2020年06月03日

722 僭越ながらようやく稲荷が少しは分かってきたような気がしています

722 僭越ながらようやく稲荷が少しは分かってきたような気がしています

20190211

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


「向う横丁のお稲荷さん」という手毬うた お手玉うた(童わらべ歌)がありますが、この歌に登場するお仙は江戸中期に実在した茶屋の美人看板娘というのですから多少の驚きを感じます。

「大阪府高槻市にある笠森稲荷(笠森神社)。ここから江戸の谷中へ勧請された稲荷社の境内(または門前)の茶屋でお仙が働いていた」と言うのです。


向う横丁のお稲荷さんへ一銭あげて ざっとおがんで お仙の茶屋へ腰をかけたら 渋茶を出した渋茶よこよこ 横目で見たらば米の団子か 土の団子か お団子 団子この団子を 犬にやろうか猫にやろうか

とうとう とんびに さらわれた

無題.pngによる


このような親しみのある話もあるにはあるのですが、何故か奇妙で陰鬱で得体の知れないおどろおどろしさを感じさせるのも私が稲荷神社に対して持つ偽らざる印象です。

しかし、それは狐、狸が人を化かした…といった話から持たされた印象であって、狐狸妖怪によるイメージがそうさせているだけの事なのでしょう。

実際、何故、あれほどの赤鳥居が並べられなければならないのか?それだけでも強烈な印象を受けてしまいます。

無題.png

これまで稲荷神社に関してはあまり書いていませんでしたが、良く分からなかった事は否定できません。

勿論、これだけではないのですが、最近、宮崎県西米良村の狭上稲荷神社関連で3本(現在未公開)ほど稲荷神社について書くに至り、ようやく見当が着いてきたという切っ掛けを得た思いがしています。

稲荷については、“福岡県春日市の白川伯王益寿稲荷こそ最も古い稲荷様…云々”と故)百嶋翁も言われており稲荷の起源が九州にある事は間違いない上に、“伏見稲荷の原点も那珂川町(現那珂川市)の伏見神社”と言っておられることからこの難敵の稲荷への探索を深めなければならないと考えています。


 ひぼろぎ逍遥

461

白川稲荷の祭礼に出くわした “大分県杵築市大田の白川稲荷”

149

白川伯王益寿稲荷の分霊分社の発見か? “田渋荘の三宮八幡宮手前の小社”


 ひぼろぎ逍遥(跡宮)未公開(公開は16ケ月後の予定)

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亡命した菊池氏によって持ち込まれた狭上(サエ)稲荷神社が今も西米良村の最深部で息続ける(下)

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亡命した菊池氏によって持ち込まれた狭上(サエ)稲荷神社が今も西米良村の最深部で息続ける(上)


 伏見稲荷の正体を突き止める手掛かりが一つあります。それは伏見稲荷の「四大神」で、この四大神が山幸彦=ニギハヤヒ=猿田彦であり、福岡県豊前市に四社ほど集中し存在する「四公神社」であることは故)百嶋翁も話しておられ、当方も「ひぼろぎ逍遥」で報告しております(以下写真はそのうちの二社)。


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四公(シコウ)神社とは何か?


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この四公社の祭神である山幸彦=猿田彦=ニギハヤヒこそ伏見稲荷の主神である宇迦之御魂神、倉稲魂命であり、実は伊勢の外宮の豊受大神でもあるのです。

そうです猿田彦のお妃でもあった天鈿女命(アメノウヅメ)でありだからこそ伏見稲荷でもお傍にお仕えされているのです。

話は逸れますが、この田中大神も藤原により第9代とされた開化天皇であろうとも…聴いています。

問題は佐田彦大神で、実は四大神と同体の神の可能性があるのです。

それをゴリオシして出雲の佐田神社の佐田大神まで佐田彦大神で山幸彦であるとする震源地は無論伊勢神宮であり明治前後からの神祇官なのです。

出雲の佐田大社の佐田大神は大山咋であり断じて猿田彦ではないのです。

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四大神が中社の摂社というのも証左のような気がします 何故なら佐田彦大神と四大神は同体だからです


辛国息長大目(支那ツ姫)命=福岡県香春町の香春神社の主神こそ稲荷様=伊勢外宮様なのですが、大目命とは、九州で多い事を「ウウカ」と言うように大目と表記されたものも元はウウメでありウヅメなのです。この点でも猿田彦=山幸彦を夫とされている事が分かるのです。

当然にも短期ですが稲荷様の先の夫神は阿蘇高森の草部吉見(ヒコヤイミミ)様=海幸彦で、稲荷様が当時絶大な力を持った九州の女神様であり、政治が彼女を中心に動いた事を今尚留めているのです。

知らないのは神社庁に大嘘で調教された神主、禰宜ばかりで嘘と思い込みと不勉強と肖りで塗り込められているのです。悲しい限りです。列島の神道もいよいよ集団絶滅へと向かいつつあるようです。

95%嘘で固められた古事記に基づく神代系譜など何の役にも立ちませんので、百嶋神代系譜をお考えいただきたいのですが、この系譜によって、伏見稲荷様=伊勢の外宮様がどのような系統の人なのかをお考え頂きたいと思うものです。

無題.png 稲荷様は山幸彦様のお妃なのです

無題.png

百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


重要なのは夫神ではなく女神様の方です。

父神はスサノウ(新羅の王子様)であり「辛国」の意味もそこにあるのです、母神は大山祗命(トルコ系匈奴)の長女である神大市姫=弥都波能売神=罔象女神(ミヅハノメ)弟、妹に大国主命、木花咲耶姫というスサノウ系(実質は新羅系というより金山彦系)と大山祗命(トルコ系匈奴)のプリンス+プリンセスの組み合わせであり、始め雲南省麗江から肥後に進出した黎族の流れを汲む阿蘇氏との縁組が試みられたのですが、うまく行かずに実質的な王統が転換されているのです。

つまり、阿蘇系に根を持つ藤原系が貶めるために、アメノウヅメがストリップ紛いの真似をしたとか猿田彦を猿と貶めているのであって、伏見稲荷も伊勢神宮も藤原氏ともっと激しく争うべきなのです。

この点、出雲の佐田大社の佐田大神を佐田彦(猿田彦の実名)などと明治維新期に成り上がりの神祇官が騒いで今は屈辱ながら従っていますが、元の宮司家は猿田彦などでは無いと今もネット上で訴えておられます。まあ、どちらも苦しみながら闘い続けておられるという事でしょうか?我々は高みの見物でしかないのですが…。

これについては以下をお読み下さい。


ひぼろぎ逍遥

51

出雲の佐田神社と安心院の佐田神社

ひぼろぎ逍遥(跡宮)

295

大宮神社と猿田彦大神 N “ひぼろぎ逍遥051 出雲の佐田神社と

安心院の佐田神社 再掲”


どちらにせよ稲荷様に付き纏う陰鬱さと強面と不安感は、物部として後の藤原である阿蘇系から徹底的に弾圧されたスサノウ系(金山彦〜ナガスネヒコ系)と大山祗(熊襲=トルコ系匈奴)の影が反映されている事によるものでしょう。

 なお、大山祗=トルコ系匈奴=熊襲という話はなかなか受け入れられないと思いますし、未公開の内容でもあり、僅かに公開しているビアヘロ069 続)タシクルガン(石頭城、石城山)Ta Shi Ku Er Gan Lu 

外をお読み頂くしかありません。それまでは百嶋神代系譜015金印からお考えください。

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posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
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