であるのに対し、草部吉見神社は北緯324650″(49p)であるが(当方の好い加減な推定値)これを東西線と言って良いか?勿論、15”と少ない差ではあるが?

根子岳標高1408mに何故0.618を掛けまた何故20で割る必要性があるのか?

 グーグル・マップで健軍神社と草部吉見神社の距離を測定すると43.30kmでした。宮司は43.50kmとされています。これはどこで計測するかでこの程度の差は直ぐに出てくるでしょう。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
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