2020年02月03日

682 有明海、不知火海周辺の十五社神社は阿蘇神社ではなかった“宇城市の十五柱神社から”

682 有明海、不知火海周辺の十五社神社は阿蘇神社ではなかった“宇城市の十五柱神社から”

                                     20181105


太宰府地名研究会 古川 清久


 熊本県の宇戸半島の付け根に旧不知火町(現宇城市)高良に十五柱神社があります。

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「熊本県神社誌」86p 

5 村 浜田拾五柱神社 不知火町高良426 神直日外14 806坪(境内)108(祭日)13坪(社殿)

和銅6年(713) (創立年) 150戸(氏子戸数)中林常堅(祀職)

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この神社の話に入る前に、十五社問題に触れておかなければなりません。

神社誌にも書かれている通り、天草周辺には異常なほどの十五社神社と言われるものがあります。

以前から、これは阿蘇氏が影響力を拡大した時期に阿蘇「12神」が覆い被さったもので、元は龍王を祀るものだったのではないかと考えていました。

 大体、古代において阿蘇の騎馬軍団が船に乗って天草を支配していたなどとは到底考えられず、南北朝争乱期以来の阿蘇氏の跋扈によって祭神が塗り替えられたのではないかと思っています。

 要は、有明海などに数多く拾える龍王社、龍神社、海童神社…と同種の大幡主、直接にはその子である豊玉彦=ヤタガラスを奉斎する神社と考えられるのです。

 昔から尻取り遊びで、ラッパ、ライオンぐらいしか単語が乏しく、それも外来語であることから、元々、日本語にいわゆるR音(これについてはR音,L音に分離されていないとか、日本語のR音はL音だとか混乱していますが)は存在していなかったという話もあり、「龍王」も「ライオン」→「ダイオン」、「ラジオ」→「ダジオ」と幼児語発音の様に、「十王」「十五」と発音されていた物を阿蘇の12神+3神で十五社神社と仕立て直したのであり、本来、大量の十五神社群は、元々龍王=豊玉彦=ヤタガラスを祀っていたのではないかと考えるのです。

 前にも書きましたが、龍王(リュウオウ)を正しく発音できなかった事については、柳田國男も東北の「十王堂」を元々は「龍王堂」だったと考えていた事で発送しただけの事でしかありません。

 このように、天草周辺ではごっそり龍王社が十五社に祭神入替が行われた可能性を考えるのです。

 これは、地名にも反映されており、佐賀県佐賀市の南の干拓地に「十五」と呼ばれる地区(佐賀市嘉瀬町大字十五)があります。

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十五柱神社由緒

「和銅六年癸丑年 元明天皇の勅願に依り、現宇土市西岡神宮御神体着船の所なし。故を以って海童神を崇の社壇を作らせ、十五柱神社と称する。現在の塚原区の人達がその事を記念し諸神をまつり 永く代々崇敬した。

西岡神宮古書によれば、十七日社前の海(現十五社付近)に於て附近の神職達あまた禊払をなし、十八日此所 十五柱神社大祭を執行し、御供膳百貮拾膳を捧持し本社西岡神宮に到り、翌十九日西岡神宮大祭を執行したとある。例祭日十八日には、馬追、神楽などの神賑行事が行われている。

又、境外社前には御舟石といって、昔日西岡神宮到着の時の舟をつないだといわれる石が残っている。」


十五柱神社の仁王像による


このように考えていたところ、この多くの十五神社が阿蘇系神社などではなく元は全く違う神社だったのではないかと思わせる旧不知火町の十五柱神社を見出したのでした。

以下の由緒をご覧ください。

拾五柱神社と表記を変えている事も、古来そうであったと言おうとしているようにも、他の十五社神社との軋轢を避ける意味にも思えますが、祭神を見る限り阿蘇の血筋を引くのは大直日神=阿蘇北宮の国造神=速瓶玉神(父神=草部吉見、母神=市杵島姫)程度であり、「熊本県神社誌」が6タイプに分けてまで分析しようが、それは各々の地域の祭神に併せ、アレンジしたものと考えれば納得できるのではないでしょうか?

神社誌にも記述がない為、宮司からの聴き取りもない中では軽々には言えませんが、底土神は、以前から申し上げている高良玉垂命=底筒男命であり、大綾津日神はそのお妃神功皇后(仲哀死後)、赤土神は金山彦、彦龍神は豊玉彦、姫龍神はその娘豊玉姫、八十柱津日神は不明、神直日神は鴨玉依姫、大直日神は前述の大山咋=阿蘇国造…以下省略となりそうです。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)



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と、ここまで確認し駐車場に戻ると、正面に奇妙な柴刺風のものを見つけました。

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同社の隣には十五区公民館が置かれ、駐車場にはゴミの収集施設が置かれていました。

そこにこのクナトの神、ナガスネヒコが書かれていたのです。

多分、この公民館側からフェンスを越えるな!という警告文の意味なのです。

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ヤチマタヒコ、クナトノカミ、シナトベノカミ…が並んでいます 神殿は鞘殿です神紋も

九曜星で天御中主(妙見神)大幡主系ですね 神額も製鉄神を意味する炎の神額なのです


 アメノヤチマタは猿田彦に準える方が多いのですが、それはそれとして、ヤチマタヒコ、ヤチマタヒメは、本来は、金山彦の孫にあたるナガスネヒコとオキツヨソタラシヒメと考えるべきなのです。

 ただ、心配なのか、クナトに立ちふさがるナガスネヒコの意味で進入禁止のお札を立てられているようです。宮司はかなりの知識をお持ちのようです。

 そう思って、熊本地震で建て替えられた鳥居の神額を見ると金山彦の炎のそれでした。やはり金山彦の後裔の神々が祀られる神社であり、間違っても阿蘇十二神+αの神社などでは無いのです。

 この地は、そもそも不知火町高良と呼ばれており高良八幡神社もあるのですが、そこは応神に塗り替えられておりその基層は一向に探れません。

 由緒書きにも登場した西岡神社も二度ほど参拝していますが、一向に如何なる神社なのか見当がつきません。

 この宇土半島、古くは宇土島であり、松葉の瀬戸(鹿児島本線はそこを通してあります)が洗っていたとの話(「宇土市市史」)もあるのです。と、すれば、この地は有明海と不知火海を連絡する要衝であって、古代に於ける重要性は想像を超えるものなのです。

 残されているはずの古い神額を是非とも見たいものです。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
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