2021年06月10日

ビアヘロ179 5回も追加実施した“出雲の国譲りは旧朝倉郡で起こった”トレッキング(上)

ビアヘロ179 5回も追加実施した“出雲の国譲りは旧朝倉郡で起こった”トレッキング(上)

20210528

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


20214月末(Gウイーク前)当会は北九州市を中心とする丁巳歴史塾との合同トレッキングを行ないました。

予定した日が過去二回ほど雨で流れたことから、三度目の正直といったところだったのですが、ようやくの上天気で二十数名によるトレッキングが無事終わりました。

ただ、昔の様に土日はどちらも休みですから…といった労働環境が崩れ、非正規のパート労働が広がってくると土曜日は行けるけれど日曜日は仕事だから…という方が多くなり、結果的に、二度も三度も追加トレッキングを行なわなければならなくなっているのです。

そこで、5月の春日市の若き大国主祭祀が確認できるトレッキングまで都合5回の追加トレッキングを行ない、暫くして7回目もやろうかとも考えている所なのです。

ここでは、このトレッキングのリポートを行なおうと思うものです。

実際、同じエリアで6回もトレッキングを行なうと、くたびれはて、事実、膝を痛めて今も体調を崩している状態にあります。

しかし、苦労すればそれなりの代償はありますし、新たな発見もあるものなのです。中でも新規で飛び込み的参加者が3組ほど現れたことです。自らの意志で参加を求めて来られる方は、誘って参加されるよりも十倍以上の継続性がある方が多く、そのような方が都合3組も加わられた事は有難い事でした。

ともあれ、雨で数回延期した朝倉のトレッキングは延40数名の参加となり、行動する古代史、神代史ファンを得られた事は有難い喜びでした。

加えて、ここ二十年近く古代史関係のブログを書いておられる朝倉市(甘木)の方との接触も産まれ、朝倉周辺でのテーブルに着いた講演会、研究会の実施も考えなければならないと思うようになりました。

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まず、トレッキングの配布資料をご覧頂きたいと思います。

参加人数が多くなると、機動性に欠けトレッキングには不向きであることは言うまでもありませんが、一緒に行動すると言う事は同じ現場を見ていると言う共感をおもたらし同じ釜の飯を食う効果を産み出しますし、現場と机上の論理の融合性を意識した立論は非常に大きな効果を得ることができるのです。

何よりも数十〜百キロ近く離れた人々が一堂に会して同じ神社群を観察すると言う機会を持つことがどれほど重要な事が分かってくるのです。

事実、今後も会の活動に参加してくれるであろう新規のメンバーがその中から得られるだけでありがたいのです。では、当日のトレッキング資料をご覧頂きましょう。

2021411日(日) 大国主の国譲りの現場(元出雲)は朝倉郡を探るトレッキング (案)

20210328

太宰府地名研究会 古川 清久

 オープン参加(一般の方も気楽にご参加ください)資料代500円のみ 基本は各自車の用意を…


同日雨の場合、当日は中止とし延期とします。(事実日程は3月以来雨のため何度か変更しています)

午前1100に朝倉市甘木380イオン甘木ショッピングセンター(甘木IC東隣)P正面県道側

2021328日(日)10:00〜(予定)15:00 雨天の場合は4月第4週 日曜に延期(参加は要連絡)

                       尾杖代 古川 清久(太宰府地名研究会 編集員)

集合:朝倉市福岡県朝倉市甘木380イオン甘木ショッピングセンターP

お賽銭は各自ご用意下さい!


@ 倭五玉神社  倭の五王の一族の墓地を守る神社か?謎の群集墓があり久留米の人達が掃除に来る

  献身的にこの神社を守る人々がおられますのでできるだけ賽銭を奮発してあげて下さい!

A 松尾神社   現在は大山咋を祀るも元は田神社(無格社)しかも山鹿市菊鹿町の松尾を勧請する

B 高住神社   彦山(高木大神)の出張所か?

C 田神社    町中の本町公民館に隣接するかつての遊水地にあり堂々たる鎮守の社がある

C 昼食休憩   仮 案 筑後屈指のうどん店「大國屋」広い駐車場と床面積(朝倉水害の犠牲者)

D 大巳貴神社  九州の古代史家、学芸員も分からぬ大国主祭祀 この事を知らない人も多いが…

E 田(天神)社 大国主の国譲りの「日隅宮」はここだった 奪われた葦原中津国が見渡せる場所!

F 老松神社   朝倉市下渕840

G 寄志神社   朝倉郡を見渡す謎の古社肥前盲僧、傀儡の拠点か?

@ 倭五玉神社  保安のため公表できません!  倭の五王の一族の墓地を守る神社か?謎の群集墓

A 松尾神社   カーナビ検索  朝倉市古賀203   現在は大山咋を祀るも元は田神社(無格社)

A 松尾神社に替えて西宮神社に行くかも! 事代主を祀る西宮神社か? 朝倉市甘木1846

B 高住神社   カーナビ検索  朝倉市朝倉市柿原1048番 もしかしたら彦山の出先機関だった?

