2020年01月26日

ビアヘロ117「宮原誠一の神社見聞牒」からE “糸島市桜井の岩戸宮の安曇磯良と金印”

ビアヘロ117「宮原誠一の神社見聞牒」からE 糸島市桜井の岩戸宮の安曇磯良と金印”

                                                                      20191130

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 メンバーの宮原誠一氏による「宮原誠一の神社見聞牒」にかなり重要な論文が連続して掲載されています。ご好意により全文を転載させて頂く事になりました。

 今回のトレッキングで糸島半島の桜井神社を取り上げる事になりましたが、「福岡県神社誌」を見てもこの神社の祭神に淀姫はありません。しかし、参拝殿の天井には大きな神額が残されており、元々は淀姫神社であった事が分かります。

 これについては、ひぼろぎ逍遥(跡宮)から以下の3blogなどをお読み下さい。


719

福岡県糸島市の桜井神社再考(下)

718

福岡県糸島市の桜井神社再考(中)

717

福岡県糸島市の桜井神社再考(上)


無題.png2019-11-11 11:11:11

宮原誠一の神社見聞牒(128)
令和元年(2019)1111


No.128 糸島市桜井の岩戸宮の安曇磯良と金印


日本の歴史はほとんどが仮説の上に成り立っていると思っています。
金印の続きの話ですが、内容は事実を証明するものはなく、仮説の話です。
前回ブログの金印の要約です。

()国の王様・大幡主は子息・豊玉彦を使者に密かに朝貢しているのです。
そして、使者の豊玉彦は「中郎将」の称号を受け、日本では「中将」様と呼ばれているのです。使者の豊玉彦は明確な国王の名称を誤魔化すために、どのような解釈でもとれる国王名を使用したと推測します。つまり、「委奴國王」は「わのな国王」とも「いと国王」ともとれるのです。
現存する金印「漢委奴國王」は豊玉彦を使者に「委奴國王」を僭称して、大幡主が印綬された金印となります。

鈴木真年は記録には現れない「那()国王・大幡主は子息・豊玉彦を使者に『委奴國王』を僭称して密かに朝貢した」ことを知っていたことになります。


現存する金印「漢委奴國王」は、子息・豊玉彦を使者に那()国王・大幡主は「委奴國王」を僭称され、金印を印綬されたことになります。
それで、金印の印面を「漢の倭の奴国王」と、私は読みました。
今回は、2019年6月16日実施された神社トレッキング資料を参考にします。
No.111 糸島市天降神社中心のトレッキング資料」
https://ameblo.jp/kenbuncho2017/entry-12476314610.html

会の主目的は糸島の天降神社訪問でしたが、私にとっては金印調査が目的でした。
櫻井神社(與止姫神社)、浦姫神社がその対象神社となります。次に引津神社、若宮神社の古計牟須姫(こけむすひめ)の調査でした。ところが、当日出かけようとしても体が動かず、杖代(つえしろ)にもかかわらず出席できず、案内を主管の古川様に代わりをお願いした次第です。
糸島の桜井の與止姫神社は表記と異なり、安曇磯良と豊姫(ゆたひめ)を夫婦神として祀ります。その與止姫神社創設のきっかけを作ったのは、浦姫神社の祭神、浦新左衛門毎治(つねはる)の妻女・浦姫です。
慶長15(1610年)、寛永元年(1624)と短い期間に、糸島の浦村では神がかりの強力な霊能者が二人出現しているのです。慶長15年は糸島の浦の浦毎治の妻女で桜井神社の大宮司家です。寛永元年は糸島の志摩船越の若宮神社の創立者・仲西市平の妻で、仲西家は今でも引津神社、若宮神社の社人となられています。

1.安曇磯良と豊姫


大幡主(大海神おおわたつみのかみ)、豊玉彦(海神わたつみのかみ)、豊玉姫、彦火々出見命、鵜草葺不合命、安曇磯良(あずみいそら)、豊姫(ゆたひめ)の流れは、糸島・志摩半島の神社を巡りますと、その関連が見えてまいります。


