2021年06月18日

817 「古事記」中つ巻 綏靖編 C “阿蘇氏の祖には神武の血統が継承されているとは言えないのだが…”

817 「古事記」中つ巻  綏靖編 C “阿蘇氏の祖には神武の血統が継承されているとは言えないのだが…”

20200401

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


「古事記の95%は嘘…」と言った百嶋神社考古学を後世に託そうと考える私達にとって、「古事記」の内容を真に受ける事が無い事は言うまでもないことです。

 「古事記」が藤原にとって都合が良いように改竄と言うより最初から創りでかしたものであり、我々からは、どのような意図で本来の正統皇統を捻じ曲げ、自らの先祖に当る第10代とした神武僭称贈る崇神を権威ある者として描こうとしたかを少しずつでも説明したと思います。

たまたま非常に分かり易い口語訳がネット上に有りますので、そちらの意図に反するものになるかも知れませんが、古代史、神代史を考える上で非常に重要な事ですのでご理解ご容赦を頂く事として、今回は「和人」というサイトから引用させて頂きます。勝手ながら実は非常に感謝しております。

当方は、神代〜古代に掛けて最も重要な部分を百嶋神社考古学としてはどのように考えるかをお知らせしたいと思うものです。

 今回取り上げるのは、一般にはあまり知られていない第二代綏靖天皇 神渟名川耳天皇(カンヌナカワミミノスメラミコト)についての話です。事実、「古事記」でもほんの僅かな記述となっています。

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神武天皇と須気余理比売(いすけよりひめ)の間に生まれた三人の御子の末っ子で、多神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)という名でした。異母兄弟の長男である多芸志美美命(たぎしみみのみこと)の陰謀を知り、その陰謀を阻止し、多芸志美美命を殺しました。そのことにより、天皇に即位され、第二代、綏靖天皇(すいぜいてんのう)となられました。

実は熊本地震の結果なのですが、一年ほど前まで、通常は全く窺い知る事の無い景色が阿蘇神社に出現していました。

 この写真は、熊本地震によって巨大楼門と参拝殿が大きな被害を受け撤去されている時の状態です。

このため、三神殿が全て見通しできる状態になっています。

工事が完了すれば全く見えなくなることから阿蘇神社の歴史でも相当に貴重な映像なのです。


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阿蘇神社 カーナビ検索熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083-1


 この一番奥の神殿に鎮座されているのは健磐龍命ではありません(一番後ろが一番偉いのです)。

実は、通説や阿蘇氏が第2代綏靖天皇とする(元々藤原氏は草部吉見神の後裔なのですが…)金凝彦(カナコリヒコ)=蘇民将来巨旦将来伝承の巨旦=高龗=神沼河耳命(カンヌナカワミミノミコト)外…なのです。勿論、後の藤原が勝手に天皇扱いにし彼ら自身の権威付けを行なっただけなのですが。

通説では神武天皇の第3皇子で母は皇后ヒメタタライスズヒメノミコトとする大神なのです。

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黄枠の部分が地震の被害を受け解体された部分です。文化財ですから恐らく同じ形で再建されると思いますが、既に大きな木材は二度と手に入る状況にはないのではないでしょうか?

阿蘇神社(祭神)

以下の12柱の神を祀り、阿蘇十二明神と総称される。

一の神殿(左手、いずれも男神)

         一宮:健磐龍命(阿蘇都彦命)- 神武天皇。たけいわたつのみこと。

         三宮:國龍神(吉見神・彦八井神)- 二宮の父、神武天皇の。くにたつのかみ。

         五宮:彦御子神 (阿蘇惟人- 一宮の孫。阿蘇大宮司家につながる。ひこみこのかみ。

         七宮:新彦神 - 三宮の子。にいひこのかみ。

         九宮:若彦神 - 七宮の子。阿蘇神社社家につながる。わかひこのかみ。

二の神殿(右手、いずれも女神)

         二宮:阿蘇都比当ス - 一宮の妃。三宮の娘。あそつひめのみこと。

         四宮:比東芬q神 - 三宮の妃。ひめみこのかみ。

         六宮:若比盗_ - 五宮の妃。わかひめのかみ。

         八宮:新比盗_ - 七宮の娘。にいひめのかみ。

         十宮:彌比盗_ - 七宮の妃。やひめのかみ。

諸神殿(最奥、いずれも男神)

         十一宮:速瓶玉神國造神- 一宮の子。国造本紀によれば、初代阿蘇国造に任命された。はやみかたまのみこと。

         十二宮:金凝神 - 一宮の叔父。綏靖天皇を指す。皇統につながる。かなこりのかみ。


ウィキペディア20200403 1207 による

この十二宮こそ、後の藤原が第二代贈る綏靖天皇へと創作した:金凝神(カナコリヒコ)なのです。

 では、この神様は本当に天皇だったのでしょうか。

 百嶋先生は、初代神武から第10代神武僭称贈る崇神の中で本物(呉の太伯=周王朝後裔の流れを汲む)の天皇は 初代神武〜4代懿徳〜7代孝霊〜8代孝元〜9代開化…14代仁徳天皇 の6(もしかしたら仲哀死後に開化のお妃の神功皇后も天皇になっている可能性を考えれば57…孝霊、孝元もはっきりしないとも)だけで、それ以外は後の藤原が自らのウイングを拡げ藤原天皇制を補強しようとしたため天皇扱いにしたものでしかないとされていたのです。

