2020年06月15日

726 比沼麻奈爲神社初見 “京丹後にもう一つの元伊勢を見出した”

726 比沼麻奈爲神社初見 “京丹後にもう一つの元伊勢を見出した”

20190308

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


先にも書きましたが、二月の末から岡山県津山市〜兵庫県佐用町〜鳥取県鳥取市〜京都府京丹後市〜石川県金沢市〜富山県五箇山〜岐阜県白川郷〜飛騨高山まで入りました。

本来は、更に長野県安曇野〜山梨県山中湖湖畔の友人の別荘に行く予定でしたが、雨に祟られ飛騨高山で引返す事になりました。往復2000キロ10日間の旅でしたが、草臥れただけだったかも知れません。

 ブログばかり書いていると腱鞘炎、頸肩腕症候群、眼精疲労…もひどくなり、ネタ切れもあって思わず飛び出してしまったからでした。

そこで京丹後を通過中に熊本の神社ウォッチャーでもある霊能者の女性から、峰山の比沼麻奈爲神(ヒヌマナイ)神社に行かれたらどうですか?とのアドバイスを受けました。

 既に、通過した後でしたので復路に参拝する事として五箇山を目指したのですが、帰路、好天気の中最高の条件で参拝の機会を得ました。

 元伊勢、元外宮については、大江山の皇大神宮を始め宮津の籠神社を何度も足を運びましたが、京丹後の比沼麻奈爲についてはついぞ知見を持ちませんでした。良く考えれば、但馬から丹後丹波へと貫ける豊岡から舞鶴へと向かう途上何度も通過していた所で、何の事は無い、道路から数百メートル入るだけの場所であったからでした。教えて頂いたF女史には改めてお礼申し上げたいと思います。

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御祭神 豊受大神 配祀 瓊瓊杵尊 天兒屋根命 天太玉命


祭神は比較的分かり易く、豊受大神を主神に、随神として ニニギ(高木大神の息子)、アマノコヤネ(草部吉見=ヒコヤイミミ)、アマノフトタマ(ヤタガラス=豊玉彦)の四神が配されています。

 印象としては高木大神(許氏)系、藤原(阿蘇氏)系、大幡主(白族)系…と、一見すると初期の近畿大和朝廷のバランスを反映しているようにも思えます。

 まず、「ヒヌマナイ」と呼んでいる事に目を向けざるを得ません。

 マナイは籠神社に隣接する天真名井や大山の天の真名井を思わせます。日の真名井ですね。

当然、神社の傍らには無残にも河川改修がされてしまっていますが立派な流水の小河川が注いでいる上に、神社の左手の崖には横穴が穿たれており、始めは災害に備えて神宝を匿うためのものかとも考えていたのですが、宮司にお尋ねすると“昔は横穴の井戸で数戸の住家に給水していた”ものとのことでした。

 初見ながら、「比沼麻奈為」(ヒヌマナイの「ヌ」とは「ノ」の古形の所有の格助詞)とは日?(樋)?の真奈井と呼ばれる湧水の地に置かれた神社程度の意味の社名ではないかとしておきたいと思います。

 境内を進むと立派に掃き浄められた砂場の参道と砂山が見えてきます。

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たまたまお会いした宮司からお話をお聴きすると、五十戸ほどの集落で維持されている神社との事、どうしてこれほどの維持管理ができるのか不思議な思いがしましたが、今後も訪問できる機会はあると思いますので神社の性格を含めて今後とも考えて行きたいと思っています。

 まずは、同じ元伊勢としても、参拝客の足が途絶えた大江山の皇大神宮、人知れずひっそりと佇む同社、かたや天橋立で参拝客が絶えない宮津の繁盛する神社と…つくずくも不公平なものと思うばかりです。

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参拝殿と雪囲いの残る参拝殿


 参道を右に折れると参拝殿+神殿があり、更に右手には稲荷社が鎮座ましましておられます。

 百嶋神社考古学に於いては、豊受大神とは伏見稲荷と同体であって、稲荷社が神殿真横に置かれている事は、主神そのものが排除されたか、主神の稲荷としての神性のみが外に出された可能性もあるのかも知れません。

 逆に境内社に五角柱の社日(天照大神、少彦名命、埴安姫命、倉稲魂命、大己貴命)祭祀があるものの、配祀神 瓊瓊杵尊 天兒屋根命 天太玉命 に相対する境内社が無い以上、この三神は神殿内にあるはずです。

 では、何故、千木が男神を示しているのでしょうか?まあ、伊勢の外宮も同じですが。

 考えられる事は豊受大神が男神だったとは考えないことから、お妃とした男神とは誰だったのかを考えてしまいます。

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故)百嶋由一郎氏は、“豊受大神=伊勢の外宮様が天兒屋根命こと草部吉見(ヒコヤイミミ)=海幸彦を夫としておられた期間は三年程度であった…対して、ニギハヤヒ=猿田彦=山幸彦は死ぬまで添い遂げておられました…”と言われていました。

 従ってこの男千木とは、もしかしたら山幸の可能性もあり海幸の可能性もあり謎は深まります。

実のところ神殿内の祭神を見たいとの思いは消せません。

 特に北部九州では神殿内に自らの紋章を打った神像を置いてあるものに遭遇する事もかなりあり、ある程度判別が付く場合もあるのですが、普段簡単に行ける地域の外延部にあたるためそれほど頻繁には入れず、地域の傾向も掴めていないものの勝手な感想、初回の初見と言ったところで今回のリポートを閉じたいと思います。

何度か通い周辺の神社をある程度把握しないと見えてこない部分もあることから、徐々に作業を進めたいと考えています。

初回から馴染みへと進めば(何やらジョロカイのようですが)見えてくるものもあるでしょう。

百嶋由一郎氏が残された神代系譜、音声CD、手書きスキャニング・データを必要な方は09062983254まで

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
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