2020年02月12日

ビアヘロ122 北九州を中心に活動する「丁巳歴史塾」との提携が始まります

ビアヘロ122 北九州を中心に活動する「丁巳歴史塾」との提携が始まります

                                                                      20200120

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


ここ十年以上北九州を中心に活動を続けてこられた「丁巳(ヒノトミ)歴史塾」という古代史研究グループがあります。

北九州市小倉北区の松本清張記念館を拠点に月例の講演会を続けられてこられたのですが、宮崎県椎葉村の栂尾神楽でこのメンバーの方と接点が出来、その後も当方の研修所においで頂くなどお話をしていくうちに合同のトレッキング、講演者の派遣などを行う事で話が進んでいます。

小規模ながら既に正月三ケ日明けに遠賀川河口のイヅノメの神社探訪を行なっています。

ここで当方の1月の糸島市での


令和二年新春三社巡り 「宮原誠一の神社見聞牒」から 天照大御神伝承地を探る拡大トレッキング” にも参加して頂いていますし、当会から連続して講演者を北九州に派遣への要請も頂いています。

とりあえず、私が先頭を切ってお話をすることに致しました。


丁巳歴史塾で古川がお話しします 北九州市小倉北区2020321日(土)13001700


講演内容  「釜蓋」(カマブタ)=永ノ尾 という奇妙な地名が北九州に集中する理由

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以降の日程


41819日は佃収講演会への参加も計画中です…

517日(土) 「若松の神々探訪トレッキング」 お杖代 古川 清久(太宰府地名研究会)

620日(土) 「北部九州の古墳と北九州」     伊藤 まさ子(太宰府地名研究会)


以後降継続し当会の内倉武久氏など多くの講演者が登場します


太宰府地名研究会 宮原誠一(ブログ「宮原誠一の神社見聞諜」)、伊藤正子(ブログ「地図を楽しむ・古代史の謎」)、杉山宏治(ブログ「事代主のブログ」)、秋永祥治「息長氏は秋永氏である」の顛末記 ブログ、神田○○(ブログ「ひとつあがりのカフェテラス」)、田中○○(ブログ「磯良の海」)、宮原ひろみ(ブログ「ひろっぷ」)…以下省略

当会提携顧問 内倉武久(元朝日新聞記者)、井上悦文(書家)、大下隆司(古田史学の会元事務局長)…以下省略 


北九州市若松区の神社トレッキングへの資料として(詳細編) 丁巳歴史塾との合同企画

20200120


太宰府地名研究会 古川 清久

2020517日(日) 遠賀川の東の神社を探ると九州王朝が見えてくる…トレッキング(案)


 オープン参加(一般の方も気楽にご参加ください)資料代500円のみ 基本は各自車の用意を…


2020517日(日) 午前1100にイオン若松ショッピングセンター 北九州市若松区二島1丁目3-1前日からの泊まり込みも可能です 北九州市若松区安屋3347 何有荘に事前に連絡を(050-5477-5110(列車利用の方はJR折尾駅で拾います…連絡を、また、前日からの宿泊可能)


集合場所 イオン若松  カーナビ検索 北九州市若松区二島1丁目3-1 雨の場合は7月に延期

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御㟢神社               笠松神社


2020年五月の連休明けに安上がりな泊まり込み神社トレッキングを行ないます“若松の山鹿島に!


@  戸明(とあけ)神社       カーナビ検索  北九州市若松区蜑住974

A  田(でん)神社         カーナビ検索  北九州市若松区2

B  十五社(じゅうごしゃ)神社   カーナビ検索  北九州市若松区有住684

C  十五社神社(じゅうご)     カーナビ検索  北九州市若松区有住684

D  ジョイフル若松小石店      カーナビ検索  北九州市若松区赤崎町8-25(仮案)昼食

E  笠松(かさまつ)神社      カーナビ検索  北九州市若松区安屋1976

F  白山(はくさん)神社      カーナビ検索  北九州市若松区小竹1946

G  御㟢(みさき)神社       カーナビ検索  北九州市若松区有毛2829 順路は調整します


前日の集合場所の何有荘は貯水池の畔の北九州にしては風光明媚な海岸沿いの丘陵地にありますが、牧野女史のアトリエとなっています。

トレッキングは前日から泊まり込みが可能です(要連絡)一泊1000円(仮案)。

近くには簡保の宿(北九州若松区大字有毛2829 пF093-741-1335もあります。

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付近には良く知られた千畳敷海岸があり五月には磯遊びもできるようなところです。

 博多から神湊までは志賀島の海人(アヅミ)族のそれより東は宗像族の、遠賀川流域には豊玉姫系の人々が住み着いていました。そこまでは私達も現地を踏み確認できていました。

 ただその東は思考の範囲に無く放置していましたが、今回、良い機会を得て少し調べて見ると非常に面白い神代〜古代史像が浮かび上がってきました。これを理解して古代史を再構築できればどれだけ素晴らしいかと想像するのですが、仮に九州王朝論者の方々であったとしても、洞海湾の奥で神功皇后を出迎えた熊鰐の話をする程度であってこれと言ったイメージを掴んでいません。

ところが、若松一帯は古墳が多い所である上に魚鳥池周辺の蜑住には海人族の居留地があったと見え、江川水道の通行権を握っていたようです。

 一方、源平争乱期の平家方に着いた山鹿水軍の「山鹿」があり「花房」という地名まであるとなると肥後との関係も考慮に入れておくべきでしょう。さらに小竹という物部の最重要拠点の地名まであるのです。


北九州市若松区には九州王朝系神社ばかりが鎮座していた…“若松の神社調査の下調べとして”


 最近、北九州一帯で活動されている某歴史塾との提携話が進んでいますので、改めて遠賀川右岸の山鹿(ここではそう呼ばせて頂きますが)島=江川の北岸一帯の神社を概括して見ました。

すると、天御中主〜大幡主(神産巣日神)〜ヤタガラスを中心に九州王朝を支えた一族が崇敬していたと思える神々が並んでいる事に気付きました。このため都市化のために遅れていた北九州方面への神社探査の先駆けとしてまずは若松辺りから神社調査を進めて見たいと思います。

今回は「福岡県神社誌」…と言った基礎的資料も含め先ず概要だけをお話しして見たいと思います。

実質的に北九州に入ったなあと実感する筑豊から玄海灘に注ぐ大河遠賀川東(右)岸の玄海灘側から作業をする事にしますが、以前、遠賀川河口に集中する「イヅノメ」を祀る神社群(45社)が実は宗像三女神のお一人の豊玉姫を祀る神社であることはご報告致しました。次葉以降省略

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百嶋由一郎氏が残された神代系譜、講演録音声CD、手書きスキャニング・データDVDを必要とされる方は09062983254までご連絡ください。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 22:37| Comment(0) | ビアヘロ
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