2020年02月09日

684 宮原さんに曳かれて朝暗神社へ  “朝倉市須川の朝暗神社の基層には誰が祀られているのか?”

684 宮原さんに曳かれて朝暗神社へ  “朝倉市須川の朝暗神社の基層には誰が祀られているのか?”

                                     20181107

太宰府地名研究会 古川 清久


九州王朝論者と言っても私が知っている期間の四十数年の間に、相当の数の人々が鬼籍へと移って行かれているはずです。

いずれ私もその中に入って行く事になるとは言いながら、二十年以上も前に、「よみがえる九州王朝: 幻の筑紫舞」が公刊された当時、筑紫舞とルソン足に繋がりそうな筑紫舞と思われる絵馬が置かれていると言った話が持ち上がった神社が現朝倉市の朝暗神社でした。

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朝暗(長安)神社と言っても実際に現地を踏んだ人もそれほど多くはないでしょうし、この神社が実際にどのような性格を持たされた神社であるかを神社調査の立場から真面目に調べた人も数少ないでしょう。

最低でも、「福岡県神社誌」くらいは目を通すべきで、それを見ると中巻の正規の社格を与えられた神社ではなかった事が分かってきます。

神社誌の下巻末尾には御驚くほどの数の無格社(恐らく貶められた…)が並べられていますが、その中にも朝暗神社という神社は見当たりません。

ただ、我々が見ればこれが高木大神(高皇産霊神)の大行事社の末社であると分かる事から、かろうじて 下巻406pの上段に書かれた 高木神社(高皇産霊神)宮野村大字須川字鐘突 であることが分かるのです。

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これについては、いずれ、メンバーの「宮原誠一の神社見聞牒」によって詳細なレポートが加えられると思うので、重複してご迷惑を書けるぐらいならばともかく、誤った解釈で齟齬をもたらすような恥を晒すような真似はできないため、ここでは触れない事にしておこうと思うものです。

このように、神社とは表に残されたものと実体とが直結しない事は多々あるもので、経験を積まなけれ

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とんでもない間違った結論に直結する恐れがあるのです。

その上で、神社の中身が異なっているようで、どう見ても高木大神系の神様ではないのです。

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これについては、宮原誠一稿を待ちたいと思います。宮原氏は図像学にも精通されているようで、神紋、衣装、髪型…を含め神名までも解読されているようです。三階菱紋は小笠原で豊玉彦系なのです。

つまり、彦山の高木大神が覆い被さって来る前の祭神がそのまま残されている可能性があるのです。

何故ならば、大国主の国譲りの現場とはこの旧朝倉郡を中心とするエリアだったからですが、この話については、ひぼろぎ逍遥(跡宮)ビアヘロ023 筑前町に「日隅宮」を発見した! 外56本を検索してお読み頂きたいと思います。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


「福岡県神社誌」の旧朝倉郡では田神社が60社近く存在しますが、一社を除き全てが無格社扱いとなっています。それは下巻末尾を見られれば直ぐに分かるでしょう。

問題はこの田神社と朝倉郡の山手に数多く見られる山神社とが大幡主+大山祗である鹿児島のタノカンサーであり、この田神社に象徴される大幡主系の支配領域こそが大幡主系への入り婿であった大山祗の息子である大国主命だったのであり、これが後に大国主の国譲りとされた現場だったのです。

このように「出雲王国」なるものは大国主が国譲りによって移動した先でしかなく(元々安曇族支配者であった大幡主の経済植民地)、出雲大国とは藤原が捏造したテーマ・パークだったのです。

百嶋由一郎最終神代系譜、音声CD、手書きデータ・スキャニング等を必要とする方は09062983254まで
posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
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