2021年06月27日

820 「古事記」中つ巻 孝昭編 F “孝昭は阿蘇高森の草部吉見ことヒコヤイ(ハエ)ミミ”

820 「古事記」中つ巻  孝昭編 F “孝昭は阿蘇高森の草部吉見ことヒコヤイ(ハエ)ミミ”

20200409

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


「古事記の95%は嘘…」と言った百嶋神社考古学を後世に託そうと考える私達にとって、「古事記」の内容を真に受ける事が無い事は言うまでもないことです。

 「古事記」が藤原にとって都合が良いように改竄と言うより最初から創りでかしたものであり、我々からは、どのような意図で本来の正統皇統を捻じ曲げ、自らの先祖に当る第10代とした神武僭称贈る崇神を権威ある者として描こうとしたかを少しずつでも説明したと思います。

たまたま非常に分かり易い口語訳がネット上に有りますので、そちらの意図に反するものになるかも知れませんが、古代史、神代史を考える上で非常に重要な事ですのでご理解ご容赦を頂く事として、今回は「古事記をそのまま読む」というサイトから引用させて頂きます。

こちらも非常に感謝しております。当方は、神代〜古代に掛けて最も重要な部分を百嶋神社考古学としてはどのように考えるかをお知らせしたいと思うものです。 

今回取り上げるのは、これまた一般にはあまり知られていない第五代孝昭天皇 観松彦香殖稲天皇(ミマツヒコカエシネノスメラミコト)についての話です。

これも実に短い文章で、近畿大和朝廷の領域などには居なかった事、「古事記」の編纂者達も現場を知らないで(始めは知って隠していたのでしょうが、今や皆が忘れてしまっている)奈良に無理やりあてはめた事を物語っています。

実はこの孝昭天皇も皆さん良くご存じの草部吉見ことヒコヤイ(ハエ)ミミが、あたかも周王朝後裔呉太伯系の正統皇統かでもあるかの様にちゃっかりと天皇扱いにされているのです(勿論やったのは後の藤原ですが…)。

最低でも、日本はイザナミ、イザナギの時代以来、近畿大和から萬世一系の天皇を抱き存続してきた単一民族国家だなどという話が酷いフィクションでしかない事だけは明らかでしょう。

ただ、この草部吉見という人物は当時最も有力な集団の指導者であったのです。

それは、多くの氏族(民族)と姻戚関係を結んでいる事から十分に理解できるのです。

宗像の市杵島姫(大幡主系)、ナガスネヒコの妹オキツヨソタラシ姫(金山彦系)、辛国息長大姫大目命(大山祗系 実はアメノウズメで後に山幸彦=猿田彦=ニギハヤヒの正妃となる)、タクハタチチヒメ(高木大神の次女)…と言ったところですが、では、「古事記」で何故、ことさら朝敵金山彦の孫息子であるナガスネヒコの妹を正妃として描いたのでしょうか?残念ながら今のところ全く分かりません。

以下、による

御眞津日子訶惠志泥命坐葛城掖上宮治天下也 此天皇娶尾張連之祖奧津余曾之妹名余曾多本毘賣命生御子天押帶日子命大倭帶日子國押人命【二柱】故弟帶日子國忍人命者治天下也兄天押帶日子命者 【春日臣大宅臣粟田臣小野臣柿本臣壹比韋臣大坂臣阿那臣多紀臣羽栗臣知多臣牟邪臣都怒山臣伊勢飯高君壹師君近淡海國造之祖也】 天皇御年玖拾參御陵在掖上博多山上也 


御真津日子訶恵志泥(みまつひこかゑしね)の命(みこと)葛城掖上宮(かつらぎのわきがみのみや)に坐()し天下(あめのした)を治(をさ)めたまふ[]

此の天皇(すめらみこと)、尾張(をはり)の連(むらじ)()(みおや)奧津余曽(おきつよそ)()(いも)、名は余曽多本毘売(よそたほびめ)の命を娶(めあは)したまひ、生()れましし御子(みこ)、天押帯日子(あめおしたらしひこ)の命、次に大倭帯日子国押人(おほやまとたらしひこくにおしひと)の命【二柱(ふたはしら)なり。】

(かれ)、弟(おと)帯日子國忍人の命者()天下を治めたまふ[]

(あに)天押帯日子の命者() 【春日(かすが)の臣(おみ)、大宅(おほやけ)の臣、粟田(あはた)の臣、小野(をの)の臣、柿本(かきのもと)の臣、壹比韋(いちひゐ)の臣、大坂(おほさか)の臣、阿那(あな)の臣、多紀(たき)の臣、羽栗(はぐり)の臣、知多(ちた)の臣、牟邪(むさ)の臣、都怒山(つのやま)の臣、伊勢(いせ)の飯高(いひたか)の君、壹師(いちし)の君、近淡海(ちかつあふみ)の国造(くにのみやつこ)()(みおや)(なり)。】

天皇(すめらみこと)の御年(みとし)玖拾参歳(ここのそあまりみとせ)にて、御陵(みささき)は掖上(わきがみ)の博多(はかた、はかさは)の山上(やまのへ)に在り[] 


御真津日子訶恵志泥(みまつひこかえしね)の命(みこと)は葛城掖上宮(かつらぎのわきがみのみや)にいらっしゃり、天下を治められました。

 この天皇は、尾張の連(むらじ)の先祖、奧津余曽(おきつよそ)の妹、名は余曽多本毘売(よそたほびめ)の命を娶られ、 皇子、天押帯日子(あめおしたらしひこ)の命、次に大倭帯日子国押人(おほやまとたらしひこくにおしひと)の命【二柱の皇子】を生みなされました。

