2020年01月30日

680 何度も足を運んでいる宗像大社ですが… F “宗像大社の境外に置かれた大国主命の長男”

680 何度も足を運んでいる宗像大社ですが… F “宗像大社の境外に置かれた大国主命の長男”

                                     20181027

太宰府地名研究会 古川 清久


世界遺産登録などと言った一部の地域特定の寺社などだけが潤うというふざけた文化行政の結果、その手の参拝客が急増している宗像大社ですが、参拝殿でお賽銭をあげて拍手をするだけではほとんど気づかない神社が境内(その意味は各々の判断ですから違うと言われればそれまでですが)の外にあります。

 第二宮、第三宮から謎の高宮斎場(百嶋神社考古学では大国主命を祀る)は元より、実は楢の神木から高宮への道が延びる境内の外に、二つの神社が鎮座しています(写真のとおり柵塀の外です)。

 一つは松尾神社で、もう一つが恵比須神社です。

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今回は非常に分かりやすい話です。恐らく元はこの二社も境内(柵内)に在ったのではないでしょうか?

しかし、殊更高宮斎場への参道に置かれる事にはそれなりの意味があるように思えます。

 先に、679 何度も足を運んでいる宗像大社ですが… E “宗像大社の祭神は元から三女神だったのか”

をお読み頂いたと思いますが、恐らく、この先行ブログで書いた話がこの実質境外(公式には境内末社とされていますが)の二社の存在にも関係しているのではないかと思います。

 まず、右手の恵比須神社は出雲神話で高木大神、武甕槌(実は阿蘇の草部吉見)の国譲りの要請を受け、たちどころに強者に従った大国主の配下ですが(百嶋神社考古学では大国主の子とはもとより、建御名方の兄ともしません)、そもそも、宗像大社が大国主命祭祀を隠したか廃したことによって、恭順派の恵比須こと事代主命もそのままではいられるはずもなく、か、と言って打ち捨てるわけにもいかず境外に移されたと見れば良く分かるのです。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)青枠が大国主の子などとされるお二人です


 では、もう一つの松尾神社とは何でしょうか?勿論、酒の神様と言った話はどなたもご存じでしょう。

 結論を急ぎますが、阿蘇の国造神社では速瓶玉とされる同社の主神で本来は阿蘇神社よりも遥かに格上の神様なのです。

 その理由は、イザナミ、イザナギの子であるスサノウと、豊玉彦=ヤタガラスの妹のアカルヒメとの間に産まれたプリンセス市杵島姫の御子だからですが、阿蘇高森の草部吉見=ヒコヤイミミ=春日大神=鹿島大神=建借間命=武甕槌=正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命と活躍されている武人であり有力者である人物を取り込んだ宗像三女神の一柱である市杵島姫(島姫)の間に産れたのが、阿蘇では速瓶玉であり、普通は大山咋(オオヤマクイ)と呼ばれるプリンセスになるのです。ただ、阿蘇からは移動されているようで、たくさんの異名、別名をお持ちの神様なのです。

 松尾神社は元より、江戸時代は日枝神社とか日枝山王権現、山王神社、日吉神社、一般には大国主命を祀るとされる金毘羅さんさえも百嶋由一郎氏は“本来はこの大山咋だろう”とされていました。

 特に重要なのは、出雲の佐田神社の佐田大神でもあるのです。

 現在と言うより幕末から明治期に於いて、神祇官や神社庁からの圧力を受け、佐田大神は佐田彦であり猿田彦であるべきだ…といった伊勢神宮などからの横槍と言うよりゴリ押しが行われ、情けなくも佐田大社は変更を余儀なくされておられますが、これについては、以下をお読み下さい。


 ひぼろぎ逍遥

51

出雲の佐田神社と安心院の佐田神社


 ひぼろぎ逍遥(跡宮)

295

大宮神社と猿田彦大神 N “ひぼろぎ逍遥051 出雲の佐田神社と安心院の佐田神社 再掲”