 まず、神武天皇の子ではない事は明らかです。それは「耳」と言う尊称でも分かります。

 兄の神八井耳(蘇民将来)、息子の彦八井耳=天忍穂耳(アメノオシホミミ)、弟の建磐龍=手研耳(タケシミミ)と「ミミ」とは阿蘇氏の尊称の様なものなのです。

 実は、茅の輪潜りとか夏越まつりに絡む蘇民将来伝承、巨旦将来伝承の巨旦そのものでもあるのです。



@ 神武 神日本磐余彦天皇(カンヤマトイワレヒコノスメラミコト)       九州王朝正統皇統

A 綏靖 神渟名川耳天皇(カンヌナカワミミノスメラミコト)            阿蘇系(黎族)

B  安寧 磯城津彦玉手看天皇(シキツヒコタマテミノスメラミコト)         大幡主(白族)

C  懿徳 大日本彦耜友天皇(オオヤマトヒコスキトモノスメラミコト)      九州王朝正統皇統

D  孝昭 観松彦香殖稲天皇(ミマツヒコカエシネノスメラミコト)          阿蘇系(黎族)

E  孝安 日本足彦国押人天皇(ヤマトタラシヒコクニオシヒトノスメラミコト) 玉名半阿蘇系(黎族)

F  孝霊 大日本根子彦太瓊天皇(オオヤマトネコヒコフトニノスメラミコト)   九州王朝正統皇統

G  孝元 大日本根子彦国牽天皇(オオヤマトネコヒコクニクルノスメラミコト)  九州王朝正統皇統

H  開化 稚日本根子彦大日日天皇(ワカヤマトネコヒコオオヒヒノスメラミコト) 九州王朝正統皇統

I  崇神 御間城入彦五十瓊殖天皇(ミマキイリビコイニエノスメラミコト)       黎族+白族

J  垂仁 活目入彦五十狭茅尊(イクメイリビコイサチノミコト)         宮崎生目神社主神

K  景行 大足彦忍代別天皇(オオタラシヒコオシロワケノスメラミコト)    玉名半阿蘇系(黎族)

L  成務 稚足彦天皇(ワカタラシヒコノスメラミコト)               素性系統不明

M  仲哀 足仲彦天皇(タラシナカツヒコノスメラミコト)            九州、山口に痕跡

N  応神 誉田別天皇(ホンダワケノスメラミコト)               宇佐素性系統不明

O  仁徳 大鷦鷯天皇(オホサザキノスメラミコト)               九州王朝正統皇統


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この蘇民将来伝承の舞台が阿蘇から五ヶ瀬町一帯であり、逆に言えば神武天皇の皇兄五瀬命の関連地でありそうなのです。詳しくは以下をお読み下さい。


 ひぼろぎ逍遥(跡宮)

371

蘇民将来 巨旦将来と百嶋神代系譜 C 宮崎県五ヶ瀬町鞍岡の祇園神社の更に深部へ

370

蘇民将来 巨旦将来と百嶋神代系譜 B 分離先行トレッキング

361

蘇民将来 巨旦将来と百嶋神代系譜 A 鳥瞰

346

蘇民将来 巨旦将来と百嶋神代系譜 @


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百嶋由一郎神代系譜 002百嶋系図(極秘)003


蘇民将来、巨旦将来の話で横道に入りましたが、ここでは金凝彦が周王朝の流れを汲む呉の太伯の後裔である神武の子などではさらさらない事を確認して頂ければ良いのではないかと思います。

 ただ、この阿蘇氏が何故神武の一族だなどと大嘘をついているかについては説明が必要になるでしょう。

 それは、神武天皇の本当のお妃(何故正妃かと言えば皇位を継承した本物の天皇=第4代懿徳天皇を産んでいるからです)であるアイラツヒメ(金山彦と博多の櫛田神社の大幡主=カミムスビの妹の間に産まれた)と神武東征ならぬ神武巡幸の前に別れ、阿蘇氏の神沼河耳=巨旦将来と一緒になり?建磐龍を産んでいる事から、建磐龍とは神武の義理の子になる可能性があるからなのです。

 百嶋神社考古学では、アイラツヒメは神武と別れた後、蒲池姫(熊本県宇城市郡浦神社)と名を改め神沼河耳となり建磐龍を産んでいるとします。

 古代に於いては女系こそが本来の皇統であったとする考え方が一部にありますが、この立場からは阿蘇家こそ栄えある皇統と考える向きもあるのです。

 それによれば、雲南省麗江から海南島を経由し阿蘇に進出した黎族=多氏こそ日本を領導する皇統だと考える事も可能で、漢民族と最期まで闘い続けた本来の阿蘇氏が後の藤原になったとする事はギリギリ許容範囲には成るかも知れません。本当に彼らが倭国(後の日本)の庇護者であるのならば良いのですが…。


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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
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