安曇磯良・豊姫系図

無題.png

安曇磯良は大幡主の直系の子孫であり、金印を引き継ぐ資格と地位は十分です。
安曇磯良は開化天皇と義兄弟であり、新羅征討等共に行動された人物であり、皇宮に住み、神功皇后をして「日神 表筒男尊の大臣公は天照大神の「ひまご」にておわします間柄、玄孫大臣・物部大連(もののべおおつら)と申し奉るべしとおおせけり。玄孫大臣と書いては、ひまご大臣と読めり。」とあり、安曇磯良は天照大神の曾孫であり、玄孫大臣・物部大連と呼ばれています。また、住吉三神の一柱でもあるのです。

住吉三神を整理すれば
 表筒男尊 日神垂迹 玄孫大臣物部大連・安曇磯良 防府住吉神社の主祭神
 中筒男尊 ()崇神天皇 博多住吉神社の主祭神
 底筒男尊 月神垂迹 大政大臣物部保連・玉垂命・開化天皇 摂津住吉大社の主祭神

安曇磯良と豊姫の子・日往子(ひゆきこ)は、神功皇后が亡くなると、開化天皇に甥として連れられて高良山に上がり、高良大社の大宮司家・鏡山家の祖となるのです。
その開化天皇の九体皇子の一人・ナオミ姫と関係する播磨の姫路の黒田家は、江戸幕府より関が原の功績により筑前福岡藩に移封となります。第二代藩主黒田忠之公の時、浦姫の関連で桜井の與止姫神社を創建されます。
その黒田家に渡った金印は後に亀井南冥の係わることとなり、『金印弁』の鑑定口上書に記載されるごとく金印の志賀島出土説(志賀島は安曇磯良を祭神とする志賀海神社が鎮座する)となって日の目をみるのです。大幡主、豊玉彦、・・・安曇磯良の流れは、糸島桜井の安曇磯良から志賀島の安曇磯良へと安曇磯良に戻ってくるのです。

2.浦姫と桜井の與止姫神社


與止姫神社(よどひめ)が鎮座する桜井の北に「浦」の村があり、そこに浦姫伝説の浦姫神社があります。


浦姫伝説
慶長15(西暦1610年)のことです。糸島一帯が大暴風雨に襲われたとき桜井の三郎畑という小高い丘に大きな岩屋ができました。
これを見ようと村人が大勢集まりました、その中の山伏が「神様の岩屋だから、人は出入りしてはならない」と厳かにいうと、人々は跪き拝むのでした。その人達の中に浦新左衛門毎治の妻女がいました。
その夜妻女が眠りについていると、夢の中にその岩屋が現れ、その中に運ばれていきました。奥深いところで神々のお姿にふれ伏し拝みますとキラキラと輝く小石が飛んできて、顔に当たりました。夢から覚めた妻女は神のお告げのもと、五年の辛い修業を行い、正確な予言をするようになりました。その後、浦姫様と呼ばれ、評判は福岡の黒田忠之公にまで届きました。忠之公は、審議を確かめるため使者を遣わしましたが、「私には人の心など物事すべてがわかるのです」といって、使者の浦姫への疑念や城を出るときの様子などを、見透かしたように言い当てたのです。(中略)
忠之公は、その信じられないような能力に驚かれ、後に浦姫の話が事実と少しも違わないことを知るとその信頼は益々深まり、難しい事が起こる度に相談されたということです。


慶長15(161061日より2日、早暁に桜井を中心に雷鳴轟く大豪雨が降り、岩戸神窟が初めて開き、霊験あらたかな神様が出現された。その事は筑前国2代藩主黒田忠之公にも聞え、厚く崇敬され、寛永2年(1625)桜井大神宮を、寛永9(1632)桜井神社を創建されている。当初、桜井神社は、与止姫大明神(よどひめだいみょうじん)と呼ばれ、明治になって桜井神社と改称されている。