 九州では、本当の宝満宮である福岡県筑前町の筑前山家駅に近い小さな二つの宝満神社こそがこの神様を祀る本物の神社であって、現在、参拝客が急増しパワー・スポットとか縁結び神社などと脚光を浴びる太宰府の宝満宮とは元は宝満寺でしかなく、このプリンス佐田大神とプリンセス鴨玉依姫(上下賀茂神社)が朱塗矢神話で大恋愛の末に結ばれた現場も太宰府宝満山などではなく、筑前山家が舞台だったのです。

 これで、この松尾神社の神格がある程度ご理解頂けたのではないかと思いますが、栄えある市杵島姫のプリンスであり、本来、神殿に置かれてもおかしくないはずの高格式の神様が、何故、外に出されているかを考えれば、現在の宗像大社の性格が多少は見えてくるのではないでしょうか?そこで、意味を持ってくるのが、三女神体制を取る前には玉依姫を祀っていた時代が在ったのではないかと言う仮説です。

 勿論、この玉依姫とは本物の初代神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)の母神である神玉依姫のことではなく、あくまでも崇神の母であった鴨玉依姫であって、この背後には神武僭称崇神(ハツクニシラス…)を格上げしようとの意向が働き、ある時代、宗像も含め白族全体の神が玉依姫で塗り替えられた時代が在ったのではないかと思われるのです。こうする事によって、崇神を初代神武と見せかけるトリックが造られ、学者さえも初代神武とは崇神だったと言う漫画のような話が流布されてしまうなど、今や神代研究は地に落ち、その劣化は極限まで来ているのです。

 これについては、百嶋神社考古学の全国グループのブロガーのお一人である千葉県のT女史に依頼して書き下ろしして頂いた本物の神武天皇の母神を祀る千葉県の玉崎神社のリポートを参考にして下さい。

無題.png 未知の駅

ひぼろぎ逍遥(跡宮)

ビアヘロ062 上総国の龍宮 一宮町 玉前神社(上) 同 063上総国の龍宮 一宮町 玉前神社(下)


 これが、白族の多くの系統を祀る神社としてバランスを取って戻されたと考えるか、市杵島姫系から豊玉姫系に移行した証と考えるかは今後の課題ですが、私には市杵島姫のプリンスである大山咋が遠避けられつつも、なおも市杵島姫が祀られている以上、宗像は白族全体をバランスを取ってウイングを広げつつも、静かに市杵島系から高木大神=高皇産霊尊の娘である豊秋ツ姫と豊玉彦との間に産れた豊玉姫系に移った時代の状態が凍結されたのではないかと考えています。

 これは、仮説以下の作業仮説ですので、ここまでで止めますが、松尾神社が境内地の外に置かれている事にはかなり深刻な問題が存在しているように思えるのです。

無題.png

百嶋由一郎(阿蘇ご一家)神代系譜(部分)


 宗像大社に関しては、そのうち纏まった形で書かなければならないとは考えていますが、宗像沖ノ島世界遺産登録以来、この神社への尊崇の念など吹き飛んでしまっており、行きがかり上書かざるを得なかったリポートさえ書けば用済みと考えています。いずれは書くとしても、他に重要な優先すべきテーマがあることからとりあえずここまでとしたいと思います。

 この間、高良大社、草部吉見神社、宮地嶽神社、宇佐神社、大宮神社…と重要な神社に関する多くのリポートを書いてきましたが、書きたくない神社もない訳ではありません。

 出雲神話の舞台は九州島であって、大国主系トルコ系匈奴の移転先が、藤原が創ったテーマ・パーク現「出雲」との認識は今も変わりません。謎解きは今後も続くでしょう。


百嶋由一郎氏が残した神代系譜、音声CD、手書きスキャニング・データが必要な方は09062983254まで

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 00:00| Comment(0) | 日記
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