 そして、弟の帯日子国忍人の命は天下を治められました。

 兄の天押帯日子の命は、 春日(かすが)の臣(おみ)、大宅(おおやけ)の臣、粟田(あわた)の臣、小野(おの)の臣、柿本(かきのもと)の臣、壹比韋(いちひい)の臣、大坂(おおさか)の臣、阿那(あな)の臣、多紀(たき)の臣、羽栗(はぐり)の臣、知多(ちた)の臣、牟邪(むさ)の臣、都怒山(つのやま)の臣、伊勢(いせ)の飯高(いいたか)の君、壹師(いちし)の君、近淡海(ちかつおうみ)の国造(くにのみやつこ)の先祖です。】

 天皇は御年九十三歳、御陵(みささき)は掖上(わきがみ)の博多(はかた)の山の上にあります。  


まず、我々百嶋神社考古学の者は結果として結論を得ている事から草部吉見そのものであると理解できるのですが、一般に字面だけからは判別が付かないでしょう。ましてや、欠史8代架空説の方々はそもそもまともに調べてもおられないのですから全く見当が付かないことは言うまでもありません。

当然にも、文章だけを見ていてもこの贈る孝昭天皇が何者なのかは分かりません。

このため“余曾多本毘賣命生御子天押帶日子命次大倭帶日子國押人命”を考えましょう。


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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


余曾多本毘賣命はナガスネヒコ(スサノウと櫛稲田姫の子)の妹であるオキツヨソ足姫の事で良いでしょう。次に“天押帶日子命次大倭帶日子國押人命”から天押帶日子命と大倭帶日子國押人命ですが、天押帶日子命は「日本書紀」では天足彦国押人命、「古事記」では天押帯日子に当る人です。

この人物は百嶋神社考古学では草部吉見(ヒコヤイミミ)との間に産まれた天足彦なのです。

次の大倭帶日子國押人命はと言うと、これは割と知られていますので直ぐに分かります。

「古事記」では大倭帯日子国押人命「日本書紀」では日本足彦国押人天皇の事で平たく言えば、孝霊天皇の事なのです。


@ 神武 神日本磐余彦天皇(カンヤマトイワレヒコノスメラミコト)       九州王朝正統皇統

A 綏靖 神渟名川耳天皇(カンヌナカワミミノスメラミコト)            阿蘇系(黎族)

B 安寧 磯城津彦玉手看天皇(シキツヒコタマテミノスメラミコト)         大幡主(白族)

C 懿徳 大日本彦耜友天皇(オオヤマトヒコスキトモノスメラミコト)      九州王朝正統皇統

D 孝昭 観松彦香殖稲天皇(ミマツヒコカエシネノスメラミコト)          阿蘇系(黎族)

E 孝安 日本足彦国押人天皇(ヤマトタラシヒコクニオシヒトノスメラミコト) 玉名半阿蘇系(黎族)

F 孝霊 大日本根子彦太瓊天皇(オオヤマトネコヒコフトニノスメラミコト)   九州王朝正統皇統

G 孝元 大日本根子彦国牽天皇(オオヤマトネコヒコクニクルノスメラミコト)  九州王朝正統皇統

H 開化 稚日本根子彦大日日天皇(ワカヤマトネコヒコオオヒヒノスメラミコト) 九州王朝正統皇統

I 崇神 御間城入彦五十瓊殖天皇(ミマキイリビコイニエノスメラミコト)       黎族+白族

J 垂仁 活目入彦五十狭茅尊(イクメイリビコイサチノミコト)         宮崎生目神社主神

K 景行 大足彦忍代別天皇(オオタラシヒコオシロワケノスメラミコト)    玉名半阿蘇系(黎族)

L 成務 稚足彦天皇(ワカタラシヒコノスメラミコト)               素性系統不明

M 仲哀 足仲彦天皇(タラシナカツヒコノスメラミコト)            九州、山口に痕跡

N 応神 誉田別天皇(ホンダワケノスメラミコト)               宇佐素性系統不明

O 仁徳 大鷦鷯天皇(オホサザキノスメラミコト)               九州王朝正統皇統

※以下省略

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ただ、百嶋神社考古学では、天足彦は確かに贈る孝昭天皇(阿蘇高森の草部吉見)の子なのですが、大倭帶日子國押人命は、オキツヨソ足姫の子でもなければ、別の妃(伊勢の外宮)の言わば義理の孫程度の関係でしかないのです。

 百嶋先生が“「古事記」の95%は嘘だ…”と言った意味がだんだん見えて来たのではないでしょうか。


足と帯


 かなり知られた話ですが「古事記」には妙なフレーズが登場します。


“ニチゲ「日下」をクサカと謂ひ、名におきてタイ「帯」の字をタラシと謂ふ。かくの如き類は、本のまにまに改めず”


です。

「日下」「日下部」は草部の置換えで高木大神の本拠地である新羅(伽耶)の大邱を隠す事が目的だったのであり、国風化の意図があっての事だと考えるのですが、ここでは触れません。

ここでも、また、孝安、景行、成務、仲哀…とはっきり分かるように、「日本書紀」の「足」が「古事記」では「帯」と置き換えられています。

これも本物の初代神武に敵対したナガスネヒコの妹、オキツヨソ足姫の「足」を隠すための擬装と言えそうです。

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百嶋由一郎002百嶋系図(極秘)神代系譜


百嶋由一郎氏が残した神代系譜、講演録音声CD、手書きデータスキャニングDVDを必要な方は09062983254
posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
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