2020年02月06日

683 宇土半島の付け根にも熊野神社があった… “旧松橋町の松橋神社”

683 宇土半島の付け根にも熊野神社があった… “旧松橋町の松橋神社”

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太宰府地名研究会 古川 清久


 タイトルが惚けていますが、地名をそのまま神社名とした神社は、神社誌などで事前調査でもしない限り参拝するまでは分からないとなるのですが、何度も通過した道路であり神社でありながらこれまで気にも留めていないのは社名からもたらもたらされるものでしょう。

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阿蘇でも南阿蘇の高森町に鎮座する色見熊野坐神社、上色見熊野坐神社があります。

近年パワー・スポット・ブーム(アニメ映画「蛍火の杜へ」)で上色見熊野坐神社が脚光を浴びています。

さらに氷川町立神の熊野坐神社、あまり知られていませんが熊本市内にも十社を超える熊野坐神社が存在しているのです。

勿論、筑後にも熊野神社はいくつかありますが、これほどの集積は見えないことから、熊本市がこの熊野系神社の震源地であることは考えられない話ではないのです。

 何故ならば、この熊野系神社の熊本市に遡るルーツは八代〜氷川に掛けての不知火海沿岸の妙見神社、霊符神社などであり、その後、大幡主系神社の紀州(和歌山県)が熊野への移動している事を知るからです。と、すると宇戸半島に一社ぐらいあっても…と考えていましたが、松橋神社という名称ではグーグルが拾えないのでしょう。

 まあ、これとて完全なものではなく、阿蘇高森の色見熊野坐神社、球磨村神瀬の熊野坐神社、氷川町の熊野坐神社…が漏れているのですから目安でしかないでしょう。

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ここで、「熊本県神社誌」に書かれている熊野三神を再確認しておきましょう。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


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県神社誌には同社の祭神は「熊野三座」と書かれています。

 この三座とはどなたなのかを再確認しておきましょう。


熊野本宮大社 アカルヒメ スサノウのお妃となりますが、国東半島の姫島に帰って来たとされています。

 市杵島姫を連れていたと考えられますが…それが宗像三女神の重要な一神となります。

熊野那智大社 イザナミ 百嶋神社考古学ではイザナギと別れ、大幡主のお妃となっておられます。

 ある程度神社に精通された方ならば、イザナミを祀るもイザナギが祀られていない祭祀が数多く存在する事は見当が着かれると思います。実は政略結婚もあり別れておられるのです。その後の名前がクマノフスミノミコトなのです。

熊野速玉大社 大幡主は良くご存じの博多の櫛田神社の主神であり、豊玉彦=ヤタガラスの父神ですが亀甲紋用をシンボルにされています。


境内には、神木がありました。綺麗な六角形の柵が造られていますが、大山祗系では八角形(隅切角)になります。

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これも熊野坐神社の特徴ですので、こういったことから神社の性格を把握していく事になるのです。
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境内向かって右に置かれた摂社 水波能売神


水波能売神は水の神様でもありますが大山祗の妹にあたります。

恐らく宇戸周辺にも大山祗系の勢力が展開して名残でしょう。事実宇土市にも大山神社がありましたね。

 最期に、前ブログで、“この宇土半島、古くは宇土島であり、松葉の瀬戸(鹿児島本線はそこを通してあります)が洗っていたとの話(「宇土市市史」)もあるのです。と、すれば、この地は有明海と不知火海を連絡する要衝であって、古代に於ける重要性は想像を超えるものなのです。”と書きました。

 宇戸半島の宇戸の意味ですが、以前からこれは「大門」(オオト)の意味ではないかと考えていました。

 九州(瀬戸内海に面した豊前を除きますが)では「大事しでかした」ことを「ウゴートシデカシタ」と表現します。

 O音がU音に変わるのです。してみれば、有明海から安全に不知火海に移動できる水道が存在していたとすると、ここには大きな門が存在したのであり、それが「ウト」と呼ばれ宇戸と表記された可能性があるのです。

 同様に、鵜戸神宮も、大きな海食洞である事から鵜戸と呼ばれているのです。

 この松橋の熊野坐神社の認識はかなり重要で、今後、新たな展開を見せる切っ掛けになりそうな気がしてきました。尚も探索は続きます。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
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