      浦姫神社 福岡県糸島市志摩桜井3315  浦毎治(つねはる)の妻女・乗蔵を祀る

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櫻井神社 福岡県糸島市志摩桜井4227


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3.本殿後の岩戸宮

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本殿後の岩戸宮は円墳の入り口に社殿を構えたものです。
慶長15(161061日より2日、早暁に桜井を中心に雷鳴轟く大豪雨が降り、相薗の古墳の岩戸が開きます。
その夜、浦毎治の妻女・乗蔵が眠りつくと、夢の中にその岩屋が現れ、その中に運ばれていきました。奥深いところで神々のお姿にふれ伏し拝みますとキラキラと輝く小石が飛んできて、顔に当たります。夢から覚めた妻女は神のお告げのもと、五年の辛い修業を行い、正確な予言をする霊能者・浦姫に新生されています。
 相薗の円墳の石室規模は全長約10m、玄室の高さ約5mと一般古墳を凌ぎます。
現在古墳の中には、当時の副葬品等の遺物はありません。まして、当時の記録も見当たりません。どんな副葬品があったのでしょうか。
糸島郡誌「筑前国志摩郡櫻井村與止姫神祠縁記」には当時岩窟には何もなかったと記す。
しかし、神窟の神は大綿積神と福岡県神社誌にも記載され、海神とはっきりしているのです。それは浦姫によって知ることができたものと推察します。
大海祗神(おおわたつみのかみ)は熊野神社の祭神・大幡主か、志賀海神社の祭神・安曇磯良となります。与止姫神社の性格から大海祗神は安曇磯良となります。いづれにしても、大幡主と安曇磯良が関係しています。
筑前二見ヶ浦には桜井神社の宇良宮(うらみや)として、夫婦岩に伊弉諾命と伊弉冉命を表向き祭祀しますが、本当は、安曇磯良と豊姫を夫婦神として祀るものです。
櫻井神社の祭神は警固三神ですが、櫻井神社は江戸時代までは與止姫神社でした。明治になって櫻井神社と改称しています。
櫻井神社は與止姫神社なのです。與止姫神社は安曇磯良と豊姫(ゆたひめ)を祀る神社なのです。
にもかかわらず、祭神の安曇磯良と豊姫は頑固に隠されているのです。
不思議です。櫻井神社は何かを隠されている、としか思えません。
安曇磯良と豊姫の名が表に出ては困ることがあるのでしょう。

    安曇磯良と豊姫を祀る夫婦岩 福岡県糸島市の志摩半島の二見ヶ浦

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4.金印「漢委奴國王」(漢の倭の奴国王)


金印「漢委奴國王」の問題は 金印がどこで発見され(本来どこにあったか) どのようにして黒田家に渡ったのか そして、亀井南冥の知るところとなり、志賀島出土説の発表となったのかの三点に尽きると思います。
亀井南冥が『金印弁』の鑑定口上書に志賀島(しかのしま)金印出土を書き上げ、それが創作であったとしても、全く縁も所縁もない所に金印出土(発見)を求めるでしょうか。何等かの関連があるから、それなりの理由が見当たるから、志賀島と金印に関連性を見出せるから、志賀島に金印出土説が設定できたのではないでしょうか。
「志賀島」で古代と金印を連想させるものは、「志賀海神社」と「安曇磯良」です。