C 田神社    カーナビ検索  朝倉市甘木633-1  町中の本町公民館に隣接するかつての遊水地

  余裕があれば甘木公園の田神社もお見せします

昼食休憩  朝倉市千手255-1    仮 案  筑後屈指のうどん店「大國屋」広い駐車場と床面積

D 大巳貴神社  カーナビ検索  筑前町弥永697-3  古代史家、学芸員も知らぬ大国主祭祀

E 田(天神)社 カーナビ検索  筑前町弥永1172   大国主の国譲りの「日隅宮」はここだった

F 老松神社   カーナビ検索  朝倉市下渕840   形を変えた大幡主系祭祀か?

G 寄志神社   カーナビ検索    朝倉市楢原664    朝倉郡を見渡す古社肥前盲僧、傀儡の拠点?

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まず、倭五玉宮ですが、倭の五王のイメージを振るい脱げません。しかも松野連系図を見ると、零落したこの一族は、倭国王哲、満から牛慈になると夜須の評督へと降格され、次も長堤、大野と評督以下と身を窶していることが分かるのです。この本拠地が筑後久留米だったとしてこの神社の価値は余り有ます。

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まずこの神社は甘木、朝倉、杷木の一帯に60社ほどあります。

 ところが、一社を除き全てが無格社扱いとなっているのです(「福岡県神社誌」下巻所収無格社一覧)。

 普通、無格社と言えば氏子がいない小さな祠程度のものを想像しますが、この田神社はきちんとした社殿、境内を持つ堂々たる神社という風格を持つものも多数あるのです。

 このことから何らかの政治的な争乱によって消された神社である事は明らかなのです。

これについては粗方の見当を付けていますが、別稿とします。既にネットには出してます。

 敢て一言言えば出雲の国譲り大国主の国譲りと関連しているのです。大国主は九州人です。

 では、祭神はと言えば埴安彦+埴安姫、埴安彦単独…がほとんどで、博多の櫛田神社の大幡主、その妹神である埴安姫(金山彦のお妃)を祀るものなのです。


無題.png旧甘木市(現朝倉市)の田神社を最も象徴するものは甘木神社の最頂部の日吉神社の登り口に残されたもので、現在は日吉神社(大山咋:父は阿蘇草部吉見=武甕槌)とされているものの、元々は田神社だったように思えます。朝倉郡の田神社を正式に拾えば、「福岡県神社誌」下巻掲載の無格社一覧60社を拾うしかありません。小さな祠なら有りえますが、地域の堂々たる鎮守の社であり結構な大社も無格社に落されているのです。それに国譲りが反映しているのではないかと考えています。つまり、無格社に貶められたのは大幡主+イザナミ(金山彦の妹)+大国主の国=元出雲国だったのです。

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大己貴神社からも近い筑前町弥永の田神社(天神社)


 今回のトレッキングの責任者であるN氏の提案でAとBの間に探訪ポイントを追加し、朝倉市の卑弥呼ロマンの湯に近く街中の別天地とも言うべき、湧水池傍の田神社を見た後、甘木公園の田神社を確認したのですが、次の提案を入れ、BとCの間に筑前町弥永の大己貴神社からも遠くない弥永の田神社(天神社)を訪問する事にしたのです。しかし、そこにはとんでもない事実がある事が分かってきたのでした。

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地番不詳 カーナビ検索 筑前町弥永 地元の方に田神社とお尋ね下さい


 そもそも、出雲神話の大スターである大国主命を祀る神社が何故この筑前町に存在するのかについて、どなたか説明して頂けないかと以前から思っておりました。

 まさか、出雲大社からの勧請とか分社などとは一度も聞いたことがないことから、日向の一の宮が何故高千穂とか霧島にはならずに都濃神社であり、その主祭神が出雲の神様とされる大国主命であるのか?

 また、熊本市の西里周辺や薩摩は吹上浜に、かなり立派な大己貴神社が存在しているのかを統一的に説明して頂きたいと思い続けているのです。

 目を北に転じると、宗像大社の主祭神とは大国主命ではないのかという話が付き纏い、付近の遠賀川左岸の岡垣町手野にも大国主神社が鎮座している事に気付くのです。

 それ以上に驚愕すべき事実としては、春日市の商工会議所の敷地には、オオナムチの幼名であるオオナビコを祀る伯玄社が存在している事を考えて頂きたいのです。

 これについては、ひぼろき逍遥(跡宮)024 大国主は九州で生まれた “オオナビコ”(大国主命=オオナムチの幼名)を祀る春日市の伯玄社“をお読み下さい。

 ここまでくると、筑前町の大己貴神社が非常に気になってくるのですが、百嶋神社考古学の洗礼を受けた者は、大国主命が実際に活動したのは九州であるという認識を持っており(現出雲の国は近畿大和朝廷が創ったテーマ・パーク)、そのポジションからも、この大己貴神社をクローズ・アップせざるを得なくなるのです。

 田神社が大己貴、大山祗の二神による擬神体であるという百嶋説に基づく調査ですから、大国主命が無視できないのです。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | ビアヘロ
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