志賀海神社(しかうみじんじゃ)
所在地 福岡市東区志賀島877
祭神  底津綿津見神、仲津綿津見神、表津綿津見神

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志賀海神社の祭神は底津綿津見神、仲津綿津見神、表津綿津見神であり、綿津見神(わたつみのかみ)という海神ですが、その神様の称号は至って抽象的で実態がイメージできません。
志賀大明神は安曇磯良であり、安曇磯良・豊姫・大海姫は鵜草葺不合命の子です。この三神を総じて、海祗(わたつみ)三神と称します。鵜草葺不合命は大海祗(おおわたつみ)です。
志賀海神社から安曇磯良と志賀島は連想できます。
また、志賀海神社は山誉め祭の神楽歌「君が代」の原型歌が奉納される珍しい神社です。
その中に「君が代」の歌詞の一部「さざれ石」「こけむす」がありますが、それに関係する神社が糸島市三雲の細石(さざれいし)神社、糸島市志摩船越の古計牟須姫(こけむすひめ)を祀る若宮神社です。伊都国(怡土国)、志麻国(志摩国)、志賀島は結びつくのです。


資料


ニニギの降臨地を探るトレッキング @ “博多周辺の天降神社と祭神の東西分裂をどう見るか”

20190616

今回の神社トレッキングの中心は瓊々岐命と木花開耶姫に関係した神社を探訪します。
1.天降神社  糸島市新田320              中巻101p
2.若宮神社  糸島市志摩津和崎300           中巻94p
3.天降天神宮 糸島市志摩桜井666            
4.浦姫神社  糸島市志摩桜井3315
5.引津神社  糸島市志摩船越245            中巻89p
6.若宮神社  糸島市志摩船越309-2           
7.加布里天満宮 境内社天降天神社 糸島市加布里545  中巻104p


 太宰府地名研究会では月例でトレッキングを行なっていますが、20196月からは天降神社にメスを入れようと考えています。この神社群が不思議なのは、福岡市の西部の糸島市周辺ではニニギを祀るものの東部の古賀市周辺では大国主…外を祀ると言う奇妙な分裂を見せている点です。

以前からこの問題に悩んでいたのですが、いずれは踏み込む必要があり、今般、重い腰を上げ取り組むことにしたものです。と言っても交通量の多い都市部でのトレッキングになることから、集合場所から配車+便乗、現地の駐車場に加えトイレット、昼食場所とかなりの気配りが必要になります。

 カーナビが普及してますし、携帯で連絡もできますので昔の様に行方不明車が出る事は無くなりましたが、交通事故からその他のトラブルも含め、それこそ神社で交通安全のお札が必要になるありさまです。

 ただ、全体で15社程度はあるようで一度に全ては廻れない上に、それなりに目立つものが見当たらないと単調にもなりますので、間を置いて五社程度を三回ずつ廻る形で実現したいと思っています。

無題.png

グーグル検索による天降神社はこの程度ですが、石田さんのデータでも分かるようにこんなものではないのです。

 最終的には「福岡県神社誌」で確認することぐらいしかできませんが、それさえも疑いの目を向けて解読しなければ祭神の東西分裂の現象はともかくその淵源までは到底到達できないでしょう。

西部地区の正確な分布図は当方とも提携している名古屋の東海の会の石田泉城さんのサイトから

1.天降神社  糸島市新田320       2.若宮神社  糸島市志摩津和崎300
3.天降天神宮 糸島市志摩桜井666     4.浦姫神社  糸島市志摩桜井3315
5.引津神社  糸島市志摩船越245     6.若宮神社  糸島市志摩船越309-2
7.加布里天満宮 境内社天降天神社 糸島市加布里545  

天降神社について福岡市の西部の糸島市周辺ではニニギを祀るものの、東部の古賀市周辺では大国主…外を祀ると言う奇妙な分裂を見せているとしましたが、ニニギを祀る神社が九州島に於いても極端に少ない事を考えると、天孫ニニギの降臨説話も阿蘇氏の後裔である藤原が高木大神系と組んで創った捏造の様な気がしています。

無題.png

百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


百嶋由一郎氏が残された神代系譜、講演録音声CD、手書きスキャニング・データDVDを必要とされる方は09062983254までご連絡ください。

posted by 久留米地名研究会 古川清久 at 22:32| Comment(0) | 日記
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